episode.3
ドアベルの音を聞いてユアンが振り返ると、そこには真っ黒のスーツに身を包んだ
20代後半から30代前半ぐらいのその男は、黒いネクタイをきっちりと首元で締め、伸びた背筋から窺える姿勢の良さが、隙のない印象を与えている。
男を見るなり驚いたように目を見開いた少女は、両手を口に当てた。
「ああ、やだ、フィン! どうして来たの!」
「やだ、とは……随分と失礼ですね、リア。仕事以外で、私がここに来るわけがないでしょう」
少女にフィンと呼ばれた男は嘆息しながらコツコツと革靴の男を鳴らしてカウンター前まで来ると、隣に立つユアンを一瞥した。
「珍しい、見ない顔の客人ですね」
「そうなの、お客さんが来てるの。だから今日の仕事は後にしてくれる?」
「用があるのは貴女にではありませんから、問題ないでしょう。彼は部屋ですか? 呼んでください」
有無を言わせぬ圧力を含んだフィンの言葉に少女は不満気に一瞬頬を膨らませると、ユアンへと視線を寄越した。新緑の瞳が、申し訳ないと訴えている。
「俺のことは気にしないで。待ってるから」
「ありがとう。タイミングの悪さを呪うしかないみたい」
意味深な言葉を呟いて少女はカウンター奥のドアを開けると、嫌そうに一度溜め息をついた。
「テオ―! お客さぁーん!」
ドアの向こう側へと顔を覗かせ、大きな声でそう叫んだ。
どうやらこの店には、少女の他にも住人が存在するらしい。当然と言えば当然だ。まだ10代半ば程の少女が、一人でこの大きな店舗兼住居に住んでいるとは思えない。
ユアンは今すぐ村にいるという魔法使いに会いたい気持ちと、隣に立つ気難しそうな男の仕事がどういったものなのか気になる気持ちとで、せめぎ合う複雑な心境のままその場に佇んでいた。
「お仕事がないと、昼間は寝てるの。彼、夜型だから」
肩を竦めて少女が言うと、暫くしてドタドタと奥の部屋から騒々しい物音が聞こえ、若い長身の男が欠伸をしながら姿を見せた。
乱れたグレーのワイシャツがスラックスからはみ出し、人前に出るにはいささかだらしない格好で現れた男を見て、ユアンはぽかんと口を開けた。
服装などそれほど重要なことではないと言わんばかりに、男が一目で人を魅了してしまうような端麗な顔をしていたからだ。
20代半ばぐらいに見えるが、きめの細かい色白の肌と人形のように整った美しい顔からは、はっきりと判断するのは難しい。
「……なんだ、フィンか」
生真面目な顔で立っているフィンを見るなり眠そうな声で呟いた男は、寝癖と思われる跳ね上がった黒に近い
「リア、来たのがフィンなら言ってよ。急いで準備して損した気分だ」
まったくやる気が起きないといった声の調子で、男は片方の眉を寄せた。正確には両眉を寄せているのだろうが、なにせ右目は黒の眼帯で覆われ、前髪が目の付近まで掛かっていてよく見えないのだ。
「言ったらそうやってなかなか出て来ないでしょ」
どうやら少女の名前はリアというらしい。小さい子どものように唇を尖らせ、男の前ではリラックスした様子で手を腰に当てている。
「相変わらずですね、貴方は」
黒のスラックスにはみ出したワイシャツを押し込んでいる眼帯の男へと、フィンが溜め息混じりに鋭い視線を向けた。
「そういうキミも、相変わらずかたっ苦しいねぇ」
「貴方と話していると疲れますから、さっさと本題に入りましょうか」
一切表情を変えることなく男を軽くあしらうと、フィンはスーツのポケットから小さなジュエリーケースを取り出し、蓋を開いてカウンターの上に置いた。
「8カラットのカナリアです」
「わぁ。きれい」
ジュエリーケースを覗き込んで感嘆の声を漏らしたリアにつられて、ユアンも思わず身を乗り出した。
