第59話 ディオクレティアの夜、小さな決起会

 皇宮での召集を経て、レヴィーは博士ドクターが預かる国営施設、魔石技術研究所L.M.Tに顔を出していた。

 その名の通り、魔石に関する研究機関であり、世界でも最先端の技術と設備を保持している。

 形式上はエミリア教国が接収済であるものの、根回しや利権が絡み合ったうえで、旧帝国側が実質的な管理をしていた。

 そんな施設の奥、レヴィーは甲冑状態のまま寝台に寝かせられていた。水で出来た身体には、針やアームの形をした、様々な魔石用の測定機器が取り付けられている。そこから伸びる配線が、傍で座る博士ドクターが持つ計器類へと繋がっていた。


「これは何を診ているのダ?」

「四種の魔石を用いて、貴方の術式強度、構成、外観検査や生理反応を見てまちゅ。基礎となるデータが無いから、判断を下すのも大変でちゅ」


 博士ドクターが詳しく説明するに、検査用の微弱な術式を当てて、レヴィーの根幹を成す水鏡ウォーター・アバターの術式的な変化や反応を見ている、とのことだ。

 併せて物的特性も検査しているらしく、水の循環や流量、熱分布、気密性や加圧反射、果ては寸法に至るまで、定量的な計測をしているらしい。

 レヴィーはこれまでも、同じような身体テストを博士ドクターから受けていたが、相変わらず聞いただけではさっぱり分からない。


「下手に動かないように。高価な機材きじゃいでちゅから、うっかり浸水しんしゅいさせたら弁償でちよ」


 真顔で博士ドクターが脅してくる。

 それなりの給金を得ているレヴィーではあるが、仮に三年働き通しだったとしても、このフロアの設備や機材費用の百分の一も賄うことができない。

 全力を持って、その場で静止し続けた。


「そこまでして検査することに、どういう意味があるのダ?」

「それは学術的な意味でちゅか、それとも哲学的な意味でちゅか? どちらにせよおちえて貰えないのは、説明すること自体に不都合ふちゅごうが生じるか、聞いても分からないと判断されているからでちゅ。勉強がちゃりない自覚があるなら、大人しく待ってるでちゅ」


