応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • X68000 !
    喉から手が出るほど欲しかった、憧れのパソコンです
    小説の主人公は、テストのご褒美で買ってもらったという設定
    中高生だった私には30万円近く?以上のものはさすがにおねだりできませんでした

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。彼も社会人でボーナスとかがあったんで買えたんだと思います。買った時には大変喜んでました。

  • 大田康湖さま

    こんにちは。

    餅を入れる四角いお盆、もろぶたでしょうか? うちも私が子供のころは年末に親戚数家族で餅をつき、一部は丸め、残りは伸し餅にするということを一日がかりでやっていたのを思い出しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。あれは「もろぶた」というのですね。勉強になりました。

  • ジャスコかぁ。
    そういえば、イオンの前はジャスコでしたねぇ。
    すっかり忘れてました。
    ジャスコであいましょ♪ の部分だけがぐるぐる回ってます。
    (その先の歌詞が思い出せない(汗))
    ニチイとかダイエーとかどうなったのかなぁ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ダイエーはまだありますが、ニチイはイオンに吸収されたみたいです。

  • ギャラクシアン3懐かしい~!

    四国の田舎から、大阪のどこかのテーマパークまで遠征にいってドハマりした思い出があります。

    最後の「スパークビットを破壊せよ」の音声は今も覚えてますよ~♪

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ウィキペディアによると、大阪のプラボ千日前店に16人版が設置されていたそうなので、これですかね。

  • 大田康湖さま

    こんにちは。

    なるほど、ペンネームは姓名判断でつけられたのですね。大田さまだったかしら、太田さまだったかしらと迷うことがありましたが、「太」から「大」になられたわけですね。

    『ぼくの地球を守って』、懐かしいです。友達にコミックスを借りて読みました。あっという間に「近未来」設定じゃなくなってしまいましたね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    そうなんです。姓名判断の画数の都合で変更しました。
    『ぼくの地球を守って』はアニメも好きでしたね。

  • たしかに、光GENJIの曲ってなんとなくファンタジー性があるというか、独特でしたよね。
    小さい頃聴いていたのを思い出します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    当時のアイドルソングで恋愛メインではないというのは新鮮でしたね。

  • >トイレに逃げ込んでも個室に掃除モップを投げ込まれたり

    ううう。
    怖いです。
    こういう、力で挑んでくる相手は怖いですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。当時は真剣に悩みましたね。

  • 第35話 合唱部入部のことへの応援コメント

    大田康湖さま

    こんにちは。

    「ミスタ・ーモーニング」懐かしいです。私も中学時代合唱部で歌いました。

    「祖谷のかずら橋」をかずら橋の上で歌う夢、もしかして今かなえているところでしょうか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    かずら橋は渡ってきましたが、観光客はいるし渡るのに精一杯で、とても歌うどころではありませんでした。

  • 安原義人さんは、キャッツ・アイでしか知らなかったのですが、へえ、あの声もそうだったんだ。
    と驚きました。
    (ニルスのガチョウさんとか)

    でも、確かに、声が似ていますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    やはり安原さんの代表作と言えばキャッツ・アイですね。

  • 書きたいことはたくさんありますが、その中から一つだけ。

    「地球へ…」は映画で観ました。なんで俳優を声優につかった!?という思いだけ覚えています。

    秋吉久美子さんは明らかにミスキャスト。あの当時だったら上田みゆきさんあたりをイメージしていましたからがっかりしました。
    沖雅也さんはセリフがよく聞き取れなかった。やはり顔出ししないと(笑)

    よけいなひとことでした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私はマンガは読んだものの映画はあまり覚えていません。監督も実写畑の人でしたし、ターゲットをどの辺に定めていたのか不思議な作品でした。

  • TRPGは全く未知のジャンルなので、興味深く拝読しております。
    今ならオンラインで見ず知らずの方々と繋がることもありますが、それよりももっとリアルな場所で関わるゲームスタイルなのですね。
    人付き合いスキルが磨かれそうなゲームですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    現代のTRPGはネットを介してのオンラインセッションが普及したため、私がプレイしていた頃とは大分違っていると思います。
    次回以降はサークル活動を通した様々な体験を語っていく予定です。

  • 失礼します。今日から読み始めました。
    ボンタンアメがツボです❗️今でも売っているのでしょうかね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ボンタンアメは今でも売ってますね。駄菓子屋向けに4個入りのミニサイズも出ています。

  • 昭和天皇崩御のことは、幼かった私も覚えています。
    テレビもそのこと一色になり、黒い車を何度も見ることに。
    今ではテレビの他にも色々ありますからね……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    平成から令和への時の天皇の退位といい、この時の経験が生かされているのでしょうね。

  • 信仰はともかく、聖書の物語の知識は、小説を書く上で有益ですよね。
    海外の小説は、聖書の知識を前提に、書かれていたりしますし。

    わたしは図書館に在った、小説バージョンを読んだ程度です。

    作者からの返信

    そうですね。集会の時には聖書を読んでいるしかなかったので、聖書の知識はそれで覚えたような物です。

  • このお話を読んで、ゲームブック、何か覚えがあるなと思って調べたら、
    昔「ドラゴンクエスト5」のゲームブックを読んでいました。
    最近はあまりないのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ゲームブックは今も出ていますが、昔の作品の復刻やマニア向けの新作が少し出ている程度のようですね。

  • 『かっとばせ!キヨハラくん』懐かしいです。私も読んでいました。
    コロコロ読んでいたころは楽しかったなぁ……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。りおんさんもお読みになっていたんですね。今となってはああいった作品は難しいのでしょうね。

  • なんと、1987年当時でルーズソックスが流行り始めていたのですか。
    となるとけっこう長い歴史が……平成で大流行したのはもちろん覚えています。
    夢をあきらめないで、今でも聴くことがあります。いい曲ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ルーズソックスはまさに平成を象徴するアイテムですね。

