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すべてのエピソードへの応援コメント

  •  懐かしい番組の話ですね!
    『ギミア・ぶれいく』は『笑ゥせぇるすまん』くらいしか覚えていないのですが、まだアニメといえば何でも子供向けだと思われていた時代に、普通に一般向けの(子供向けでない)バラエティ番組の中でアニメがレギュラー放送されている、という点に当時はインパクトを感じていました。
     徳川埋蔵金発掘プロジェクトも好きで楽しみにしていたほどですが、あれが『ギミア・ぶれいく』の一コーナーであったことは全く覚えておらず(別のバラエティ番組、あるいは独立したスペシャル番組かと思っていました)、今回のエッセイで驚きました。
     また、コメント欄を拝見して「裏番組が『なるほど・ザ・ワールド』だった」のいうのも初めて知り、こちらも驚きです。私の感覚としては『なるほど・ザ・ワールド』は、もっと私が小さい頃の番組だったのですが、実際には『ギミア・ぶれいく』の頃もまだ放映されていたのですね。
     Wikipediaで確認してみたら、確かに『なるほど・ザ・ワールド』は私が思っていた以上の長期放映。ただし私が記憶していたED曲(「もしもタヌキが世界にいたら」、子供の頃の私はこれで各国の首都や特徴を覚えました)がED曲だったのは1983年8月から1984年10月までだったようなので、どうやら我が家ではその頃しか見ていなかったようです。
     このようなエッセイはエッセイ本文に限らず、コメント欄も含めて色々と勉強になりますね!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。我が家は『なるほど・ザ・ワールド』をレギュラーでは見ておらず、改編期のスペシャルで知っている程度です。「もしもタヌキが世界にいたら」も後年聞いて知りました。

  •  1987年というと、個人的には一番テレビを見まくっていた時期のはずですが『ジャングル』は全く見た記憶がなく「そういえばそんな名前のドラマがあったような」という程度。
     少し不思議にも思ったのですが、なるほど『風雲!たけし城』の裏番組であれば、私はそちらばかり見ていたのでしょうね……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私も『ジャングル』が始まるまでは「たけし城」を熱心に見ていましたから分かります。

  • スパロボやっていないのですがJAM Projectさんの曲が好きで(サブスク配信サービスのリコメンドでおすすめされてハマりました)、サブスクのお気に入りプレイリストに多数入れています。
    『時獄篇』のOP・ED、ちょっと調べてみます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    『時獄篇』のOPは「Rebellion 〜反逆の戦士達〜」EDは「PRAY FOR YOU」となっています。カップリングでCD化もされています。
    JAM Projectの手がけるスパロボのOPは、作品にまつわるキーワードを歌詞に取り入れたノリのいいロック、EDは戦いが終わった後の平和や亡くなられた命を悼むバラードというのが基本フォーマットです。

  • ドラ・ハッ・パー……懐かしいですね(笑)。
    僕が小学校の時にはちょうどこの三つがそろい踏みしていました。1984年の春休み、毎年上映しているドラえもんの新作と共に、ハットリ君とパーマンが共演した「超能力ウォーズ」も拝見しました。
    だからこそ、そこで主役を演じたお三方が同じ年に亡くなったというのは一抹の寂しさを感じました。
    堀さんはひとり芝居もやっていたんですね。声優としての顔しか知らなかったので、驚きでした。ご冥福をお祈りします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私もそうですが、やはり「ドラ・ハッ・パー」は80年代の藤子アニメを代表するキーワードですね。

  • 僕も大山さんのドラえもんを見て育ちました。最近子供と新声優陣によるドラえもんを見ましたが、やはり大山さんの声が脳裏を掠めてしまいます。
    池袋の「大人のドラえもんナイト」……一度見てみたかったですね。ものすごく贅沢な内容で、ファン以外でもたまらないと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「大人だけのドラえもんオールナイト」は一度どこかできちんとした形で語りたいですね。

  • 少年マガジンの作品を読み始めたのは私は遅かったです。『RAVE』『GTO』『さよなら絶望先生』のイラストが気に入って、ようやく手を出した感じです。漫画はやはりストーリーよりもイラストに惹かれることが多いですね。

    それにしても、太田康湖様の幅広い作品のラインナップには毎回驚かされます。昔は雑誌を買って読まないと出会えない作品が多かったですが、今はWEBで無料で読めるものも増えましたね。もし当時そういう環境があったら、ジャンルやビジュアルにこだわらず、色々な作品に手を出せたのでは……なんて思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私のレパートリーは長弟のお陰で広がったようなものです。ただ、長弟はオタクにはならなかったようです。

  • 学生時代、テトリスとストリートファイターⅡが好きでゲーセンに通い詰めました。
    ゆうゆのクイズもやった記憶があります(笑)。
    パーマンのゲームは知りませんでしたね、あったらやってみたかったかも。
    プリクラは……自分もほとんどやらなかったかな。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    パーマンのゲームはファミコンでありましたね。ゲーセンにあったのはボタンを叩いて音楽のコンボを競うゲームの課題曲の一つに「きてよパーマン」が採用されたということです。


  • 編集済

    『骨を拾いに南の島へ』の公開は、私の何気ない一言を叶えてくださいまして、とても嬉しかったです。素敵なお話でした。

    『鉄骨の上のネコ』『シュールと虹鳥の羽』も印象に残っています。とくに後者は、珍しくファンタジーということで、大田様の新たな一面を垣間見た気がしました。

    今年も大田様の小説やエッセイを、一読者として楽しみにしています。

    作者からの返信

    こちらこそ、私の書きたかった気持ちを後押ししてくださり、ありがとうございました。
    私は主にゲームブックやTRPGを通してファンタジーに触れたので、本格的に世界を作ったりするほどの熱量はなく、現在流行っているタイプの作品については明るくないのが、これまでファンタジー作品を公開していない理由でした。今回をきっかけに、また機会があればファンタジーを書きたいと思っています。

    編集済

  • 編集済

    ファミ通といえばKADOKAWA
    KADOKAWAといえばファミ通

    ファミ通監修の攻略本でバカ売れしてた時代が懐かしいですね。
    高校生の時、本屋でアルバイトしてたので、当時の活気が思い出されます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ファミ通は様々なタイトルの攻略本を出していたのでお世話になりましたね。

