NO151/サッカーワールドカップカタール大会への応援コメント
クロアチア対ブラジル戦
クロアチアのキーパーおそるべし‼️
フラジルとのPK戦も制し、本当にゴールポストが小さく見えました。
編集済
NO143/行商稼業も終わりへの応援コメント
1980年・1981年は東京での芸能生活が最も充実していたが
1981年の4月に父親が亡くなって、全てを捨てて姫路に帰る決心をした。
それよりは、毎年夏に天理で行われる「こどもおぢばがえり」というイベント内の行事の「バラエテイショー」の企画・演出・主演を東京でのノウハウを生かして20年間つとめた。
芸能界の一線を離れて、東京では決して味わえない経験をしたと思っている。
東京での舞台やテレビは、全体の歯車の一つを演じるのが全てであったが、
引退後は自分がトップとなって、舞台という製品を完成させて来た。今となってはやりがいがあったし、貴重な経験になった。
いつでも会えると思っていたが、これよりはケンちゃんとは会っていない。
NO142/日の出、檜原に行ってきたへの応援コメント
>今度の10日にクラスメート有志が集まってケンジの一周忌をやる予定・・・
って、ケンちゃん。
みんなに愛されていたんだね。
凄いと思うよ。
NO141/ケンジ、道理を語るへの応援コメント
何となく覚えているな。
この頃、ケンちゃんは行方不明と言われていたんだ。
貸していたお金も返して貰ったような記憶が・・・。
ユーチューブ、見ましたよ。
皆さん、さすが役者ですね。
面白い。
NO140/ケンジ行商編への応援コメント
この頃、風の便りで、行商をしていると聞いていました。
きっとステージの経験が生きていると思いますよ。
NO138/普通って?への応援コメント
そのお店、一度覗いた事があったような記憶がある。
場所は、赤坂がったかな・・・・?
NO136/今だからわかることへの応援コメント
>昭和52年3月31日(木)
一年前のこの日記のページを見ると、ジロー君のそばに行くと私が堅苦しさを覚える、というようなことが書いてあるが、今改めて冷静に見ると、一年前は私自身まだジロー君を相当意識していたのだなァーと思う。
今ジロー君と会っても堅苦しさなど全くないし、マァー時が流れてそのへんのわだかまりが消え去ったのだといえばそれまでだが。
そうか。それは良かったなぁ・・・と思うよ。
歌にしろセリフにしろ、大きな声でハッキリ発声すれば良いと、ずっと思って来たけれど、50歳を過ぎた頃に、友人のシンガーサスケから「ウィスパーボイス」という発声法を教えてもらた。それからは歌にもトークにも一層感情がはいるようになって来たんだよな。知らない事っていっぱいあるもんだ。
NO135/オカリナ響く葬儀への応援コメント
ケンジ。本当に早く逝ったね。
浅草で再会したかったよ。
NO134/日記滞るへの応援コメント
あら、ケンちゃんがお金を借りに来たんだね。なんか嬉しいしホッとしたね。
NO132/コロナ診察への応援コメント
>何でも昼間三人で(ジロー君、アトム君、ナオちゃん)演芸場のラッキーセブン大会を見に行ったのだとか。ナオちゃんがNHKのお笑いオンステージでポール牧さんと顔見知りになり、遊びに来いと言われて三人に行って来たらしい。
そんな事があったんだ。
全く覚えていないな・・・。
編集済
NO131/ケンジコント葛藤俺コロナ格闘への応援コメント
ケンちゃんの日記は、忘れていた事を思い出させてくれる。
有難い。
ジローとアトムは同じアパートで、ジローが三畳。がたいの大きいアトムが六畳に住んでいたんだよな。
それにしても、陽性でしたか。しっかり養生して下さいね。
私も9月に浅草で歌うので、気を付けて毎日過ごしますね。
ショートストーリーの台本、ジローの事も書いて・・・。
編集済
NO130/パラパラ踊ったandコロナ?への応援コメント
ケンジの迷走!・・・ちょっとばかし責任を感じるな。
NO128/ケンジホストクラブ、俺夢の続き4への応援コメント
>1976年昭和51年8月1日晴れ
ジロー君、アトム君と天理の「子供おじば帰り」に来ている。
*アトムとケンちゃんとで、7月26日から10日間「花の応援団」のコントをやったんだよ。
ケンちゃんは、何故か「西城秀樹」で登場。
>1976年昭和51年8月20日(金)晴れ
昨夜は11時に「ナイト浅草」という兼ねてから新聞広告で目をつけておいたホストクラブにTELし、その足で急遽面接に行き、挙げ句は今朝 6時頃までカウンターとして、ホストクラブの実体をいろいろ観察してきた。
*あら、知らなかったよ。チャレンジャーやね。ビックリ!