  • 大田康湖さま

    こんにちは。

    自分が育った思い出深い場所が複数あるというのは素敵ですね。しかも今でも残っているというのは、たとえ訪問しないにしても、確かな心のよりどころとなるように感じました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    あれから時間が経ってますので現在見たら変わってるかもしれませんが、Googleマップはカキコの日付を遡ることもできるのでいつでも確認できますね。

  • 第5話 音楽の想い出への応援コメント

    大田康湖さま

    こんにちは。

    「他にもサン・サーンス「白鳥」を聞く授業で、曲にはまりこんだ私は突然踊り出した。教師は私の気が済むまでほうっておいた」

    このくだりがすごく好きです。みんなの前(後ろ?)で思いのままに踊り出せるところも素敵だし、それをたしなめたりせず、好きにさせておいてくれた先生も良いなあと。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    この時は教室の前にあったレコードプレーヤーの前で踊ってました。今になって思えば恥ずかしいです。

  • ファミコンはやはり通りますよね。
    まだ当時ゲームが今ほど世の中に浸透していなかったから、遊ぶのは躊躇われたのでしょうか。
    あの頃も楽しかったです。いろいろ思い出されました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。やはり当時はテレビゲームは子どもの物でしたね。

  • 震災が起こると、家族だけでなく知り合いの安否が気になりますよね?

    あの頃、日本に住み始めて2年も経っていませんでした。福岡では、揺れも全く気づきませんでしたが、親戚が巻き込まれました。

    神戸には、母の姉、西宮と尼崎に父の弟2人が住んでいました。母の姉は高齢で、母の弟が軽トラで中国山地の山道を通って、物資を届け、屋根にブルーシートを貼ってきたと聞きました。叔父の1人は早起きだったので、その時は起きていたそうですが、寝床へ大きなタンスが倒れてしまい、寝ていたら危なかったという話を聞きました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。ご親戚が被災され、危機一髪の状況だったとのこと、さぞご心配だったと思います。
    地震はいつどこで起こってもおかしくないので、私も常に心構えしておかねばと思っています。

  • 阪神淡路大震災は、私がまだ高校三年生の頃でしたでしょうか。
    とにかく情報や物流が混乱し、初めて聞いた「震度7」という数字と、その惨状にただ単に呆然としていたのを覚えています(その後の地震でも「最大震度7」というのが起きるようになり、この阪神淡路から日本は地震大国であることを改めて授業でも取り扱うようになったと記憶しています)

    私たちもAM KOBEの状況はとにかく夜の遠距離受信ができる時間にならないと直接聞くことができませんでしたから、状況は主にテレビからでしたね。

    RADIコミでも、とにかく関西リスナーの安否情報が最優先され、とにかく現地入りして状況を伝えようということでAM KOBEの仮社屋から収録(岩崎和夫さん&南かおりさんゲスト)が行われましたし、応援歌としての新曲も生まれました。それをひっさげ「落ち着いたら復興のお手伝い(主に現地でお金を使うこと)に力を貸せること」としてイベントもやりましたし、救援テレカ(番組で換金し、義援金として日本赤十字社に寄付)もやりましたね。あの頃から天災が起きたら「自分たちリスナーには何ができるか?」を植え付けられた気がします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。阪神・淡路大震災はリスナーに寄り添うメディアとしてのラジオの役割を改めて問い直すきっかけとなった出来事だったと思います。RADIコミの皆様にも本当にお世話になりました。

  • どの歌も記憶にあるのですが、
    「メトロポリタン美術館」がダントツですね。
    すごく不思議な雰囲気があって、最後のオチがちょっと、ぞぞぞっとしました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。「メトロポリタン美術館」は本当に名作でしたね。

  • 奇しくも私も91年4月に就職し、神奈川県の寮に入りました。
    同期ですね(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    どこかですれ違っていたかもしれませんね。

  • 『気球に乗ってどこまでも』
    ああ。
    歌いました。
    歌わされました。
    合唱コンクールではないとは思いますが、それっぽい催しでめっちゃ練習したのを思い出しました。(すっかり忘れてました)

    グリーンティーを飲むときにグリーン・グリーンのワンフレーズが頭の中で流れます。子どもの頃の刷り込みって、怖い。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。のりのりのさんも『気球に乗ってどこまでも』を歌ったんですね。小学校時代は音楽の時間や文化祭等で合唱を披露することがよくありましたね。

  • 『塩狩峠』は私も読みましたが(たぶん私もそれくらいの年齢に)
    ものすごく衝撃を受けたのを覚えています。
    主人公の選択にとても驚きました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    『塩狩峠』を読んでいらっしゃった方の感想を聞けて良かったです。

  •  増山江威子さんは私も大好きだったので、残念です。
     ご冥福をお祈り申し上げます

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私もそうですが、パーマンファンの友人達も落ち込んでいないか心配です。

  • ラストシーンを書く前に想定しておくこと、私も大事だと思います。
    だいたい最初の展開がぱっと思いつくのですが、最後を決めておくとそこまでの道のりでああしようこうしようと、書いている途中でもイメージが湧いて楽しくなるのではないかと。
    まぁ、人によってそれぞれかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    やはりゴールが決まっているとやる気が上がりますね。現在構想中の新作でもいいイメージが浮かぶといいなと思っています。

  • シャービック!
    懐かしい。
    凍らせて食べるより、凍らせるまえの状態をつまみ食い?するのが好きでした(*^ω^*)

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    シャービックは今でも売っているようですが、あのほろほろ感がいいですね。

  • こえだちゃんの木のおうち……懐かしいです。

    私の家は裕福ではなく、そういうおもちゃは買ってもらえず、お友達の家に遊びに行ったときに遊んでました。

    しかし、すごい記憶力ですね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    家もあまりおもちゃを買ってもらうことはなかったので、気に入ったおもちゃのことは覚えていましたね。

