14. 知依子

「ねえ、チーコ。わたしたち、もう終わりにしよう?」


 翌日の朝、教室に入ってくるなり鞄も置かずに、小夜闇は私に別れを告げてきた。


「え、なになにっ⁉」

「知依子がフラれてる⁉」

「破局だー!」

「知依子かわいそー!」


 別れることにはなんの異論もないのだけれど、一方的に私がフラれている構図なのは解せない。なんで憐れまれてるの、私?


「ということで、お友だちに戻ろう?」


 くい、と小首を傾げてあざとい上目遣いをしてくる小夜闇。友だちならそういうポーズは必要なくない?


「うわー、振った側が『友だちに戻ろう』って言うけど、結局気まずくて疎遠になるやつー!」

「絶対にぎくしゃくして周りまで気を遣うやつだー!」

「知依子、かわいそー!」


 ……周りがうるさすぎて落ち着いて話もできやしない。


「小夜闇、ちょっと静かなところ行こ」

「え、でもわたしたち、もう別れたからそういうのは――」

「いいからついてこーい!」


 謎にしなを作って恥じらう小夜闇の腕を引っ掴んで、私は教室を出た。背後からは「愛の逃避行かー⁉」なんて野次が飛んでくる。なんだそれ。

 今日も今日とて、小夜闇は周囲をその行動で騒がせる、ちょっと変わった子だ。

 けれど、その瞳は朝露のように澄んでいることに、私は気づいている。




「――で、小夜闇。お母さんとはちゃんと話せたの?」

「あー、うん。一緒にココア飲んだ」


 屋上の扉の前で、小夜闇はどこか得意げに答えた。

 一緒にココアを飲むことの意味は私にはわからないけれど、それは多分、小夜闇さえ知っていればいいのだろう。


「どうだった、話してみて?」

「うーん…………、別に、何かがこう、劇的に変わったってわけでは、ないと思う」


 小夜闇は考え込むように足許に視線を落とす。


「多分、ママはちょっと酔ってたし、なんか深夜テンションみたいな、よくわかんない空気のせいで話せた、っていうのもあると思うし」


 でもね、と小夜闇は顔を上げると、きらきら、というよりも穏やかな優しさの滲んだ笑みを浮かべる。


「朝、ママが見送ってくれたの。行ってらっしゃい、って、言ってくれた」

「そっか。良かったね」

「うんっ。だからわたしも、帰ったら、ただいま、って言う。ママが家にいても、いなくても」

「……いるといいね」

「うん」


 私は、なんの面識もない小夜闇のお母さんが、あの、どこか打ち捨てられた風情の玄関に立ち、小夜闇を出迎える場面を想像した。お母さんの顔は浮かばないけれど、なぜかその人に向かって満面の笑顔を見せる小夜闇のことは、すんなりと思い浮かぶ。その想像の中で、小夜闇の家の玄関は昨日よりもずっと、暖かいような気がした。




 予鈴が鳴って、私たちは慌てて教室へと戻る。

 前を歩く小夜闇の鞄には、私の鞄のものとおそろいのチャームが揺れて、ちゃらり、と小さく鳴る。

 少し意地悪な気持ちになって、私は小夜闇の背中に問いかける。


「ねえ、小夜闇。私たち別れたのに、そのチャームはあの箱に入れないんだ?」


 かつて、小夜闇のことを好きだった人たちからの愛の証が詰まった、小夜闇の箱。誰かと付き合って、別れて、どんどんと増えていった愛の死骸。

 今までならきっと、このチャームもその仲間入りをしていただろう。

 けれど――


「チーコってば、何言ってるの?」


 振り返った小夜闇は私の手をぎゅ、と握ると、廊下の窓から差し込む朝の陽射しにも負けないくらい眩しく、とびっきりキュートに笑う。


「傍にいる、って言ってくれたじゃん。だからこれは期限が切れたりしないの」


 愛でも、恋でもない私たちだけれど。

 それでもきっと強固なもので、繋がっていられる。


「だってわたしたち、いちばんの友だち、だもんね!」


 それがきっとただ一つの――私たちの、いちばん、の形だ。

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