 にべも無く対応される。

 もっとも研究所に詰めている時の、科学者としての博士ドクターとしてはおよそ日常的な態度なため、レヴィーはそれ以上の交流を諦める。

 そこから特に状況が変わることなく、時間が経過して。

 体感的にそろそろ日付が変わろうかというタイミングで、博士ドクターが装置を順々に停止させていった。


「特に前回から変化ありまちぇんね。残念でちゅ」


 特大の溜息を漏らしつつ、レヴィーに取り付けられた機材を剥がしていく。

 どこか疲れの見える表情だったが、単に変化の無い状況を残念がっているだけかもしれない。


「安定しているといっても、これまでの計測から暫定算出されたものでちゅ。気を抜かないように」


 本当に問題無い値かは、今を持って確実な判断が出せない。魔石研究の第一人者たる博士ドクターを持ってしても、レヴィーの身体は未知の塊だった。


「了解しタ。気遣い痛み入る、博士ドクター

「感謝される謂れもありまちぇん。他者から与えられる施し全てが、貴方を思ってのことだと勘違いしていると、いちゅか痛い目に遭いまちゅよ」

「そこまで楽観してはいなイ。だが貴女の研究への情熱は信頼していル。我の、研究対象としての希少性も理解はできル」

「いくら貴重でも、素材しょざい材料じゃいりょうへの扱いまで丁寧になるとは限りゃないのでちゅがね。でちゅが、まあ。貴方がしょれで良いのなら構いまちぇん」


 言いながら博士ドクターは、検査の後片付けをテキパキこなす。今日の研究業務は、これで終了のようだ。

 そこで、この後のことについて、レヴィーが頭を悩ませる。相談事があるものの、夜も更けた時間となっては、遠慮すべきかもしれない。


「……そんな顔をせじゅとも、話ちたいことがあるなら聞くでちゅ。変なところで遠慮しいというか、逆に人間らしいと言うか」


 どうしようかという迷いを見透かされたのか、博士ドクターが改めて椅子に身を沈める。


べちゅに気を使ちゅってる訳ではありまちぇん。同僚の世間話に付き合うくらいの器量は、持ち合わせているつもりでちゅ」


 あの子もとっくに寝ているでちょうしと、博士ドクターが寂しそうに付け加える。

 ここのところ出張が続いていたので、博士ドクターはまともに子供に会えていない。子供の方も寂しがっているであろうことは、想像に難くない。

 対応に感謝しつつ、レヴィーは博士ドクターの向かいに座り、喋り始めようとして。


「ここ二年、旧帝国領の各地を回っタ。その際何度か魔石の原産地に寄ったのだガ。産出量が急増しているようダ」


 その件かとばかりに、深い溜息を博士ドクターが零す。研究を一手に預かる彼女の耳にも、魔石の増産に関する情報が届いているらしい。


「工員を増やしたり夜勤させたり、魔石採掘ペースは上げていまちゅ。これは教国側も同様でちゅ」


 ソロン帝国とエミリア教国はつい最近まで内戦状態だった。その上で魔石採掘は軍事関連の重要な産業なのだ。掘る量を増やすのは、仕方がない。

 だがそれ故に、違和感の残る事実がある。


「一方で、産地は増やしていなイ。既存の採掘地だけで増産を達成していル」


 作業者や作業時間を増やしているから気付き難いが、昨今の増産分は既存の産地だけでカバーできる範囲を超過している。


「魔石に限っては、おかちくないでちょう。埋蔵量に限りのある通常の資源とは、根本から事情が異ってまちゅ」

「うム。魔石の産出量は、レイラインの流量にるから、であるナ」


 世界中の地下深くを流れるレイライン。

 その本流は地底奥深くにあるとされている。その支流が地上に噴き出し、結晶化したものこそが魔石と呼ばれる物質だ。

 昨今はこれといって、新たな鉱脈や支流が発見されたというニュースも聞かない。

 にも関わらず産出量が増えたと言うことは、レイライン本流に変化があったことを示唆している。


「現状は、他国も含め有名な産出地で変化があったとは聞きまちぇん。現在のソロンの窮状では人手も足りまちぇんし、如何ともし難いでちゅね」


 博士ドクターの私見は、あっさりしたものだった。と言うより、検証のしようがないのだろう。

 そもそもレイラインについては、「枯れる」といった症状が発生し得るのかすら、正確なところは分かっていない。

 採掘地の開発や道具の進化で、産出は年を追うごとに右肩上がりだ。


「で、何を考えてるのでちゅか。行き過ぎた開発による、環境影響を心配している訳ではないのでちょう?」

「……近年我は、何度かレイラインの異常な脈動を感じていル。不定期だが、流動に変化が訪れているようダ」


 だが採掘場における観測データでは、それらしき反応の形跡は全く出ていないのだという。

 或いはそれは、心配には及ばないレベルかもしれない。だが今後、何らかの異変が起きる前兆かもしれない。


「これといった報告は受けてまちぇんが。あなたの言うことならば、無碍にはできまちぇんね。引き続き、気に留めてはおきまちゅ」

「ああ、どのみち採掘までは止められぬだろウ。だから頼みがあル。我に魔石の噴出口クレーターポイントの調査をさせてくれないカ」


 大海蛇の水晶リヴァイアサンの化身であるレヴィーならば、敏感にレイラインの異常を感じることができる。

 各地を転戦しながら調査できれば、もっと統計的な答えを導き出せるかもしれない。

 

