102 襲撃の記憶
深夜の砦村に、木が燃える焦げくさい臭いが充満していた。
敵襲を知らせる鐘の音が村全体に鳴り響いていた。
あちこちから男たちの叫ぶ声が聞こえてくる。
「気を付けろ! 火矢を射掛けてくるぞ!」
近くでまた一つ、真っ赤な火線がボゥと浮かび上がった。
その火は木造の家屋に燃え移り、瞬く間に大きくなる。
この燃え方は火矢ではないと直感する。
これは精霊魔法だ。
燃え広がる家屋。火の明かりを目印にしたのか、その周囲に次々と
あっという間に村全体が炎で包まれ暗闇が赤く照らされる。
その中を多くの人々の影が行き交う。
そこを狙われた。
砦村を取り巻く森の深い暗闇から、村人を狙って火線が撃ち込まれる。
抗うすべを持たない彼らは次々に炎に飲まれ倒れていった。
火を背後にしているこちらから相手の姿は見通せず、相手の方はこちらを狙い放題というわけだ。
「ユリウス!」
ミスティが駆け寄って来た。
顔は
「敵は精霊使いだ」
「分かってる。沢山気配を感じるわ」
「魔法でどうにかして火を消せないか?」
「待って」
ミスティがその場で目を閉じ、精霊に語り掛ける。
僅かな間の後、ザバリと音を立てて空から大量の水が降り注ぎ、近くの家屋の火事を一瞬で鎮火してしまった。
それを見て
家屋を燃やす火勢も凄まじいが、それに対抗する水の精霊魔法の力も尋常ではない。
これは、俺の知る精霊魔法使い同士の戦いではなかった。
「狙え!」
闇の向こうから大きな号令が聞こえた。
するとまた、あちこちから火線が飛び、こちら側の人間が悲鳴を上げながらバタバタと倒れていった。
その度、誰がやられたのかと考えることの無意味さに打ちのめされる。
それが誰であろうと、砦村の仲間であることは間違いない。
長年苦楽を共にし、全員が顔も名前も知った家族も同然の者たちだった。
怒りと絶望が身体の隅々まで行き渡り、行き場をなくしたそれが喉の奥から込み上げ吐きそうになる。
「明かりを消したのに。何で向こうは正確に狙えるんだ?」
「魔力の痕跡よ。精霊使い同士なら相手の位置が大体分かるから」
俺とミスティは、背丈ほどの高さのある石壁に身を隠していたため、敵からの最初の斉射を免れていた。
「だったら、こっちからも狙えないか?」
「できるけど……、数が多過ぎる。一人倒してる間に十発は撃ち返されるわ」
向こうはそれほど大量の精霊使いを揃えているというのか。
砦村周辺の、この魔力の飽和した現状を見据えて周到に準備してきたと……?
「遮蔽物に身を隠せ! できれば石壁の裏だ。精霊魔法を使える者を優先的に守るんだ!」
俺は大声で叫んで周囲の者に呼び掛けた。
できれば自分は火線を撃ってきた連中に向かって切り込みたかったが、首尾よく接近できたとしてもその周囲にどれほどの敵が控えているかも分からない。
そもそも一人や二人で突撃しても、近付く前に火だるまになってしまうだろう。
どうする……!?
