5. 知依子
私は小夜闇のことを甘く見ていた。
私と付き合うなんてただの気まぐれで、どうせすぐに飽きて別の誰かの下へ、移り気な蝶のように飛んで行ってしまうだろう、って。
けれど。
「おはよっ、チーコ!」
「……おはよ、小夜闇」
下駄箱で靴を履き替えていた私の肩に軽くぶつかってきながら、流れるように恋人繋ぎで指先を絡めてくる小夜闇。教室に向かって歩き出してからも肩が触れそうな距離でぴったりとくっついてきて歩きにくいのだけれど、にこにこと私の顔を覗き込んでくる彼女のことを邪険にもできず、今日も今日とて私は小夜闇のペースに乗せられている。
私と小夜闇が付き合うことになってから一週間。
未だ、この蝶は私の指先から飛び立つ気配がない。
「チーコ、はい、これ」
昼休みに満面の笑みの小夜闇が差し出してきたのは、可愛らしいピンク色のお弁当箱だった。開けてみると、中身も負けず劣らずカラフルでポップな出来栄えで、お腹は空いているはずなのになぜだか私は少し胃もたれしているような気分になる。
「もしかしてこれ、小夜闇が作ってくれたの?」
そうだろうな、と思いながらも改めて尋ねると、小夜闇は「うん」と小さく頷いてから恥じらうように目を伏せる。
「……そうなんだ、えっと、ありがと」
「うんっ」
どうするのが一番いいのかわからずに、それでもわざわざ作ってくれたのならお礼はしなきゃな、という消極的な私の『ありがと』にすら、小夜闇はだらしなく頬を緩ませ、喜びを抑えきれない、みたいな甘ぁい空気を全身に纏う。
……今日も今日とて、小夜闇は絶好調。恋する乙女の仕草が死ぬほど板についている。
これまで付き合ってきたみんなにだって、小夜闇はこういうことをしていたんだ、と私は努めて自分に言い聞かせる。お弁当を作ってあげて、相手の一挙一動に馬鹿みたいに素直に喜んで。そうやって、愛すべき、可愛らしい、恋する女の子像を見せつけていたんだ、って。
それなのに、頭の片隅では、小夜闇が喜ぶことを嬉しいと感じている自分もいることに、私は気づいている。抗いがたい大きな流れに足を掬われるみたいに、どうしようもなくそちらへと近づいていってしまうことに。
だって、小夜闇のそれは計算によるものじゃない、ってことが私には直感的にわかってしまうから。小夜闇の仕草や表情は小手先の恋愛のテクニックってだけじゃなくて、その根っこにはいつだって本物の感情がある、ということが。
だから、私は彼女の思惑がわかっていながら、突き放すこともできずにずるずるとここまできてしまっている。
底の見えない沼のように、私を捉えて離さない、小さくて深い、夜のように真っ黒な闇。
いつか見た彼女の瞳が、脳裏から離れない。
いつだって恋色にきらきらとしている瞳の奥、初めて垣間見たどす黒い感情。思い出す度にずぶずぶと呑み込まれていくような、不思議な感覚がする。忘れられない。もっと知りたい。その奥を。闇の向こうにあるものを。
指先に止まった蝶に振り回され、流されながらも、私が自分ではそれを離さないのは、きっとそんな気持ちがあるからだ。
小夜闇。あなたは、何をそんなに必死になって、恋、なんてしているの。誰よりも一番、なんてほしがっているの。
彼女のくれるキュートでポップなお弁当を咀嚼する口は、まだその疑問をうまく発してはくれなくて、私は馬鹿みたいに彼女のくれるものを――きっと、愛情、みたいなものが形になったものを、もくもくと食べる。美味しいけれど、なんだかずっしり重くて、無性に吐き出したいような気持ちになる。
「おいしい、チーコ?」
「うん。小夜闇が料理できるなんて、知らなかった」
「えへへー、だてに毎日自分のお弁当作ってないよぅ。あっ、もしチーコがいいならこれから毎日お弁当作ってあげるっ」
「え、いや、毎日は悪いし。――ってか、小夜闇、自分でお弁当作ってたんだね。知らなかった」
「……えー、言ってなかったっけ? お弁当もそうだし、家でも大体自分で作るよ? 他にも家事全般やるし、わたし、いいお嫁さんになれるね?」
「いや、なれるね、って言われても……」
「もらってくれてもいいよ?」
にっこりと、小悪魔っぽく言い放つ小夜闇に私は苦笑して、「何言ってんのー」なんて冗談ぽく返すけれど、その顔が笑みを形作る前のほんの一瞬、彼女の瞳のきらきらの奥から闇が覗いたことを見逃さない。
ねぇ、小夜闇。あなたは、どうやったらそれを――あなたの奥でうずくまる得体の知れない化け物みたいな真っ黒を、私に見せてくれるの?
あなたが望む私になれば、見せてくれるの?
誰よりもあなたを愛して、他の誰にも目もくれない。全ての感情をあなただけに注ぐような、そんな恋人になれば。
あなたの真っ黒を、私に見せてくれる?
「……どうしたの、チーコ? 難しい顔してる。あっ、もしかしてなんか嫌いなもの入ってた⁉︎ 食べれなかったらわたしが食べてあげるね? はい、あーん」
「いや、食べてあげる体で私に『あーん』させようとするな」
「えへ、バレた?」
「バレバレだよ、小夜闇は」
「……ふふ」
くだらない会話の片隅で、ふいに小夜闇は目を細めて微笑む。それはいつもの可愛らしいものとは違って、ほんの少し大人っぽいような、不思議な色をしている。
「なに、小夜闇?」
「んーん。ただ、チーコはわたしのこと、わかってくれてるんだなー、って思って」
嬉しい、と飴玉を口の中で転がすように、小夜闇は甘く呟く。
そう、私はきっと誰よりも小夜闇のことをわかってる。
そしてだからこそ、私が知らないあなたがその中にいることも、わかってしまうんだよ。
「……ねぇ、小夜闇」
「なぁに、チーコ?」
「今日、デートしよっか」
デート、という言葉に、小夜闇の表情がパッと輝く。
その、真っさらで綺麗な雪みたいな肌を剥ぎ取った奥。柔らかな肉や骨をかき分けて内臓を引きずり出すみたいに、彼女の身の内に潜んだ真っ黒などろどろを見てみたいと、私は思った。
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