>2022年令和4年8月1日(月)
『俺っちの夢の続き日記』その4
展開が急。
新しい仕事が8月3日からになったので、とりあえず再会を果たそうと、プロダクションの女性代表、アイハラさんと連絡を取り、1日の昼に事務所のある渋谷区の初台で会うことになった。
新国立劇場前で待ち合わせ。
*めっちゃ楽しみやね。期待していますよ・・・。
編集済
NO127/夢の続き日記3への応援コメント
>今日リハーサル終了後、モウリ、ヤナギ両氏との三人のコントを「やじうま寄席」のスタッフに見てもらったのだ。私の最初のギター弾き語りの部分。足はガクガク指は震え、ギターを弾いているというより雑音を立てているといった感じ。まいったよ。汗はダラダラかくし。これでもう当分私は地の下の生活かも。ヤダネェー。
それにひきかえ私らの後に見てもらったジロー君とアトム君の誉められよう。うらやましい限りだよ。
*いやあ・・・そうだったんだね。
覚えていないなあ。確かこの日か別の日か分からないけれど、売れる前のツービートと一緒に「やじうま寄席」のスタッフに見て貰った事があったんだよな。
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NO126/夢の続き日記2への応援コメント
>NO126/1976年昭和51年4月26日曇り
今日はジロー君らの「しろうとコメディアン道場」出演の応援に行った。
ケンちゃん、有難う。応援に来てくれていたんだね。
確かに、素人にしたら上手いけれど、プロにしたら物足りない感じだったと思う。
この「ぎんざNOW!」という番組からは、そうそうたるスターが生まれているよ。
まさきさん、70歳からの再デビュー頑張ってね・・・。
編集済
NO125/「俺っちの夢の続き日記」への応援コメント
>1976年昭和51年 4月19日(月)曇り
今日は久しぶりのリハーサル日で、私も皆も出来はマァーマァーで、まずまず順調な具合であった。ジロー君たちもなかなか活動が活発化して来て、昨日は天理まで行って漫才をやって来たのだという。
あら、日付けが繋がっているね。中島みゆきさんの前座だったんだよ。
ブログに書いています。
https://ameblo.jp/dybyq209/entry-12702735691.html
NO124/ケンジ、俺も始動への応援コメント
>1976年昭和51年3月16日(火)
今日はリハーサル日、ジロー君の相棒小林君も参加した。
そうだったのか。当時の事は覚えていても日付けまでは覚えていなかったよ。
ケンちゃんの日記は有難いね。
>まずジロー君のアパートへ行き、名刺ができたかどうか聞き、
ジローが小型のガリ板刷りの機械を持っていたので、それで名刺を印刷したのかも知れない。
NO122/小林アトムさん 俺再びへの応援コメント
あら、初めてケンジにほめられたよ。
ケンジもマツモトさんの紹介で、スカーフを売っていたんだね。
それにしても3枚とは・・・
確か1枚200円。3枚で500円だったと思う。
手取りは売り上げの2割だから、100円だね。
ジローは、最高で7~8万円位売った記憶がある。
元締めは極東組の関係だったようだ。
NO121/良い年になりそうへの応援コメント
「マツモトさんの無断欠勤・・・」
あら、出て来たね、マツモトさん。
ジローも何かにつけ、お世話になった、ちょっと無責任なマツモトさん。
今、どうしているのだろう。
NO120/パチンコの沼への応援コメント
ケンちゃん、パチンコにハマっていたんだね。小銭を持った時には、そんな時期もあるよね。
日記にジローが、たまに登場するね。
この頃、ジローは「小林アトム」とのステージを終え東京へ帰り、松本という先輩の世話で露店のバイトをしていたよ。その先輩の紹介で花小金井の夏祭りの手伝いもしたな。後の二代目・引田天功になる朝風まりというマジシャンが出演していたのを思い出す。
くじ引きもあって、商品の中に「ピンクレディ」と「小林旭」のサイン色紙があったのだが、先輩がせっせと書いた物だった。
NO118/ケンジのギター修行への応援コメント
へー!
ギター教室まで通ってレッスンしていたとは・・・驚きです。
そう言えば、私も渋谷道玄坂にあるヤマハで「ジョージ大塚のドラム教室に通った事を思い出しました。
編集済
NO118/ケンジのギター修行への応援コメント
27万円のギターにビックリというか、ちょっと呆れて(笑)その頃の物価を調べてみました。
大変な買い物でしたね。
1975年
大卒初任給(公務員)80.500円
高卒初任給(公務員)66.000円
牛乳:46円
かけそば:200円
ラーメン:220円 喫茶店(コーヒー):230円
銭湯:100円 週刊誌:150円 新聞購読料:1.700円 映画館:1.000円
編集済
NO117/ギブソンのギターへの応援コメント
そうそう、7月・8月と、こちらでステージがあり、後輩の「小林アトム」を相方に仕立て上げ、もう一人と三人でコントをやった。
「ケンちゃんに台本を書いて。」と依頼していた事は覚えていなかったなぁ。
それにしても、30万円のギターって凄いね。
ちなみに、今の私のギターは中古で8千円です。
NO116/ふたりのバイト アングラ劇団への応援コメント
オバラ、サトウ両君・・・懐かしい名前や。
ワセダの学生やったな。
NO115/人生を諦めないへの応援コメント
veryvery39さん。ありがとう。
めっちゃ嬉しいわ。
NO115/人生を諦めないへの応援コメント
ケンちゃん、ジローさん、博人くん
みんな頑張れ~👊😄🎵
編集済
NO114/紅白歌合戦出場するぞ!への応援コメント
ケンちゃんは、サングラス販売をやっていたんだね。
あの時代は今と違って、やる気になれば、どんなバイトでもあったよね。
4月、5月、6月と天理で修養して8月に東京に戻った時には、松本さんという先輩の紹介で、露店でスカーフを売っていたよ。それも池袋の駅前の歩道だった。