俺は歯噛みしながら、自分たちの無策を呪った。
尋常ならざる魔力の高まりのことは分かっていたはずなのに、それを攻撃に転用した場合、どれほどの威力になるのかを……、従来の防衛戦術が役に立たなくなることをまるで想像できていなかった。
ゴゥと鳴る突風に思わず顔を背ける。
近くでバリバリと家屋が吹き飛ぶ音がした。
相手が攻め手を変えたのだ。
今度は風か。
遮蔽物を吹き飛ばすために風の魔法をぶつけてきている。
敵は予め戦略を練り、こちらの地形を把握した上で攻めてきているようだ。
「下がるぞ! ラルバルド側に退け! 体勢を立て直す!」
父上の声だ。
その力強い声に、挫けかけていた気持ちが奮い立つ。
そうだ。冷静に、頭を使って立ち回れ。
奇襲により後手に回ったのは事実だが、まだ負けが決まったわけではない。
「下がれ! ラルバルド側に退け! 体勢を立て直す!」
父上の命令が隅々まで伝わるように、同じ言葉を大声で復唱した。
それに応えるように村のあちこちで同様の声が上がる。
「山の方だ! 全員で砦の外に一旦退くぞ!」
「女子供を先に逃がせ! 家財は捨て置け! 武器だけを取って走れ!」
「盾だ! できるだけ盾を持って走れ! 木盾でもないよりは遥かにマシだぞ!」
流石に砦村の男たちの反応は早い。
こんな日のために、長い年月、訓練に明け暮れてきたのだ。
今が大事。我らの大義を為すときだった。
しかし……。
「ねぇ、何でランバルドの方なの? そっちは安全なの!?」
ミスティが不安がるのも無理はない。
これまでずっと、そちらの方角から険しい峠を越えて侵攻してくるはずのランバルド兵に備えてきたのだ。
まさか自分たちが築いた防塁を、逆向きに越えて逃走することになろうとは考えてもみなかった。
「向かうのはランバルド側だ! 敵は内側にいる! 一旦砦の外に退避しろ!」
きっとミスティと同じように動揺している者も多いだろう。
俺はもう一度、逃げるべき方角を強調して叫んだ。
「ミスティも行け! ランバルドの連中に回り込まれたとは考えにくい。国の内乱かもしれん」
当然俺たちは峠の向こう側の警戒を怠っていない。
幾重にも監視の目を設け、敵国の側に配置した内偵からも、侵攻の兆候がないことを随時確認している。
だとすれば、今襲って来ている敵は、魔法による攻撃が放たれる方向が指し示すとおり、ミザリストの内側からやって来た者たちである可能性が高い。
「ユリウスは?」
「ここに残る。追って来た連中をここで待ち伏せて討つ」
砦の
兵士以外の家族が無事避難を終えるには時間を稼ぐ必要があるだろう。
幸いここには身を隠せる石でできた厚い塀がある。
待ち伏せるには持ってこいだった。
「私も残る」
「駄目だ。ミスティたちの精霊魔法は多分反撃の要だ。ここで失うわけにはいかない」
暗がりの中、悲しげな息が漏れる音が聞こえた。
「やっぱり、自分は死ぬつもりなんじゃない……」
今にも泣き出しそうな声でミスティが声を絞り出す。
懸命に堪えているのが伝わってくる。
そのことで俺は余計に罪悪感を覚える。
「死なない。適当なところで逃げるから」
「駄目よ。魔法で狙われたら一溜まりもないわ。傍で私がサポートする」
確かに、剣の届く距離ならいざ知らず、遠くからあの強力な火の魔法で狙われては為すすべがない。
先ほど敵から火線を浴びて火だるまになった仲間たちの姿が頭をよぎった。
「なんとかできるのか?」
「あの魔法相手なら多分ね。周囲の魔力を吸い取って───」
ミスティが話している途中だったが、俺は近付いて来る足音を察知して、石壁の後ろから躍り出た。
真横に一振り。
それだけで事が済んだ。
目の前を横切ろうとする敵の頭を、長剣の先が見事に捉えた。
グシャリと頭蓋が潰れたような感触が剣の柄を通じて両手に伝わってくる。
それが俺が初めて人を
狩りで得た鹿や山羊の頭蓋を使わせてもらい、感触を試したこともあったが、実際はそんなものじゃなかった。
人一人の命を奪ってしまったという重い衝撃が、手に残る感触以上に、俺の心を責め
しかし、今はそのことに怯んでいられるときではない。
次の瞬間には自分が同じ目に遭っているかもしれないのだ。
続けて石壁の後ろから、仲間の死体を飛び越えるように現れた新手に向かって、俺はためらうことなく袈裟斬りを浴びせる。
相手はろくに身を守る構えも見せないまま、その場に崩れ落ちた。
ここまでは不意討ちで上手くいったか?
それにしても手応えがなさ過ぎる。
まるで斬られに出てきたような無防備さだった。
「後ろ!」
ミスティの声を聞き、横に飛び
剣が届く距離だというのに、広げた掌をこちらに向けて魔法の呪文を詠唱しようとしているように見えた。
遅い!
一閃してその腕を斬り飛ばす。
返す刀で首筋を断った。
精霊使いを前線に上げて来ているのか?
