第2話 闇夜に輝くオリーブの瞳

episode.9

 白いレースのカーテンから漏れる淡い光が部屋中を満たし始めた時刻に、リアは生温かく湿った柔らかい感触が顔に触れるのを感じて瞼を上げた。

 

 ぼんやりとした視界に飛び込む見慣れた白い毛並みが、熱い息遣いと共にピンクの舌でリアの頬を濡らす。

 

「ルークス……分かったから、起きるから。ちょっと待って」

 

 白い毛の塊の脇下を両手で掴んで顔から引き離すと、リアは長い鼻先の持ち主と瞳を合わせた。

 

「おはよう、ルークス。ご飯にしようね」

 

 リアの言葉にくりっとした琥珀色アンバーの瞳を輝かせ、ふわふわの真っ白の毛を持つ狐のルークスは、甲高い鳴き声を上げて太い尻尾を振った。

 アカギツネの生息しているこの地方では珍しい白い毛色のルークスは、2年程前にリアが子犬と間違えて連れ帰って来た狐だ。

 

 テオの調べにより母狐がいないこと、見た目は普通の狐そのものだが、実はではないことが分かり、リアの懇願もあって今ではこうして一緒に暮らすようになった。

 

「今日は天気がいいみたい。最近雨続きだったから、あとでお散歩に行こう」

 

 腰窓のカーテンを捲って青空の広がる空を見上げたリアは、振り返ってルークスに言う。言葉を理解しているような素振りでルークスは嬉しそうに体を揺らしながら、猫とも犬とも少し違う鳴き声で返事をした。

 

 自室にある洗面所で顔を洗い、膝丈のシャツワンピースに着替えると、ドレッサーの鏡の前で髪を整える。これがリアにとって、もっとも厄介な毎朝の作業だ。

 ウェーブ掛かった赤茶色の肩より長い髪が、毛量の多さにより爆発しているのを見て、険しい顔で溜め息を吐き出す。

 

「どうしてこう、わたしの髪はおとなしくしていられないのかな。ねぇ、ルークス」

 

 ヘアブラシで念入りに髪を梳かしながら、リアはちょこんと横に座って待っているルークスに視線を送る。30㎝近い尻尾を左右に揺らしてそれに答えるルークスは、リアのどんな些細な動きも見逃すつもりはないと言わんばかりの忠実な顔でじっとしている。

 こうもリアにぴったりくっついているのは朝と夕の食事の時だけなのだから、彼の食への執着は計り知れない。

 

 やっとのことで梳かし終えた髪を慣れた手付きでふたつの緩い三つ編みにして結ぶと、ドレッサーの引き出しからお気に入りの深緑のリボンを取り出して左右に結び付ける。

 去年の15歳の誕生日プレゼントに、テオが選んで買ってくれたものだ。

 

 どんな高価なものよりも、テオに選んでもらえたものが一番嬉しい。


「ちょっと待ってね」


 くうんと鼻を鳴らして催促するルークスの頭をひと撫ですると、リアは壁際のデスクに置いてあるノートパソコンを開いた。

 携帯電話を持っていないリアにとっては、学校の友人と連絡をとる為のひとつの手段だ。朝と夜にメールを確認するのを日課にしている。


 リアは昨夜にきていたらしい1件の未読メッセージを開くと、ぱっと表情を明るくした。


「ルークス! テオ帰ってるよね? 早く伝えなきゃ」


 嬉しそうに声を弾ませ自室を出たリアは、慌ただしく階段を駆け下りた。リアの声につられるようにルークスも元気に飛び跳ね、すぐさま後を追う。


 階段を下りた先にある広々としたリビングは、掃き出し窓のカーテンが閉ざされ、まだほんのり薄暗い。別の窓から差し込む光で室内を見渡し、リアはルークスへと振り返った。


「静かにね」


 声を潜ませ念を押すように一言告げ、リビングのソファで長い足をはみ出して仰向けで寝ているテオの元にゆっくりと近付いた。


 両手を頭の後ろで組み、右目に眼帯を付けたまま眠っているテオの顔をリアはそっと覗き込む。

 床にはネクタイが無造作に置かれ、ソファの背もたれに黒いスーツの上着が掛かっている。


 どうやら深夜の仕事を終えた後、ソファに横になって眠ってしまったらしい。いつものことだ。


 静かな寝息を立てるテオの整った顔を見つめていたリアは、ワイシャツのボタンが外れて肌けた胸元にある、コバルトブルーに輝く美しい宝石に目を止めた。

 涙をモチーフにしたティア・ドロップの首飾りは、テオが常に肌身離さず身に付けているものだ。

 どんぐり程もある大きな宝石は、一体どのぐらいの価値があるのか、リアには想像もできない。


 テオが持っているものなのだから、ただの宝石ではないのだろう。


「テオ、こんな所で寝てると風邪引くよ。寝るならベッドにしてって、いつも言ってるのに」


 困ったように溜息混じりでテオの肩を優しく叩くと、金色の左目が薄っすらと開かれ、リアを捉えた。


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