episode.8

「うっ……」

 

 カップいっぱいのどろどろとした液体を飲み干したユアンは、一度喉を通過したものが逆流しそうになり、思わず手で口を覆った。

 

「ユアン、大丈夫?」

 

 心配そうに顔を覗き込んでくるリアへと手にしていたカップを渡し、喉元までせり上がってきていたものをなんとか堪えて押し戻す。口の中に残る苦みや味わったことのない独特な風味に内心「おえっ」とすべて吐き出してしまいたいところを、ユアンは平静を装って無理やり笑顔を作った。

 

「ありがとう……リア。なんて言うか、変わった味の飲み物だね」

 

「そうなの。治療薬だから美味しくないけど、効果はばっちりよ。きっとすぐ元気になるわ」

 

 にっこりと嬉しそうに笑うリアに、寧ろ体調が悪くなった気がするとは言える筈もなく、ユアンは引き攣った笑みを崩さないまま彼女にもう一度お礼を言った。

 

「あ、少し晴れてきたみたい」

 

 空になったカップをカウンターに置いて立ち上がったリアは、窓の外を見て声を弾ませた。空を覆っていた雲から太陽の光が見え隠れし、窓から見える一面の緑が春の風にそよそよと靡いている。

 

「ユアン、そろそろ帰った方がいいかもしれない。テオは気まぐれだから、いつ帰ってくるか分からないし」

 

「ああ、そうだね」

 

 振り返ったリアに言われて立ち上がると、ユアンは包帯の巻かれた左腕に視線を落とす。

 この短い時間で、随分と不思議な体験をしたような気がする。

 

 妹は、どうなったんだろうか。

 テオは、本当に妹のところに行ったのだろうか。

 本当に、妹を助けてくれるのだろうか。

 半信半疑の疑問と不安ばかりが、頭に浮かんでは消えていく。

 

「リア……いろいろとありがとう。魔法なんて存在しないと思っていたから、今でも夢を見ているみたいだよ」

 

「帰ったらきっと、夢じゃなかったって信じられるよ」

 

「そう、だといいんだけど……」

 

 曖昧な笑みを溢してユアンが店のドアを開くと、来た時と同じように真鍮のベルがカランと鳴った。

 店の入り口から見渡せるほとんどすべてが、眩しいくらいに美しい豊かな自然だ。この国の田舎では当たり前のような景色も、心境の変化でユアンにはまた少し違って見える。

 この自然のどこかに、人知れず妖精は暮らしているのだろうか。

 目に見えるものだけが、すべてじゃないのだ。自分の知らない世界が、そこら中に存在しているのかもしれない。

 

「そういえば今更だけど、魔法のことって俺に知られても問題なかったの? 小説や漫画だと、普通の人には秘密にしていることが多いだろ」

 

 ユアンの言葉にリアをぱちくりと大きな瞳を一度瞬くと、くすくすと笑いだした。

 

「そっか、ユアンは気付いていなかったのね。貴方がキルケニーで会ったっていうこの村の出身の人は、きっと妖精だったのよ」

 

「えっ、なんでそうなるの。ちゃんと普通のおじいさんだったよ」

 

 驚くユアンにリアは首を横に振って答えた。

 

「村の人は、外部の人に魔法の話をしたりしないわ。ましてやテオのことなんて、絶対紹介しないもの。妖精の単なる悪戯か、ユアンや妹さんのことがよっぽど心配だったのね」

 

「まさかそんな……」

 

 有り得ない。なんてことは、魔法を見た今となっては言えそうにない。

 

 ユアンは信じがたい話に頭を掻きながら、キルケニーの病院で出会った老人のことを思い出そうとした。

 しかしいくら記憶の中を探っても、あの老人の顔だけが思い出せない。

 服装も穏やかな話し方も記憶に残っているのに、まるでモザイクが掛かったように顔だけが分からないのだ。


 これもその、妖精とやらの仕業だと言うのだろうか。


「なんだかよく分からないけど、キミやテオに会わせてくれたんだから、感謝するべきなのかな」


「ふふ、わたしもユアンに会えたことをその子に感謝しなくちゃ」


 鈴を転がすような声でそう言ったリアを見て、ユアンは僅かに顔を赤らめた。

 モスグリーンのドアの前に立つリアから視線を外し、無意識に包帯が巻かれた手首を摩る。


「リア、あのさ……。もし……もしも本当に、妹が元気になったら……」

 

 そこまで言って、一度唇を結ぶ。小さく首を傾げて次の言葉を待ってくれているリアへと、ユアンは顔を向けた。


「また来るよ。今度は……妹と一緒に。キミのハーブを買いに」


 照れ臭そうに笑うユアンを驚いたように見上げたリアは、すぐに煌めく美しい新緑の瞳を優しく細めた。



「──待ってる!」


 赤茶色の髪が風に揺れ、温かい満面の笑みが、顔いっぱいに広がった。



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