第58話(下)帝国と教国、戦乱渦巻く北大陸
周辺三カ国からの宣戦布告という、未曾有の事態が迫っていた。自然と、和やかだった場が静まる。
談話室の扉がノックされたのは、そんな時だった。
「どうぞ。皆揃ってますよ、イリアちゃん」
その来訪を予期していたかのように、柔らかな声でエリシャが返事をする。
扉が開くと、エリシャと同じ女中服を身に纏った、小柄な女性が現れた。
「陛下のご準備が整いました。恐れながら
感情の乗らない口上の後、イリヤと呼ばれた女中が片膝を曲げてスカートの裾を摘み、丁寧なお辞儀をみせる。
愛想はともかく、その精密で無駄の無い所作は、宮仕えに相応しいものだった。
真紅の
そこは広間ほど広くはなく、談話室ほど狭くもなかった。
部屋の中央に大きなテーブルがある以外、特に調度品があるわけでもない。唯一の備品である会議用の大きなテーブルには、主賓席を含め七脚の椅子が差し込まれている。
上座の主賓席を除いた六つの席には、一から六のナンバープレートが割り振られていた。
「皆様ご着席のうえ、今暫くお待ちください。只今陛下をお呼び致します」
そう言って、イリヤが奥側の部屋へ姿を消す。
部屋に入った
等間隔に並べられた年代物の燭台が、薄暗い部屋を仄かに明るく照らす。静謐な時間が流れたあと、上座側の扉が開き、またもやイリアが姿を現した。
「お待たせ致しました。カナン陛下がお見えになります。ご無礼の無いよう、お願いします」
事務的とまではいかないまでも、やはりどこか感情が希薄な声色だった。
イリアが改めて扉を開けて、誰かを招き入れる。
奥から足音が聞こえてきて、一人の男性が姿を現した。
背は高めだが、痩せぎす気味の体格。
色素の薄いブロンドの髪は、肩くらいまでの長さだ。何故かエミリア教の法衣を着ているが、そのせいで王というより司祭と言った方がしっくりくる。
「待たせてすまない。皆、一年ぶりだね。息災で何よりだ」
男にしては鳥が鳴くような細い声だった。
歳の頃は三十半ばのはずなので、よもや声変わりもしてないということは無いだろうが。
かつては帝国を名乗ったソロン自治州、その第十八代国家元首。
カナン・ガイエル・ロード・ハシュマリムが、レヴィー達の目の前に現れた。
自治州であるのに皇帝というのは、矛盾を感じざるを得ないが。強がりのような主張が、戦勝国側への精一杯の反抗というものだろうか。
皇帝カナンを迎え、向かい合う配置で
カナンの傍にはイリアが控え、東方由来のお茶をカップに注いでいた。
「うん、では始めようか。と言っても皆、議題は想像できていると思うけれど」
一と二の座席が空白のまま、会議が始まる。これもまた、いつものことであった。その席次に該当する騎士は欠席ということだ。
「しかし陛下、今回も
「っ、教国側の貴方がそれを言いますか。誰のせいだと」
ボリュームは抑えめながらも、強い口調でベルサが
「落ち
「
主君であるカナンにやんわり咎められ、ベルサが鼻息を沈めていく。
「あー、すまんの。拙僧も言い方が悪かった。不徳の致すところ、以後気をつける」
「全くでちゅ。説法どころか前置きすらままならないとは、よくしょれで坊主が
「え。拙僧の方が、そこまで言われるの? 今の流れで?」
落ち着きを完全に取り戻したのか、ベルサは襟を正し、立ち上がった上で改めて
「申し訳ありませんでした
「うん、それでいい。同じ近衛同士、仲良くいこう」
「それでいいかのう? 引き続き、言葉の端がチクチクするんじゃが」
幾分、理不尽を感じないでも無いが、どうにかこの場は収まったようだ。つくづくこのメンバーは、爆弾が多すぎる。
エミリア教国と旧ソロン帝国の対立という、この国自体が抱えている問題だとも言えるが。
「カナン王。今回の議題についてだガ」
「ああ、すまないね
全員が背筋を伸ばす。事前の想定通り、やはり話はそこに行き着く。
ソロン自治州はエミリア教国との約定で、防衛以外の戦力を持つことは禁じられていた。そしてその専守防衛の兵力すら、厳しい制約を科されている。
自治州内の都市で自警団を組んでいる場合もあるが、規模としては微々たるものだ。その民兵を投入すれば頭数は揃うだろうが、どちらにせよ独力でのソロン領全体の防衛など不可能である。
それら全てが、エミリア教国側から押し付けられた取り決めだった。不条理だが、前回の内乱で敗北に近い形で停戦を結んだ以上、従う他ない。
そんな条約が罷り通ってしまうくらい、ソロン帝国は前回の内戦で、散々に敗れた。
未だ皇帝の血筋と居城が残っているのは、奇跡に近い。
「既にエミリア教の神殿騎士団が兵を引き連れて、三方に散っているそうだ。さすが音に聞こえし僧兵衆、動きが早いね」
「つい最近、ざっくり手を噛んでやりましたからね。教国内で立場無いんでしょう。ザマミロです」