  •  当時の世相として、中国残留孤児のニュースは本当によく流れていましたね。
     ちょうど『超新星フラッシュマン』の頃は私も中学生。小学生の途中で見るのをやめた戦隊シリーズをまた見るようになった直後だったのですが、子供だった私でも「これ中国残留孤児の話がモチーフだ」と気付くくらいでした。
     しかもフラッシュマンだけではありません。関東では戦隊シリーズは土曜夕方6時からでしたが、同じチャンネルのその直前、夕方5時半からの枠が『機動戦士ガンダムΖΖ』で(フラッシュマンと同じ1986年3月1日放映開始)、「敵に誘拐された妹を探すのが主人公の戦う動機」というお話。肉親探しという意味で「これも中国残留孤児の話がモチーフかも」と思っていました(なおZZの方は、妹探しのテーマは途中で終了。それが「フラッシュマンと話が被る」というスポンサーの横槍だったのは、大人になってから知りました)。
     私が見ていただけでも2つあったくらいですし、きっと他にもあったのでしょう。それほど中国残留孤児のニュースの影響は大きく、日本中の人々に強烈な印象を与えていましたね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ガンダムZZは大人になってから見たのですが、そういう裏事情があったことは初めて知りました。前半と後半で雰囲気がかなり変わりますね。

  • ホットスパー、懐かしいですね。昔、福島にもありました。
    わざわざ土浦まで遠征していたんですね。しかもメンバーの方が横浜まで送迎までしてくれたとは。
    国武万里さん……ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」をどうしても思い出してしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「ポケベルが鳴らなくて」はドラマも見ていまして、CDもドラマがきっかけで買いました。昔のドラマの話もいつか書きたいですね。

  • 三輪さんも亡くなられたのですね。
    初代パーマンも三輪さんだったことは初めて知りました。1983年スタートのパーマンはリアルタイムで観ましたが、主題歌も三輪さんでしたね。確かにキャラの声で歌を唄える人ってなかなかいないかもしれませんね。
    当時のパーマン四人ともこの世にはいないというのも、寂しいですね。
    時代は変わって、声優さんが変わっても、自分の中ではたぶん三輪さんのパーマンが生き続けるでしょうね……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。三輪さんにとって、ライフワークとなるキャラクターと巡り会えたというのは、本当に幸運でしたね。
    三輪さんが演じられた作品の中で、声はいつまでも生き続けるのでしょう。

  • 阪神大震災は、昼時にたまたま点けたテレビでその惨状を知りました。
    町が炎に包まれ、道路の橋げたが落下した風景は、この世の物とは思えませんでした。
    まさかその十数年後、自分の住む町で同じようなことが起きてしまったとは……。
    あの時、地元FMではアナウンサーが必死に「県民みんなで乗り切ろう」と叫びながら被災状況を報じていたことを今も思い出します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    日本に住んでいる以上、自分の住む場所にいつか地震が来る覚悟はしておかないといけませんね。


  • 編集済

    第11話 弟たちや父の話への応援コメント

     確かに、昔は大人と一緒ならば小さい子供がパチンコ屋に入れましたね。
     都道府県によって条例などで規制が異なるかもしれませんが、私が住んでいた地域では私が小学生の頃は、大人と一緒ならば「入れる」だけでなく、子供が普通に遊ぶのもOKでした。
     うちでは特別な理由がない限りおもちゃを買ってもらえなかったけれど、パチンコの景品でgetするのはOKというルールだったので、当時の私は、おもちゃ欲しさにパチンコ屋行くのが楽しみでした(パチンコ屋の景品では流行のおもちゃなどはありませんでしたが、かえって「何があるかな?」という面白さもありました)。
     別に私に限らず、あの時代の子供は、私みたいに「おもちゃ目当てでパチンコ好きになった」という者も結構いたのでしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。当時は託児所代わりにも使われていたんですね。私はパチンコの景品でおもちゃをもらったことはありませんでした。

  • 増山さんはルパン三世の不二子のイメージが強いですが、怪子や星野スミレも演じていたんですね。怪物くんもパーマンも見ていたので、今更ながら驚きました。
    両方ともカワイ子キャラですから、不二子のセクシーな大人ボイス以外にも、演技の幅が広かったのですね。
    三輪さんはカリメロもやっていたから、かれこれ五十年以上のキャリアがありますよね。僕の中でパーマンと言えば三輪さんですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    増山さんは本当に幅の広い役者さんでしたね。
    三輪さんが亡くなられたので、いずれ他の方がパーマンを演じる機会もあると思うのですが、誰になるか楽しみです。

  • 1DKに10人で雑魚寝はすごいですね。押し入れの中、寝心地は良かったのですか?
    ちなみに僕は学生の頃、やはり知人宅に大人数で押しかけて夜を過ごし、台所の床で寝た記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。ドラえもんの気分を味わえるかと思ったのですが、狭かったので窮屈でした。


  • 編集済

    とても興味深く拝読しました!

    『ジャングル』、正直記憶がないんです…😅 私の中では『太陽にほえろ!』の後番組のドラマといえば『刑事貴族』や『刑事貴族2』ぐらいしか覚えてなくて。当時『風雲!たけし城』に夢中だったせいで、すっぽり記憶が抜け落ちているのかもしれません。でも、犬鳴署の内海刑事役の声優の安原さんがゴールデンタイムの刑事ドラマで出演してたら、私だって興奮するだろうし、めちゃくちゃ分かります✨ ちなみに『刑事貴族2』で水谷豊さんが主演、寺脇康文さんが出演されてました。『相棒』の歴代相棒もやっぱり亀山刑事役の寺脇さんがダントツ!声も素敵なので、もっと声優業もしてほしいなって思っちゃいます❤︎

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「たけし城」は「ジャングル」と同時間帯でしたから、物理的に不可能ですよね。「ジャングル」が様々な事情で現在気軽に見ることができないのは本当に残念です。


  • 編集済

    第7話 帰省の想い出への応援コメント

     ジャンボマシンダー、懐かしいです。
     うちにはグレートマジンガーとライディーンがありました(……ということは、私はそれらが放映当時に小さな子供だった世代ですね)。
     小さい頃はよくそれで遊んでいましたが、少し大きくなったらいつのまにか見かけなくなったので、おそらく倉庫あたりに仕舞われてしまったのでしょう。
     実際のサイズは覚えていませんが、小さな子供にとっては本当に巨大で、まさに「ジャンボ」な「マシン」のおもちゃでした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。祖父母の家は広かったので、孫のジャンボマシンダーを置いといても余裕だったのもうらやましかったですね。

  • ファミコンを買ってもらえたエピソード、羨ましく拝見しました!私の家ではゲーム機がなかったので、友人の家で少し遊ばせてもらうだけでした。家族と一緒にアナログゲームやトランプも楽しんだという心温まるお話にほっこりしました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    我が家ではゲームソフトを親子で楽しむことはなかったですが、現代になれば変わっているのでしょうね。

  • 最近レトロゲームブームが自分の中で起きていて、PSPのスパロボZ二作を中古で買おうかなと思っています。
    グレンラガン出るんですね、タイムリーな話題でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    グレンラガン初参戦ということで、第一話からのストーリーをしっかりやってくれますので楽しめると思います。