「何も無いなら問題無イ。だが現状は、本当に問題無いと言えるのかすら、判断がつかなイ」


 故に調査を行う意味はあるというのが、レヴィーの意見だった。

 その熱意に押されたのか、しばらく考え込んでいた博士ドクターが、仕方無いとばかりに口を開く。


「まったく。戦時なのに、余計な仕事を増やして。いいでちゅ、陛下にはわたちから申請して起きまちゅ。ノーとは言わないでちょう」


 研究所所長である博士ドクターが推してくれるならば、間違いないだろう。

 魔石産地の調査は、常々レヴィーが気にしていたことだった。これで胸を張って、各地を巡れる。

 戦争をしながら、という条件付きではあるが。


「助かル。……本来であれば産地の他に、市場の方も気になっているのだガ」

たちか、リデフォールでの取引量が特に顕著でちゅね。なるほど、今回の取っ掛かりはそれでちゅか」


 レヴィーの一言で、博士ドクターも得心がいったようだった。その通り、最初に気になり出したのは故郷の現況が大きく絡んでいる。


「かの島国でクーデターがあったこと、ずっと気にちてまちたね。知り合いが犠牲になったとか」


 分かりやすく、レヴィーが項垂うなだれる。

 アーネ達道場メンバーのことも気になっているものの、それ以上に女王アーデイリーナが崩御したとの噂にはショックを受けた。

 主であるアルノー越しの、極めて一方的な認知とはいえ、知らぬ間柄でもない。

 事件の詳細がいつまで経っても流れてこないことも、困惑に拍車をかけた。


「あの島は、元より交易の集積地ダ。魔石の取引も盛んであったし、流通量の増加自体は不思議な話でも無いのだが、時期が気になル」

「あの国は国策として、魔石技術の開発を手掛けてまちたからね。でもそれを担っていた中央政府は、クーデターで瓦解しまちた」


 リデフォール王国の魔石取引に関しては、政府が前面に立って、買い付けから開発、商業ルートの開拓や宣伝に至るまでを独占していた。

 故にあの国に巨万の富が築かれるのを、大勢の国が危惧していたわけだったが。

 それでも各国からすれば、懸念を一旦置いて置けるほど、リデフォールは凄まじい速度で新たな発明や技術体系を輩出し続けた。

 そしてそれを成していた王宮が倒れた後、莫大な益を産む宝の山を、今は誰が引き継いだのか。大陸中の商人や役人達の中で、議論の的となっていた。


「公には知られてまちぇんが。リデフォール王国の技術進歩は、国内のある研究団体が下支えしていまちた。その機関も時を同じくして、忽然と表舞台から消えてまちゅ」


 レヴィーもその噂は聞いていたが、実態は掴めていない。少なくともリデフォールにいた頃、そのような研究機関は存在しなかった。

 何なら、あるじであるアルノーが第一人者だったくらいだ。

 いずれにせよその政府直下の機関も、国の中枢と共に滅んだ可能性が高い。


「巨大市場であるリデフォールが停止してしまえば、採掘も様子見される気もするガ。そんなことは無く、変わらず魔石は掘られどこかに流れていル」


 その一連の動きは、戦争が始まってしまった原因と関連するのではという予感があった。過剰採掘された魔石の正確な流通経路も、今後の作戦においては重要な情報だ。


「ウチの情報部は人手不足で年がら年中手一杯、エミリア教国の間諜もそこまではおちえてくれないでちょうし、独自に探るしかありまちぇんね」


 噴出口クレーターポイントの異変と併せて、気に掛けておいた方が良い気がした。

 一先ず、魔石の調査については概ね博士ドクターも賛成のようだった。

 そうして博士ドクターへの相談事が、一区切りついたところで。

 研究室の扉が、大きな音を響かせて開いた。


博士ドクター、レヴィーさーん、検査終わりましたー?」


 同じ帝国近衛騎士インペリアル・ナイトであるベルサが、深夜とは思えぬ元気っぷりで現れた。

 後ろからは、変わらず笑みを浮かべるエリシャと、変わらず仏頂面のイリヤが続けて入ってくる。

 召集の後は三人で出掛けたはずだったが、ベルサが夕方別れた時より、更に機嫌が良い。


獣の巫女ソーサレス。もう深夜でちゅよ。しじゅかにしなちゃい」

「この実験室、確か防音完璧でしょう。ちょっとくらいなら大丈夫じゃないですかね」


 聞くところによると、装置の中には昼夜問わず一日中動かしているものもあるらしい。

 風術による施術の都合上、装置に防音加工を施すよりも、部屋そのものを防音仕様にする方が手っ取り早いのだとか。


ちかられたら、素直しゅなおにごめんなさいで終わっておきなしゃい。社会人の必須ひっしゅスキルでちゅよ」

「むう、すみませんでしたー」

「あら、ベルちゃん。ちゃんと謝れて偉いですね」


 不貞腐れ気味のベルサに対し、即座にエリシャの甘やかしが入る。

 今では考えられないが、リデフォールにいた頃のベルサは、普段はしっかりした芯の通った人物というイメージだった。それこそ今のエリシャのような、優雅な佇まいの凛とした女性に見えていた。