  • マジック懐かしいです。
    4th~5thの頃にちょっとやっていましたが、当時のカードで一部高額になっているものがあるようで、身辺整理がてら見積に出してみたら全体で20万円を超えました……あくまで見積なので、現物の査定がどうなるかはまだ結果待ちですが、本当に息の長いゲームだなあと感じ入っている次第です。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    マジックは長い間続いていることもあり、ルール変更で使われなくなったカードなどがコレクションとして高騰しているようですね。

  • 第6話 TV番組の想い出への応援コメント

    そういえば、そんなクイズ番組がありましたね。
    懐かしいです。
    わたしは、(というか、親が)クイズダービー(だったかなぁ)見てた記憶があります。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    家はクイズダービーは見てませんでした。多分同時間の別番組を見てたと思います。

    編集済

  • 編集済

    安佐北区は今でも、熊が出てもニュースにもならないくらいの田舎ですが、スキー場も近い所にあります。呉でよかったですね。安佐北区だったら、登山の様な聖地巡礼だったかも知れませんね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。自キャラを高校生にしたのですが、高校にバイク通学している設定にしたくて田舎を選んだ経緯があります。

    編集済
  • 第126話 同人PBMについてへの応援コメント

    「定額小為替」に時代を感じます……
    私も同人誌の通販や同人サークルの会費支払によく使っていました。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    電子決済の時代になって、定額小為替はすっかり廃れてしまいましたね。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    子どもの頃の想像の世界。私もやっていました。
    そして、私も誰にも話したことなかったです。
    共感しました。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    自分しかやっていなかったと思っていたことが皆さんに共感を持ってもらえるのは嬉しい限りです。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    初めまして、フォローありがとうございます。
    カクヨムに登録したのが大田様とほぼ同時期だったことに驚きました。
    そして、ここまでの遍歴も興味深く読ませていただきました。
    子供の頃、自分の作品を肯定してくれる人の存在は大きいですよね。
    僕の場合は弟がそんな存在でした。
    今後もよろしくお願いします。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    家族と創作の話ができたというのは心強いですね。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  • こんばんは。
    いつも楽しく・懐かしく拝読させていただいています。

    「夜桜忍法帖」は詳しくは知りませんでしたが、名前はよく大学でTRPGのサークルにいた友人が口にしていました。
    まだいろいろと同窓会が開催されているのですね。

    私の方は先月末を持って、(今月に1回きりの特番復活が若干ありますが)一区切りがつきました。最終日は昨年秋からの半年間にこれまでの感謝を伝えきり、静かに迎えました。
    これで、スマホに入れている曲の半分以上が活動終了であったり、鬼籍に入られた方であったりと、今後は新しい曲も少しずつ入れながらも、これまでの余熱で過ごしていくスタイルに変わっていくことになりました。

    どうぞ、まだ続いている活動の皆さまとの縁を楽しく続けていただければなと思っています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。PBM業界も色々ありまして、特定非営利活動法人によるアーカイブ活動やイベントなどは去年から動き出したばかりです。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    初めまして。同世代です。少しずつ読ませていただければと思います。
    よろしくお願いいたします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。楽しんでいただければ幸いです。

  • 毎回(資料があるとしても)ここまで書けるのが、すごすぎです。

    そしてマスターがラノベ作家。
    こういうゲームは経験しなかっただけに、興味津々です。次回も楽しみにしています!

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    メイルゲームのマスター経験者には、後にラノベ作家やコンシューマーゲームのシナリオライターになられた方が多数いらっしゃいます。名前は挙げませんでしたが、幼稚園の認可をいただいた最初のマスターも後に作家となられ、映画のノベライズ等を執筆しています。

    編集済
  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    リアルでは周囲に創作をしている方がいないので、こういったお話を読めるのがとても嬉しいです。
    楽しみに少しずつ読ませて頂きます。
    大田さん、ありがとうございます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。創作と関係ない話もありますが、ゆっくり楽しんでいただければ嬉しいです。

    編集済

  • 中間選考通過おめでとうございます、6作品も通過は凄いの一言です。

    創作意欲があるのに創作時間が全然足りないというジレンマを抱えて、なかなかランキングが思うように上がりませんが、地道にコツコツ書いてコツを掴んでいきたいと思いました。アドバイスありがとうございます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    カクヨムコンは一年間の余裕があるので、じっくり長編を書くのが一番いいんでしょうが、なかなか予定通りにはいきませんね。

  • おめでとう御座います。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

  • 第6話 TV番組の想い出への応援コメント

    ちょうど『男はつらいよ』の、みつおくんと同じ世代ですね。
    映画で生きた時代を振り返れる、お得な世代ですね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    大人になって『男はつらいよ』を見て、「諏訪満男」という名前のキャラクターがいるのにパーマンファンとして驚きました。パーマン1号の本名が「須羽ミツ夫(漢字表記は満夫)」ですからね。

  • ファミコンの前のゲーム&ウォッチ、懐かしいですね。私も持っていました。
    そして練り消しも流行ったなぁと思い出しました。流行りすぎてクラスで担任が禁止にしたような……。
    今の小学生も、色々流行りがあるのでしょうね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。私の時も練り消し禁止令が出てた気がします。

  • こんにちは。

    そうですよねぇ。あの時代はまだ個人で携帯電話を持つことはおろか、コードレスホンも限られた家にしかなく、加入電話を引くしかなかったんですよね。

    今では、電話をお題にして書く時は携帯で一人1台持っていても大丈夫なのですけれど、以前は1家に1回線でしたから、お相手のお家にかけるときの作法だなんていうのも、交際をしている間同士の約束事(何時ごろまでなら失礼なくかけられる…とか)も懐かしい思い出です。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。そうですね。同居している家族が出てあたふたしてしまうとか、ドラマでもありがちな光景でしたね。


  • 吹部経験者なので、全ては顧問のやる気次第にかかっているということを思い知らされました。 強いところは、やっぱり顧問がカリスマ的にすごいのです。

    部活っていいなぁ、青春最高!