道路不正使用だったので、ドキドキしながらのバイトなんて、ちょっとヤバかったよね。一度警察にキップを切られました。
NO113/あのねのねへの応援コメント
ケンちゃん、新しい相方と良い相談が出来て良かったね。
ちょっと、肩の荷がおりたよ。
お互い、新しい道に邁進しよう。
編集済
NO112/安倍元首相撃たれるへの応援コメント
1975年昭和50年4月1日か・・・。
天理教の修養科という三カ月の修養機関の入学式の日だった。
ケンちゃんとは、別々の道に踏み出した感じですね。
ジローにとっては、精神のリセットだったのかな・・・と思う。
NO111/ケンちゃんごめんねbyジローへの応援コメント
昭和50年3月25日は、たぶんアパートはそのままにして故郷へ帰っていたと思う。
オバラ君は早稲田の学生で、その後、日本経済新聞に就職して、もう定年退職しているようだ。
8月22日の「ケンジを偲ぶ会」の出席は無理かも知れないけど、まだ何時かは分からないけれど、ひょっとしたら浅草の「木馬亭」の出演が決まるかもしれません。
その時には、是非会いましょう。
NO110/揺れるオレたちへの応援コメント
ケンちゃん、ジローの我がままで、不安にさせてゴメンね。
おそらく、あのまま頑張っていれば、二流か三流の芸人にはなれたと思うが、やるからには一流になりたかったんだよね。
その為に、自分の精神の弱さを鍛えたかったんだよ・・・きっと。
でも、ケンジの日記は面白いね。その後、どうなったのか楽しみだ。
NO109/コンビ解消、でも47年後に気持ち届いた!への応援コメント
自分の事なのに、他人の物語を読むような感覚だ。
いったい、この二人に何があったのだろうか。
何か限界を感じていたのだろうか。
全く思い出せない。
この四月にジローは、しばらく精神修養の旅に出て、自分自身を見つめ直す。
そして次の年の三月頃に新たなコンビ(小林アトム)と共に上京する。
そして、その年の七月・八月には、アトムとケンちゃんと三人で天理の舞台に立つのです。
編集済
NO108/日記にケンジ溢れ出るへの応援コメント
ケンジの言っている事が、今なら良く分かるし、理解できるなぁ・・・。
全くその通りだと思うが、当時のジローは頭デッカチで生意気だったと思う。
それが原因で、その後アチコチで失敗した事を思い出す。
この日の日記は、めっちゃ鋭い。
自分自身が気づいていなかった事を教えてくれているように思う。
でも、ドラムを叩いたりオルガンを弾いたりって、結構、自由に生きていたんだなぁ。
NO107/コンビ継続〈俺っちの就活日記〉への応援コメント
ケンちゃん、いろいろと苦労をかけたね。
この頃のジローが、もっと懐の大きい奴だったら良かったけど、余りにも小さすぎたよね。
相手の事まで考える余裕は、まだないよね。
NO106/ピンチへの応援コメント
年末の演芸ホール出演が、まあまあ成功したのに、何を悩んでいたのだろうか。
東京へ出てから三年でスターという、甘いかも知れないが、自分の中にある強い思いがあったようで、思い通りにいかない現実に葛藤していたのだろう。
まだ若いのだから、もっと余裕があればよかったのにと思うが、焦っていたのかも。
編集済
NO105/三人の日記への応援コメント
『最後の舞台の一撃・・・』は、全く思い出せない。
浅草演芸ホールの出演は、正月興行だったと勘違いして、今まで思い込んでいました。
それと、一日だけと思っていたが、三日間も出演していたのは嬉しい勘違いでした。
何故、正月興行と勘違いをしていたかと言うと、
最終日?に「三平師匠からお年玉です。」と言ってポチ袋を渡された記憶があるのです。
その日のトリが林家三平師匠で、出演者・関係者?全員にお年玉を渡されたのだと思います。
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最後の一撃・ひょっとしたらこれかも
結構ジローのギャグの中にはパクリがありました。
あした 順子・ひろしさんのネタの一部を使っていたら、
その日、あした 順子・ひろしさんも出演されていて、
「すみません。ネタを使わせて貰いました。」と謝りをいれたら、
「人のネタをパクっては駄目よ。気を付けなさい。」
と言われた記憶がよみがえりました。それかな・・・。
NO104/〈おれっちの就活日記〉への応援コメント
この頃のジローの日記。
12月26日
稽古と演芸場見学。
12月27日
スターアクション、今年最後のリハーサル。
納会して後、池田さんのお世話で徹マン。
仲野、稲村、ケンジ、オレ。
12月28日
疲れたまま稽古を少しして、明日に備える。
12月29日
初舞台。70%成功。
12月30日
二日目。いい線。なれて来た感じ。
12月31日
大晦日。演芸ホールの支配人からも、いい言葉をかけられ満足な一日。
大成功。85%
来春に向かってGo!
謙次とも、いい感じで別れた。
最後の舞台の一撃が非常に気になる・・・のだが・・・
<ジローの日記は、ここで終わっている。あとは謙次の日記を楽しもう。>
編集済
NO103/俺のデート、ジロケン日記への応援コメント
「コント・デ・ドゥー」の市川太平さんという人が出て来ますが、何故かジローに興味をもたれて可愛がってもらいました。
後に「コント太平洋」を結成して、テレビ等で活躍した方です。
「コント赤信号」とかにも影響を与えた方ですが、今は「大楽園」という製茶問屋をやっておられます。
プロフィールに
昭和55年 セント・ルイス、ツービートと並び、新人として売り出すが、才能がなく転業。
と書いています。
この中では、セント・ルイスが一番に売れて、コント太平洋が次に売れて、大分たってからツービートが売れました。
NO102/コント本番、司会、俺のクビへの応援コメント
12月18日
まあまあ、やる気になった一日。頑張るぞ・・・!
