ディスコミュニケーションは不幸か?

 ワタクシが創作物を読んだり自分で書いたりしている時に一番気になるのはディスコミュニケーション、すなわち認識の相違によるギャップです。

 物語にせよ、現実にせよ、人間を強く動かすのはディスコミュニケーションから生じるギャップなんだろうな~と。

 親子だろうが恋人だろうが、お互いに違う「個」である以上はどうしても共有できない何かが存在するはずで、そこからさまざまなものが生じるわけですね。

 

 電位が同じところでは電流が生じないのと同じで、均質な情緒の間に情動は産まれない。もしお互いに同質であれば、コミュニケーションをはかろうとする必要すらないはずですから。


 それがプラスに働くかマイナスに働くかで起きる出来事は違うのだけど、つきつめれば共感だって元は違う存在だからこそ可能なわけで、出発点はディスコミュニケーションにあるんじゃないかと。

 ただし同じディスコミュニケーションから出発しても、違う個どうしだからこその共感に辿り着くのか、表面的な同調からの実質的な無視に至るのか、はたまた反発からの諍いに発展するかはケースバイケースですね。


 だからこそ違いを受け容れてそこから寄り添う事を選べるような関係は尊いのだな、と。

 逆にニュータ〇プのように超越的な相互理解が可能になってしまうと、最終的には精神世界が熱的に死んだ宇宙になりそうな悪寒がします。

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