04 幼き日の記憶
夢を見ていた。
遠い昔の日の記憶だ。
まだ母上が存命だった頃、家族と、友人たちとで草原に遊びに出掛けたあの日。
いや、遊んでいたのは自分たち子供だけで、大人たちはその辺りに群生している『ミタマ草』を採る仕事をしにやって来ていたのだった。
ミタマ草は色々と使いでのある草で、根本の部分は剣の柄ほどもある硬い植物だ。
刃物などで傷を付けると、中から血のように赤い汁が出てくるので、祭りのときなどには模擬戦の道具としてこれを使った。
他には、干して乾燥したものを編み込んで籠などの道具にしたり、あまり美味しくはないが煮炊きすれば食用にもなった。
大人たちがミタマ草を伐採し、束ねる作業をする
僕とパトリック、それにミスティの三人はそれぞれミタマ草を手に、大人たちから離れて、丘の上の開けた場所まで走っていった。
「おい、今の当たっただろ?」
「当たってない」
「えー? 嘘付くなよ」
「じゃあ、本番やるか?」
本番というのはミタマ草の先端に傷を付けて戦うことだ。
身体に当たれば赤い線が付くので勝ち負けがハッキリする。
「駄目だよ。母ちゃんに怒られる」
赤い汁が服に付くと洗濯してもなかなか落ちないので、砦村の男たちがこれを使うのは祭りなどの特別なときに限られた。
そのときには、皆真っ白な衣服に身を包み、名誉を懸けた真剣勝負に挑むのだ。
「裸になればいいさ」
我ながら妙案だと思った。
「駄目だよ。ミスティがいるじゃないか」
ミスティの方を見ると、彼女もやる気満々で素振りをしている。
「ミスティは女じゃないか。女は剣を持つ必要なんてない」
僕がそう言うのを聞くと、彼女は小さな
「私は砦村の女よ。敵が来たら私だって戦うわ」
「戦うのは僕たち男だ。女は飯を作って編み物をしてればいい。こないだお婆様にも言われてたろ?」
「そうだ。うちの母ちゃんも、ミスティはなかなか女らしくならないから、嫁に行けないんじゃないかって心配してたぞ?」
二対一で、しかも大人の言い分を笠に着られては、さしものミスティも分が悪い。
「ああっ!」
突然パトリックが大きな声を上げた。
見ると、服の上に付いた大きな赤い染みを広げて顔を真っ青にしていた。
「あーあ。根本から切ってなかったんだろ」
僕はパトリックの手にあるミタマ草の、赤く
おそらく持ち手の部分から赤い汁が垂れたのだ。
「父ちゃんに文句言ってくる。
そう言い残すとパトリックは一人で丘の下へと駆け下りて行った。
「アイテッ」
パトリックの後ろ姿を見送っているところに後ろから頭を打たれた。
「はい、死んだー」
頭を押さえながら振り返るとミスティがケラケラと笑っていた。
「卑怯だぞ」
「油断する方が悪い。死んでから文句言うつもり?」
それは少し前に父上が僕に向かって言った教訓だった。
僕が教え諭されてる側で、ミスティもそれを聞いていたのだ。
「正々堂々戦え」
「ふーん。なら、女が戦ってもいいんだ?」
今度は僕の方が頬を膨らませる番だった。
子供の頃からこういう屁理屈のような言い合いでミスティに勝てた記憶がない。
男は口ではなく、行動で示せばいい。父上にそう言ってたしなめられたのは……、あれはいつのことだったろうか。
「やっぱりミスティは戦わなくていい」
「じゃあ、敵が来たらどうやって身を守ればいいの?」
「……僕が守ってやる」
「ユリウスが? 私の方が強いのに?」
「……子供のうちだけさ。そのうち、背も追い抜いて見下ろしてやる」
どうせまた、いつもの減らず口で言い返されるものと思っていたが、そのときのミスティは急に寂しそうな表情になり、僕に背を向けた。
直感的に、傷付けることを言ってしまったのだと悟り、僕はその気まずさと共に、トボトボとミスティの後ろ姿を追った。
ミスティが丘の上に一本だけ生えた大きな木に背をもたれ掛けさせながら、こちらを振り返る。
「ねえ、背を測って」
頭のてっぺんに手を当て、その高さで木の幹にあてがう仕草をする。
僕はナイフを取り出して、言われるように木に傷を付けた。
僕とミスティは同い年だったが、そこに傷を付けるためには頑張って背伸びをする必要があった。
代わって今度は、僕が木に背中を付け、ミスティが僕の背の高さに線を付ける。
しばらく二人で静かに、一本の木の幹に付いた二つの線を見つめていた。
どういうわけか、幼い日の自分には、それがとても神聖な行為に思えたことを覚えている。
「大人になって、ユリウスが私の身長を追い越したら……、そのとき私に
全部子供のときの話だ。子供だった彼女が、そのときにどこまで本気でそれを言っていたのかは分からない。
彼女がどんな表情でそれを言っていたのかも思い出せない。
だが、同じく子供だった僕は、その言葉をそのまま、全て本気で受け止めていた。
「馬鹿! そんなこと……。女から言うなよ。はしたないぞ。……はしたない!」
内心では、とても嬉しかったことを覚えている。
女のミスティにそこまで言わせたのだから、自分が彼女を幸せにしなければならないと子供心に使命感を抱いていた。
自分が一人の女性を守ることができる立派な大人になったような気がしていた。
だが、口をついて出たのは、そんな彼女のことを責めるような言葉だった。
女は女らしくすべきだ。
当時、砦村の人間が揃って彼女に言い聞かせていたのと同じ種類の言葉を残して、僕は彼女の前から走り去った。
自分が夢に見たのは、そんな昔の苦い記憶だった。
あのときのことについて、あの後、彼女に謝る機会があったのかどうか……。
夢の中で、俺はそのことを思い出せずにいた。
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