7. 知依子

 授業が終わり放課後になると、私と小夜闇は連れ立って学校を出た。


「制服デートだねぇ、チーコ」


 と小夜闇は嬉しそうに頬を緩ませる。それが見れただけで良かった、と相手に思わせるような健気で可愛らしい笑みだ。


「どっか行きたいとこある、小夜闇?」

「んー、チーコと一緒ならどこでも楽しいよ!」

「いいこと言ってるふうで丸投げするのやめて?」

「えへっ、バレた?」

「もー、小夜闇はめんどくさいなー」

「あー! 彼女に向かってめんどくさいとか、チーコひどいっ!」

「その反応もめんどくさいなー」


 じゃれるようなやり取りをしながら、特に目的もなく私たちは繁華街をぶらつく。

 デートと言っても、特にそれらしいことをするでもなく、いつものようにカフェで甘いものを食べたり、買いもしない洋服やバッグを冷やかして時間は過ぎていく。

 唯一したデートっぽいことと言えば、雑貨屋で見つけたおそろいのチャームをお互いにプレゼントしたことくらい。


「えへへ、チーコから初めてプレゼントもらっちゃった」

「私も小夜闇からもらってるし、あんまり自分で買うのと変わらなくない?」

「全然違うよー! 好きな人からもらう、っていうのが大事なんじゃん!」

「そんなもんかなー」


 帰り道を辿りながら、小夜闇は早速チャームを付けた鞄をご機嫌に振り回して歩く。彼女が歩く度にちゃらちゃらと金属の擦れる音が鳴って、呼応するみたいに私の鞄のそれも小さく鳴る。

 冬も近づき、陽の落ちた街はビルの隙間から吹き付ける風が少し冷たい。


「チーコ、寒い?」

「うん、ちょっと」


 ふいに小夜闇は身を寄せてくると、ぎゅ、と私の腕に抱きついてきた。


「ねえ、これならあったかい?」


 自分が相手の役に立ったはずだ、と無邪気に信じ込む子どものようなその笑顔。太陽みたいに眩しいそれは、けれどそれ故に彼女自身の抱え込んだ闇を私から覆い隠してしまう。


「うん、あったかい」

「えへへ、わたし、チーコが寒い時は温めてあげるし、チーコがほしいもの、なんだってあげられるよ。他には何もいらないし、なんだって捨てられるよ」


 どこまでも真っ直ぐに、それが正しいのだと疑わない眼差しを向けられて、私は思わず言い返していた。


「……私は、そんなの、嬉しくないよ」

「え」


 ぱた、と小夜闇の足が止まり、腕を抱かれていた私もまた立ち止まる。ちゃらり、と白々しく澄んだ音が、また、鳴る。

 体はぴたりとくっついたまま、小夜闇は親とはぐれた迷子みたいな顔をして私を見つめた。


「チーコ、なんでそんなこと言うの? わたしのこと、好きなんじゃないの」

「好きだよ。好きだから、私は、小夜闇にそんなふうに思ってほしくない」

「……なに、全然、意味わかんない」


 ぽい、と抱えていた私の腕を放り出して、小夜闇は俯く。さらさらのセミロングが夜の帳みたいに彼女の表情を覆い隠す。


「ねえ、小夜闇。小夜闇は、本当は何がほしいの。こんな子どもみたいな恋人ごっこで、それは本当に手に入るものなの?」


 拗ねて隠れてしまった子どもを宥めるように、私が右手で彼女の顔を覆う帳を払うと、小夜闇はぎらぎらと尖る眼差しで私を睨んだ。

 恋する少女の、可愛らしいきらきらじゃなくて、もっと切実で、醜悪で、けれどどこか引き込まれてしまいそうな、真っ黒な瞳。


「チーコに、何がわかるの」

「私は小夜闇のことをわかってる、って小夜闇が言ったんだよ」

「……あんなの、嘘」


 ぐ、と艶々の唇を噛み締めて、小夜闇は唸る。小さな獣みたいに。無害な齧歯類ではなく、血に、愛に、飢えた獰猛な獣。

 小さくて、可愛くて、愛すべきアイコンだったはずの小夜闇の変化に、私は戸惑いながらもどこか喜んでいる。そうだ、この真っ黒が見たかったんだ、と心の内で満足げに喉を鳴らす私がいる。


「なんで。なんでっ」


 ぼすん、と小夜闇が振り上げた鞄が、弱々しく私の体にぶつかって揺れた。ちゃらり、ちゃらり、とおそろいのチャームが小さく鳴く。


「……わたしはただ、一番に愛されたいだけなのに、それ以外、何も望んでないのに。そんなに高望み、してないじゃん。なのにどうして誰もくれないの? チーコも、わたしに一番をくれないの?」


 爪を立てるように、小夜闇は切々と言葉を吐き出す。ぽろぽろと、黒い闇が彼女の大きな瞳から零れ落ちる。その汚くて綺麗な雫を見た瞬間に、私は強烈な罪悪感に襲われる。

 私は、私の知らない小夜闇の真っ黒を暴きたかった。けれど、彼女を悲しませたいわけじゃない。

 だって、小夜闇は私の一番の友だち。こうして付き合ってみてもやっぱり愛とか恋とか、そういう感じじゃないけれど、それでも大事な存在であることには変わりない。

 キュートでポップで、だけど、それだけじゃない、私の小夜闇。

 きっと、あなたのほしい一番はあげられないけれど、それでも私の中には確かにあなたに向けられた感情があることを知ってほしい。あなたが盲目的にほしがっているもの以外のものにも、価値があるということに気づいてほしい。


「泣かないでよ、小夜闇」

「……だって、チーコも、他の誰も、わたしにくれないんだもん。ほしいものを、くれないんだもん」


 嫌々をするみたいに首をふるふると振り続ける小夜闇の背中を、私はゆっくりとさすった。


「ねえ、小夜闇。小夜闇のほしいものを、私はあげられないかもしれないけど。でも、それ以外にあげられるものが、何もないわけじゃないんだよ」

「そんなの、いらない。わたしはわたしがほしいものがほしいの」


 冷たいビル風が吹いて、小夜闇の零す闇も、私の慰めも、全部ぜんぶ、細かく千切っては遠くに吹き飛ばしていく。小夜闇が身を震わせる度に、ちろちろと、おそろいのチャームが鳴く。


「……ちょうだいよ。チーコが、他の誰にもあげたことがない、わたしだけにくれるものを、ちょうだいよ」


 小夜闇は、壊れたように、ちょうだいちょうだい、と繰り返した。

 飢え乾いた、小さな獣。可愛くて可哀想な、恋愛モンスター。

 小夜闇に、私があげられるものはなに?


「……わかった。あげるよ。私が、小夜闇だけにあげられるものを」

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