10. 小夜闇

 わたしにとって、愛、とは、すぐ目の前にあるのに手に入らない、砂漠に揺らめくオアシスのような、どこか非現実的で、冷笑的なものだった。


 ママはたくさんの男たちからもらうそれを、ついぞ、わたしにくれたことはなくて、口先だけでの「愛してる」をもらったことはあっても、彼女はいつだって、わたしを置いて誰かの下へ行ってしまうのだ。


 彼女を一番に愛している、男の下へ。彼女がそう思い込んでいるだけで、本当は一番になんか愛していない男の下へ。


 だって、そうでしょう。

 そんな、赤の他人の、身も知らぬ男の方がママのことを愛しているなんて、そんなわけがない。

 ママを一番愛しているのは、他の誰でもないわたしだ。

 何よりも濃く、熱く、この体を流れる真紅の血が、わたしとあなたを繋いでいる。見も知らぬ男が口にする、上っ面の愛、など、及びもつかないほど強固に縛っている。


 その証拠に、ほら、わたしの顔は、この体は、どんどんとあなたに似てくるでしょう。誰よりも美しく、上等なアクセサリーよりも綺麗に輝くあなたに。


 わたしの正しさ。あなたの美しさこそが、わたしの、指標で。あなたの生き方こそが、わたしにとっての正解で。そうしていれば、わたしもあなたに愛されるのだと、愛して、くれるのだと、そう思っていた。願っていた。


 ――いや、それも半分は嘘かもしれない。今となっては、わたしは、それほど純粋にはママのことを愛してなどいなかったのかも。


 あの、チョコレートの箱が空っぽになってしまった夜から。

 わたしは、愛、という正体すらも曖昧で覚束ないものを名目に、ママに復讐、をしていたのかもしれない。

 わたしを、彼女の血を分けた娘であるわたしを、決して一番にしてはくれないその生き方を真似て、見せつけることで。

 そうする度に、ママが疎ましげな顔をすることがわかる。あなたが蔑ろにしてきたわたしが、年月を経て節くれたあなたの心に傷を付けている。

 愛されたいと願いながら、愛されないとわかっていることばかり、似せてしまう。素手でナイフの刃を握り、わたしの血に塗れたそれをあなたに突き立てるように。


 でも、仕方ないの。だって、わたしにはわからないのだから。

 あなたがしてきた以外の愛され方を、知らないのだから。あなたの言う通りにするのが正しいのだと思っていたのに、あなたはそれを喜んではくれない。

 一番に愛してくれる人を探しなさい、だなんて、なんて皮肉。

 わたしが、誰よりも一番にわたしのことを愛してほしいのは、あなたでしかないのに。


 わたしの愛には、行き場がない。からからに渇いた砂漠の只中で、どこにも行かれずに枯れていく。後に残るのは、ひからびた愛の死骸だ。


 わたしが空っぽなのは、わたしが誰のことも、ちゃんと愛することができないから。

 ママがわたしを愛してくれないのは、わたしが間違っているから。

 だって、ママはわたしの正しさ。誰よりも綺麗で、わたしはその正しさを疑わない。その表面がひび割れて、剥がれかけても。


 だって、そうでしょう。

 絶対だと思っていた正しさが、間違いだったなんて、そんなのとても認められないのだから。

 惨め、過ぎるのだから。

 あんなにも愛されたかったことが、飢え、渇いて、焦がれたことが、間違いだったなんて。


 そんなの。


 なんて空虚。


 さらさらと、足元が崩れて乾いた砂になり、わたしという存在を呑み込んでいく。


 からからにひからびて、わたしはわたしの残骸になる。

 愛されたくて、愛されなくて、今ではそれを見失ってしまった、哀れな死骸。


 わたしの愛は、とっくに期限切れだったのかもしれない。

 愛には、賞味期限があるから。

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