episode.4

 隣に立っていた筈の人物が突如跡形もなく姿を消してしまったことに、ユアンは驚きのあまり言葉を失った。

 まさに“消えた”という言葉が最も相応しいかのように、なんの前触れもなく、本当にあっという間に、から姿を消してしまったのだ。

 

 呆然と立ち尽くしながらユアンがゆっくりと視線をリアへ向けると、彼女は諦めたように苦笑した。

 

「ああ、そうよね、驚かせてごめんなさい。ドアから入って来たんだから、帰る時もそうすればいいのに。フィンったら」

 

「消えたよね……さっきの人……」

 

「そう、そうなの。フィンは……さっきの、無愛想な彼は、魔法が使えるの。魔法使い……でいいのかな。この店に来る人は、特殊な人が多いの」

 

 “特殊”というにはあまりにファンタスティックだが、それを求めてこの店を訪ねて来たユアンにとっては、魔法というものを目の当たりにしたことによる衝撃が大きい。


 今まで非現実ないと思って生活していたものが、現実あるものとして目の前に存在したのだ。


 言葉を選びながらリアが説明した後に、彼女の隣に立っていた眼帯の男が、怪訝な顔でユアンを顎で示した。

 

「リア、誰なんだい、この彼は。キミにこんな男の友達がいるなんて、聞いてないんだけど」

 

「友達……というか、お客さんというか。これから村に案内してあげることになってるの」

 

 興味があるのかないのか、男はふうん、と短く相槌を打つと、品定めするようにユアンを上から下まで見つめた。

 鮮やかな金色の瞳に心の内まで見透かされている気分になり、ユアンはたじろぐ。先程のフィンとの会話もまだ記憶に新しいだけに、恐ろしくないと言えば嘘になる。


 リアは不躾な視線を送る男を軽く肘で小突くと、胸に手を当てユアンに柔らかく微笑みかけた。

 

「遅れてしまったけれど、わたしはリア。リア・ティアニーよ。この人がテオ。わたしの保護者みたいな人なの。よろしくね」

 

「ああ、うん。ユアンだ。ユアン・ファレル。よろしくリア、テオ」

 

 リアと握手を交わし、その保護者らしい男と同じように握手を交わすと、「よろしく」の言葉の後に、どこか含みを持つ笑みを向けられた。

 

 片目を隠していても分かる麗しい顔立ちは、近くで見るとますます作り物のようで、不気味さすら感じられる。


 男の顔を見ていたら、『どんな望みも叶えてくれる魔法使い』のことが頭を過った。

 フィンとのやり取りを考えても、このテオという男が、噂の魔法使いなんじゃないだろうか。

 

「それじゃあユアン、村に行きましょう。詳しいことは後で話すから。待たせてごめんなさい。テオはお留守番していてね」

 

 訊ねようとしたところでカウンター内から出てきたリアに手を掴まれ、彼女は子どもに言い聞かせるみたいに一言テオに念を押した。

 思いのほか力強く握られた手に、ユアンの心臓はどきどきと鼓動を速める。

 

 雑念を振り払おうとぶんぶんと首を左右に振って足早にドアへと向かうリアの後を付いて歩くと、不意にユアンは背後で男が笑う気配を感じた。

 ぞわり、と背筋を撫でるような感覚に襲われ、思わず身震いする。

 

「──リア」

 

 艶のある男の低い声が、ほんの一瞬その場の時間を止めた。

 少なくともユアンには、時間が止まったように感じられた。

 

「リア。無駄なことだって分かっているくせに、どうしてわざわざ彼を村に連れて行くんだい」

 

 まるで理解できないといったふうに首を傾けるテオの言葉に、リアが息を呑んだのが分かった。

 

「無駄って──」

 

「言葉のままだよ。村にいる魔法使いに頼んだって、キミの望みは叶わない。魔法は万能じゃないんだ。魔性や呪いの類ならまだしも、脳に衝撃を受けた少女の治癒なんて、そう簡単にできることじゃない」

 

 話していない筈のことをテオが迷いなく言い当てたことに、ユアンは目を見張った。


 なぜ──を知っているのか。


「どうして──」


「ユアン! だめ!」


 訊ねようとしたところで、再びリアに遮られた。ユアンの手を握る彼女の瞳が、これ以上この先に踏み込むことを強く拒んでいる。


「なんで……、どうして止めるんだ? あの人が、望みを叶えてくれる魔法使いじゃないの?」


「ユアン、だめなの。テオの言葉を聞いちゃだめ。カナリアを持っていない貴方は、テオにお願いごとをしちゃだめなの」


「カナリア……? さっきの、宝石?」


 困惑するユアンへと、リアは小さく頷き返した。


「カナリアは、その……珍しい宝石で……」


「さっきの宝石は、正確に言えばイエローダイヤモンドの一種だよ。中でもカナリー・イエローと言われている希少価値の高い宝石なんだ」


 ユアンの疑問に答えるように、テオが言葉を引き継いだ。


「カナリー・イエローの宝石を出せるのなら、キミの妹を治してあげるよ。僕は金銭は要求しないんだ。カナリア以外の宝石も求めていない」


 テオはカウンターに置いてあるティーポットを手にすると、ユアンが口を付けていたカップへとハーブティーを注いでいく。

 彼の優雅な美しい所作で、ティーポットの白い花が踊る。静かな音を立てて薄黄色の液体がカップに満たされていく様は、一枚の絵を見ているようだった。


「じゃあやっぱり、貴方が……望みを叶える魔法使い……?」


 ユアンの質問に、カップを口に傾けていたテオは目だけで笑った。

 肯定とも取れるその仕草にユアンが喉を鳴らすと、隣に立つリアがくいっと袖を引っ張った。


「ねぇ、ユアン、お願い。テオはそんな素晴らしい魔法使いじゃないわ。村にはもっと立派な……宝石なんて要求してこない、素敵な魔法使いがいるの。一度行ってみましょう」


「でも……彼は無駄って……」


「テオはそういう、ちょっと意地悪なことを言うのよ」


 ユアンは必死な顔で説得してくるリアから目を逸らし、カウンター奥で二人を観察するようにのんびりとハーブティーを啜っている男を見つめた。


 何かに魅入られてしまったみたいに、男から目が離せない。


「──カナリアを用意できないと言ったら? 俺は、そんな高価な宝石なんて、とても用意できそうにない」


「ユアン!」


 悲鳴のようなリアの叫びが聞こえた気がしたが、最早ユアンの耳には届かない。


 妖しく蠱惑的な男の笑みだけが、ユアンの心を掴んで離さない。


「カナリアがないのなら、代わりの対価を差し出せばいい」


「代わり……?」


 眉を顰めて呟けば、テオの金色の左目が三日月型に細められ、たっぷりの間を空けてから薄い唇を動かした。



「──キミの身体からだの一部を、対価としてもらおうか」


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