  • こんばんは。失礼いたします。
    『ウォーロック』と書いてあって、思わず反応してしまいました。

    『ウォーロック』は私も読んでいました。『ゲームブックマガジン』もありましたね。ゲームブック、大好きでした。
    大半は手放してしまいましたが、今でも『ウォーロック』は十冊程度は持っていますし、『ゲームブックマガジン』も残しています。懐かしいですね。
    『ウォーロック』掲載されたときは、飛び上がること嬉しかったです。

    『小説家になろう』の方にこの時代のことを書いたエッセイを載せていますと、時々同世代のかたが反応してくれます。今でもみなさん、お好きなようですね。
    当時編集に関わられていた冒険企画局の方の目に留まったときは、やはり『ウォーロック』に掲載されたときと同じくらい嬉しかったです。

    時間が経っても、『ウォーロック』は自分の青春だったんだなって思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私も『ウォーロック』に自分のお便りが載った時には嬉しかったですね。『ゲームブックマガジン』は後年在庫の販売があった時に数冊購入しました。

  • おお、懐かしいですね!8インチフロッピーディスクや3.5インチ2HDフロッピーディスク、インクリボン、感熱紙など、当時のパソコンとワープロの世界が思い浮かびます。感熱紙は確かに便利でしたが、長期保存には向かなかったりと、今では考えられない時代の技術でしたが、創作のスタート地点としては最高の思い出だったのではないでしょうか?

    私も父親が勤務するオフィスにあったNECパソコンPC-8001を使わせてもらっていた経験があり、時代を感じさせるその話に共感します。あの頃の機械に触れると、今の便利さとの違いが改めて感じられますね!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    感熱紙で印字した物を保存するためにコピーするというのも良くやっていましたね。

  • 第6話 TV番組の想い出への応援コメント

    私にもわかるなつかしさ。
    そう、TV2代とか3台とか、いまは1台で十分すぎるんですよね。

    まだ冷える日が続きます。
    暖かくお過ごしくださいね♡

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    今はパソコンやスマホでいくらでもテレビが見られますからね。いい時代になりました。

  • ロジャーのは「ネゴシエーション(物理)」ですよね(*´艸`)‪

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    スパロボZ シリーズのビッグオーは本筋の設定にもがっつり絡んでいて、色々良かったですね。

  •  お邪魔しています。

     増山江威子さんについては、最初に知ったのが『峰不二子』だったのですが、『バカボンのママ』も同じ人だと知ってびっくりしたものです。
     声優さんって、凄いなあという印象を最初にもったのを覚えています。
     
     因みに小学生の頃、太陽が昇る方向はバカボンの歌で覚えました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    一つの声を極める方もいれば、様々な声を駆使して多彩な演技を見せる方もいます。どちらのタイプの声優もすごいと思いますね。

  •  お邪魔しています。
     実は、『ドクタースランプ アラレちゃん』が漫画で有名になった頃、自分はまだ漫画雑誌を買って読んだことがありませんでした。覚えろげな記憶で『ドクターなんとか』と聞き覚えを頼りに本屋へ行くと、漫画雑誌の多いことにびっくりし、なんとか『ドクター……』を探して買うことができました。
     ところが、後で分かったのですが、自分が買った雑誌は『サンデー』で、『どっきりドクター』だったのです。まあ、そのおかげで『うる星やつら』に巡りあえたのですが。
     アラレちゃんには、その後アニメ放送で見るようになってやっと分かりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。『どっきりドクター』は90年代にアニメ化をした時に初めて知りました。『アラレちゃん』も二度目のアニメ化をしたばかりだったので紛らわしいと思ったものです。主題歌の「ねない ねない ねない」も大好きでした。

  • 明けましておめでとうございます。
    今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

    以下、感想コメントです。
    声バグからラスボスの強烈な個性まで語られる内容に大田様のスパロボ愛が詰まっていて、次回も期待しております。

    作者からの返信

    こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
    シリーズ物ということで、作品ごとのボスの個性も色々あるのがスパロボの面白いところですね。

  • 大田康湖様、こんにちは。私もスパロボ大好きで、第3次の頃から所々抜けつつもプレイしています。
    私もこのZ、発売を心待ちにしていた者の一人です。特にバルディオスとアクエリオンの主題歌が大好きで、感涙しながらBGMをずっと聴いていました。小隊の地形合わせにフライトユニットとかミノフスキークラフトとかパーツを組み替えたりする必要があって、頭を悩ませ時間はかかりましたが、それも楽しかった思い出です。連載、楽しみにしています!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私もバルディオスとアクエリオンはアニメを見ていたのでゲームでもよく使っていました。

  • 「スーパーロボット大戦Z」のお話、興味深く拝読しました!
    私はどちらかというとFE(ファイアーエムブレム)派ですが、スパロボの魅力も十分に感じられるエピソードでした。

    FEは「一手の緊張感」とキャラクターの生死が問われるシビアなゲーム性が魅力で、乱数調整や緻密な戦略が求められます。その分、成功した時の達成感は格別です。一方で、スパロボのようにユニットが復活する仕組みだと、心理的な負担が少なく、純粋に豪華な演出やクロスオーバーのストーリーを楽しめる「お祭り感」があるのが素晴らしいですね。

    「多元世界」というスパロボ独自の設定が、異なる作品を違和感なく融合させる点も、FEとはまた違った哲学を感じます。そして声優さんの演技やキャラクターの再現にまでこだわる制作陣の熱意には、思わず敬意を抱かずにはいられません。

    次回のお話も楽しみにしています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。本編でも触れているとおりZ シリーズの「多元世界」という設定自体は「オーガス」から拝借しているのですが、あまりに便利なので、いくつかのロボットアニメ作品のいる世界が複数あり、あるきっかけで融合したり行き来できるようになるという展開は、その後のスパロボ作品でもよく使われています。

  • 第2話 時は3月のある日への応援コメント

    コメント失礼します。

    郷愁が誘われすぎます。
    テレビ番組のカセットテープ録音。
    テレビ番組のパチモンテープ。

    昭和文化の例示がスゴく良いです。
    パチテープはお祭りの縁日とかでも売ってたみたいですね。

    知人のグッズコレクターの人が集めてたものを聞かせて貰ったのですが、
    〝この人、元歌聞いたことないのでは?〟
    そう思うクオリティの歌唱でものすごく面白かった記憶があります。

    継続して拝読するのが楽しみです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    パチモンテープに関しては、近年コレクターの人が知り合いに増えまして、奥の深い世界だというのを実感しています。匿名の歌手の方々も、歌い方の特徴からあだ名を付けて呼んでたりしています。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    不躾ですが、いきなりコメント失礼します。