 だから帰還後の彼女が、今のような甘えた態度を見せるのは、意外と言えば意外だった。

 この地が「ベルサ」という人物のルーツでありホームなのだと、まざまざと感じさせられる。


「まったく。リデフォールではエリシャに甘やかされまちたね。むかちはもっと素直しゅなおだったのに」

博士ドクターは変わりませんね。背丈も口調も可愛くて、昔のままです」


 ベルサが博士ドクターの頭をポンポンと撫でる。博士ドクターは嫌な顔をするどころか、逆に胸を張って見せた。


「褒め言葉とちて受け取っておきまちょう。でも、貴女も人のことは言えまちぇんよ。少しは大人らしく見えるメイクでも研究ちたらどうでちゅ」

「ふふ。ベルちゃんお化粧、苦手だものね」

「元が良いですからねえ。マスターもそのままでいいって、言ってくれますし」


 ベルサが頰に手を当て、何かを思い出すようにうっとり顔を赤らめる。

 ベルサが言うマスターは、帝国近衛騎士インペリアル・ナイトの長、首席近衛グランドマスターだ。

 かつての内戦で、エミリア教国側の神殿騎士団長と壮絶な死闘を繰り広げた結果、重傷を負って前線からは身を引いていた。

 療養中のため、今回の召集も免除されている。


「ましゃか、首席近衛グランドマスターに会いに行ってたでちゅか? どんな影響を与えるか分からないから、暫く控えるようにとリデフォールから帰った日に通告ちゅうこくしたはずでちゅよ」


 博士ドクターがベルサ本人ではなく、目付役の二人に鋭い視線を飛ばす。

 片方イリヤは無関心な顔で受け流し、もう片方エリシャは「私は知りませーん」とばかりに、にっこりスマイルで正面突破を図った。


「だって、帰還して一年以上も経ってるじゃないですか。三年近く疎開先にいたんだし、我慢の限界です!」

「五年くらいで堪え性の無いことでちゅ。時間はあるんでちゅから、どっちり構えてなちゃい」

「時間は有限なんです。特にマスターは、っと」


 ベルサが慌てて口を噤む。北大陸に渡って以降、様々なことを教えてくれたベルサだが、こと首席近衛グランドマスターのことに関しては口が固い。

 何か事情があるのは垣間見えるものの、レヴィーとしてはそこまで踏み込むべきか、いまだに迷いがあった。


「それで結局、何しに来たんでちゅか?」

「ええっとですね、わたし達またお互い遠征で離れ離れじゃないですか。食事会は駄目でも、決起会的なものはどうでしょう」


 呼ばれましたかと、エリシャがススっと前に出て、小脇に抱えていた酒瓶を見せてくる。

 色味やラベルから察するに、ワインだろう。この地域では昔からよく作られる酒で、別段珍しい訳でもない。


「どこで覚えたんでちゅか、しょんな風習ふうちゅう。大方、僧騎士ディバインなんでちょうけど」

「いえいえ。マスターのとこにあったものでして、事情を話したら頂いたんです。自分は下戸だから、持っていってくれって」


 察するに、主席近衛グランドマスターへ送られた見舞いのうちの一品なのだろう。本来怪我人には、アルコール類は飲ませない方が良い。療養中の首席近衛も、これには困っただろう。


「別にわたちも、大して飲む訳では無いのでちゅが。貴方方はもっとでちょう?」

「ですねえ。飲めますけど、だから何と言いましょうか。だったらジュースの方が、フルーツの旨味と瑞々しさを感じられて好ましいですね」

「我は体質として、アルコールを中和してしまウ」


 博士ドクターが渋い表情をする。「じゃあ何で持って来たでちか」と言いたいのが、よく伝わってくる。正直レヴィーも同じ気持ちだった。

 明らかに飲めそうなのは、この中ではエリシャくらいだろうか。イリヤに関しては未知数だが、小柄で童顔の風貌からは、酒飲みのイメージは湧いてこない。


「まあ雰囲気的なものということで。何かそれっぽくて、良くないです?」

「雰囲気というなら、尚更わたちはマズいでちゅ」


 幼児にしか見えない博士ドクターが、白衣に包まれた手足を広げて見せる。ちんまりという形容詞が大層良く似合う。これには流石のベルサも、バツの悪そうな顔をする。

 とはいえ侍女たちを除く三人は、長期出張の予定が入っている。いつ戻るとも知れないのは確かであるため、何かやるのであれば今しかない。


「でも研究室にグラスなんてありまちぇんよ。試験管やビーカーなら腐るほどありまちゅが」

「そこは問題ありません。じゃっじゃーん」


 今度はイリヤが、どこからともなく立派なワイングラスを五脚、盆に載せた状態で取り出す。

 高級感あるシックなデザインに、ソロン帝国の紋章が刻印されている。光沢はあるが、ガラスや金属製ではない。恐らくは陶器製だ。東方伝来の器で、市場では高値で取引される。

