06 状況を把握せよ 2


 医者の診断したところによると、空腹による立ちくらみだろうということだった。

 倒れたことで母親や侍女は大慌てだったが、一時に比べ体力は確実に回復しつつあり、安静にしていれば心配ないこと、それから、これからは多少無理をしてでも食事をらせるように、と言い残して医者は帰っていった。


 いや、帰ったとは言っても、今も屋敷内のどこかに常駐しているのかも知れない。

 何しろ、俺はいまだもって、この部屋の中以外のことを何も知らないのだ。


 ただ、ここが相当大きな屋敷の一室であることは想像できる。

 あの侍女は俺のことを姫様と呼んでいた。

 家主の娘をそんな大仰な呼称で呼ぶのだとしたら、考えられる可能性はおそらく一つしかない。

 ここはミザリスト王国の首都で、その王が住まう王宮。

 そして、今俺がその身体をお借りしているのは、王の娘であるところの、文字通りということになる。


 そう思うと身の回りの物一つ一つがどれもおごそかな一品に見えてくる。

 今、スープを口に運んでいるスプーン一つを取ってもそうだ。

 このつややかで滑らかな舌触りのこれは……白磁はくじではないか?


 故郷のアークレギスの者にしては珍しく、王都にまで行った経験のあるパトリックは、その街並みを別世界だぞと俺に向かって得意げに語ってみせたが、今俺がいるこの場所は、下々の者が生活する街並みどころの話ではない。

 俺の予想が確かなら、俺がいるここは、おそらく王国一の……、いや、世界で一番のぜいを凝らした王宮の中の一室なのだ。


 あいつめ、王宮には全身を映すほどの巨大な鏡があるのだと知ったら、さぞや驚くことだろう。

 俺の育った砦の村アークレギスでは、鏡と呼べるほど質の良い代物と言えば、領主の妻である母上が持っていた手鏡ぐらいのものだった。


「喉を通りませんか? よろしければもう少し味付けを薄くして作り直しさせますが?」


 故郷のことに思いを馳せていると、側に控えた侍女が心配してそう声を掛けてきた。


「いやっ。い、いいえっ。大丈夫です」


 俺一人のために、わざわざ調理をやり直すなど、そんな贅沢が許されるはずがない。

 いや、許されるからこその、そういった侍女のお伺いなのだろうが、俺がそんなことをさせたくない。

 こういった感覚の差も、この娘の置かれた環境が如何に高貴で、恵まれたものであるかを窺わせる。


 とにかく、今は一にも二にも体力を付けることが先決だ。

 俺は急いで器のスープを喉の奥へと流し込んだ。


 その次に優先すべきは情報収集だ。

 食べ終えた食器を侍女が下げようとするときに、俺はおそるおそる尋ねてみた。


「ミスティ……、ではない、のですか?」


 侍女は一瞬きょとんとした顔つきになって、次に優しく微笑んで言った。


「わたくしはアンナでございます。ジョセフィーヌ様」


 予想はできていたが、その予想どおりの答えに俺は肩を落とす。

 ミスティとは似ても似つかぬ口調。

 それに今この部屋には自分と、この侍女の二人しかいないのだから、正体を隠すために演技している、というわけでもなさそうだ。

 迎えに来る、と言った彼女の言葉を信じるのなら、もう一度、この侍女の中にミスティの魂が宿るそのときを待つしかない。


 いや……、他にも方法はある、か。


 心の中で自問自答を繰り返す。

 ここがミザリストの王都であることが確かなら、出歩けるだけの体力が戻り次第、アークレギスまで行って本物のミスティに会って確かめるという方法がある。

 男の足でも軽くひと月はかかる距離だが、いつ戻るか知れない彼女を待つよりは確実だろう。


 明確な目的ができた途端やる気が湧いてきた。

 勢い込んで布団に潜る。

 まだ身体が睡眠を欲しているということは、それが体力回復に必要ということだ。

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