ベルサがフンと鼻を鳴らす。
彼女の言葉が、湖畔の街の防衛戦を指していることは、皆すぐに察した。更に言うと噛んだのは彼女では無いのだが、それはもう誇らしげな顔をしていた。
あまりに嬉しそうなので、レヴィーも指摘はしないでおく。
「北方拠点の防衛と
「わ、分かってます。でもレヴィー氏の教育担当はわたしですし、鼻を高くするくらい良いでしょう」
名前が上がり、レヴィーは何だか気恥ずかしい想いに駆られる。
停戦状態のソロンとエミリアだったが、その条約を破った神殿騎士率いる一軍に、湖畔に建てられた城が攻め込まれる事件が起きていた。
たまたま治水工事絡みで訪れていたレヴィーと
この功績で、客将でありながらレヴィーは
「あー、拙僧はノーコメントとしたいが。一個だけ言うとあれの事後処理、本当にヤバかったんだぞう」
撃退に成功したレヴィーだったが、湖を利用した水攻めを敢行したため、襲撃したエミリア教国は指揮官である神殿騎士を含め全滅。当然教国側は激怒した。
ベルサの帰国以降、両国の関係悪化が叫ばれていたため、これが開戦のきっかけとなるだろうと思われていたが。
そこはエミリア教の司祭であり、派遣外交官であり、
「ご苦労だったね
「拙僧の立場も考えて欲しいよ、まったく」
「すまヌ。非才の身では、あのようなやり方でしか、守れなかっタ」
「いえいえ、レヴィーさんは悪くないですから。停戦協定破った方が悪いに決まってます。あれだけ条約で吹っかけておいて、何たる恥知らずでしょう」
何だかんだと、やっぱりベルサの鼻息は荒いままだ。
教国側である
この場は落ち着いたものの、
「宣戦布告の件は
「それが、一概にそうとは言えないんだ」
少しだけ楽観論に傾きそうだった流れを、皇帝カナンが引き留める。
「ましゃか
「そのまさかだ。損失した兵力の補填として、エミリア教からお声がかかったよ」
嫌な予感が当たった。
一致団結して外敵に対抗と言えば聞こえはいいが、そこはつい最近まで騙し騙され、殺し殺されしていた仲だ。上手く纏まるとも思えない。
「こちとら、実働は四人しかいまちぇんよ」
「指揮官クラスが欲しいらしい。
「えっと陛下、要求を呑まれるんですか?」
「一国の危機と言われると、動かざるを得ないかな。幸い、教国側は兵自体は替えがいるらしいし」
兵士は消耗品と言わんばかりの表現も、どうなんだと思わなくもないが。
三カ国から攻められては、かの強国であっても四の五の言ってられないのかもしれない。
「派遣は
「教国側は、曲がりなりに教国兵を貸し与えるといっている。うちも半端な人材は出せない」
「というのが建前で、本音は末端の兵士まで派遣しては、帝都が空になるからでちゅね」
帝都に残す麾下の兵達も、最悪皇帝さえいれば指揮系統は機能する。
心許ない懐事情を誤魔化しつつ、ギリギリで面子を保とうとするならこの編成しかない。
「まあ迂闊に兵士を連れて行こうとちたら、最悪弾除けにされかねまちぇんし。仕方ありまちぇん」
「我らは、孤軍奮闘を強いられる訳カ」
「ていうか貸し与える兵って、絶対前回の戦争後にウチから接収した兵士達ですよね! 生粋の教国の兵が、
「とは言え、こっちに戻してくれる分には好都合でしゅね。断る理由はありまちぇん」
どさくさに紛れて、兵を吸収する気満々らしい。
更に上手くことが運べば、教国側に恩を売れる好機でもあった。国土や権利をはじめ、人・物・金が奪われる一方だった旧ソロン領としては、実権を勝ち取る良いチャンスだ。
戦争に巻き込まれること自体は思うところがあるが、
「配置はどうするのだ。拙僧は教国から指示を受けとらんが?」
「細かい割り当ては任せるらしい。とはいえ、
明け透けに言うが、本来教国側の人間である
喉元に短刀を突きつけられたも同じ状況だが、これもまた戦後保障の一環だった。
戦線布告した国は三方に散らばっており、残る
「
側仕えのイリアが、三人に羊皮紙を配布して回る。
団長不在の影響で、カナン自らが近衛のトップをを兼ねているため、事実上の勅命に近い文書となっていた。
「やれやれ、またフィールドワークでちゅか。研究を纏める暇が無いでちゅねえ」
「わたしもですよ、もう。レヴィーさんに教えたいカフェがあったのになあ」
「またの楽しみとさせて貰おウ。しかし帝都の守りが足りぬのでハ?」
形の上では
だがそれに対しては、他の
「心配ありまちぇん。何かありゅなら、第二近衛が対応するでちゅよ」
「だのう。拙僧とて流石に、正体不明の刺客とやり合うのは勘弁だ。命がいくらあっても足りん」
レヴィーが空席の、「二」の座席を見る。
欠席となってはいるものの、その正体は影から皇帝を守る最後の砦であり、身内に裏切りがあった際の粛清者だ。
その特殊な立場上、皇帝以外の人間が正体を知ることは無い。
「それにマスター、もとい