 帝国の紋章がデザインされているとなれば特注品だろうが、土使いであるベルサが持って来たということは、そこに違う意味が発生する。


ちゅくりまちたね、獣の巫女ソーサレス

「はい。わたしからすればチョチョイのチョイです。焼き要らず乾燥要らず、五分でやってやりました。どや」

「あ、デザインは私です。どやあ」


 ベルサの誇らしげな仁王立ちに、エリシャが笑顔を添える。無駄に絵になるというか、ある意味で姉妹的なコンビネーションだった。


「まったく。人形ごっこパペット・シアターをこんなことに使って。一応言っておきまちゅが、眠れる猛獣の地晶べへモスは国宝なんでちゅよ」

「取っておいても宝の持ち腐れですからね。それに、技術は使わないと錆びるのです」


 机に広げられた報告書や図面の数々を、ベルサが雑に寄せる。博士ドクターが嫌そうな顔をするが、それ以上は何も言わなかった。言っても無駄だと悟ったのかも知れない。

 置かれたグラスに、イリヤが次々とワインを注いでいく。主賓三人に続いてエリシャも何の躊躇も無くグラスを手に取るあたり、侍女達も普通に飲むらしい。意外と図太い。


「はい、皆さん一つずつ持ちましたね。ではかんぱーい」


 立ったままで、お互いにグラスを重ね、鳴らす。

 甲冑姿で吸水するのは違和感があるので、レヴィーはわざわざ騎士形態を解き、人間形態でグラスに口を付けた。

 吸収後に雑に分析した感じでは、アルコールによる神経麻痺は、大した規模にはならなそうだった。

 しかし飲み慣れないレヴィーにとっては、味をどう表現すればいいか判断がつかなかった。

 アルコールを水術で内部分解できるレヴィーでは、実感としての影響は、上手く言い表すことができない。

 五感そのものは、アルノーの肉体情報を基に、ある程度再現できているのだが。

 味覚のような精緻で個人差が激しい感覚は、水人形の体では細かな表現が難しいようだ。

 或いは元となったアルノー自体が、ワインを美味さを認知していなかったのか。レヴィーは何となく、どちらも正解な気がした。


「しょういえばワインは、随分久しぶりでちゅね」

「昨今はパーティーとかもありませんしね。でもこれ、何が美味しんです?」

「好みなんて、人によるでちょう。でもそれはそれとちて、貴女は全ワイン農家にごめんなさいをするように」


 馬鹿真面目に、ベルサが「ワイン農家さんごめんなさい」と、その場で頭を下げる。酔っているのかもしれない。

 明日から更に忙しくなることが予想されるが、果たしてこの決起会は、問題無いものなのだろうか。

 ふとそう考えて、周囲の面々を見渡してみると。


「心配そうな顔をしないで欲しいでちゅ。グラス一杯でどうこうなるほど、ではありまちぇん」

「ええ、むしろ足りないくらい? どうしようイリヤちゃん。おかわり欲しくなっちゃったわ」

「エリシャ、一応侍女という立場故、幾許かは自粛を。本当、色々」

「はいはーい、わたしも土パワーで大丈夫です」


 取り敢えず全員、大丈夫そうだった。

 ベルサは言語表現が独特過ぎて、やっぱり酔ってる疑惑が見え隠れするが。

 レヴィーも味覚を感じない性質タチだが、同僚同士が飲み交わすことによる仲間意識の向上は、中々の効能のように思えた。

 本来は、僧騎士ディバインも呼ぶべきだったかも知れないと、レヴィーがグラスを傾けながら、ぼんやり考える。

 お互いの立場上、迂闊に教会に近寄れないので、今となっては彼の業務都合を確認することは不可能なのだが。

 いつかは自分も、このワインは実は美味かったとか、そんな感想を持つようになるのだろうか。

 知らないことが多すぎて、何を基準に物事を推し量ればいいかも、分からないけれど。


 そんなことを、まるで酔ったかのように漠然と思った。

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荒れ野のリヴァイアサン~水の王、野望の騎士〜 濱丸 @hama-maru

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