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。当時の母校では吹奏楽部が目立っており、顧問にはその対抗意識もあったと思います。

  • 通学で常磐線を使っています。
    茨城の方から東京の方に向かう、上野行きや品川行きの電車に乗りますが、朝は席が空いていなく、立ってワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながらの登校をしています。

    この頃に聴いていた音楽とか、大人になったらふと思い出したりするんだろうなあと思ってます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。今まさに通学していらっしゃるんですね。首都圏はさすがに混んでいるんでしょうね。

  • 第2話 時は3月のある日への応援コメント

    カセットテープ!

    ハイジの最終回を録音して。
    しかも、線でつなぐのではなく、機械を近づけて。

    それでも。
    雑音だらけの音を。

    何十回と。
    聞きました。

    昭和の青春も。
    捨てたものではないですね。

    かけがえのない。
    思い出があるのですから。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    ハイジの最終回というと1974年ですか。当時はカセットテープもまだ高かったですから貴重な録音だったでしょうね。

  • 高校の修学旅行がスキーでした。
    到着した時は雪が真横に降っているような吹き降りだったんですが、遊びじゃなく授業?だからでしょうか、そんな中をスキー担いでスキー場まで移動させられ、クタクタに。
    おまけに最後の集合の時に転んで左膝を捻挫、そのまま治療もせず帰宅したらパンパンに腫れていて、今も左膝がちょっとゆるい感じです。
    「もう一生スキーなんてやらない」
    そう思った修学旅行でした(笑)

    作者からの返信

      感想ありがとうございます。私の場合は任意参加でしたが、修学旅行では逃げられませんからね。お疲れ様でした。

  • 星のお願い、私はあらすじと本編最終話の末尾だけにつけています。
    (それとギフトを贈るところのメッセージ)
    それ以外のタイミングでは、ちょっとつける気になれないですね……。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。ギフトのメッセージというのは気付きませんでした。

  • そういえば、私も給食のぶどうパンが苦手だったのを思い出しました。
    なんかあのぶどうは受け付けなかった……うーん、今なら懐かしくなって食べそうですが(笑)

    牛乳とパイナップルはたしかに合わなそうですね……。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    りおんさんもぶどうパンが苦手だったんですね。

    編集済
  • おはようございます。
    出遅れてしまいましたが、私も母方の祖父(栃木)、父方の祖祖父(茨城)が亡くなったときに蒔き銭を経験したことがあります。どちらも今のような斎場での葬儀ではなく、自宅で行ったとき。火葬場から戻ってきてからだった気がします。(当時はどこまで一度にやったのかまでの記憶はありませんが、少なくとも初七日? 四十九日まで一気にやったのでしょうか…。納骨をした記憶もあるので片方は四十九日までか…)
    斎場で式が執り行われるようになってからは、お金もお餅も撒かれることはなくなりましたね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。私の場合は火葬場から戻ってきてからだったか覚えていないのですが、火葬でしたね。

  • 上棟式の時に5円玉にこよりをつけて撒き銭していたのを覚えています。
    ただ5円玉より、新潟では紅白の丸餅を投げ、その取り合いで白熱したとか。
    「餅撒き」ですね

    作者からの返信

     感想ありがとうございます。やはり上からお金を撒くのは家を建てるときがメジャーで、葬式で行うのは珍しいんでしょうね。

  • 捲き銭、懐かしいです。
    新築の家を建てたら、よくやってました。

    そして新年の餅捲き。これも。運が良いと硬貨も。
    いつも、忘れていたことを思い出させてくれる、このエッセイには感謝です。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。家を建てるときに撒くお金やお餅は「建前」と言いますね。残念ながら現場に遭遇したことはないです。

  • あの大震災後は大変だったでしょうが、今は平穏な暮らしに戻られている様なので、良かったです。大きな災害に見舞われ易い日本ですが、その復興は人間の回復力(resistance)を示していると思います。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。東日本大震災の時の話も、いずれこちらで語る機会があると思いますが、まずは現在被災されていらっしゃる方々の一日も早い安寧を願いたいです。

  • こんばんは、こちらの作品には初コメントとなります。失礼致します。
    自分も東北にルーツがあるので、祖父母の思い出や昔語りが蘇って心が温まりました。ありがとうございます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    いつも応援をいただきありがとうございます。Trevor Holdsworth様の祖父母様を思い出す助けになれば幸いです。


  • 編集済

    SF好きな大田さんなのに、数学が苦手だったなんて意外です。

    私は、個性的な解釈に教師からケチをつけられまくったり、漢字のケアレスミスが多くて、国語が唯一赤点をとるほど、大の苦手だったのに、当時は「不思議の国のアリス」にドハマりしてました。

    『青春アドベンシャー』懐かしいですね、BGMが流れるとテスト前に夜更かしして勉強してた時代を思い出します。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。私はSFといっても藤子不二雄から入っているので、ハードSFは難しくて苦手ですね。

  • よみうりランド会館、上がスキーのジャンプ台になっていた建物でしょうか。
    泊まったことはありませんが通りがかりに山の上の建っていた姿をよく見ていたので懐かしいです。

    作者からの返信

    そのようですね。こちらのサイトで紹介されていました。
    https://smtrc.jp/town-archives/city/shinyurigaoka/p05.html

  • 企画へのご参加、ありがとうございます。
    (*^_^*)

    最後に叫ばれた愛に 熱い愛を感じました。

    カクヨムコンの読者選考、ドキドキしますね。(>_<)

    作者からの返信

    こちらこそ、コメントありがとうございました。
    読者選考の結果が出るまでまだまだ気が抜けない日々が続きますね。

  • これって、私の様な研究者行く学会と全く開く同じですね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。学会もこんな感じなんですね。

  • 多感な成長期をすごされ、それが今につながっているのですね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。私もそうですが、お読みくださる方それぞれに忘れられない思い出があると思いますので、思い出す手助けになればと思っております。

  • テレビデオ!
    懐かしい!
    一番目の子が生まれるまでありました!