今斬り倒した三人ともに、鎧の類は身に着けていないようだった。
こちらを逃げる一方だと侮り、追撃するために、誰彼構わず向かわせた?
だとしたら指揮官は無能という他ないが、すぐにもう一つの可能性が頭に思い浮かんでいた。
こいつらは正規の軍ではないのかもしれない……。
用意周到で村を攻めて来た敵にしては、動きが兵士のそれではなかった。
思いを巡らせながらも周囲の気配に耳をそばだてる。
見ると、最初に俺が倒した敵の死体の前で立ち止まり、こちらの様子を窺っている男の姿が見えた。
これまでの男たちと同様に、一見して戦のための兵装でないのが分かる。
普通の身軽な旅装束だ。
「近くにいるぞ! 剣を抜いて備えろ!」
森の方から敵の号令が聞こえた。
それを聞いて俺の前に立つ男も、やおら腰の剣を抜いた。
俺は相手が構える前に、走り込んで距離を詰めると、がら空きの胴を突いて一呼吸で仕留める。
ぶつかるほどの勢いで跳び込んだので、倒れる相手の上に覆いかぶさるようにして膝を突いてしまった。
息絶えた相手の身体に足を掛け、剣を引き抜いて顔を上げたとき、目の前に赤い炎が浮かんで見えた。
マズい!
すぐにその場から跳び退るが、岩壁の後ろに身を隠す間もなく火線が飛んできた。
それも一本ではなく、何本も。
複数の方向から交錯するように放たれたその火線は……、しかし、俺の目の前で急に勢いを失い、立ち消えてしまった。
理屈は分からないが、それがミスティの言った“援護”であることはすぐに分かった。
ミスティがいなければ今頃俺は丸焦げだっただろう。
俺は相手に対応する隙を与えないよう、敵の集団に向かって切り込む。
たちまち間合いに入った四、五人ほどをそれぞれ一刀の下に斬り伏せた。
いける!
相手は剣術においては素人も同然だ。
魔法さえ無力化できれば何人いても問題にならない。
「ユリウス下がって! あんまり離れないで!」
その声を聞いて、俺はまだ周囲に散って残っている敵を目で牽制しながらジリジリと後退った。
両脇を石の塀で囲われた小道の中央に陣取り剣を構える。
「遠過ぎるとそこまで魔力を吸えないの」
「魔力を、吸う?」
背後から聞こえるミスティの声を聞きながら前方への警戒を怠らないようにする。
目の前には、今俺が斬り倒した数など問題にならないほどの敵勢が集まり、こちらとの距離を詰めつつあった。
「周りの魔力を消費して魔法の威力を消してるのよ。こんな大掛かりなのは初めてやったけど上手くいって良かった」
俺たちがそうやって話している間にも、集団の後ろから、放て、と号令が掛かり、一斉に火線が襲ってきた。
思わず後ろを振り向き、ミスティをかばうようにして抱き付いたが、襲い来る全ての火が、熱さを感じるよりも先に立ち消えてしまう。
「……凄いな。いつまで持つ?」
俺が感心して腕の中のミスティを覗き込むと、ミスティは額に脂汗を浮かべ苦しそうな表情を見せていた。
「もう、厳しいかも。一回、何かで魔力使わないと……」
魔力を、使う……?