    布団のなかの空想。
    私にもありました。懐かしいです。
    矮小な暗がりからだんだんと空想の世界が広がった。そのように覚えています。

    ふしぎな体験はありませんが、空想の世界は、現在に至るまで手放せない遊び場です。
    懐かしい事柄を思い起こさせてくれる、良いお話でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    本作を公開してから、様々な読者の方からご自身の思い出話を聞かせていただき、本当に嬉しく思っております。

  • KAC、もうだいぶ前のように感じますが、年々お題が難しくなってますよね。わずか数日で物語を作り上げるのが段々きつく感じてきました。
    過去の作品の登場人物など、色々「引き出し」を用意していないと厳しいですね。
    カクヨムコンも、今回は現段階で参加者がかなり多いようで、例年以上に突破基準が厳しいかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    kACについては「一蓮托生シリーズ」として暖めていたネタの発表場所として考えているのが大きいですね。一つのシリーズとして全部のお題を書いている人もいますが、すごいと思います。

    編集済
  • >ラジオ関西のサイト
    正確にはラジオ関西公式YouTubeチャンネルにて限定公開ですね。

    作者からの返信

    ご指摘ありがとうございました。本文も訂正いたします。

  • 何度もコメントすみません

    「ベルトで鞭打つ」に唖然としました。
    身体的にもですが、日記に本当のことが書けなかったことや戒律に縛られる気持ちは、お辛かったですね。
    宗教二世の方の辛さというのは、単語でしか分かりませんでしたが、具体的なエピソードに触れ、考えが改まりました。

    人間誰しも何かにハマりたくなることはあると思いますし、親も完璧じゃないよねぇ、とある時気づくこともあったので、大田さんがよきように過ごされているのが何よりだと思います。
    話しづらいことも書けるようになってよかった?……のですかね。

    どんなでも、私はハートにしかなりませんが、応援します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私の場合、家族共々過去の話になっているので語ることができましたが、現在進行形で苦しんでいらっしゃる方々のことを思うと、本当に難しい問題だと思います。


  • 編集済

    たびたびコメント失礼します

    本当にすみません。
    私、もしかしたら大田さんの性別を勝手に間違って認識していたかもしれません汗
    いや、小説書いてる方ですし、どちらでも、なんでもいいので、敢えて確認しませんが……
    いつか確認できるかなと、楽しみに読んでいきます

    たいへん失礼なコメントですみません

    ※ありがとうございます
    作品に夢中で滅多に見ておらず、プロフィール拝見しました
    大変失礼しました……

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    プロフィールを見ればすぐ分かるのですが、小説を楽しむのに性別は関係ありませんからね。

  • コメント失礼します

    >主人公かつらと弟康史郞の二人暮らしを書きながら脳裏にちらついていたのは、『怪物くん』の歌子とヒロシ


    これ!そうだったんですね
    私はすべてアニメでしか見ていませんし、歌子とヒロシ……うっすらいたかなぁ???ぐらいにしか覚えていないのが悔やまれますが、驚きました。
    怪物くんは好きでしたー

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    歌子とヒロシの両親は亡くなっていて、アパートで二人暮らしをしており、歌子が働いているという設定だったので、かつらと康史郎の境遇に似てると思っていました。アパートの隣部屋に怪物くんが怪物屋敷への出入り口を作ったので、ヒロシと仲良くなったわけです。

  • 一喝してくれる顧問の先生でよかった

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。先生は本当にファインプレーでしたね。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    初コメント失礼します。

     不思議な体験ですね。私は幼少期の事を思い返しても不思議な体験に覚えが無いんですよね。

     もしかしたらテレビっ子だったので、外的刺激が多くて、逆に狭まったのかもしれません。

     布団を被ってもすぐにグースカ寝ていました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    幼少期のことですから、何かあったとしても忘れてしまったのかもしれませんね。

  • うちの地元(福島浜通り)は、家によっては餅撒きをする習慣があるようです。ただ、自分の参加した葬儀ではまだ見たことがありません。
    震災時は銅像や鳥居が壊れたのを見たことがあります。あの時は原発事故で近所が軒並み避難し、店はどこも閉まっていて、ゴーストタウンのようになりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。まだ餅撒きの習慣は残っているんですね。
    震災の時は茨城でも鳥居等が壊れましたし、祖父母の家も被災して大変でした。

  • テレビデオ! すごく懐かしいです。価格もテレビとデッキを分けて買うより省スペースにもなるので欲しかったのですが、価格が張って学生だった自分には手が出なかったです。
    シンビーノジャワティ、ほとんど味が無くこれって本当に紅茶?と驚きました。
    今は無糖のコーヒーや紅茶を普通に見かけるようになりましたが……。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。テレビデオはスペースを取らないので、スーハーやデパートなどで商品宣伝を流すのにも使われていましたね。
     無糖の紅茶、今だと「午後の紅茶」にも無糖バージョンがあるくらいですね。

  • 当時は住所を出すことにあまり抵抗感を感じる人は少なかったように思います。ネットが普及してないから、離れた地域の人とのやりとりは文通がメインでしたね。
    ネットが普及してから、却って個人情報への意識が高まったように思います。ストーカー事件が相次いで起きたというのもあるかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    Googleマップで住所が分かればネットで下見が出来ができるようになりましたから、ストーカーへの危険性が高まりましたからね。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    初めまして。
    市松模様ではありませんでしたが、暗闇を見たり目を瞑ったりすると、小さい頃から光の波紋が見えていました。その波紋は自分の望むように広げたり小さくしたり(立体的な感覚で言うと前進したり後退したり?)出来ていたのが不思議でした。それがあるときから広げることだけがどうやってもできなくなって、今では波紋自体が曖昧になってしまってまともに見ることもできなくなりましたね。

    あ、創作についてのエッセイお読みいただきありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    あんぜ様も不思議なものが見えていらっしゃったのですね。私も今は市松模様を広げることができません。

  • 光GENJI、デビュー曲の「STAR LIGHT」がいきなり大ヒットしましたね。
    確か作詞はASKAさん、作曲がチャゲアス名義だったと思います。彼らはラブソングが多いのですが、こんな物語性の高い楽曲も作れるんだと驚きました。
    翌年ヒットした「パラダイス銀河」もASKAさんが手掛けた記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かに初期の光GENJIの歌にはASKAさんが多く関わっていましたね。

  • 文学部の講義、受けてみたかったですね。今でも受けてみたいと思います。

    ロアルド・ダールは昔、短編集をたくさん読みました。はまったのです。しかしあまり記憶にないです。何となくスケベなジジイが出てくるパターンが多かった記憶があります。間違っていたらごめんなさい。
    『チャーリーとチョコレート工場』は映画にもなったので有名ですね。