    もう、今は昔になってます💦

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。テレビデオはスーパーやデパートの販促ビデオ放送用に置いてあるのをよく見かけましたね。

  • 私も同じ頃に、音楽関係の同人誌に参加していたので、手紙のやりとりには雰囲気として近いものを感じました。
    ミニレターは使いませんでしたが、新聞広告を折って糊で貼って、自家製の封筒を作っている女の子がいましたね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。封筒や便箋の同人での自作も流行りましたね。

  • ミニレター懐かしい。なにかと便利でしたねあれ……いまとなっては、郵便で何かをやりとりする機会もほとんどなくなってしまいましたが。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。ミニレター、現在でもトレーディングカードなどの細かいものを送るのに使っている人がいるようです。

    編集済
  • 第7話 帰省の想い出への応援コメント

    従兄弟たちが集うとごっこ遊びで盛り上がりますよね。
    おばあちゃんがつくるカレーが大好きだったので、黄レンジャーをしてましたw

    帰省と聞くと、ハレー彗星でいとこたちと盛り上がっていたの思い出します。
    38年前に日本一で阪神が優勝した年だったので、関西人だからよく覚えています。そして、次の38年後の2061年にハレー彗星がもう一度見られるということですね・・・(*´Д`)=3ハァ・・・


    作者からの返信

    感想ありがとうございます。ハレー彗星が戻ってくるまで長生きしたいというのが私の密かな夢です。


  • 編集済


    > そろばん塾では『3年奇面組』や『がきデカ』楳図かずおのホラー物が好きだった

    『ハイスクール奇面組』ではなく、『3年奇面組』というタイトルに歴史を感じました☺️

    それにしても、そろばん塾なのに漫画を読ませてくれるなんて面白いと思いました。という私もピアノ教室に『生徒諸君!』とか『はいからさんが通る』が置いてたんですけど、個人レッスンだったから順番待ちしている間に読んだりしてましたがw

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。そろばん塾は教室が一つしかなく、前の時間の授業が終わるまでは外で待つことになっていたので、待ち時間用に漫画が置いてあったのです。

  • ベイシティ・ローラーズ、懐かしいです。私が米国の高校へ留学していた間に人気が出てきました。米国のティーネイジャー用の雑誌に、第二のビートルズかと書いてあったのを思い出します。

    スコットランド出身ということで、変な衣装を着てましたが、ベイシティは何処を意味していたのかも、どうでもいいことが、今は気になります😂。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。Wikipediaによると、ベイシティはアメリカのミシガンの都市の名前で、ダーツで偶然当たった場所だと書いてありました。

  • 私も中学時代から深夜ラジオにはまっていたので、引っ越しで受信環境が変わるのは死活問題でした。周波数を調べ直したり、番組自体聴けなくなったり、色々でした。電波がうまく届かなかったりして……なので、お気持ちちょっと分かります。

    無糖紅茶の登場、なるほどと思いました。振り返ってみると、平成期間で変わった常識って結構ありますよね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。ラジコの登場で問題が解決するまで、遠距離ラジオの受信には本当に悩まされましたね。
    飲み物に関してはペットボトルの普及と共に本当に変わりましたね。

  • 第100話 就職活動の話への応援コメント

    連載100話おめでとうございます!!💐
    ますますのご健筆をご祈念申し上げます。

    作者からの返信

    ありがとうございます。上月くるを様の毎日の更新も興味深く読ませていただいております。今後ともよろしくお願いいたします。

  • 第100話 就職活動の話への応援コメント

    100話おめでとうございます!
    ご自分の生涯をこと細かく、出来るだけ正確に辿られている一代記ですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    まだまだ先は長いですが、気長にお付き合いしていただければ幸いです。

  • 第2話 時は3月のある日への応援コメント

    グリーンスリーブス懐かしい、吹奏楽部でよく練習してました。

    掃除の時間にかかってたわけじゃなかったので、個人的には、のどかでもあり閉鎖的な田園風景が脳内に広がってましたね、「赤毛のアン」とかよく読んでたので、アンがプリンス・エドワード島に到着し、養父のマシューと一緒に馬車に乗ってグリーンゲイブルズに向かう道から見える田園風景とか想像してました。アニメの影響も大きいんですけど。

    ネットでグリーンスリーブスの由来を調べたら、呪いみたいな逸話がでてきたので、このへんにしておきます。

    タイムポカンシリーズも見てました。ギャグとシリアスの混在した「逆転イッパツマン」とか好きでした。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。私も「赤毛のアン」アニメで見ていました。原作の続編である「アンの青春」「アンの愛情」もお年玉で買ってもらい、楽しく読みました。
    「逆転イッパツマン」も熱心に見ていました。

  • 私も放送委員で、給食を放送室に持って行って食べていたことを懐かしく思い出しました。ちょっと特別感がありますよね♪

    箱型ブランコは、ギリギリ遊んだ世代です! ぐるぐる回る回転式のグローブという遊具も、同じ時代になくなってしまいましたね。

    確かに危険はありますが、なんでもかんでも撤去では、本当に危険なことから身を守れない人間になるのでは……という気もします。
    ジャングルジムすら撤去されているところがあるようで、親として心配な気持ちはわかりますが、全面賛成はしかねます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。他の学校でも、放送委員が給食の時間に放送してたんですね。
     現在公園の遊具は安全面からどんどん制限がかかってますが、スポーツのボルタリングやスケートボード場のように、大人の監督下で危険な挑戦をしていく方向に代わっていっているのかもしれません。

