136 ただいま
俺はジョゼから託されたレリーフを盾にして敵からの刺突を受け止めた。
その瞬間、もう会えるはずもない彼女への言い訳の言葉が次々に湧き上がる。
だが、そんな散らかった思考とは別に、身体の方は間髪置かず、低い姿勢から脚を蹴り上げていた。
地に突いた両腕を支えにして身体をひねると、生木の枝がしなりを打つように地面から脚が弾かれ、男の
渾身の刺突がよもやという方法で受け止められた相手の方は、自分の身に何が起きたのか、ろくに理解できなかったはずだ。
相手の手からこぼれた剣を拾い上げ、俺はすかさず仰向けに倒れ込んだ相手の腹にそれを突き刺した。
抜きしなに周囲を見渡し瞬時に状況を把握する。
「……っ! 押し返せーっ!!」
剣を掲げ、腹の底から声を響かせ、味方を鼓舞する。
ここが、今が、俺たちの一大事。
祖先の時代より受け継いだ土地を守り切るための、命を賭すべき大義のときだった。
「ユリウス様が戻られた!」
「続けー! ユリウス様に続けー!」
あちこちから呼応する声が上がる。
その声に俺も力を得る。
俺は矢傷が
迎え討つ敵の刀身を紙一重でかわし、すれ違い様に横腹を断ち切る。
剣を深く食い込ませてしまわぬよう、腕を畳んで剣先だけで鎧と肉を裂く。
これで十分という手応えがあった。
グリュンタークの屋敷で犯した不覚を身体が勝手に覚え、動きを最適化したかのようだった。
続けて別の敵に突進し斬撃。
二合斬り結び、相手が押されて下がった構えの上から、横なぎの一閃を見舞い、相手の首をはね飛ばす。
瞬く間の出来事。
それで完全に相手の気勢を挫いた。
「ばっ、化け物……。だっ、誰か、あの
そう発破を掛ける敵の号令からして浮足立っていた。
好機だ。形勢はこちら。今を逃せば次はないぞ!
そう声を張り上げようとして息を吸い込むと思い切り
肺から血の味が込み上げてくる。
全身が悲鳴を上げていた。
すでにこの肉体は、昨日の敵の夜襲から働き詰めなのだ。
砦村からミスティを逃がすため、夜の森を歩き通し、その疲労と負傷を抱えたまま、百年の時を超え、ジョセフィーヌを攫った賊の隠れ家で大立ち回りを演じた。
アカデミアではローランやセドリックとも剣を交え、極めつけはグリュンタークの屋敷だ。
たった一人で三十余人を切り倒し、マーカスとも死闘を演じ、芯までくたびれ果てた身体だった。
───だが、そんなことがどうしたというのだ!
この腕は、脚は健在だ。
命がある。
命があればまだ戦える!
俺は敵が怯んだ好機を手放さぬよう、動きを止めず、ただひたすらに剣を振り続けた。
何度も剣を拾い直し、時には殴り、蹴り、必死に抗い続ける。
そうして、何人斬ったのかも分からなくなった頃、俺は周囲のどこを探しても、次に斬り結ぶべき敵の姿がないことに気が付いた。
「ユリウス様!」
最初に駆け寄って来たのはドルガスだった。
その後ろにはミスティの姿があった。
「ドルガス……。良くぞミスティを守り徹してくれた」
「ユリウス。大丈夫なの? その身体……、その血は……」
声を詰まらせ、涙ぐんだ瞳で俺の顔を覗き込むミスティ。
言われて俺はようやく、自分の血塗れになった身体を検める。
死ぬほどだるい。
全身が痺れて感覚をなくしたようになっていた。
そんな立っているのもやっとの状態ではあったが、幸いどこも壊れてはいないようだ。
「どうやって戻って来られたの?」
「それか……」
その話か、と天を仰ぐ。
疲れ果てた身体と頭で、これから説明すべき事柄の膨大さを思い、気持ちが挫けそうになる。
「ああ、いるんだ。百年先にも。ミスティみたいな天才がな」
それに、魔力が失われた時代を経てもなお、彼女に魔法の体系を伝え続けた一族の賜物でもある───そう付け足したかったが、今はそんな悠長に構えていられる場合ではなかった。
その話に限らず、話して聞かせたい話は山ほどあるが、今はそれより優先すべきことがある。
「魔力はどうだ? 今、魔力はどうなってる?」
「う、うん。大丈夫。止まってる。て言うか逆に戻ってきてるよ。凄い勢いで。ユリウスが戻ってきた瞬間から、ユリウスの身体を中心に湧き出るみたいになってる。なくなったときとは真逆みたいに」
「やっぱりそうか……。魔法は使えそうか?」
「いいえ。あっ、ああ、でも安定してる場所でなら。ユリウスのすぐ近くでなら多分。でも───」
「よし。ドルガス、すぐに父上を呼んでくれ。大事な話がある」
「分かりました、ユリウス様。休んでなどおられぬ、というわけですな」
心得たとばかりに、ドルガスが走り去る。
それを見送り、いよいよ力尽きた俺をミスティが後ろから抱き支えた。
「……お帰り……」
「ああ、ただいま……」
背中から身体の前に回されたミスティの両腕。
俺の血塗れの身体をひっしと掴む彼女の手を、俺はほとんど握力をなくした手で撫でるように握り返した。
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