    横光利一の『機械』は、「意識の流れ」を勉強するために読みました。その手法については難しくて理解できなかった記憶があります。むしろ川端康成の「意識の流れ」の方が何となくわかった気がします。気がするだけかもしれません。

    いやあ……ほんとうに、文学部の講義、受けてみたいです。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。ロアルド・ダールの代表作はやはり『チャーリーとチョコレート工場』ですね。映画も見ました。

     横光利一作品はあまり覚えてないのですが、ある創作指南書で「春は馬車に乗って」をテキストとして取り上げられているのを見て嬉しかったです。

  • この頃のフジテレビ深夜は面白かったですね。「カルトQ」は社会現象にもなりましたし、「NIGHTHEAD」は後に映画化もされましたし、「北野ファンクラブ」は今では放送できない内容ですが、大笑いしながら見た記憶があります。
    「スーパーヅガン」は、漫画で読みました。ファミ通で片山さんが連載持っていて、それが面白くて他の片山さんの作品を探した所、出会ったのがこの作品でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ファミ通の片山さん連載作品、『大トロ倶楽部』ですね。私はあまり読んでいた記憶がありません。


  • 編集済

    少しだけど見てました。当時としてはなかなか実験的な面白い番組だと思いました。
    『笑ゥせぇるすまん』、大平透さんの低い声があまりにも喪黒とフィットしすぎていた記憶があります。梅沢富美男さんが歌うEDもホロリときました。
    藤子不二雄A氏ホスト回、見てみたかったです。すごく面白そうですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。『笑ゥせぇるすまん』のOPは当初田中公平作曲のインストゥルメンタルで、再放送で30分番組に編集された際に梅沢富美男の歌う新しいOPとEDが追加された経緯があります。

  • あの頃は学生の楽しみと言えばスキーでしたよね。
    大学のサークルもスキー関係が多かった記憶があります。
    帰りの映画が寅さん(しかもリリーさん出演回)とは、渋すぎますね(笑)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    スノボブームになるまではスキーがゲレンデの花でしたね。

  • このころのカラオケボックスは、まさしく「ボックス」でしたよね。
    ビルの一室というよりコンテナを改造したものが多かった記憶があります。
    ラインナップもそれほど充実していませんでしたし……。
    「黄砂に吹かれて」中島みゆきさん作詞作曲ですよね。工藤さんはみゆきさんの曲を結構歌っていた記憶があります。

    ※「北海道チャリぼっち」へのレビュー、まことにありがとうございます。
    30年前の時代を感じながら北海道の旅の記録を楽しんで頂けたようで何よりです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私が初めて歌ったところや、家の近くにできたカラオケボックスもコンテナタイプでした。
    確かに、この時期の工藤静香は中島みゆきの作詞の歌を良く歌ってましたね。

  • ホラーとギャグにおいて、あのマンガ開拓時代、これほど影響力があり、創作力、表現力のある漫画家もそんなにはいないと思われます。とくにその独創性には目を見張るものがありました。
    私も影響を受けた者の一人です。氏の御冥福を心よりお祈り申し上げますm(_ _)m

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    Wikipediaの記事によると、楳図かずおさんも手塚治虫の「新宝島」からまんがに興味を持ったそうです。あれだけのオリジナリティーを持つ作家になったのは感嘆すべきことですし、執筆を引退するきっかけになったという編集者のパワハラ(当時はそんな言葉はありませんでしたが)が残念でなりません。

  • 常磐線は学生や日立関係者で、日立から水戸の間が凄く混みますよね。
    土浦からさらに南に向かうと、今度は東京に通勤する人達で混み合うので、ちょうどそのはざまで、座りやすい区間ですよね。

    今はつくば市がすごく栄えて土浦はちょっと元気が無いですが、つくばエキスプレスが出来るまでは、土浦が凄く栄えていましたよね。丸井とかもあった記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    土浦の丸井、私の短大時代にはまだありました。つくばと土浦が電車で繋がる構想があるようなので、実現すればまた変わるのでしょうね。

  • 第71話 大学受験の話への応援コメント

    栃木市は川越のような蔵のある町で、風情があって川越ほど混雑していないこともあり、時々遊びに行っています。秋祭りの山車出御が賑やかな印象です。
    栃木市の古本屋に、太田さんの好奇心を刺激する本が沢山あったのですね。
    地方のテレビ局に掘り出し物があるのと同様、見知らぬ土地の本屋に意外な掘り出し物があったりするんですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    栃木市、一度観光に行ってみたいですね。


  • 編集済

    当時は素人参加のクイズ番組が多かったですよね。ベルトクイズQ&Qと後番組のスーパーダイスQは、学校が休みの日に見ていた記憶があります。ウルトラクイズは後半になるにつれて罰ゲームが過激になってきたり、出場者の人間性が見えてきたりして、それが面白かったです。
    「みなさんのおかげです」の「仮面ノリダー」は、原作を上手くパロディ化していてなかなか面白かった印象があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ウルトラクイズも楽しく見ていましたが、高校生クイズも中学のクラスメイトたちが目標にしていて身近な存在でした。
    「仮面ノリダー」は立花のおやっさんがパロディなのに本物が出ているというのがすごかったです。

  • 中島みゆきの金曜日は、「ミュージックスクエア」時代に聴いていました。
    歌は重いけど、本人の北海道訛りの入ったトークはいたって軽妙ですごく面白かったです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    やはり中島みゆきさんのトークは大人気だったんですね。

  • はた山ハッチさんのパロ野球ニュース、見てました!
    描写がキツイものもあったり、はた山さんがファンの大洋ホエールズ(当時)ネタが多かったりしましたが、独特なタッチの絵とネタの作り方がシニカルで面白くて、何冊かコミックを買った記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    野球選手のパロディ漫画は、はた山ハッチ系統のシニカルさやいじりが中心だったのが、河合じゅんじやみずしな孝之の笑いやキャラクター性を前面に出した作品に人気が移っていったように思います。

    編集済
  • 今、ゲームボーイアドバンスのスパロボOG?が家にあるのですが、これは普通のスパロボとはちょっと違うのかなと思っています。
    一番最初に出たゲームボーイのスパロボがほしいかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    スパロボOGシリーズの「OG」は「オリジナル」の意で、版権スパロボに出たバンプレストオリジナル機体やパイロットのみを集めたシリーズとなっています。根強いファンがいるのですが、こちらも制作が滞っているようです。
    ゲームボーイの初代スパロボは2013年「第三次スーパーロボット大戦Z時獄篇」発売時に、PS3で遊べるようにしたバージョンが特典として付いたのですが、これも現在では入手難ですね。

