80 状況を整理せよ 1


 夕食を終えた後、俺はアンナに言って、自分の寝室にプリシラから借りた魔力測定器を吊り下げられるようなしつらえをしてもらった。

 部屋の隅に高さを揃えた二つの台を並べ、その上に竿を横向きにして渡す。

 魔力測定器の持ち手の鎖にはフックを取り付け、それを引っ掛けて竿の下に吊り下げておけるようにした。


 今日の務めはもう必要ありませんからと言って、アンナに退室を促した後、俺は魔力測定器に近付いたり離れたりして、つぶさに検分を始めた。

 ジョセフィーヌの身体が近付くとリングの回転は勢いを増し、離れれば減速するという現象は何度やっても同じように再現された。

 やはりこの身体の中から魔力が湧き出ていることは間違いなさそうだ。

 では、湧き出た魔力はどこに行ってしまうのだろうか。

 水が乾くように蒸発してしまうのか。あるいは、広く薄く、世界のどこまででも広がっていくものなのか。


 俺はプリシラに言われたとおり、魔力測定器から三歩ほど離れた場所に目印になる物を見つけてそこに立ち、最も外側で最も遅く回転しているリングの速度を測った。


 ……三十三、……三十四、……三十五、……三十六。


 大体三十六数える間に一周か。

 数えた数字と今日の日付を机の上で紙に書き取る。


『えー。私は五十四だった』

「それは数え方が速過ぎるだろ」


 慌ただしくする性格が数の数え方にも現れているかのようだ。


『そもそも、数える速さなんてその時その時で変わるんだから、この方法じゃ正確に測れなくない?』

「いいんだよ大体で。速くなってるか遅くなってるか、大体の傾向が分かればいいんだから」


『じゃあ、五十四でもいいわね。五十四に書き直してよ』


 それは大体の範囲を超えているだろ、と溜息をついた後で、俺は思い直して三十六の隣に五十四と書き足した。


『ああ。いいアイデアね。……ふふっ』


 毎回二人分の記録を取っていけば計測の誤差も埋め易いだろう。

 紙片の上のインクが乾くのを待ち、机の上にあった本の間にそれを挟む。


『ねぇ、エミリーの家でも言いかけたんだけど、ユリウスって本当にただの田舎貴族の息子なの?』

「なんだ。またその話か……」


 俺はまた、ジョゼ自身が作り出した虚像の人格が俺である、という空想話を持ち出したのかと思った。


『違う違う。その話じゃなくて、純粋に凄いと思ってるの。女みたいな仕草や喋り方が板に付いてるっていうか。鏡の前の仕草だって凄く女の子っぽかったし。あ、ほら、あのきったない子供の前での態度とか……えっ? 何で目をふさぐのよ? ……ねぇねぇ目開けて。暗いって。……あ、そうだ。こうやってじっくり話す時は鏡の前行って喋ることにしない? お互い顔を見ながら喋った方が意思疎通し易いよ、きっと』


 その方法で相手の表情を窺えるのはジョゼの方だけだろうに。


「俺をいじめて楽しいか……?」

『ええっ? なーんでよっ? 褒めてんのにぃ』


 今の一言には、明らかに面白がって俺をからかう調子が含まれていた。


「俺は男だ。女らしいと言われて嬉しいわけないだろ」


 鏡の中に現れたジョセフィーヌがその前に座りながら眉間にしわを寄せる。


『あーごめん。そうじゃなくて。演技力、というか、適応力? それが凄いなってこと。とても剣だけ振って鍛えてた無骨な男には思えないなって』


「……必死に身に着けたんだ。何も分からない状況に置かれて……。何かヘマをして、この身に危険が及べば、俺だけの問題じゃ済まないだろうからな……。だから全力で真剣に演じてるんだ。茶化すなよ」