    編集済
  • 『青春ラジメニア』もラジオ関西の番組ですから、集まった皆さん関東雑音リスナーですよね。
    でも、エリア外で聴衆者が少ないからこそ、リスナー同士お互いその世界にどっぷりハマれるような下地が出来上がっていったと思います。(雑音交じりの中から正確に聞き出そうと必死ですから、集中力は半端じゃないはずですし)
    そうでしたかぁ、私がこの遠距離受信に燃えていたころは岩崎さんと南さんのコンビでしたから、その前の世代があったんですね。岩崎さんのご勇退の知らせも一つの時代が終わってしまったようで、寂しかったです……・

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    そうですね。気まぐれな電波との付き合いですから、忍耐がいる視聴だったと思います。吉田アナから南かおりさんへの引き継ぎという前例がありましたから、岩崎さんからムサさんへの引き継ぎも冷静に見ていられました。

  • 私の記憶ですと、毎年春の大長編ドラえもんだけは私の親も行くことを許してもらえたようで、「ドラ・ハッ・パー」の三つ揃いで覚えているのが『のび太の宇宙小戦争(1984年)』とのコラボだった気がします。翌85年が『のび太と鉄人兵団』でしたから、あの辺りは非常にインパクトの強い名作で、ドラえもん班も大変だったのでしょうね…。1986年が『プロゴルファー猿 スーパーGOLFワールドへの挑戦!!』、1988年が『エスパー魔美 星空のダンシングドール』だったようなので、ここくらいまではリアルに覚えています。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    我が家はTVで放送したときしか藤子アニメの映画を見られなかったので、いとこが『のび太の宇宙小戦争(1984年)』の特典である「ぼくたち地球人バッジ」を持っていたのがうらやましかったです。

  • ついに、AM遠距離リスナーとしてのデビュー戦ですね。
    青春ラジメニアは時間が遅いので、高校生には少々きつかったですが、時々時間が重なるときには聞いていました。確かに岩崎和夫アナはフルコーラス、リクエスト等々、同じアニラジの中でも非常にリスナーに近い側の構成をしていてくれたと思い出します。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    ラジメニアも当時は曲をテープにダビングして聴いてましたね。現在もラジメニアの曲をフルコーラスかける姿勢は変わってないのがありがたいです。

  • なるほど、フル金リスナーでいらっしゃったことも以前伺いましたが、そうですね。オンエアからフルコーラスをダビングするためにはNHK-FMは最適でしたね。あの当時は中島みゆきさんのフル金と同時に、辛島美登里さんのカラ木も聞いていたことを思い出しました。私もこのころ高校生でしたね。今でも一番好きな歌手は?と聞かれると「中島みゆき」と答える私がいます。(ドラマ『家なき子』や『プロジェクトX』前までは「えー? そんなの聞いてんの?」と言われていたのが手のひら返し…。もぅ…)

    作者からの返信

     私もフル金のお陰で中島みゆきの歌をたくさん知りました。『プロジェクトX』の時は紅白歌合戦に黒部ダムから中継出演してましたね。

  • あぁ今となっては懐かしの雑誌たちですね。
    私も主に『アニメージュ』を購入していました。
    ただし、高校時代のお小遣いには少し重かったので、期間中全ての巻が買えたわけではありません。

    また、どうしてもまだアニメというものに差別的な目を向けていたクラスメイト達の存在もあり、学校帰りの電車を途中下車して一人で書店に行って手に取っていたことを思い出します。

    ただ、その中にあった「アニラジ」の紹介ページを見たことで、私の人生がリアルに変わっていくことになります。(今週の私のエッセイで紹介してしまいますが)

    本当に、なにがきっかけで人生が変わるのか分かりませんね。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。『アニメージュ』は当時積極的にアニラジを紹介していましたね。私は文芸部の友人たちとアニメの話をしていましたが、クラスでは確かに肩身が狭かったですね。

  • つくば85は、父方の実家が県西だったので、何回か帰省の時に連れて行ってもらいました。

    大観覧車(テクノコスモス)の中で宇宙食と扮したヌガーを食べていた時に歯(乳歯)が抜けたという余計な思い出付きですが(笑)。

    今も第2会場跡がつくばエキスポセンターとして科学館として残っていて我が家もよく行きます。ゆらぎ石もまだ健在です。

    そこでコスモ星丸のキーホルダーがまだ買えるので、車の鍵につけています。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。わたしがつくば万博に行ったのはこの一回きりで、テクノコスモスも乗らなかったのでうらやましいです。

  • NHK−FMの青春アドベンチャーはまた懐かしいです。私も高校時代に金曜日のミュージックスクエアー、中島みゆきのフル金を最終回まで聞いてました。私は中3からラジオ(とりあえず聞くだけリスナー)の沼にはまっていったわけですが…、高校生ですでに投稿ペンネームをお持ちだったんですね。

    また、ラジオ関西の遠距離受信の技を既に実践していらっしゃったことが分かります。周波数が低いので夜なら関東でも受信しやすい局ではありましたが…。

    まずい、この話題になると止まらなくなります(笑)。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。小林汐希さんもフル金リスナーだったんですね。ラジオ関西は、電波の入りやすい角度を必死に調べてラジカセを動かしてました。

  • 「メトロポリタン美術館」「ラジャ・マハラジャー」「スシ食いねェ!」どれも覚えています。

    「メトロポリタン…」は大貫妙子さんの名曲でもありますが、最後に大好きな絵の中に閉じ込められてしまいますよね。それが本当に彼女にとってよかったのか、それとも少し怖い歌だったのか、未だに答えが出ていません。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。「みんなのうた」の「メトロポリタン美術館」は人形アニメであることも相まって、ちょっと不気味な雰囲気がありましたね。