  • 当時、ファミ通を毎回買っていました。
    しあわせのかたち、僕も好きでしたよ。桜玉吉さんの絵柄はもちろん、「おまえ」「コイツ」「べるの」という登場人物の名前も憎めなくて(笑)。
    ミジンコピンピン、略して「ミジピン」。飛蚊症をすごく分かりやすく表現していますよね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    Youlifeさんも「しあわせのかたち」を楽しんでたのですね、私もコミックスを買っていました。


  • 編集済

    パオパオチャンネルは関東だけだったのでしょうかね。
    地方に行って見逃がしたアニメをたまたま見ることができた、ということは良くありますよね(笑)。
    ブルートレイン、一度は乗ってみたかったですが、寝室や寝心地がどうなのか気になっていました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    Wikipediaの記事によるとパオパオチャンネルは他地方でも一時期放送されていましたが、関東地方のみの放送になったそうです。
    ブルートレインの寝心地はよく覚えていませんが、やはり列車の揺れはありました。

  • ルーズソックスは水戸が発生源だったのですね。初耳でした(汗)。
    当時うちの地元では紺のハイソックスの子は結構いましたが、ルーズはまだ居ませんでした。
    「夢をあきらめないで」、当時中学生の僕はクラスの子に教えてもらいました。合唱にもピッタリの一曲ですね。でも、これが唯一の表舞台だったとは、何とも残念ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私もWikipediaの記事で見ただけですが、在学時にルーズソックスが一部で流行っていたのは確かです。

  • 『BIG-O!』のエピソードは初耳でした。早速視聴してみましたが、思わず「フラッシュ!」と口ずさみそうになりました(笑)。
    永井ルイ氏は「乙女パスタに感動」のアレンジャーもされていましたね。QUEENサウンド、納得です。意外な繋がりに気付かせていただきありがとうございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ビッグオーは後のスパロボにも参戦してますが、この経緯か『BIG-O!』はゲームでもスパロボDのみのBGMとなっています。


  • 編集済

    小説の『∀ガンダム/佐藤茂/角川書店[角川スニーカー文庫](挿絵が漫画家の萩尾望都)』のシリーズをジャケ買いしたことを思い出しました。髭ガンダムと呼ばれて、アニメでは賛否が分かれたデザインですが、小説版は深いストーリー展開で魅了されました。確かに、スパロボを通して『∀ガンダム』に再評価がされていくのを見て、感慨深いものがありました。次回の携帯機スパロボの話も楽しみにしています!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私も『∀ガンダム』はアニメを毎週見ていました。やはりいい話を作ればデザインも話になじんでくるのでしょうね。


  • 編集済

    「ヤング・シャーロック」はサスペンスというより「インディ・ジョーンズ」っぽい冒険活劇で、すごく面白かったです。
    学校のフェンシングの先生がまさかの敵役で、最後に剣で戦うシーンを手に汗を握りながら見た記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私もホームズ作品は読んでいたので、楽しんだ記憶があります。今流行りの「エピソード・ゼロ」ものですね。

  • 村松虚空蔵尊は、ひたち海浜公園に行く途中に立ち寄ったことがあります。
    ここから福島県の浜通りへ下道に行くのは、時間がかかりますよね。途中の日立市が渋滞の名所なので。
    いかにんじんは、僕の地元の正月では欠かせない一品です。酢味でさっぱりしていて、お屠蘇と合うんですよね。うちも昆布を入れています。いかにんじんは北海道名物の松前漬けと似ていると言われますが、あちらは数の子が入っています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かに、実家のおせちもいかにんじんとは別に数の子が入ってましたね。

  • ファミコン、僕の家も太田さんと同じ頃に購入した記憶があります。もっぱら弟が遊んでおり、当時は「ドンキーコング」や「ゼビウス」に嵌っていたと思います。
    「ドラクエ3」は僕自身も相当嵌り、クリアしても職業を変えて何度もトライした記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「ゼビウス」は中学の給食の時間に男子生徒たちが熱心に語っていたことが印象に残っています。

  • アニメージュ、当時は僕も読んでいました!
    目的は、もっぱらジブリ関係の記事をチェックするためでした。徳間書店発行なので、一番ジブリの情報が充実していたというか。
    あの頃はアニメ雑誌が本当に多かったですよね。当時はファミコンブームの影響で、ゲーム関係の雑誌も多かったと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かにアニメージュはジブリの記事独占状態でしたね。アニメージュ文庫にもジブリ関係の本が多かった記憶があります。

  • この頃の水戸は一大都市で、駅前にはデパートが沢山建っていてすごく賑やかでしたよね。今は京成だけになってしまいましたが……。
    駅周辺はエクセルのほかシネコンもあり、それなりに人通りが多い印象がありますが、ひたちなかのジョイフル本田やイオンモール内原など郊外の方が賑やかになっている印象があります。
    ブックエースは自分の地元にも数店舗ありますが、品揃えがよく、CDやDVDレンタルもあるのでいつも賑わっています。地元に昔からある書店が淘汰されないといいのですが……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    水戸は50号バイバスができてから、郊外店舗が増えていった印象があります。常磐線に乗って、できたばかりのイオンモール内原を車窓から見た時は驚きましたね。

  • 『スポーツマン金太郎』は知りませんでした。一瞬、『サラリーマン金太郎』と勘違いしそうになってしまいました。

    『あばれはっちゃく』は読んだことがなくてテレビドラマでしか知りません。懐かしい。

    本や漫画をあまり買ってもらえなかったので、学校の図書室にない本は読む機会が中々なかったです。そろばん塾に漫画は置いてなかったので、羨ましいです。唯一、夏休みにいとこが持って来た漫画雑誌を読ませてもらうのを毎年楽しみにしてました。それでプリンセス連載の『王家の紋章』を知って古代エジプトオタクになりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私も学級文庫で出会うまで全く知らないマンガでした。『サラリーマン金太郎』は元ネタを知った上のもじりだと思います。

  • 習字とそろばんは私も習わされました。あの頃の子供の定番の習い事ですよね。私は習わされたというくらいなので、身に付かず、そろばんは何度も3級試験に落ちてとうとう辞めることになりましたが、ちっとも悔しくなくて辞められることにせいせいしました。

    透明ドリちゃん、知らないです。記憶力が悪いのか、見せてもらえなかったのか、どっちかだと思いますが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    田鶴さんもそろばん塾に通われていたのですね。
    『透明ドリちゃん』は26話の短い作品だったので、タイミングが合わずに見ていらっしゃらない方も多いでしょう。今年東映公式がYouTube配信をしたのでようやく全話見ることができました。

  • 大田康湖さま

    こんにちは。
    大山のぶ代さんのご逝去に寂しさを感じたひとりです。それでも90歳の大往生は彼女の堂々とした声にふさわしく思えました。今年は藤子アニメファンにとって、というより、アニメを見て育ったかつての子供たちにとってというレベルで大きな節目の年になりそうです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私たちが子ども時代に親しんだ作品のクリエイターが鬼籍に入る時期に入ってきたんだな、としみじみ思いますね。