ケースの中には見たこともない鮮やかな黄色の宝石が、美しい輝きを放って存在を示していた。濃く鮮明な黄の色は、『カナリア』と呼ばれる鳥を彷彿とさせる。
「確かに……カナリアだね」
顎に手を当てて宝石を見つめた男は、何もかも見透かすような金色の瞳を細めて頷いた。
「それで、依頼は?」
「依頼者の名前は明かせません。依頼内容は、ある人物を病気や事故に見せかけて殺してほしい、というものです」
ぎょっとする単語が突然飛び出し、ユアンは思わず顔を上げて隣に立つ真顔の男を見た。とんでもないことを言い放ったというのに、顔色ひとつ変えていない。
「これはまた、物騒な依頼だねぇ」
ワイシャツの胸ポケットから白手袋を出して右手にはめると、眼帯の男はくつくつと喉を鳴らしながら宝石を手に取った。
物騒などと言いつつもどこか楽しげな男に狂気を垣間見たユアンは、青ざめた顔でカウンター越しにリアの様子を窺った。
リアはユアンの視線に気付くと困ったように眉を垂れ下げ、首を横に振る。
口を出すなということなのか、リア自身関与できないことなのかは分からないが、どっちにしろまるで映画のようなやり取りをしている二人の大人に、口を挟むことなどできそうになかった。
このまま話を聞いてしまっていいのかどうかも怪しいところだ。
「どうしますか。依頼を受けていただけますか?」
宝石を左目に近付けて角度を変えながら確認していた眼帯の男は、フィンに訊ねられてジュエリーケースにその宝石を戻した。
「受けてあげたいけど、残念ながらハズレだね」
「そうですか。では、依頼は断りますか?」
抑揚のないフィンの機械的な言葉に眼帯の男はにやりと唇の端を吊り上げる。整った美しい顔が、より一層その笑みを妖しく見せた。
「受けてもいいよ。その代わり、依頼と同等の対価をもらおうか」
「……と、言いますと。やはり……」
「命と同等の価値のもの。そうだな、依頼者の心臓をくれるなら、お望み通り一人殺そうか。奪うのは得意なんだ。心臓ひとつで望みが叶うなんて、安いものだろう」
「心臓を差し出せば、人間は死にますよ。貴方とは違うんですから、安くはないでしょう」
「そういうものか」
呆れた様子のフィンへと男は初めて知ったかのような口ぶりで言葉を返し、軽薄な笑みを浮かべた。
「とは言えハズレのカナリアじゃあ、殺しは受けられないね。リアの教育にもよろしくないし。このカナリアと同等の依頼までなら受けるって、伝えておいてよ」
「分かりました。一旦持ち帰りましょう。しかし貴方と一緒にいる時点で、リアへの教育はとっくによろしくないものになっていると思いますけれど」
「フィン! 意地悪言わないで!」
皮肉めいた物言いに反応したリアを気にする素振りも見せず、フィンは『カナリア』の入ったジュエリーケースをポケットにしまった。
「それでは、用も済んだので失礼します」
「お茶でも飲んでいったら? リアのハーブティーは美味しいよ」
男の誘いにフィンはふっと鼻で笑うと、腕に付けたいかにも高級そうな時計を確認した。
「魅力的なお誘いですが、あまり時間もありませんので。長居してはリアの客人にも申し訳ないですから、今日のところはこれで失礼します。ハーブティーは、貴方が留守の時にでもごちそうになりに来ますよ」
「……あっそ」
丁寧な言葉にちょっとした嫌味をのせたフィンをうんざりした目で見つめた男は、どうでもよさそうに一言口にする。
しかしその言葉がフィンに届いていたかは分からない。
男が返事を返した時には、すでにその場からフィンの姿は煙のように消え去っていた。
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