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NO143/行商稼業も終わり」への応援コメント


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    1980年・1981年は東京での芸能生活が最も充実していたが
    1981年の4月に父親が亡くなって、全てを捨てて姫路に帰る決心をした。
    それよりは、毎年夏に天理で行われる「こどもおぢばがえり」というイベント内の行事の「バラエテイショー」の企画・演出・主演を東京でのノウハウを生かして20年間つとめた。
    芸能界の一線を離れて、東京では決して味わえない経験をしたと思っている。
    東京での舞台やテレビは、全体の歯車の一つを演じるのが全てであったが、
    引退後は自分がトップとなって、舞台という製品を完成させて来た。今となってはやりがいがあったし、貴重な経験になった。
    いつでも会えると思っていたが、これよりはケンちゃんとは会っていない。