  • 編集済

    お隣福島県ですが、遠足でつくば万博に行きました。常磐線の団体列車で、万博中央駅(今のひたち野うしく駅)まで乗って、そこからバスに乗りました。
    くるま館のスペースハイウェイ、乗った記憶があります。なかなかスリリングで仲間でも好評でした。あと、ジャンボトロン。あの頃はスタジオアルタぐらいしか大型ビジョンが無かったから、とても物珍しかったです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    Youlife様も遠足でつくば万博に行かれたのですね。私は貸し切りバスで行ったので、万博中央駅のことは全く知りませんでしたね。


  • 編集済

    僕も学生時代にこれに似た経験がありました。
    高校時代に大して親しくもなかったクラスメイトが突如電話をかけてきて、近くの駅で再会しました。で、話しになると怪しげな性格改善セミナーらしきものであることがわかり、断りました。すると彼は突如上から目線で話して来たり、都内に出てきている級友はいないかを根ほり葉ほり聞かれた記憶があります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    かつてのクラスメイトを信用できないというのは寂しいことですね。

  • かんのやの「ゆべし」、もちもちした生地とほんのり甘いこしあんが癖になります。
    三春の滝桜を見に行った時、現地にかんのやの出店があり、ゆべしのさくらあん味が出ていて、これもなかなか美味しかったです。
    自分には食べなれているこのタイプが、福島県独特のものだと初めて知りました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    大人になって他の店の「ゆべし」を食べ、予想した味と違って驚きました。
    私の取っている生協のカタログに時々載るので、必ず購入しています。

  • そういえばLPレコードみたいな8インチフロッピーディスクありましたね。職場の一太郎がそうでした。ドライブが2つあって上にソフトのディスクを入れて下に保存文書用のディスクを入れて使っていました。ハードディスク無しで使っていた頃です。そしてワープロ専用機は2DDというフロッピーディスク。私はキャノワードを使っていました。
    懐かしいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私も最初に買ったワープロで2DDのフロッピーディスクを保存用に使っていたと記憶しています。

  • 連投申し訳ありません。
    宮城県沖地震、僕は友達と自転車に乗って遊んでいましたが、あまりにも強烈な揺れで自転車に乗っていた友達が転倒した記憶があります。
    東京でも柱にしがみつかないといけない位だったとは、かなり揺れたのですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    震源地近くではコンクリート塀が倒れて死傷者が出たりと大変だったのをニュースで見ました。私が生まれてから感じたことのない大地震だったので、かなり驚いたのだと思います。


  • 編集済

    福島の海……僕も子供の頃から海水浴に行っていました。
    海は比較的穏やかですが、確かに波の動きは速いように感じました。
    お父さんに助けられたようで、何よりです。

    「のび太の恐竜」、今でも続くドラえもんの長編映画の記念すべき第1作ですが、凄い人気でしたよね。春休み、かなり並んで映画館に入った記憶があります。
    「フリテンくん」は……漫画を読んだことがありますが、大人向けの内容で、
    子どもにはあまり見せたくなかったのでしょうかね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    福島の海も、私が行ったころとは変わってしまってるんでしょうね。
    父はマンガ好きではなかったので、「フリテンくん」を知らなかったかもししれません。


  • 編集済

    第7話 帰省の想い出への応援コメント

    福島県の実家は常磐線沿いと言うことは、浜通りなのでしょうか。
    僕も当地方在住なので……。今はもうなくなりましたが、以前は青森へ行く「ゆうづる」など夜行列車が通っておりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かに浜通りなので、私が見た夜行電車もそれだったのかもしれません。


  • 編集済

    こんにちは。
    現在、日本の創作物における「エルフ」を可能な限りリストアップした同人誌を発刊するという企画がありまして、それに協力すべく、色々調べていたのですが、昔自分も参加していた「那由他の果てに」にも、エルフに似たNPCがいた事を思い出し、検索していてここを見つけました。
    実に懐かしい話を読めて嬉しく思います。

    追伸 物置の奥から当時の「クリエイター」発掘に成功して自己解決出来ました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「那由他の果てに」で私は直接エルフと関わったわけではないのでお役には立てないのですが、メイルゲームのアーカイブを進めている特定非営利活動法人「日本PBMアーカイブス」なら情報を持っていらっしゃるかもしれません。

     無事解決されたようで良かったです。

    編集済
  • 僕は、たまごっちをやりましたが、こんな楽しいものがあったものがあると、遅れて、知りました。マシンの中で、ワンちゃんを育てる!あとは、詳しくデジタルなものを描いています。僕には、よく分かりませんが、友達のご冥福をお祈りします。

    作者からの返信

    コメントをありがとうございます。
    ポストペットに私を誘った友達は健在です。亡くなられた声優の三輪勝恵さんについては「第133話 番外編 三輪勝恵さんを偲んで」で触れております。

  • ポストペットは彼女とのメールのやりとりに使いました。
    バナナの皮で滑るのがあったような

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かにそういうアイテムもあった気がします。

  • ジャワティ、愛飲していました。
    あれと宅配ピザは、当時入り浸っていた競馬仲間宅での日曜の午後の定番でした。
    今でもたまに見かけると購入してしまうw

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かにピザと無糖のジャワティーの相性は良さそうですね。

  • ポスペ懐かしい……私もおやつ作りました。何を作ったかは完全に忘れてしまいましたが。
    やってきたよそ様のペットをうっかり叩いてしまうと伝わるので、お客さんペットをクリックで叩かないよう気をつけていた覚えがあります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。確かに届け先でペットをもてなすと相手に報告されるんでしたね。思い出しました。

    編集済
  • 大田康湖様、こんにちは。

    私の初めてのスパロボは、セガサターンのFでしたね。
    エヴァンゲリオンに釣られて買いました(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私と大体同時期にスパロボを始められたのですね。

  • スパロボ、やったなぁ。
    ゲームボーイ時代も!
    そうそう、当時はディフォルメしたガンダム達が流行ったんですよね。それも懐かしいし、スパロボのシナリオも熱かった!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    SDガンダム、私は直撃世代ではないですが、子ども向けのガンダムコンテンツとして当時は大人気だったそうですね。

  • どこでも一緒!
    好きでしたー!
    あの時代、トロメールなんてものも、ありましたよね!
    懐かしい✨️

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    トロメール、メールソフトでしたね。ポストペットは一時期使用してました。

  • 第2話 時は3月のある日への応援コメント

     お邪魔します。

     自分もテレビアニメの主題歌をラジカセに録音してました。それも、必ず録音する前に自分の声で題名を入れてから。だから、このテープを再生すると、小学生の自分の声が必ず間に流れるんです。120分テープですから、結構な主題歌が聞けます。
     その後、何本かテープに録音しましたが、自分で題名を入れるのは止めたんですね。
     これらのテープは、今でも残っています。お話に出てくるアニメは、自分もほとんど見ていましたので、とても懐かしく、しかも親近感を感じてどうしてもコメントを書きたくなってしまいました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ここには書いてないのですが、私はウルトラマンシリーズの主題歌集カセットテープの爪にセロハンテープを貼って録音してしまい、一部消してしまった部分に自分で歌を歌って上書きしたことがあります。

    編集済
  • こんにちは。
    セガサターンってとてもなつかしい響きですね。郷愁めいたものを感じます。
    (まったく触れたことはないですが‥‥‥)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。「セガサターン・シロ!」のCMもインパクトがありましたね。


  • 編集済

    第2話 時は3月のある日への応援コメント

    グリンスリーブス懐かしいですね。
    合唱部で歌った曲の中で、一番のお気に入りでした!

