3. 知依子
「わたし、チーコと付き合うことにしましたっ」
小夜闇のその発言は翌日の教室をひとしきりざわつかせたけれど、最初の衝撃が去ってしまえば「小夜闇だし、まぁ別に普通か」くらいの認識に落ち着いてしまって、私もクラスメイトから「知依子もよく小夜闇の面倒見てあげてるよね。お疲れー」なんて労われる始末だった。
…………待って、なんでみんなそんな落ち着いてるの? 昨日からずっと「えらいことになってしまった……」ってオロオロしてるのは私だけ? は? ピエロか?
釈然としない顔で席につくと、前の席に座った小夜闇が振り向いてにっこり笑う。
「ね、チーコ。お昼は一緒に食べよーね」
こっくりと、あざとく小首を傾げる小夜闇に、私は胸のざわめきを抑えながらため息を返す。
「……別にお昼くらい今までも一緒だったでしょーが」
小夜闇が他の誰とも付き合っていない時は、と口の中で呟く。……でもそうか、付き合うっていうことは今まで以上に小夜闇と一緒にいることになるのか。これまで彼女が彼氏に割いてきた時間も、これからはずっと私にだけ注がれることになるのだ。
「……チーコ? どうしたの、なんかいいことあった?」
「へっ、べ、別に?」
「そう? なんか嬉しそうな顔してたけど」
えぇ、私、そんな顔してたのか……いやいや別に小夜闇は仲のいい友だちだし、一緒にいられる時間が増えて嬉しいのは変なことなくない? と思っているうちに予鈴が鳴り、担任が教室に入ってくる。
小夜闇は前に向き直る間際、その細い指先を私の指に絡めて言う。
「それじゃ、チーコ、またお昼ね?」
いやいや! そんなしばらくお別れみたいに言うけど前後の席じゃん! なんならお昼の前にも全然話すしトイレとかも行くでしょ! どういう心境のセリフなの⁉︎
――とか色々思うけれど、小夜闇の少し恥じらうような伏し目とか、甘ったるい声音とか、指先に絡む彼女の指の熱さとか、そういった全てに私も妙に浮き足立ってしまう。
朝のホームルームが始まり、小夜闇は名残惜しそうに小指をきゅ、と絡めてから手を離して前に向き直った。その突然で直情なアプローチに、私は迂闊にもきゅんとする。
こんなの、変だ。だって私は小夜闇のことは友だちだと思っていて、彼女と付き合いたいなんて思ったこともないはずなのに。
それなのに――
「はいっ、チーコ、あーん」
「あー……んじゃない! 何してんの⁉」
「え、何って、お弁当のおかず交換しようって言ったじゃん」
お昼休み、物思いから我に返った私が目の前に差し出された卵焼きにびっくりして叫ぶと、小夜闇はぷくっ、と拗ねたようにほっぺを膨らませた。……そんな可愛い顔したってもう流されてやらないぞ、と鉄の意志で私は立ち上がる。
「どうしたの、チーコ? トイレ? 一緒に行く?」
「違うっ。……いや、トイレは違うけど一緒には来て」
「えぇー、なになに、どうしたのー?」
「ちょっと話があるから、静かなところ行こ」
「えっ、チーコってば、大胆……!」
「話があるって言ってるでしょーが!」
謎にしなを作って照れる小夜闇の手首を掴んで、私は教室を出た。背後からは「お幸せにー」なんて声が飛んでくる。他人事だと思って、呑気な奴ら!
「ねぇ、小夜闇。やっぱりこんなの変だよ」
小夜闇の手を引いて屋上へと続く扉の前まで来ると、私は改めて彼女と向き合った。
「こんなのって?」
「だから、私と小夜闇がつ、付き合う、とか」
「えー? 何が変なの?」
「だって、私は小夜闇のことは友だちとして好きなんだから!」
ピンときていない様子の小夜闇に、私は噛んで含めるように言う。友愛と恋愛は違うのだと、そんな簡単なことが小夜闇にはなぜか伝わらない。
「でも、友だちとして一番好きなんだよね? だったら別に良くない? って思うんだけど」
「……だから、友だちと恋人は全然違うじゃん」
どこまでも真っ直ぐで幼い小夜闇の眼差しに、私は思わずため息を零した。
小夜闇は「まるで理解できない」というように首を傾げながら、私の手を取る。小さくて、すべすべで、あったかい掌。
「ねぇチーコ? 一番って、それ以上のものはない、ってことだよね?」
「え? ……うん、多分」
突然言葉の定義みたいなことを言い出す小夜闇に戸惑いながらも、私は頷いた。
「だったら、一番好きな人っていうのは、一人だけじゃないとおかしいよね? チーコがわたしのことを一番好きなんだとしたら、わたし以上に好きな人はいないってことだから、わたし以外には恋人だってできないってことでしょ? だったら、わたしが恋人になったって別にいいよね? ていうかそうあるべきじゃない?」
だって、チーコはわたしのことが一番好きなんだもんね?
小夜闇は、どこかうっとりとその言葉を繰り返した。一番。それは小夜闇にとっての絶対的正義。
「でも……」
小夜闇の主張は一見理屈が通っているようにも聞こえたけれど、どこかが致命的に間違っているような気もした。けれどその間違いを、私はうまく言葉にできない。
頭を抱えて言い淀む私に、小夜闇はハッとしたように大きな瞳を見開いた。
「あっ。そっか、わかったよ、チーコ」
「小夜闇……!」
私の想いがようやく伝わった、と安堵しかけたのも束の間、小夜闇は繋いだままの私の手にぎゅっと指先を絡めて熱っぽく言い募る。
「チーコはわたしのことを一番好きだけど、わたしがチーコのことを一番好きかどうか、不安なんだよね?」
「――は、はぁ⁉︎」
あまりにも想定外の着地点に驚く私を尻目に、小夜闇は艶然と微笑む。
「大丈夫だよ、チーコ。それならわたし、チーコに安心してもらえるように頑張るから。そうすればチーコも心置きなくわたしのことを好きでいられるもんね?」
「ちょ、小夜闇? ちが――」
「わたし、一番愛されるための努力なら、得意だから」
握られた手の甲には小夜闇の綺麗に整えられた爪がやんわりと食い込んで、私は手を引っ込めることもできずに、至近距離から小夜闇の瞳を覗き込む。
キュートでポップな私の小夜闇。
その瞳の奥には、今まで見たことがないような色が黒々と渦巻いているような気がした。
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