9. 小夜闇
わたしとチーコが初めて言葉を交わしたのは、高校に入学して二週間くらいの頃。わたしが既に二人目の彼氏を作って、そして既に鮮やかな破局を決めたすぐ後のことだった。
例によって「お別れ、さよなら、グッドバイ」の三連コンボを叩き込んで男の子を追い払ってから、そのまま帰る気にもなれずに夕暮れの教室の窓辺でぼんやりしていると、がらがらと教室の扉が開く音がした。
「うわ、なんか黄昏れてる」
失礼にもそんなことを言いながら教室に入ってきた少女に、わたしはムッとして言い返す。
「……別に、関係ないでしょ」
「まぁ関係はないけど。っていうか、さっき出てった子、ちょっと泣いてたよ? 振ったの?」
「……それも、関係ない」
「あはは、確かに」
気安いけれど、こちらが線を引けばそれ以上は踏み入ってこない、そんな風情の少女だった。
あったあった、と多分忘れ物を探しにきたのであろう彼女は、お目当てのものを見つけると、もうわたしのことなんかどうでもいいみたいに教室を出ていこうとする。
それがなんだか癪に触って、わたしはふと、その背中に向かって声をかけていた。
「……あのさ、そんなにおかしいかな?」
「え?」
「わたしのことが好きなら、他の何を捨ててでもわたしのほしいものをくれるべきだ、って思うの、そんなにおかしいかな?」
自分でもなんで急にこんなことをただのクラスメイトに聞いているのかよくわからなくて、声も妙に上擦っていて、多分失恋したばっかりだから変なテンションになってるのかも、なんて誰に対してなのかもよくわからない言い訳を頭の中でこね回しながら、それでもわたしは彼女の答えを待っていた。
「えー、……まぁ確かにそれはきっついなー」
苦笑交じりのその返答に、わたしは、やっぱりね、と思う。かつてわたしを好きだった男の子が言った「おかしいよ、お前」という言葉が脳内でリフレインする。
おかしいの、わたしは。誰と付き合っても結局わたしのほしい一番は見つからないし、最後にはおかしな奴だと言われて遠ざけられる。
だったら、もう――――
「――でも、きっついとは思うけど、おかしくは、ないかな」
「…………へ?」
「だって、それがあなたの『好き』っていう気持ちなんでしょ? 他の人にとってはちょっと重かったりはするかもだけど、それであなたがおかしい、ってことにはならないでしょ」
人ぞれぞれだしねー、とどこか軽い調子で言いながら、少女は窓辺で呆然と立ち尽くすわたしに近づいてくる。こちらの心の内を写し取ってしまいそうに透明な眼差しで見つめられ、知らず、鼓動が早くなる。
彼女は、どこか面白がるように唇の端を持ち上げて言った。
「……私、あなたのこと、ちょっと誤解してたかも」
「誤解?」
「うん。男を取っ替え引っ替えしてるヤバイ子なのかなー、って思ってたけど、でもなんかそんなに悪女ってわけでもなさそう」
「悪女って」
その昼ドラみたいな言葉に思わず笑ってしまう。
「今話してみてさ、その感じだと確かに長続きしなさそうだなー、って思うし、なんて言うんだろう? 理想が高い……いや、それよりも純粋というか……」
腕組みして唸っていた彼女だけれど、やがて諦めたみたいにからっと笑う。
「まぁとにかく、恋愛下手そうだな、って!」
「ひ、ひどいっ!」
あんまりな言い草にわたしが怒ると、彼女は楽しそうにけらけらとする。ふと、こんなふうに愛とか恋とか関係なく誰かと一緒にいるのって、久し振りだ、と思った。
「ごめんごめん、別に馬鹿にしてるとかじゃないからさ」
「いいもん、別に、わたしはわたしを一番に愛してくれる人を探し続けるだけだし!」
「やばっ、愛とか普通に言っちゃう人かー」
「なにっ、おかしい⁉」
「おかしくはないけどー」
そんな馬鹿みたいなやり取りがなんだかやけに楽しくて、わたしは、これはなんていう感情なのかな、って思った。愛、でも、恋、でもないけれど、楽しくって、心がふわりと軽くなるような、そんな気持ち。
ひとしきり笑い合ってから、少女はその透明な眼差しを優しげに細めてわたしを見つめる。
「あのさ、一番が見つかるまで、私が傍にいてあげよっか」
「……え?」
「だって、一番が見つかるまではこうやって何度も付き合って別れてを繰り返すんでしょ? それってなんか、きついっていうか……寂しくない?」
「……寂しい」
それは、全然思いもしなかったことで、けれど言葉にすると不思議と「わたしは今までずっと寂しかったのか」と納得してしまうくらいにすんなりと唇に馴染んだ。
「……別に、いたいなら、いてもいいけど」
「あー、照れてるー? 可愛いとこあるじゃーん」
二人窓辺に並んで、肩が触れ合うような距離で、でもそこには愛、とか、恋、とかもなくて、ただただ、夕暮れのような温い心地良さだけがあった。
今はただそれだけで良くて、けれどその先に進んでしまったらどうなるのだろう、という期待のような不安のような感情の芽が、ぽかぽかとする胸の内で静かに育っていくのを感じていた。
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