12月19日
今日は早く起きれた。おかげで洗濯もしたし、部屋も片付いた。
心の中もスッキリした。コントの出来はいい悪いは別として
自分の心が落ち着いた。
(ホテル・オークラにてライオンズクラブ・クリスマス例会)
12月20日
スターアクション忘年会・・・ヤンヤと騒いだ。
12月21日
しずかに、おやすみ。
12月22日
隣のおじさんの手伝いで消防署へ。
12月23日~25日
銀座クラブ「護矢」にて司会。緑川嵩久先生より紹介。
最高に幸せな気分にひたっている。
非常に可愛がって頂いた。おまけに収入が予定の倍になってしまった。
ウレシイ・・・ナア・・・!
緑川先生、有難う。ケンジサンキュー
店長、気前いいゾ!
NO101/郷ひろみとアカデミー賞のメダルへの応援コメント
この頃のジローの日記。
12月7日
八千代市にて本番。
12月8日
やっと100枚の年賀状、書き上がった。
12月9日
稽古しただけ。
12月10日
メガネがこわれる。(謙次が払ってくれた)
日テレ「ほんものは誰だ」に、ひょんなことから出演することになる。
3000円も貰えるそうだ。
12月11日
謙次作・演出のコントを学院で見せた(米村先生に)
おもしろくない。ドッチラケという事である・・・まあ、しょうがない事だ。
12月13日
今、大阪にいる。明日のコント頑張るだけ。期待は大きい。頑張るゾ!
本当に、あとわずかなんだから、ここで息切れせずに頑張らねっちゃ!
と思う・・・再出発・・・good
12月14日
大阪での本番の後、スターアクション一周年記念パーティあり。
そこでの福引きで、佐良直美賞としてセイコーブレスレッドが当たった。
相当の値打ちらしい・・・東京に着いたのは夜遅かった。
12月15日
今日、じっくりと自分の成長というものを考えて見ると・・・
去年の正月から・・・いろいろあったな。落ち着いたな。一つの目標が出来たな。
やれそうだな・・・やれるさ。頑張るゾ。
NO100/「コンビ名大募集」への応援コメント
この頃のジローの日記。
11月20日
無言で有明海に着く。無言でアパートに着く。
何ともいえない結論の出ない一日。
11月21日
ドラムを叩いた。
ボケ、ツッコミを入れ変わって稽古した。
11月23日
柏市民会館で本番・・・楽しかった。
11月24日
何もせずに飯を食っただけ。
11月25日
少し動いて演芸場へ。コント・デ・ドゥーの市川太平さんに会う・・・
11月27日
やっとコント、やる気になってきたよ。
本当にこの一カ月、だらしない生活をしたものだと、つくづく反省をする。
明日からは生まれ変わった気持ちで出直したい。
12月1日
俺自身、間違っていないと思っていた事に誤りを見い出した。
まったく俺という人間は、ほんとケチな人間なんだろう・・・
まったく、だらしのない自分に腹が立つ。
12月2日
演芸場のおばさんと、コント・デ・ドゥーの市川太平さんに楽屋見舞として二木の菓子を持って行った。
NO99/ケンジの沖縄オレの沖縄への応援コメント
この頃のジローの日記。
11月15日
今、沖縄にいる。
謙次と俺、いきづまり・・・たしかにある・・・かもしれない。
しかし、もう少し何とか楽しく頑張ろう・・・”いつも明るく楽しく”
あー今は夜中。彼らはトランプの真っ最中。俺は早々に敗れて退散。
金は出て行く・・・関係ないよ。
11月16日
沖縄二日目の夜である。
疲れた・・・と言っても精神的な面での事である。
明日もう一泊して明後日帰るのだが・・・残金がもうわずかである・・・
一つ、ここに誓う。一切ばくちはやらない・・・大した金額を負けた訳ではないが。
明日は少しでも借りれれば借りておこうかな・・・残金五千円。三千四百円ホテル代。千7百円借りである・・・赤字!
でも、沖縄までつれて来て貰った事を喜ぼうと思う・・・!!
11月17日
沖縄三日目の夜。いよいよ明日、東京に向かって船はたつ・・・
皆、海の外での旅行での教訓が残ったようだ・・・
お金は借りてでも充分に持って行く事。
金の使い方に、ある程度予定を立てる事・・・etc...
なんせ歩いては帰れない所に居るのだから・・・
常に行動が皆と出来なかった事は申し訳なかったかもしれないのだが、これも自己防衛なのだから、しかたないのだ。
・・・自分という人間を考える・・・
11月18日
沖縄を立つ。ここまで来たのに何も出来ずに帰る・・・いいさ
出発時間を大分遅れて船は出た。揺れた・・・ひどく揺れた
気分悪く、つらかった。船酔いである。
後、何時間でと考えると、気が遠くなりそうである。
編集済
NO100/「コンビ名大募集」への応援コメント
積み重ねて100話
おめでとうございます🎶
ジローさんの登場で、深みが増しましたね。
39verymuch❣️
NO98/ジローさんとケンジのリアル同日日記3への応援コメント
すべて過去の事として記憶から抜け落ちているし、細かい所までは覚えていないが、読み進むうちに当時の自分に帰っている。
今となれば、この時の経験が後の舞台に、大いに役に立っていると思う。
関東と関西のお笑いの感性が微妙に違う面もあり、意見が対立した面もあったのだろう。
とにかく、才能も経験もない二人が、もがきにもがいている図式のような感じがする。
もう少し余裕があれば良かったと思うが、当時の二人には無理だよね。
編集済
NO96/コント「ジロケンのけんか」への応援コメント
この頃のジローの日記。
10月31日
今が最後の壁なのか。
この日記はもう少しで終わる。
息切れして来た「馬鹿野郎」と大声で叫びたい。
全くおもしろくない・・これは事実だ。
謙次の〇?の緩みには閉口する・・・だらしないゾ!(〇?は読めない・もしかしたらケツかも知れない。よく屁をしていたような記憶が・・・)
11月1日
本日は待望の福井行きである。食事が食べられるという事が最大の魅力である。
ありがたい事だ。(情けない事かも・・・)
福井に来る前までコントの稽古をしたし・・・充分であると思う。後は精神!
