第1話 深紅のザクロは血の味に染まる

episode.1

 ヨーロッパの北西に位置する自然豊かな島国に、あまり知られていない小さな村があった。

 その村では今も尚、遥か昔から語り継がれてきた目に見えぬ世界や存在が、でひっそりと残り続けていた。

 

 村から少し離れた小高い丘の上には、季節によって色を変える美しい草花の絨毯に囲まれた建物が、ぽつんと一軒ある。

 

 一本の大きな樫の木を目印にして建つ木と煉瓦で造られたこの家は、二階建ての住居と平屋が繋がってできた村でも一際有名なお店だった。

 

 二階建ての住居周辺にはよく知られている植物から珍しい植物まで、いくつかの種類が植えられた小さな畑があり、更に鉢や園芸用ポットの苗が並べられている。春の日差しを浴びて生き生きとした緑が、家主に大切に育てられていることを窺わせる。

 

 店舗になっている平屋側の入り口は、屋根やポーチ柱に張り付いた苔や蔦が自由に生え広がって、仄かに漂う建物の年季と怪しさを醸し出していた。店のすぐ横に根を張る大きな樫の木が、日を遮っているのもひとつの原因だろう。

 

 店の入り口付近に置かれた木製の立て看板には、白いペンキで『open』の文字と、その下に猫のような生物の絵が描かれているのだが、このなんとも言えない独特な絵が怪しげな店の雰囲気を和らげている。

 

 モスグリーンに染められた木目調の店のドア前で、10代後半の一人の青年、ユアンがごくりと喉を鳴らした。張り詰めた表情で一心にドアを見つめていたかと思うと、鉄製のドアノッカーに手を掛ける。

 

──コンコンコン。

 

 木を叩く小気味良い音が響き、少しの間を空けて中から女の子の「はーい」という明るい声が聞こえてきた。「どうぞー」と続く返事につられてユアンが恐る恐るドアノブを引くと、ギッーっとドアが軋む音と共に、カランと軽快にドアベルが鳴る。

 

「わっ!」

 

 ドアを開けたのと同時に、足元を何か白いものがするりと通り抜け、ユアンは驚いて跳ね上がった。

 

「あ! ルークス! どこ行くの!」

 

 後を追うようにワンピースの裾を揺らして店の奥から駆けて来た少女が、入り口前でまごつくユアンを気にも留めずにドアノブを掴んで外へと顔を出した。

 

「ルークス!」

 

 もう一度そう叫んで、不満気に唇を尖らせる。

 

「もおー……」

 

 どうやら『ルークス』とやらはどこかへ行ってしまったらしく、少女は肩を落として溜め息をつくと、はっと顔を上げた。

 ペリドットの宝石のように美しい新緑の瞳が、後退るユアンを捉えてすぐに優しく細められた。

 

「いらっしゃいませ。すみません、お恥ずかしいところをお見せしてしまって」

 

 はにかんだ少女の頬が、ほんのり赤く色づく。

 ふたつに結ばれた赤茶色の髪を緩い三つ編みにして胸の前で垂れ下げ、ユアンより頭一つ分は小さいであろう少女は小首を傾げる。まだ10代半ばぐらいの、幼さが残るあどけない表情が印象的だ。

 

「あれ? はじめましてですね。村の人ではないですよね?」

 

「ああ……うん。キルケニーから来たんだ」

 

 ユアンが村から離れた都市の名前を口にすると、少女はぱぁっと表情を明るくした。


「キルケニーからだなんて! 遠くからありがとうございます。それであの、今日はどのようなご用件でしょうか」

 

「あ……、いや、えっと……」

 

「もしかして! ハーブをお探しですか?」

 

 もごもごと言いよどむユアンを遮って少女は新緑の大きな瞳をきらきらと輝かせると、なんの躊躇いもなくユアンの手を握った。

 

「こちらへどうぞ! 最近また種類を増やしたので、きっとお探しのものが見つかりますよ」

 

 嬉しそうに笑う少女に何も返事を返せず、ユアンは手を引かれるままに店内奥にある木製のカウンターまで連れられ、椅子に腰掛けた。「少しお待ちください」とだけ言った少女は、カウンター奥のドアへと消えてしまった。

 

『ハーブをお探しですか?』

 

 との少女の言葉通り、落ち着いて明るい店内を見渡せば、ここがハーブを売っている店だということがすぐに分かった。

 

 先程入って来たドア付近には培養土や肥料の袋が積まれ、その横に少し乱雑に重なって置かれた小鉢。壁沿いに並んだ棚には瓶詰や個包装された様々な乾燥ハーブが売り物として並べられている。

 両サイドにある部屋の出窓には小鉢に植えられたいくつかの植物が飾られ、午前中の日が差し込む東側窓の前に苗が並んだ長方形のテーブル。

 目の前のカウンター奥は、少女が消えたドアと、これまた乾燥ハーブが並んだ棚。そして驚くべきことに、外に生えている樫の木が、壁を突き破って店の中にまで大きな根を伸ばしていたのだ。

 

「本当に……ただのハーブ店なのか……」

 

 一通り店の中を見渡したユアンが困惑しながらそう呟くと、カウンター奥のドアが開いて少女が戻って来た。手には丸い形をした透明のガラス製ティーポットとカップがのったトレイを持っている。

 

「お待たせしました。ハーブティーを淹れてきました」

 

 そう言って少女は白い小さな花が浮かんだティーポットを傾け、カップに透明感のある薄い黄色のハーブティーを注いでユアンに差し出した。

 

「……ありがとう」

 

「あ、何か植物でアレルギーはありますか? 花粉とか」

 

「いや、ないけど」

 

「それならよかった。どうぞ召し上がってください」

 

 湯気がたゆたうハーブティーと笑顔の少女を交互に見やり、ユアンは半ば諦め気味にカップを手にする。

 実のところ呑気にお茶を飲んでいる場合ではないのだが、にこにこと嬉しそうに微笑んでいる少女を前にして、今更ハーブに興味はないので帰りますとは言い出せない。

 仄かな甘い香りに誘われてカップをゆっくりと口に運べば、りんごのような優しい風味とすっきりとした自然の味わいが口内に広がり、温かさと相まって張り詰めていた気持ちが和らぐのを感じた。

 

「カモミールティーです。たった今摘んできたものなので、とっても新鮮ですよ。リラックス効果なんかもあるんです」

 

「へぇ……そうなんだ。飲みやすいし、美味しいよ」

 

「わぁ、嬉しい! 新規のお客さんは滅多に来ないので、今日はサービスしちゃいますよ! どんなものをお探しですか?」

 

 両手を胸の前で合わせて喜ぶ少女は、愛くるしい笑みで首を傾げた。接客用なのか素なのか、どちらにしろ花が咲くような彼女の柔らかい表情に、ユアンは思わず見惚れた。それと同時に、申し訳ない気持ちが沸々と湧き上がる。

 

「いや、実はその……この店の噂を聞いて」

 

「え?」

 

「ごちそうになった後で申し訳ないんだけど……ハーブを探しに来たんじゃないんだ。この村の出身の人がキルケニーに来ていた時にこの店の話を聞いて、それで訪ねて来たんだ」

 

 そこまで言ってユアンは躊躇いがちに一度俯くと、意を決して再び顔を上げた。

 

「この店にはどんな望みも叶えてくれる、魔法使いがいるって」

 

 

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