鬼滅の線路問題とプラテネス批判に思う
Twitterで「鬼滅の刃 遊郭編」オープニングの村の映像に違和感がある、という発言が回ってきました。
私自身も整然とした道や田んぼ、地形も村の家並みも無視して分断する線路に著しく違和感があったのですが、その一方で「ちょっとしたエスタブリッシングショットを作りたいだけなのに、地政学の知識を求められるのはつらい」という主張もわからなくもありません。
ワタクシの中の「普通」の感覚では「大正期の農村にこんなにまっすぐな道ばかりというのはおかしい」と思ってしまうのですが、これは知識の正しさがどうこうというより、アマゾンカワイルカを見たことのない人がピンクのイルカの絵を見て違和感を覚えるようなものだと思うのです。
早い話が、ワタクシの脳にある「大正期の農村」という単語に反応する細胞に記録されている映像と、あの映像に著しく
そういったものを突き詰めれば、拙作だっておかしなところは少なからず出てくるはずなのです。
極力そういう部分が出てこないようにあれこれと下調べしていたり、そもそもをファンタジー世界にしてしまって予防線を張ったりもしていますが、詳しい方がしっかり検証すれば医学的、科学的な面でも文化的な面でも、調査の甘い部分が多々出てくるのではないでしょうか。
「プラテネス」についても軌道計算が不自然とかいうものは浅学のワタクシには全く理解できないのですが、やはりそういったものに親しんでいる方にとっては違和感があるものなんでしょうね。
その一方で、全く違和感を覚えない人だって多いわけで。
結局は基準が人によってまちまちだという事なんでしょうね。
ワタクシの場合はそういったものを感じた場合、率直におっしゃっていただけば今後の改稿や創作についての参考となるのでありがたい限りなのですが、他の方の作品に対しては指摘される事を攻撃だと感じる作者様もいらっしゃるようなので慎重にしなければなりませんね。
……いや、才女キャラの主人公が紅茶の知識をひけらかして無知な当て馬をやっつけるシーンのはずなのに、勝ち誇った台詞が「これは最高級のマスカテールフレーバーなのよ。セカンドフラッシュって言うらしいわ」なんてものだったりすると、さすがにモニタの前で目が点々になってしまいますが。
やはり「あたりまえの基準は人それぞれ」「自分の常識、世間の非常識」を念頭に、極力読む人に違和感や(作者の意図しない)ストレスを与えないような作品作りを心掛けたいです。
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