『ごめんね……。ありがとう。私のためでもあるんだよね……』


 妙にしおらしい。

 俺の信頼を裏切った一件で、俺に対し負い目を感じているのだろうか。


「当たり前のことだ。恩に着せるつもりはないけど、お互い元の身体に戻りたいっていう目標は一致してるんだから協力しないと」

『それは、分かってるよ』


「いや、分かってない。分かってたらミスティの名前を使って俺を出し抜こうとしたりしないだろ?」


 俺が寝ているときに動けるという事実を黙っているのはともかくとして、何と言ってもあれが一番困った。

 あのとき俺は、あの店に入ることがミスティからの指示であるかのように受け取ってしまったのだ。

 結果的に問題なかったとは言え、誤った情報で判断させられては堪ったものではない。


「ミスティ……。そうだ。結局、ミスティからの接触はまだないってことだ……」


 あれ以来一度も……。

 これはもう一度真剣に、今置かれている状況について考え直したほうがいいぞ。


『ごめん……。やっぱり、期待させちゃったよね? ずっとその子からの連絡を待ってたんだし……』


 そうだ。ずっと待っていた。

 待つばかりでなく、こちらから探しに行きたいという気持ちはあったが、結局待つことしかできていなかった。

 俺がこの身体で目を覚まし、ミスティがアンナの身体を借りて現れてから、もう半年近くが経つ。

 半年だ。……流石に時間が経ち過ぎではないだろうか。


 いくら王国最西端の僻地へきちとは言え、アークレギスから王都まで、ひと月もあれば女性の足でだって歩いて来ることができる。

 ……いや、やはり片道ひと月の距離は遠いか?

 連絡があるまでもう少し様子を見ても……。


『……ねえ? ……やっぱり、怒ってる?』


 そもそも、ミスティはここを王都だと認識できているのだろうか。

 あの夜、ミスティがアンナの身体で覗き見たのは、この部屋の中と手前の廊下ぐらいのものだろう。

 だから、ここが王宮の一室だとは───ユリウスの魂が入ったこの女性の身体が、この国の王女のものだとは───全く気付いていない可能性だってある。


『……ねえ、機嫌直してよ』


 もう一度、あの夜と同じ魔法を使ってアンナの身体に乗り移ってくれれば良いのだが、そんな簡単に扱える魔法ではないのかもしれない……。

 そもそも、アークレギスが早馬すら使えない状況に陥ってるのだとしたら、それだけで大問題じゃないか。


『…………』


 仮に国境の砦が敵国に攻め落とされるようなことが起きていれば、王都までその知らせが届いていないのはおかしいし、さすがにそんな事態までは考えにくい。

 だが、魔力に関してアークレギスという土地が持つ特異性を考えると、どこかから……、誰かから、その力が狙われることがあっても不思議ではない。

 それにこの……、ジョセフィーヌの身体の件もある。

 魔力が際限なくあふれ出ているこの現象。

 ミスティの言っていた、俺が狙われるというその理由がこの魔力の湧出のことを指すのだとしたら……?


『……分かったわ。私の胸、揉ませてあげる』

「……悪い。聞いてなかった。何だって?」


 ジョゼの口調に不機嫌な調子が混じっていることに気付き、意識がそちらへ逸らされた。


『私の胸を、好きに揉んでいいって言ったの』

「はあ……」


 鏡の中のジョセフィーヌが要領を得ない顔で首を傾げた。

 何をしていいと言われた?

 渋々ながら許してやる、みたいなニュアンスだったように思うが……。

 たった今頭の中で聞いた声。その音の響きを反芻はんすうする。

 えっと確か……、私の胸を───


「……はあっ!?」

『とっ、特別よ? 一回だけっ。見ない振りしてあげるから、それで機嫌直して、チャラにしなさい』


「どうしてそういうことになるんだよ!?」

『信頼関係。……回復する必要があると思って』


「信頼……。そりゃ、重要だけど、それでどうして───」

『お詫び……、になるのか分からないけど。私なりの誠意、というか……。今の私にできること考えたら、そんなことしかないかなって……。男の人は女の胸を揉みたいもんなんでしょ?』


「いや……その……」

『ま、まあ? 半年もあったみたいだし? 私の許可なんかなくてもぉ? とっくに揉みまくってるのかもしれないけど……』


「…………」

『何で黙るの?』


「いや、黙ってないけど」

『黙った。今気まずい空気を感じたわ。揉んだわね? あー揉んだわ。これ絶対揉みしだいてる。信じられない。この男、うら若き乙女の……、一国の姫君の身体をもてあそんだんだー!』


 何故だ。確か、謝罪を受けていたのは俺の方だったはずなのに。


 興奮するジョゼをなだめるために俺は懸命に言い訳を並べた。

 男特有のそういう衝動は、おそらく身体に依存するものだから、俺がジョセフィーヌになってからはそういったものを感じないという理屈をこねると、じゃあそもそも男の性欲とはどんなものかという話を丹念に説明させられることになる。

 様々なことがあり過ぎた今日という一日は、そうして最後までジョゼに振り回されて終わったのだった。

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