    日本語の、田園風景を描いた詩のほうが好きですね。
    ただ…イングランド民謡ほうはちょっと、ここでのコメントは控えます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私が放送部で使っていた「グリンスリープス」には歌は入ってなかったので、歌詞を意識したことはありませんでしたね。

  • 思わず幻想水滸伝に反応してしまいました!
    あれは本当に思い出。良いゲームでした!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    たくさんの方が楽しんだ作品だからこそ、現在まで移植されつづけてるんですね。

  • 懐かしいですね、どれもやった記憶があります。
    やはりFF7は大人気だったので、ちょっと遅れてですがプレイしました。
    今度幻想水滸伝1&2のリマスターも出ますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    幻想水滸伝2も名作だと聞いているのですが、今はなかなか手を出しづらいですね。

  • 私もはまったゲームのサントラはよく買っていました。PS1だとトライエースのゲームが好きだったので「スターオーシャン」「ヴァルキリープロファイル」などが真っ先に思い浮かびます。
    音源がCDになったことで、ゲームの音質が飛躍的に良くなった覚えがあります。

    ところで(誤字報告)、SONYの綴りにミスがあるようです。

    作者からの返信

    コメントと誤字のお知らせ、ありがとうございました。直しておきます。ゲームのサントラはTV番組のBGMとして流用されたりと重宝されてましたね。

  • こんにちは。
    青切です。

    PS1なつかしいです。
    読んでいて、いろいろと思い出しました。
    ありがとうございます。

    るろ剣は妹が好きで、いまもソフトは倉庫にしまってあります。

    PSで発売されたスパロボの話、今から楽しみです。
    敵が異様に「固かった」ことぐらいしか覚えていませんですけど。
    ではでは~

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    スパロボの話は現在も続いている趣味ですので、色々話すことはありますが、昔のことはあまり覚えてないのです。

  • ペンネームは姓名判断で決められたのですか。
    自分は適当だったので、もうちょっと真面目に向き合った方がよかったのかな、とか思ったりしました。

    『ぼくの地球を守って』懐かしいですね。
    途中までは読んでました。
    ……確かに、あの頃、そのような事件がありましたね。
    コミックを購入していたので、衝撃を受けたのを覚えています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    姓名判断と言っても自分で本を参考につけただけなので、自分が満足すれば無理にこだわらなくてもいいと思います。

  • 懐かしいです。
    どこかで書いた覚えがありますが、クイズに回答すると女の子が服を脱いでいくゲームがありました(失敬)
    その問題が大学入試レベルの問題で(笑)もちろん圧勝(スミマセン)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    目的と報酬を与えられれば人はどこまでも伸びていけますからね。

    編集済
  • あぁ、色々と懐かしいキーワードが💦

    不良の溜まり場、なんとなく、その空気はあった気がしますが、僕のことは少し落ち着いていた気がしますけれど。

    地域差もあるかもしれませんが、多分喫茶店だったのかな?
    スーパーマリオ(あのファミコンのヤツ)やドラゴンクエストを、筐体でやった記憶があって。なんとなく、その頃のことを思い出しました。

    相変わらず、当時の記憶、描写がすごいと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私の子ども時代はまだ学校内暴力や不良グループが問題になっていましたので、大人の目の届かない場所に子どもの興味が向くのはまずかったのでしょう。
    ゲーム機のある喫茶店もゲームセンターの亜種という雰囲気でした。

  • 鳥山明さんの訃報は驚きました。私もど真ん中世代なので。
    アラレちゃんの映画、私も観た覚えがあります。Dr.マシリトの説明で思い出しました。
    いつかはお別れが来ますが、何とも悲しいものです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    今年もまだ半年ですが、様々なお別れがありましたね。残念です。

  • 前回の『ロードス島戦記』『東京BABYLON』などに続いて、今回も『ラングリッサー』『サイレントメビウス』と、私にとっても懐かしい作品たちの登場に、思わず胸を躍らされました。

    あの時代、別の場所で大田様もこんな青春を過ごされていたのだなーと不思議な感慨を覚えます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私にとっても新しい刺激が得られた経験でした。

  • 星、気が付くと増えてもいるし、減っていることもありますね。
    減るのは悲しい……けど、つけてくださいとはどこでもちょっと言えず。
    まぁ、あまり気にしすぎない方がいいかもですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私も普段はあまり気にしていないのですが、区切りが良い数字だったりするとつい見てしまいますね。

  • すごく参考になりました。
    ありがとうございます。

    >濁点や半濁点が見にくくなっている
    わかります。
    それ、すごくわかります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    カクヨムにアップした方が見やすいんですよね。

  • 第1話 創作の始まりへの応援コメント

    初コメント失礼します。
    自分は大人になった今でも、寝ながら暗闇で妄想(瞑想?)をして楽しんでます。
    目をつむると、ぐわーっと胸から下を引き込まれる感覚があり、そのまま落ちていくと、ぽっと森の上空に出たり、天の川を渡ったり、海底で図書館を見つけたりします。
    ちなみに、私は共感覚もあるので、これは共感覚の一種ではないか?なんて勝手に思ってたりします。
    (全然見当違いかもしれませんが…😅)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    現在でも寝ながら別の世界を楽しむことができる。私にはもう失われてしまった感覚なのでうらやましいですね。

  • X68000とか通信代の話とかとても懐かしいです。
    モデムのピーヒョロ音が耳に蘇ってくる気がします……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    モデムの音をリアルで聞いていた世代も何歳くらいまでになるんでしょうね。

  • なんか理想的な青春でうらやましいです

    通信料、高ったですよね
    テレホーダイで11時を待ってネットに接続してた日々が懐かしくもあります

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    テレホーダイでネットしていた時代もありましたね。ネットのことは後日改めて語る予定です。