周囲から吸って、一時的に溜め込んだ魔力を発散するようなイメージだろうか。
剣の修行ばかりにかまけずに、もっとミスティから精霊魔法について学んでおけば良かった。
いくら後悔しても足りないが今さら時は戻せない。
今はミスティが持つ精霊魔法の知識と機転だけが頼りだ。
俺の中では、ここで敵の足止めをすることよりも、ミスティを無事に後方に逃がすことが大事であると、この戦場における優先順位が入れ替わっていた。
「どうすればいい?」
ミスティを背にして守りながら再び剣を構える。
「ちょっと待って」
背後でミスティが精霊に語り掛ける声が聞こえてきた。
ありがたいことに、これだけの数の差がありながら敵は棒立ちだった。
やはり、精霊魔法以外ろくに戦う手段を持たぬ者たちなのだ。
戦い方さえ工夫すれば、いくらでも撃退できる。
それが慢心だったのかもしれない。
突然、俺の右の太腿を
それがみるみる焼けるような痛みへと変わっていく。
見るとそこには太い矢が深々と刺さっていた。
暗がりのせいで、どこから飛んできたのか全く見えなかった。
射手はどこだと視線を
その次の瞬間、唐突に、猛烈な風が周囲に吹き荒れる。
「……!」
最初はそれが風であることも分からなかった。
凄まじい力と音の嵐を前に無力に立ちすくむ。
暴風に足元からさらわれそうになるところを後ろからミスティに抱き寄せられ、俺はようやくそれがミスティによって為された精霊魔法の力であることを理解した。
風はミスティを中心に渦を巻いて発生しているようだった。
前方に詰め寄っていた敵勢はおろか、俺たちの両脇に積まれていた高く堅固な石壁も、その暴風の威力によって吹き飛ばされる。
風がやむまでの僅か数秒の間に、周囲の地形は大きく様変わりしていた。
近くにあった塀や家屋は跡形もなく、敵の進路を塞いだり、身を隠したりできる物は何もなくなっていた。
近くにいた敵は、どこかに飛ばされたり、身を伏せて暴風を凌いだりしたようだ。
地面で
大小の岩や石粒が彼らの身に降り注いだことは想像に難くない。
だが、いずれ彼らはダメージから回復して立ち上がるだろうし、ここにいる彼らが襲撃者の全てではないはずだ。
一旦危機は去ったが、開けた場所に立ち尽している今の俺たちはかなり危険な状況にあると言えた。
「走れるか?」
そう言いながらミスティの背中を押す。
「うん」
その声を聞く限り、とても本調子ではなさそうだが、無理をしてでも早くここから離れなければ。
ランバルド側に抜ける砦の門扉はこの勾配の上にあった。
「駄目……、全然、消費できなかった……」
息を切らせながらミスティがこぼす。
「……あの威力で?」
てっきり強過ぎる魔法を使ったせいで疲弊しているのかと思ったが、どうやら体内に魔力をため込むという行為自体がかなり負担を伴うものらしい。
俺を敵の魔法から護るために周囲から吸い上げた魔力が、ミスティの体内で飽和して、それで苦しんでいるようだ。
「だったら、どんどん敵に向かってぶちかましてやれよ」
「威力の問題じゃないの。術式が単純過ぎて……。あんなの、何発撃っても無駄、みたい……」
ミスティの足は完全に止まっていた。
相当苦しそうだ。
普段容易に弱音を吐かない彼女が、この緊急時にこんな表情を見せるなら、間違いなく限界なのだ。
俺が背負って走った方が早いか?
足元がしっかり見える昼間であればそれでも良かったが、暗闇でそれをするのはためらわれる。
何かにつまづいて転んでしまうかもしれないし、不意に敵に遭遇しても対処ができない。
「ユリウス様!」
前方からドルガスの野太い声がした。
ドカドカと足音を立てて坂を駆け下りながら近寄って来る。
「良かった。ご無事で。こちらは駄目です。門の前はもう敵勢が詰め始めております」
「ミスティが走れない。背負えるか?」
ドルガスが俺の太腿に突き立ったままの矢に視線を落とす。
「……分かりました。北へ逃れましょう。あそこの岩壁をつたって迂回すれば、ヴィクトル様たちと合流できます」
ドルガスがミスティを背負おうとしてしゃがむ。
そのとき、視界の端に赤い点が見えた。
この暗がりで、場所を特定して撃ってくるということは、それは肉眼で狙ってきたわけではない。
ミスティが放つ魔力の痕跡を頼りに撃ってきたものに違いなかった。
ただしそれは俺が後付けで考えた理屈だ。
そのときは考える余裕もなく、ただ身体が自然と動き、その光点とミスティを結ぶ線上に自らの身体を置いていた。
うなじをジリリと焼く熱を感じた。
が、実際にはうなじを焦がすどころではなかった。
それよりもかなり遅れて、背中全体に強烈な痛みがやってくる。
いっとき、息をするのも忘れるほどの想像を絶する痛み。
多少の痛みぐらいで騒いではならん、という父上の教えを、果たしてあの時の自分は守ることができていただろうか。
その記憶の続きを思い起こそうと、必死にもがきながら、俺は意識を取り戻した。
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