  • 編集済

    藤子不二雄A先生が先に旅立たれてしまってもう何年になるのでしょう。F先生の作品に比べ、プロゴルファー猿や笑ゥせぇるすまんなど少し対象年齢の高い作品も手掛けていらっしゃって、ギミア・ぶれいくの中での喪黒福造は子供心には少し怖いと思いながらも好奇心で見てしまいました。

    今はお二人の先生とも空の上でまた藤子不二雄先生となってマンガを書いていると信じて疑いません。

    ……と、それ以上に、青春ラジメニアは遠距離受信リスナーでしたので常にクリアに聞けたわけではないのですが…。「パーマニアの指定席」さまがここにいらっしゃったとは! ラジメニアも当時からリスナーを非常に大切にする番組。私も来週のエッセイでは大切なラジオとパーソナリティーネタを書く予定でおりましたが、まさかこんなところでお目にかかるとは思ってもいませんでした。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。今年は藤子・F・不二雄生誕90周年、ということは来年は藤子不二雄A先生の生誕90周年なんですよね。何かイベントがあればと思っています。
    ラジメニアでは漢字が分かりませんので、「オオタヤスコ」が「大田康湖」だとはなかなか気づきませんよね。小林汐希様のエッセイも楽しみにしております。

  • 第5話 音楽の想い出への応援コメント

    アニソンのカバー〇〇全集などには私も随分お世話になりました。
    今でこそ、山野さと子さん、堀江美都子さん、大杉久美子さんなどがセルフカバーやオリジナル音源でだしてくれており、いろいろと整理していく中で、その頃の曲で一番古い曲・かつ歌詞まで覚えていたのが、佐藤順一監督の「メイプルタウン物語」の同名曲、山野さと子さんオリジナル歌唱でした。

    そこからまさか佐藤順一監督にこれだけ長く自分がのめり込んでいったこと。同時にラジオ(主にアニラジ)の世界に入っていくことになるとは、その当時の私は知る由もありませんでした。青春ラジメニアは当時岩崎和夫さん&南かおりさんでしたよね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    小林汐希さまも当時ラジメニアを聞いてらしたのですね。佐藤順一監督は現在も活躍していらして素晴らしいと思います。

  • 第2話 時は3月のある日への応援コメント

    懐かしい話題がたくさん出てきて嬉しい限りです。

    タイムボカンシリーズの中でも私もヤッターマンが一番印象深いですね。
    今でも「ポチっとな」は独り言で出てしまうくらい……。

    あと、テープの生録もやりました。私も大長編ドラえもんシリーズを何本も録音し聞いていたことを懐かしく思い出します。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    やっぱりタイムボカンシリーズの中でもヤッターマンは別格ですね。大長編ドラえもんの生テープ録音は、『のび太の海底鬼岩城』で直前まで母がかけていた掃除機の音が入ってしまったのが印象に残っています。

  • マル勝懐かしいですね……ドラクエ1の復活の呪文を思い出します。
    読者参加型ゲーム、マル勝のは記憶にないんですが、同じ出版元のパソコンゲーム雑誌「コンプティーク」でいろいろやってたなあ、との覚えがあります。コンプティーク、今はもうパソコンゲーム誌じゃ全然なくなってしまったみたいですが。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。「コンプティーク」はパソコン系だったので見ていませんでしたが、形を変えて現在まで雑誌が続いているのはすごいとおもいます。

  • 『マル勝ファミコン』憶えています! 私は小学生だったので『MADARA』は理解するには早かったのですが、大塚英志氏の著作は後年何冊も読んで影響も受けています。

    『ダブルムーン伝説』は残念ながら記憶になく……。ただ、読者参加というと、当時発売延期が重なっていた『ドラゴンクエストIV』を読者たちの妄想で誌上展開する企画があったような……もしかすると別の雑誌だったかもわかりません。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。『ドラゴンクエストIV』の妄想企画というのは知らなかったのですが面白いですね。ファミ通やOUTなどでやりそうな雰囲気です。


  • 編集済


    ギミアブレイク見てました。
    漫画家の先生がクイズ番組以外のバラエティ番組に毎週出演するというのが、すごく新鮮だったので覚えています。

    「クイズダービー」も「まんが道場」も見てた世代ですw

    藤子不二雄先生が2人いらっしゃるというのを、この番組で知って「笑うせぇるすまん」のドーン!に匹敵する衝撃を受けましたね。

    ↓ ↓ 追加コメント↓ ↓
    ドラえもんのコミック買ってたんですけど、どうもコンビ解消された後の年に刷られていたものを買ったらしく、写真はF先生お一人だったように思います。そういうこともあってギミアブレイクで知ったという、晩年のドラえもん世代だったので、思い出は浅いですが、そういう深いお話を聞くのは、すごく感慨深くなります。

    作者からの返信

     そうですね。『ギミア・ぶれいく』では石ノ森章太郎先生もアニメをやっていた関係で時々ゲストに来ていたと思いますが、レギュラーでは藤子A先生だけでしたね。コミックスの著者紹介写真では2人いるのでコミックス読者は分かっていたと思いますが、読まない人にはまだまだ知られてなかったようですね。

  • そう言えば、数年前に『氷見市潮風ギャラリー(藤子不二雄Aアートコレクション)』というのに行きました。商店街にあって、近所のおばちゃん達の溜まり場としても機能してる感じでした。商店街周辺には藤子Aキャラが飾られてて。