俺の精神だけである・・・人間思案を捨てて、明るく楽しく行きたいものだ・・・
11月2日
無情にもコント大失策。まったくどうしようもない俺自身に腹がたつ、何もかも逃げたい気持ち・・・
11月3日
一日中、稲村君宅で過ごす。マージャンはじめてやる。
11月4日
自分のやって来た事、やっている事が、全く無駄な事ばかりのような気がしてならない。
11月5日
代々木リハーサル。賀状購入。
11月6日
謙次がやって来ないような予感がしたが・・・来た。
なにもかも忘れて、初心からやり直し。
11月7日
謙次、稽古の後、家へかえる。隣のおじさんと夕食をする。賀状を刷り終わる。
11月8日
代々木リハーサル。謙次という人間の気持ちが、ようやく理解出来るようになった。
沖縄でのコントは中止である・・・考える・・・面白くないのかー!
勉強の場、このままでは・・・行き詰まりを感じる。
11月9日
別に、これといって予定はない。只、今やっている事についての疑問だけ。
行き詰まり。何をしょうというのか?どうもいけない。出来あがりそうにない。
11月10日
稽古、やる気ないな。いや進歩がないんだよ。素人が二人でやっている事なんだから・・・でも全く違った感じで何かしようという・・・ようするに経験というか勉強のつもりでやっている。
ここまで来たんだ。居直らなければ・・・いや居直るにはちょっと早いかー
来年三月までは、何かに力一杯ぶつかれるものー。
11月11日
政治では田中内閣改造と金脈問題で揺れているらしい・・・
無味乾燥というか、なんか気力が抜けて行ってしまったようだ。
芯のない二人が寄って何をしようというのかー!何も出来ないさ。
いかんいかん毎日が、だらしなくなって来た最近・・・
いかんいかん・・・とは思うのだが。
11月12日
いかん。落ち着かない。
馬鹿だな!何するとはなく時は過ぎる。
新聞も読む気になれんー。
畜生、情けない。アー・・・落ち着け。
11月13日
破裂した、「あー気分が悪い!」「自分の事しか考えていないんだから・・・」
謙次のセリフである。わからない・・・
もちろん反省もある。今までの生活とはころっと変わる?ありうるね。
酒を呑みだらしない生活・・・ありうるね。
チャンスをのがしたのだろうか。
ここまで来て折れたたのだろうか。
いや、まだ意識ははっきりしている・・・
自分の事しか考えていない・・・自分・・・わかる。
人の気分を悪くしていまった・・・申し訳ないと思う。
NO95/ヨシブー カシアスクレイへの応援コメント
この頃のジローの日記。
10月30日
今日は、日テレへ福井行きの切符をもらいに行った。
雨の為、国電利用。
帰りにラーメンを食うなど出て行く金は止めを知らない。
謙次が、沖縄の帰りの切符購入・・・。
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NO94/ジローさんとケンジのリアル同日日記2への応援コメント
松竹演芸場時代も50円ずつ集めて楽屋で自炊していたので、(例の小説に出て来ます)50円ずつ位出して食材を買っていたのだろう。
米屋に一番安いコメを買いに行くと、「このコメはブタの餌だよ」と言われた記憶があります。
ふるさとを遠く離れ、世の中の一番底辺で、覚悟を決めて生きていたのです。
ふるさとが近いケンちゃんとは、微妙にその度合いが違っていたのでしょうか。
それに、その頃のジローは、めっちゃ生意気だったと思います。
今、考えれば師匠も無いのによくやっていたものだと思う。
ケンちゃんには、大分迷惑をかけたのだろうな。
(思い出した事があります。近所のパン屋さんでパンの耳を貰っていました。)
編集済
NO93/ギクシャクな二人への応援コメント
この頃のジローの日記。
10月23日
いよいよ、手持ちの金が10円になった。でも日テレからの振り込みで銀行に二万一千六百円入っているはずである。
いよいよこれで来月中頃まで持たさなければならない・・・
家賃七千円。新聞八百五十円か・・・
一万円の家への仕送りは難しいかな。約三千円で・・・来月15日か。
いけるいけるぞー。いけるさ。OKさ。
ー俺は行くぞーーー。
10月24日
日記の残りのページが段々残り少なくなって来た。
月日の移り変わり、我が精神の移り変わりを感じる・・・
俺のこの二年間というものを正確に録してくれているように思う。
長く何も書かなかった時期。汚ない字で毎日毎日わけもわからない事を書いていた時分。今もそうだが・・・もっと必要事項を書くように・・・
アア懐かしい・・・今は・・・空白・・・素直?・・・わからない・・・
10月25日
練習、練習で終わった一日。
お金が無くなり、貯金をおろす二万1000円・・・苦しい。
10月26日
別に変わらぬ毎日。何という事はない(カレー)
10月27日
朝、すがすがしい。
10月28日
金・・出て行く・・家賃・米と。
10月29日
昨日同様、隣のおじさんの部屋におじゃまに上がるー!