ベルサが、それはもう誇らしげに言い切る。
レヴィー自身は長らく団長と会っていないが、補佐を続けていた彼女が言うのならば、そうなのだろう。
庇護される立場のカナンも、自信有りげな表情をしていた。
「余の心配は要らない。
その激励に合わせて、
この慣れない動作も、いつかこの身に染み付いていくのだろうか。
そんなくだらないことを、レヴィーは何となく考えていた。
*
接見室を辞したのち。
廊下の途中で
「やれやれでちゅ。もうこんな時間でちゅか。今日くらいはお迎えに、と思ってまちたが」
「息子の件か。教会に預けているのだったな」
「でちゅ。帝都にいる時ぐらいは、送り迎えをしてあげたいのでちゅが」
「また、ディオクレティアを離れることになっちゃいましたしね。ええと、今年でもう五歳でしたか」
レヴィーもこの話を聞いた時は、それはもう驚いたものだった。が、
その子供でさえも、単純計算すれば自分よりも年上とは、人間の神秘を感じざるを得なかった。
「そろそろちゃんと旦那を貰ったらどうだ。いつまでもシングルマザーは厳しかろう」
「その
「おー、カッコいい。流石母親にしたいランキング殿堂入りですね」
長く戦乱が続いたせいで、この国における男性の性衝動が拗れてはいないだろうか。
「貴女も、他人事ではありまちぇん
「え? いやー、わたしはまあ、ほら。色々深い事情ありますし。ていうかマスターも怪我が完治してませんし。そもそも戦争中ですし?」
「対外的な事由を言い訳にしてはいけまちぇん。自覚はないでしょうが、命は有限、日々死に沿って歩くのが人生でちゅ。やりたいことは、やれるように持っていくのが肝要でちゅよ」
いつもは舌が回るベルサも、この話題では
軽口を叩き合うそのやり取りは、どこか微笑ましい光景に見えた。
「新進気鋭の
「貴殿はこの後何用カ、
「ディオクレティアの支部で会議だよ、
帝都であるディオクレティアを支部呼ばわり。ベルサが一瞬こちらを見たような気がしたが、特に何も言わない。今くらいであれば、咎めることはしないらしい。
旧帝国と教国のしこりは、こんなところにも広がっていた。
外様であるレヴィーにとっては、どちらの地雷にも気を付けなくてはならないため、何とも窮屈な話ではある。だがそういった国同士の軋轢や歴史は、多くの学びにもなる。
「しかし南西の戦線となると、レン川沿いの平野か。海もあるし水には困らんだろうが、随分な激戦区に放り込まれたものだなあ」
更にいえば、エミリア教の首都も近い。そのため教国の神殿騎士団も多く配置されているはずだ。
神殿騎士団と共同戦線というものの、中枢に近いエリート僧兵達が素直に旧帝国の騎士と協業するとも思えず、どちらかといえばそちらが心配要素だ。
主戦場は西側中央部の高原ではあるが、元より係争地だったため、そちらも戦力には事欠かない。
「正確に言えば、前線を支える補給基地だがナ。レン川防衛と西部一帯の
「あそこの副将は
神殿騎士の中でも特に大きな功績を挙げた者は、褒章として聖遺物の槍を与えられる。槍は総勢十本なので、
「部隊の練度も高い。お主の出番など無いかもしれんな」
「それはそれで好都合なのだガ」
それもそうかと
レヴィーは肩部も水術で加工しているため金属音は響かず、代わりに水の跳ねるような音が残った。
「
「ええー。折角だから、みんなで晩御飯一緒にしようと思ったのに」
「では拙僧とメシだな! 若いおなごと二人など、まっこと善行は積んでおくものだのう」
「貴方は教団の会議でしょう! 煩悩剥き出しにする暇があるなら、さっさと次の仕事に向かってください生臭坊主!」
王宮の真ん中でベルサが大きな声を出す。
リデフォールにいた時は気付かなかったが、彼女は何かと交流を持ちたがる。亡命先で諜報部員などをこなしていた反動なのかもしれない。
「あら、丁度お帰りですか皆様。ご飯のお話なら、私とイリアちゃんもご一緒して宜しいかしら?」
「……何故に此方も?」
「たまにはお姉さんに付き合って欲しいな。みんなに大食いなのがバレるからって、いつも一人で食べてるでしょう?」
「……
談話室の片付けを終えて戻る途中なのか、使ったティーセットを盆に乗せたエリシャも加わる。出会い頭に秘密を晒されたイリヤは、言葉ほどは怒っていないようだった。
なおも、話題が渋滞した
生まれて間もないはずなのに、レヴィーは何故か懐かしい思いにさせられる。
かつてのリデフォールの道場を思い出す。
かの眩しい光景が、どうあっても胸に焼きついて離れない。
願わくば、多くの人が今回の戦争に学び、次なる戦争が防がれますように。
これから争いに出向く身ではあるものの、そのくらいの祈りならば、許されるような気がした。
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