27 アリバイ作り 2


 翌朝俺はアンナに伴われてサナトスが寝起きする建屋へと向かった。


 サナトスが酒浸りの生活を送っていることは、部屋に入る前から容易に察することができた。

 部屋の前の廊下に空になった酒瓶が延々と並んでいるのだ。

 部屋から溢れだすぐらいだ。中はどんなことになっているのか想像するだに恐ろしい。

 セドリックとパトリックの二人が一目置いているふうだったので、多少期待する向きもあったのだが、この様子ではソードマスターの呼び名も既にび付いた過去のものだろう。 


 アンナがドアをノックし、しばらく待つが中からは反応がなかった。


「まだお休みなのでしょうか」


 朝と言えば朝だが、それほど早い時間とも言えない。

 なおもアンナがドアを叩いていると、通り掛った兵士が声を掛けてきた。


「この時間ならここの裏手にいるよ」


 礼を言って去ろうとするアンナを呼び止め、その兵士から忠告が付け加えられる。


「あの爺さんの日課の時間なんだ。邪魔すると機嫌が悪くなるから気をつけな」


 俺たち二人は一旦外に出て建物の周りをぐるりと回り込んだ。

 先行するアンナが曲がり角に差し掛かったとき、その陰から人影が───朝陽を受けて地面に長く伸びた人影が───目に留まった。


 俺がアンナの服をつかんでこちらに引き戻すのと、アンナの目の前に銀色の刃先がかすめるのはほぼ同時だった。

 俺はアンナと身体を入れ替えるようにして前に出ると、アンナを後ろに突き飛ばしつつ、突き出された槍のつかみ掛かる。

 両方の手で槍をしっかり掴み、腰を入れ、そこをテコの軸として槍の穂先側から思い切り力を加えて回転させた───


 いや、そうやって回転させ、槍を奪い取るつもりだったのだが、俺のイメージに反して槍の方はピクリとも動かなかった。

 地中深く根の張ったミタマ草を相手に、それを引き抜こうとしたときのような不動の手応え。


「参った参った。降参だ」


 背中の方から槍の持ち主の声がした。

 尻もちをついたアンナが俺の方を見てうなずくので警戒を解いて振り返る。


 槍を介して向かい合った先には、がっしりとした体格の半裸の老人が立っていた。

 身長はもしかしたらジョセフィーヌよりも低いくらいだ。

 だが、腕や肩、胸板についた隆々とした筋肉が、肉体的には到底叶わぬ相手だと俺に悟らせる。

 禿げ上がった頭や、顔に刻まれた深いしわから感じられる年齢に比して、肉体の壮健さが際立っていた。


 この人がサナトスか。


「降参はおかしいでしょう。あのまま組み合っていればこちらが負けていた」


 あるいは、相手が槍の他に短剣などを持っていれば、無防備の背中にそれが突き立てられていたかもしれない。

 その想像に、自分の迂闊に、ヒヤリとする。


「はあ? 組み合うぅ? よしとくれ。いい年寄をつかまえて。お嬢ちゃんの髪のいい匂いを嗅いだだけでワシはもう戦意喪失じゃよ」

「……!?」


 俺は思わず槍から手を離し、自分の乱れた髪を手ででつけた。

 槍を奪おうとして背中を見せたときに匂いを嗅がれてしまったのか。


「サナトス様。この方は……」


 立ち上がって近付いて来ようとするアンナをサナトスが手で制す。


「分かっとる分かっとる。ブレーズの娘じゃろ? デカくなったなあ」


 サナトスは槍を地面に立てて、空いた方の手で自分とジョセフィーヌの身長を測って比べる仕草をした。


「何故こんな真似を? アンナが怪我をするところでした」

「寸止めのつもりだったんじゃ。若い者に気合を入れてやろうと思ってな。まさか間髪置かずに反撃が来るとも、その相手が若い女子おなごだとも思わんかったがな」


 一歩間違えば大事故になっていたはずなのに、そんなことは気にも留めない様子で暢気のんきにヌハハと笑う。


「それで? 何の用じゃ、こんな場所に」

「はい。実は剣術をご教示願えればと」


「なんじゃ、またか? あの一件でりたと思っとったが」


 また? ……ということは以前にもジョセフィーヌはサナトスに剣を習いに来たことがあるのか?


「え、ええ……」

「サナトス様。ご内密に願いたいのですが、実は姫様はご病気のせいで、過去のご記憶の一部をなくされておいでなのです」


 実際には父母の記憶から何から一切の記憶がないのだが、そこまでの事情を知る人間は王宮の中にもごく一部しかいない。


「そうか。なんと便利なもんじゃのう。ワシだって忘れたい失敗の一つや二つはあるんじゃが」


 アンナの話を聞いてもサナトスは、それを全く深刻に捉えなかった。

 そんなこともあるのか、という感じで実にあっけらかんとしている。


 俺は前日に考えておいた剣を習いたいという理由をサナトスに話して聞かせた。

 あくまで用心としてだが、王位継承の争いで、今後自分の身に実害が及ぶ可能性を考慮し護身の術を身に着けておきたい、というのがそれだった。


「今の身のこなしを見るに、護身というなら今更ワシが教えるべきことはなさそうじゃがのう」


 サナトスはそう言いながらも、女だということを差し引いても筋力がなさ過ぎると指摘し、まずは人並の体力をつけることが先決だろうと話してくれた。


 正直なところ、サナトスから有益な技術を学べると期待していたわけではなかった。

 ローランとの立ち合いで自分が披露してしまった男顔負けの剣技について不審を持たれた場合に、実はサナトスから指導を受けていました、ということにすればそれなりの説得力を持つだろうという打算があってのことだった。


 しかし、実際にサナトスに会って話してみると、飲んだくれの噂とは裏腹に、確かな腕と長年の経験を窺い知ることができた。

 背格好や筋肉の付き方を見れば父上の盟友ドルガスのことが思い出される。強靭きょうじんさと老獪ろうかいな戦い振りを予想させる戦士のたたずまいだった。

 今がユリウスの身体であったのなら是非手合わせを願いたいくらいだ。


 その日サナトスから聞いた話で特に役に立ったのは、女性の腕力に見合った護身武器を身近に置くように、という忠告だ。

 確かに男と同じように剣を振れるまでに身体を鍛え上げるよりも、その方が手っ取り早く現実的だろうと思えた。


 王位継承争いの件は俺がでっちあげた方便だとしても、ミスティが言っていた俺を狙う敵という存在のことは、一応は想定しておかなければならない。

 いつ、どこから現れ、それがどんな相手であるのか、何も分かっていないが、だからこそ、できる限りの手は打っておくに限る。


 勝いの趨勢すうせいは互いの剣が届く距離になる前に八割方決まっている。だからこそ、一時も油断することなく敵襲に備える必要があるのだ。

 そうおっしゃっていた父上の言葉が思い出された。

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