NO92/ジローさんとケンジのリアル同日日記への応援コメント
この頃二人で、自炊していました。
飯を炊いて、ニラと砂肝を炒めてよく食べていた事を思い出しました。
腹は膨れればさえ良かったのです。
本当に金が無かったようで、それでもよく生きて来られたものだと思う。
現在より、まだ生きやすかった時代だったのかも知れない。
NO91/ジローさんとケンカ?への応援コメント
この頃のジローの日記。
10月15日
なにか・・・発展しているのか、止まっているのか
わからない感じである。
10月17日
謙次としっくりいかなかった一日
まだまだ・・・足りないんだなぁーと自己反省。
10月18日
ささいな事で謙次と意見の食い違いがあった。
10月19日
なんとか今日一日乗り切った。difficultである。
10月20日
今日は終わった・・・何となく終わった・・・そうかな・・・
別に大した事はなかった・・・
成る程・・・僕自身の問題なんだ。
しっかりしなくては。何を考えているのだ。前進あるのみ。
Go!Let'go! 真剣に勉強しろ・・・冷静に!
10月21日
別に今、苦労しているという実感はない。
むしろ、のんびりと気楽だ。金・別にいらないよ。今で充分さ。
すばらしい住まい。三畳一間でも住めば”都”。最高のお城。
毎日毎日、何に拘束される事なく、自由に気ままに過ごしている。
いいのか、悪いのかなんてヤボな事を考えるのは止めにして実のあるものを作ろう。
いい音楽を聴き、美しいものを”見””触れ”素直に育ちたい・・・
僕の長嶋茂雄のように・・・支離滅裂。
謙次が、理由なく来なかった・・・。だのに電話を掛けて確かめようとしない俺・・・
一日中、レコードを聴きふるさとへ戻っている・・・ような自分を見い出した。
無駄のようであるが、必要な一日である事は、まちがいないだろう・・・。
10月22日
謙次が僕の事、今時めずらしい、抵抗のない人間だと思ったって・・・
俺だってみんなと変わらないんだよ。
抵抗もあれば欲もある。
しかし俺は、それを無くしたいと思っている人間だな。
編集済
NO90/長嶋茂雄選手への応援コメント
10月14日のジローの日記には記述はないのだけれど
『コント・スリーピース』じゃないのかなと思います。
あと『ファニーフェイス』という若いコミックバンドも印象に残っていますね。
NO89/ホタル、文楽、新幹線への応援コメント
この頃のジローの日記
10月4日
本日、高松行き。
朝少し稽古をしてから羽田行き。
10月5日
本日、高松市民会館にて「スターアクション」の本番あり。
コントは「刑事と変な男」をやったが・・・
どうも白く見えたらしい・・・
マッシロシロまあ勉強になった・・・ようだ
NO88/一人芝居への応援コメント
この頃のジローの日記。
9月26日
明日、松本行き。
稽古バッチリ・・・
9月27日
松本。夜遅くまでダベる。
他の皆はブリッジ・・・
俺は金が無いので不参加。
9月28日
スターアクション本番(風吹ジュン来る)
コント(剣道)やる。
受けるには受けたが、どうも落ち着きのない荒いコントである。
NO87/フランキー堺さんへの応援コメント
この頃のジローの日記
9月4日
スターアクション録画。
9月5日
演芸場行く。
コント、難しい。
相手に要求するより、自分がそこで生きる。
自由に生きる。
自分のやりやすいように相手を動かそうは危険を感じる。
9月6日
しらけてもいい。
乗りに乗りまくる。
負けてたまるか。
日本一。
世界一。
ちくしょうーーやるぞ。
何が何でもやる。
日本一だ。負けてたまるか。
9月7日
代々木で稽古後、飯能高マ川へ
夜中3時半頃まで、のみ語り明かす。
9月9日
チャップリン「ライムライト」「街の灯」観る。
9月13日
謙次と話をした。
わりと良い話し合いであった。
9月21日
スターアクション本番。10月15日本番にチョコッと出演する。
初めてのセリフである。
「まいど、小松(政夫)さん、鳥のカラアゲです。
ウワァー、ギャー、かわいそう、かわいそう・・・・・」
NO86/キタキツネ 台風16号への応援コメント
この頃のジローの日記。
8月28日
代々木にてリハーサル
エクソシスト観る。
8月29日
演芸場観る。
8月29日
公開録画「なんでそうなるの」観て
東大教会で青年会総会アトラクションの打ち合わせをする。
9月1日
青年会総会出演。
編集済
NO85/日テレ学院の先生方への応援コメント
この頃のジローの日記。
8月11日
日比谷映画館でチャップリンの「黄金狂時代」を観て謙次宅へ行く。
8月12日
稽古になった。いい雰囲気が出来ている。
8月14日
ケンジ宅より帰って来る。酒井先生よりチケットをもらう。
8月15日
稽古。「なんでそうなるの」観る。
8月16日
「フランス座」行ってから、平山先生、緑川氏と話す。
8月17日・18日
東大教会練成会。
8月19日
稽古。映画「寅さん」観る。
8月20日~24日
北海道・ケンジと
仕事がてら旅行に行く。
札幌ー支笏湖ー登別
NO84/「おぢばがえり」ありがとうへの応援コメント
謙次のお陰で、当時の自分を振り返る事が出来て感謝しています。
思えば、多くの人にお世話になり、迷惑を掛けながら突っ走っていたんだなぁと
あらためて思います。
編集済
NO83/「おぢばがえり」への応援コメント
この頃のジローの日記。
7月24日
栃木で本番あり。
謙次君との息、中々うまくあわないようだったが、本番では前回より落ち着いてコントが出来たように思う。
その夜、夜を徹してドライブで天理行きである。
・・・・一つ偉くなりたい。
7月25日
今日の一日は長かった。
謙次君にも苦労をかけたかもしれない。
・・・回顧録・・・
7月25日~8月6日
天理到着。
悩める期間が来る。
11日間である。
勉強になりました。
強くなりました。
胸を痛めました。
涙が出ました。
喉を痛めました。
声をからしました。
NO82/コロムビアトップライトへの応援コメント
この頃のジローの日記。
7月10日・川口
まずまずの出来。
のびのびになっていた「スターアクション」でのコントをやっと、やらせてもらった。
予想外だった。よかった。
まだまだ笑いは少ないけれど・・・
シラケなかっただけよかった。
NO78/石井ふく子さんの膝の上に座るへの応援コメント
この頃のジローの日記。<・・・>内は足した文言です。
5月10日
浅草で買い物。
<たぶん、衣装ケース>
5月11日
日テレ<学院>の三期の人にコントを見てもらった。
やっぱりドキドキするものである・・・。
良いけいこうである・・・
・・・謙次と俺
頑張らなくちゃ!!
