29 ジョセフィーヌの秘め事 2


 ジョセフィーヌの書いた物語を大層気に入ったエミリーは、早く続きを書いてくださいまし、と言って帰っていった。

 当然、俺に書けるはずはない。俺はジョセフィーヌではないのだ。


 ……そう、だろうか。本当に……?


 急にそのことに自信が持てなくなったのは、ジョセフィーヌが書いた物語の中身が、俺の、ユリウスの記憶と、あまりに似通っていたからだった。

 物語の中で言及がないため、舞台が何処なのか正確には知れないが、とある王国の辺境にある小さな砦の村で起こるドラマをつづった物語……。

 主人公の名は、ユリウスと言った。


 ミスティだけならいざ知らず、ユリウスという名前まで。

 それに物語において二人は将来の結婚を誓いあった仲でもあるのだ。

 そんな一致をただの偶然と片付けて良いものだろうか。


 俺には十数年間アークレギスで男として生き、剣の鍛錬に励んだという確かな記憶がある。だが、ジョセフィーヌの頭の中にそれと似たような境遇の人物に関する物語があったことも確かだ。


 もしかすると……。

 いや、非常に馬鹿げた妄想だ。

 そんな、もし、なんてことは絶対にありえない。


 だが……しかし……、自分自身の心象はともかく、手に入った情報だけを並べてみると、ある可能性が示唆されるのも事実だった。

 ユリウスという人物は現実には存在せず、本当は、今こうしているこの俺は、ジョセフィーヌという女性がそう思い込んでいるだけの……、彼女の別の人格なのではないか……、そういう考え方もできるのではないか……。


 一旦、頭に浮かんだその思い付きはなかなか頭を離れなかった。

 エミリーを見送った後、夕食を取り、湯浴みをして寝床に就く。

 その間も何もかもを思い出し、その瞬間、ユリウスとしての俺の存在は消えてしまうのではないかというあらぬ恐怖に怯え続けた。


 だってそうだろう?

 遠く離れたアークレギスで暮らす男の魂が、王都にいる姫君に宿ってその身体を乗っ取ったなどという絵空事を信じるよりも、姫君が大病をわずらった挙句、頭に支障をきたしたという説明の方が、何倍もありえそうな話に思えるのだ。


 心細い。

 次に目を覚ましたとき俺は俺でいられるだろうか。

 ベッドの中で不安に押しつぶされそうになった俺は、遂に耐えかねて枕元に置かれた呼び鈴を振って鳴らした。

 隣の部屋で控えているアンナがすぐに血相を変えてやってきた。


「どうされましたか? 姫様」


 何かあれば遠慮なく使うようにと言われていた呼び鈴。それを使ったのは今日が初めてだった。

 侍女としては当然、何かあったと心配になるのだろう。

 その顔を見て、俺は悪いことをした、という後悔の念でやや冷静さを取り戻す。


「すみません。他愛もないことで呼び出しました」

「よろしいのですよ。何なりとどうぞ」


「今日読んだ本のことで、気になって……。どうしても寝つきが悪くなってしまったので教えてもらえませんか?」

「はい」


「アークレギス、という砦の名前に聞き覚えはないですか? 架空の名前を付けたいのですが、もしも実在の地名と被っていたら嫌でしょう?」


 アークレギスはユリウスとの繋がりを示す地名だ。

 俺の正体を勘付かれないように、というミスティの言いつけに背く可能性があるため、これまでこういった探りを入れることは控えていた。

 架空の物語の話にかこつけて尋ねたのはそのためだ。


「アーク、レギス……ですか……。申し訳ございません。何分にも存じ上げませんが、そんな名の村が絶対にないかと問われると、私にはお答えいたしかねます……」

「そう……」


 落胆は禁じ得ない。

 アークレギスという砦村が実在することが分かれば、俺という存在がジョセフィーヌの作り上げた架空の人格ではない証拠の一つになると思ったのだが。


「私はこの王都の外のこととなると、ほとんど何も知りませんので……。明日でも良ければお調べいたしますが?」


 そうか。王都どころか、この王宮の外に出ることすら稀であろう侍女に、地理のことを聞いても分かりはしないのか。


「いえ。良いのです。ありがとう。考えてみれば、そういうことを調べることも本を書く楽しみの一つですから、やはり自分で調べてみます」

「本の続きをお書きになるのですか?」


「え、ええ。エミリーにせがまれましたから、なんとか考えてみようかと……」

「まあ、それは素晴らしいお考えです。出来上がりましたら是非私にも読ませてください」


 本当は書く気などなかったのだが、嘘をついたせいで、変に期待をさせてしまう人間が二人に増えてしまった。


「姫様が記憶をなくされて、まだ混乱なされていたとき、私のことをミスティとお呼びになられたでしょう? そのときは酷く悲しくて、思わず取り乱してしまったのですが……」


 ああ、あのときはアンナを傷付けてしまった。

 今でも不用意だったと後悔している。


「姫様にとって、ミスティのイメージが私だったのかと思うと、今ではとても幸せな気持ちです。姫様がユリウスで私がミスティ……、なんて、おこがましいですが」


 悲しませるよりは良いが、これまでに見たこともないぐらい嬉しそうにするアンナの様子を見ると、これはこれで罪悪感を覚える。


 エミリーが焼きもちを焼くので、くれぐれも彼女にはこの話はしないように言いつけてからアンナを部屋に戻した。

 ベッドで横になって再び考えを巡らせる。


 アンナを呼んでみて良かった。

 アークレギスのことは分からなかったが、おかげでミスティのことを思い出した。

 アンナの身体に宿ったミスティのことだ。

 ジョセフィーヌ一人ではなく、アンナまで頭がおかしくなったと考えるのは無理がある。

 あの夜、俺のことをユリウスだと呼んだアンナがいることが、俺が、ユリウスという実在の人物である証だ。


 気持ちが前向きになったところでもう一つ思いついたことがあった。

 俺はベッドを抜け出し、書き机に座ると、薄暗い燭台しょくだいの明かりの下、寝室に持ち込んでいたあの本を開いた。

 本の途中にしおりのように挟んであった一枚の紙片を手に取る。

 おそらく物語のタイトルを考えていたのではないかと思われるメモ書きだった。

 様々な単語が書き出されていて、その中の一つ『砦村の危機』という文字に大きな丸がしてあった。


 一旦、それを脇に置き、机の上に常備されているメモ用紙をめくる。

 筆を取り、目をつぶって深呼吸をしてからそこに筆を走らせた。

 砦村の危機───縁起でもないタイトルだが、所詮ジョセフィーヌの創作だ。

 俺たちには関係ない。

 書き上げた文字と、ジョセフィーヌの筆跡を見比べてみた。


 よし。違う。


 やはり馬鹿げた妄想だったと安堵する。

 しかし、これだけ筆跡が違っていては、並べて書くと流石に別人ではないかという疑いを持たれるのは避けられないだろう。

 俺は物語の続きを楽しみにしていたアンナとエミリーの二人に心の中で詫びた。

 この続きはかならずジョセフィーヌ本人に書いてもらおう。


 そのためには、彼女の魂がこの身体に還って来られるように、何としてでも元に戻る方法を探すしかない。

 俺は決意も新たに、生乾きを感じた長い髪に手櫛てぐしを入れつつベッドに戻るのだった。

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