    『高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー』は臨時?休業日でガッカリした思い出が。でも、高岡の大仏を実際に見て感激、古い住宅街から突然現れるんですね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。氷見や高岡にはネオ・ユートピアのツアーや個人で何度か行っています。氷見のモニュメントや高岡の展示は現在でも定期的に新企画が発表されているので、変わらない高岡大仏とともに定期的に訪れたい場所ですね。


  • 編集済

    企画にご参加・お付き合いありがとうございました♥
    F先生の方なんですね。アタシは2号が好きです。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。2号(ブービー)ファンの方、結構多いですね。

  • 光GENJI、小さい頃聴いていました。歌詞の世界観にまで注目したことはなかったので、今になって目から鱗です。家に「THE WINDY」で始まるアルバムがあったはずですが、年代的にCDではなくレコード盤だったかもしれません。なにぶん幼くて記憶が曖昧です。

    「パラダイス銀河」や「剣の舞」などMステで観ていたのをよく憶えています。ドラマも放送していましたよね。『あぶない少年』主題歌の「ほのかに甘くHOLIDAY」も好きでした。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。「THE WINDY」は初期の名曲で、私も二次創作のイメージ曲としてよく空想していました。「パラダイス銀河」もPVがアニメだったりと力が入っていましたね。

  • 私の妹は赤坂晃のファンでした

    作者からの返信

    私はメンバーのファンではなかったですが、ベストテン番組で見たコンサート会場でのファンの盛り上がりはすごかったですね。

  • 私も中島梓、栗本薫の本には熱中していました。
    中学の頃は神様のように思っていましたし、高校くらいで冷めて、
    フラッシュマンの本は大学生以降だと思いますが、
    それでも買って読んでいました。

    「サー・カウラーの萌えトークになってしまってついて行けなかった」

    というのはまったく同じです。勝手にロケバスに乗っている俳優の心理を
    想像したり、作品の続きやら何やらを考えて「かつて戦った仲間との再会」
    になるまで妄想する力には、よく言えば圧倒されました。
    本のタイトルは、確か「わが心のフラッシュマン」だったかと思います。

    作者からの返信

    本のタイトルご指摘、ありがとうございます。訂正しました。
    ああいう内容で本が出せたというのが当時の氏の影響力の強さを物語っていると思います。

    編集済
  • 初めてもらった手紙を保管してあるって、なんだかいいですね。
    幼稚園あるいは小学校低学年時代の机や椅子が小さく見えて驚いた経験、私にもあります。
    自分が成長しているという事実を客観的に知ることができた瞬間でした。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。私はこれまで文通や年賀状でたくさんの手紙をもらいましたが、DM以外は基本保管してあります。

  • 私は文春文庫「二人で少年漫画ばかり描いてきた」の終盤で「少年時代」を知って、ずっと読みたかったのをよく覚えています。映画と曲がヒットしたおかげで、まとまった大判の本が出て読みましたね~。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。「二人で少年漫画ばかり描いてきた」は私も古本屋で購入しました。A先生の日記は当時の記録として非常に貴重ですね。

  • お婆様とお爺さまとの思い出の家、懐かしいでしょうね。

    >和式便器の上にプラスチックのカバー

    私の実家(実は生家)にもありました。懐かしいです。この家は、今はダムに沈むために解体されましたが、跡地は山の上を通り道路から確認できます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。藤子作品などで「家がダムに沈むため引っ越す」という話を見てそういうことがあるのを知ったのですが、実際に経験されると感じる気持ちは全く違うのでしょうね。

  • 何気にショックで私なら泣きそうになるでしょう。
    再建築不可でもリフォームは出来るはずですが…

    作者からの返信

    リフォームに関してはそうですね。本文中でも書いたとおり台所をリフォームしていますし。この家を買った人がいたらどう使われるのかはまだ分かりません。

  • 『カノッサの屈辱』も好きでしたが、『世にも奇妙な物語』の前身番組『奇妙な出来事』という短編枠が好きでした。後番組の『悪いこと』というのも好きでした。僕の作風に影響してるかも。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。『奇妙な出来事』や『悪いこと』は見ていませんでしたが、フジテレビの深夜枠はドラマも充実していましたね。

  • 初めてのコメントです。この頃、子育てしながら、米国の大学院に通っていました。Aチームは息子の好きな番組で、大人になってからも、Mr. Tのセリフを時々使っていました。懐かしいです、Aチームは今でも、ケーブルテレビのチャンネルで再放送をしています。「スターマン」も見ていたのは覚えているのですが、ストーリーは1話も覚えていません。9½ Weeksもビデオを借りてみたのは覚えているのですが、キム・ベイシンガーしか覚えていません。階段のシーンがあったような、、、

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。現在でもアメリカではAチームが人気なのですね。『ナイン・ハーフ』はミッキー・ロークが氷でヒロインを愛撫するシーンが強烈で印象に残っています。

  • ドリちゃん、良かった~
    エンディングのフレーズが思い浮かぶ……

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。ここで何人もの方からコメントをいただき、ドリちゃん人気のすごさに驚いております。

  • 前々回、前回、今回と、懐かしいタイトルが続々……なのですが、コメントできるほど当時の記憶が鮮明でないのが残念です。「なるほど、そういう感じだったのか~」と毎回楽しく拝読しております。『スターマン』は不意打ちでした。安原義人さんが声を当てられていたのですね。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。もう30年前の話ですからね。『スターマン』は話数も短く、ウィキペディア日本版にも独立記事がないほどの作品ですが、私は好きでした。

  • 『ナイン・ハーフ』実はこの原作を読みたくなって探しているところでした。
    日曜洋画劇場で放送してたのですか? 今では絶対に無理ですよね、あの頃は五社英雄監督の映画も普通に放送してましたし、いい時代?だったのかな(笑)

    作者からの返信

     感想ありがとうございます。昔は今のように衛星放送や配信が充実されていませんでしたから、大抵の映画作品はテレビで流していましたね。