Good night
NO81/ずうとるびへの応援コメント
この頃のジローの日記
1974年6月30日
演芸ホール、NTV「日曜笑待席」録画見る。
7月1日
フランス座見に行く
コントたいしたものはやっていなかった。
7月2日
スターアクション録画のため「つばさ2号」にて秋田行き
車内にてポーカで1000円程やられる。
7月3日
公開録画本番
ボクと栗原君オバケにて出演
キッカケQの間違いから中間の出番なし。
でもラストの出はよかったように思う。
でもテレビの画面では、どうなっているか問題である。
cutかも。
NO77/希望への応援コメント
考えれば、この頃の二人はとても恵まれていたと思う。
ただ、実力が無かっただけなのだ。
後からきた「ウッチャンナンチャン」「とんねるず」「コント赤信号」「ダウンタウン」に追い抜かれてしまった。
NO80/ケンジの日記とジローの日記への応援コメント
この頃のジローの日記。
1974年6月25日
課題妄想という物を持っているようだ。
3の物事が出来たからといって、10の事が出来るという錯覚になる事は誰しもあるのではないだろうか。
今日は一つ勉強になった。
キャストを変えて見てもらっただけで、自分の役というものに素直に入って行けるように思う。
6月28日
入谷老人センターに慰問に行った。
6月29日
緑川先生より台本を頂く。
本日付、牛乳配達おわり。
編集済
NO76/コンビ始動への応援コメント
この頃のジローの日記。<・・・>内は足した文言です。
1974年5月8日
初台<日本テレビの稽古場>仕事。
アシスタントのユニホームを買ってもらう。
コントを見てもらった。
四谷で加藤さん<ディレクター>におごってもらった。
5月9日
コント55号「なんでそうなるの」で浅草へ。
一六<酒場>にて松本さんにおごってもらう。
編集済
NO75/スターアクション、一六酒場への応援コメント
この頃のジローの日記。<・・・>内は足した文言です。
1974年4月24日
トキワ座にて日本沈没を見た後、ポリコにつかまった。
別に何でもない事なのだが・・・
割と言いたい放題しゃべらせてもらった。
<この頃、二度職質を受けた記憶が有る。
一度は、自転車に乗ってフラフラ運転していた時。
もう一度は、劇団の片付け荷物を持ってロック座の前のポスターを見ていた時に声を掛けられポリスボックスまで連れて行かれた。>
<一六酒場捕鯨船は、河野通夫さんは「青春コンビ」というコントをやっておられた>
編集済
NO74/ケンジとジローのコンビ誕生への応援コメント
この頃のジローの日記。
1974年4月18日
ケンジとコントを組む事にする。
今日、結成式。
規則、49年5月~51年4月
〇発声の為、禁煙。
〇隠し事をしない。腹にもたない。何でも話す。
〇着到はいっしょに、必ず事務所にあいさつをする。
〇毎回、駄目だし。
〇ギャラの多少よりも仕事の内容。
〇楽屋内では先輩を立てる。
〇その他、何かあれば随時付けくわえる。
<・・・何か窮屈な規則を作ったものだと、今なら思う・・・>
編集済
NO72/ケンジと俺のもがきとイッセイさんへの応援コメント
この頃のジローの日記。
<この日、一体何があったのだろう・・・>
1974年3月25日
混乱、禁煙破る。
何でもない事なのに・・・
馬鹿だ・・・俺はーーー
・・・負けた・・・
完全に負け・・・
駄目・・・負け・・・
畜生
負けた!
