03 ミスティ


 あるとき、聞き慣れぬ音で目を覚ました。


 病人がいる部屋に相応ふさわしくない、バタバタという慌ただしい足音が部屋の中を行ったり来たりしていた。

 そこに時折、引き出しや衣装ケースを乱暴に開ける音が混じった。

 一旦、部屋のドアを開け、廊下に出て行く音がしたが、すぐにその足音が戻って来る。


 眠い目を擦って確かめると、何のことはない、音の主はいつも身の回りの世話をしてくれている若い侍女なのだった。

 興味を失い、また眠りに就こうと目を閉じたが、そうしたところへ侍女がこちらに向かい一直線に歩いてくる音が迫ってきた。

 その勢いにただ事ではないものを感じ、再び目を開けると、侍女はベッドに片膝を乗せて前のめりとなり、額がぶつかりそうなほど間近で、こちらの瞳を覗き込んでいた。


 使用人ではあるが、この娘もかなり整った美しい顔をしている。

 いささか慎みを欠いた振る舞いではあるが、こんな美少女に真正面から見つめられると流石に緊張を禁じ得ない。


「……なに?」


 それが初めて耳にする自分の声なのだと気付いた。

 やはり、というか、当たり前だが、女性の声だ。


「貴方なの? ユリウス?」


 対する彼女が発した言葉はそれだった。

 音としては確かにそう聞こえたが、とっさに何を言われたのか分からず混乱する。


「……分からない」


 間の抜けた答えだ。

 自分としては何を聞かれたのか分からない、という意味で答えたつもりだったが、相手はそう思わなかったようだ。


「やっぱり……。記憶を失っているのね? でも、貴方しかありえない。貴方がユリウスよ」


 今さらだが、目の前にいるこの侍女の様子がどうにもおかしいと内心であせり始める。


 普段落ち着いて、丁寧な物言いをしていた少女とは思えない言葉遣い。

 一瞬別人なのかと疑ったが、姿形や声は確かにあの侍女のものに違いない。


「聞いて。このままだときっと次は貴方が狙われることになるわ。自分がユリウスだってことは誰にも知られないようにして。誰だか知らないけど、しばらく身を隠すのよ」


 混乱した頭に向かってまくし立てられる話の内容は全く理解できなかったが、その表情や声から少女の焦りや、こちらの身を真剣に案じている想いは伝わってきた。


 もっと落ち着いて話を聞かせて欲しい。

 よく聞けば何か思い出せそうな気がする。


 自分に向かって話し掛ける口振りが、何か、記憶のふたを揺するような気がするのだ。

 侍女はそこまで話すと、ふと何かに気付いたように後ろを振り返った。

 誰かが廊下を歩いて来る音がする。


「ごめん、時間がない。必ず迎えに来るから」


 そう言ってベッドから離れようとする少女の手を、思わず握って引き留める。


「待って。君は? 君は誰?」


 ハッと息を飲む声。

 瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな切ない表情を浮かべ、少女は言った。


「……ミスティ」


 懐かしく暖かい名前。

 その名前は、目覚めてからこれまで耳にした中で、最も自分との繋がりを感じる音の響きだった。

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