NO71/ケンジ、芝居がんばるへの応援コメント
この頃のジローの日記
1974年3月18日
今日の僕ちゃんは偉かった。グーッとこらえた。
以前より少しは成長したようだ。気持ちの上でも・・・
まあ、もう少しという所かもしれない。
いいんだよ今は。たとえ台本で登場していなくても。
勉強中なんだもん。
そうだろ?低く低く通れ
正直言って、まだ自信がないんだもん。
当然の道なのよ。まだまだ下手くそなんだもん・・・
わかってるよね。ハイハイそれだよ。
ハイハイで這い上がる・・・
これだよ・・・わかっとるか・・・!ネ
ベンチョー、ベンチョー・・・ネ
NO70/凡人と死への応援コメント
この頃のじろりんの日記。
1974年3月8日
風呂へ入りサッパリしたところ。久しぶりである。
ズット朝五時半前後に目が覚めていたが、今日は六時十分まで寝過してしまった。
牛乳屋の奥さんにお越しに来て頂いたのである。
NO73/演じるということへの応援コメント
この頃のジローの日記。
1974年4月1日
出発、門出の季節四月。
くるま座の芝居も今月で終わる事となる。
三日後の4日には二十一歳となる。
もう二十一歳、アー。
明朝、早いので寝る。
4月9日
雨が降っている。寒い。確かに寒い。
やっと台本が出来たにもかかわらず、役所がない。
ひどい話だ。
まあ、それはいうまい。
今は勉強中の身であるから不足はいうまい。
結局自分が損するだけだから・・・
橋敬という人間がわからない・・・。
編集済
NO68/充実の日々への応援コメント
この頃のジローの日記。
1974年2月11日
本日、初日・・・
むつかしい・・・
2月23日
謙次、泊まる。
2月25日
朝雪が降った。寒さがぶり返して来た。
最近、牛乳配達が早く配る日が続いている。
早く寝る。
今の俺、馬鹿だ。
二十歳。あと44日で二十一歳というのに大人げない・・・
わがまま坊主のように・・・
どうでもよい事にクヨクヨするのは時間の無駄。
精神の消耗に繋がる。
頑張って、今やっている事を精一杯やるよう指示する。
何でもよい。
お茶くみでも・・飯炊きでも・・精一杯やれ。
でないと・・自分が損だ。
何事でも最高の力を出してブツカレ!
自分の為に!
編集済
NO67/ケンジの友達への応援コメント
この頃のジローの日記
<ケンジは明治牛乳、ジローは雪印牛乳を配っていた>
1974年1月25日
・・・・どうして・・・・
書く事がない。空白なのか?・・・・
演芸ホールへ行った。
さすが芸人だ・・・
今は勉強中。何でも勉強のつもりで
喜んで
やれ!
編集済
NO66/ああ くるま座への応援コメント
この頃のジローの日記
1974年1月17日
頑張れジロー。何をしている!
忘れているぞ。あの時の自分。
厳しさ。おい起きろ。さあ・・・・
あーーー、負けるか!
あと一年。頑張れジロー。
また、戻ってしまうぞ。あのドン底。
今だ、今、まさに自分の力を出す時だ。
今だ、何をしている。
そんな事やっている時じゃない!
今を、大切にしろ。
ほら、時間が過ぎて行く。
刻々と、さあ、さあ、さあ・・・・・
勝利者となれ!今だ。正に・・・・
<この時、あと一年と言っているのは、上京して三年というのが一つの目標でした。三年経ったら必ずブレイクすると心に決めていたのです>
編集済
NO65/演芸場でのあれやこれやの日々への応援コメント
ジローの日記
1973年12月3日
ようするに芝居はむつかしいものである。
笑いというものは、自然発生的に起こるものであって、
笑わそうとして顔を曲げても、変な動作を作って見ても、笑うものではない。
生きる事、感情を持つ、生きる、
それらしさの追求に他ならない。
ノル、悪ノリ、結構。
調子に乗る、けっこう、けっこう。
人間の生き方、それ自体が喜劇であるのです。
馬鹿にされるの、結構。
それしかないよ。
笑いとは、莫迦とも書く。
編集済
NO69/ジローと、、、への応援コメント
申しおくれました。sasukeはじろりんのアドレスネームです。
「二回目の公演が終わってから、ジローといろいろ論議をした。また改めてジローの非凡さに驚かされた場面もあった。」
って、何を感じてくれていたのだろう。
忘れていた事や、気が付いていなかった事や、全く知らなかった事が満載。記憶の中では全く消えていた事ばかりです。
残念ながら、浅草時代の写真は一枚もありません。
編集済
NO62/日給300円の舞台修行への応援コメント
ジローこと、私も日記を付けていた事を思い出し、この日のページをめくった。
9月は日劇ミュージックホールで大衆演劇のスター・沢竜二さんの付き人をしていた。沢さんは浅草で芝居をやる事には大反対だった。
1973年9月23日(日)
本日も朝早く起きました。
遅れました。待ち合わせの時間に。
栗原君、申し訳ない。
浅草のくるま座の酒井先生に会いました。
決定です。
沢さんは大反対です。
明日、何もかもわかります。
決定です。疲れました。
編集済
NO64/演芸場での日々への応援コメント
お客さんが一人の時も、二人の時もありました。
客席のお客さんが、みんな帰られた後も、夢中で芝居をしていると
掃除のおばちゃんが入って来て、
「あんた達、まだやるの?」と言われたので、客席には誰もいない事に初めて気づきました。
(sasuke0404というのは尾崎二郎・じろりんのメールネームです)
NO2/ケンジとおとうちゃんへの応援コメント
1970年と2022年の52年間を挟んだ、ケンジとまさき博人との間の交換日記、面白く読み始めました。さらに今回は1964年夏の出来事が創作されていて読みごたえがあります。頑張れ、まさき博人❣
編集済
NO167/いよいよデートへの応援コメント
お尋ねします。
1975年の正月に「ジローとケンジ」で浅草の演芸ホールに出演したのですが、その時の日記はありませんか?
結構うけたと思っていますが、ケンジはどう感じたのかな・・・
今、日記を読み返してみたら、ちゃんと記録されていました。1975年の正月ではなくて1974年の年末だったのですね。
林家三平師匠から、お年玉を貰った記憶があったので正月だったと勘違いしていました。
この時のコントが最高だったと記憶しています。