彼女たちの遍歴

舞香峰るね

序章

夏の日

 陽射をなだめる潤んだ風が緑を撫で、しっとりと濡らされた草花は、艶やかにそのいろを輝かせていた。

 夏。北の果てのこの地に、短い夏が訪れた。

 それは白夜の季節。地平線上に留まる太陽の薄明かりが世界を飾る。そして夏至──ミッドソンメルミッドサマー──を境に、太陽はその力を弱めていく。一週間の後、世界は夏至を迎える。長い冬の間に降り積もった雪も、春から初夏にかけての光を浴びて既に溶け、辺りは一面の緑に包まれている。

 この時期は、花々が短いながらもその美しさを誇る季節。そして、それは同時に結婚の季節。花咲けるこの豊かな時期は、幾多の夫婦が誕生する。北の列島に生きる女性たちにとって、初夏は夢のような季節だ。それは、適齢期にあたる女性ばかりではない。結婚にはまだ手が届かない幼い女の子にとってもそうだった。


 メルシーナとて例外ではない。幼いこの国の王女もまた、この時期は心をときめかせる。ミッドソンメルラフトゥンミッドサマー・イヴが待ち遠しくてたまらない。夏至前日、女の子たちは野に出て七種七色の花を摘み取る。そして、それを枕の下に敷いて眠ると、将来結婚することになる運命の男性が夢に現れるという。物心ついてより、もう五、六回になるだろうか、その日はいつも、枕の下の花々に夢を託した。

 ──早く前夜祭にならないかな。

 この時期のメルシーナは、いや、彼女に限らず住民全体がそわそわしている。イヴそして夏至の日は、生命力が頂点に達する火祭りの日。そして、次第に短く弱々しくなっていく太陽に別れを惜しみ、その復活を祈る日。王宮近郊の住民が全て広場に集まり、飲み、歌い、踊り、楽しむ。一年で最大の祝祭の日である。

 王宮の周りは、特に騒々しい。王宮といってもそれは大きな屋敷にすぎない。それがこの国エルスクの王家の住家だった。王と呼ばれてもそれは、豪族の中の筆頭者程度の存在で、伝統的な祭祀儀礼を司ることでその権威を保持していた。〈神殿屋敷〉という王宮の呼称がそれを物語る。そして王は同時に、裁判権者として下に抱える領民のただ中にあった。エルスク王国が統べるこの島はたいして大きくはない。列島の中では大きいが、大陸にあるシフィア湖の五分の一もなかった。そのため王家と民衆との紐帯ちゅうたいは緊密だった。

 また王家は飢饉ききんや寒冷といった試練を、領民と共有していた。この運命共同体としての関係が、王家と民の絆を更に強いものとした。だから、メルシーナも領民の子たちと一緒によく遊んだ。彼らは、王女のよき遊び相手であった。


 だが、今のメルシーナは夏の野に一人。ぽつんと一人遊びの時を過ごしていた。友人と喧嘩をしてしまったのだ。いったん喧嘩をすると、メルシーナは意地を通し、自分から折れることがなかった。それは、王女であるという意識から来るものなのだろう。だがこの意地っ張りな態度は、友人たちからは許されていた。

 いつもは友人たちと過ごす時間。それだけに寂しく辛く、心が痛かった。

 花を摘んだりしながら、彼女はそわそわと辺りを見回し、誰かこっそりついて来ていないかと確かめては溜め息をついている。


 厚い雲が緑の野に陰りを産み、雲間からの光芒こうぼうは絹糸のように少女に降り注いだ。雲が去り再び日差しに包み込まれると、鳥の高いさえずりが遠くに響いた。時折風が抜け、少女の髪と草花を撫でつける。花や草の甘い香りが漂い、色とりどりの蝶たちを誘っていた。

 項垂うなだれながら少女は黙々と花を摘み、花冠を編み続けていた。

 何度か手順を間違え、そのたびに苛立いらだちながら、うわの空で花を編み続けた。

 何でもよかった。何かをし続けていないと、寂しさで泣きそうだった。頑固な分、それだけ彼女は容易にいじけることが出来た。それは素直さの裏返しであるが、彼女はそのいじけが自分を孤独にしていくことを感じていた。

「つまんない……」

 メルシーナはうつむきながら独りつぶやいた。手には編みかけの花冠。作ったところで、どうせ自分を飾るしかなかった。今は、それを誰か友達の女の子の髪に載せてあげることの出来る状況ではなかった。

「もう少し大きく作って、お母様にあげようかな」

 大きく首を振って少女は考え直した。この花冠を仲直りのきっかけにしたかった。


 だが、悲観的な思いが渦巻く。

 ──このままだと夏至祭でも仲間外れのままだわ……どうしよう。

 ──今までは、みんなからすぐ仲直りに来てくれたのに……。今日はどうして、みんな来ないんだろう?わたし、本気で嫌われたのかな……。

 ──どうすれば、仲直りできるんだろう……。

 幼心にも、メルシーナはひどく焦っている。今の彼女にとって、友達との仲直りは非常に困難な課題であった。今のメルシーナに、「仲直りすることと、海の水を全て飲み干すことと、どっちが難しいと思う?」といった質問をしても、前者であると即答するだろう。

 ──誰か仲介してくれないかな?オーサでも、トルディスでも、オフィリアでも……。

 メルシーナは侍女たちを思い浮かべた。しかし、その考えを少女はすぐに否定した。あきれた表情を浮かべ、三者三様にたしなめる侍女たちの姿は容易に想像できた。

 ──何よ、ちょっと年上だからって。みんな、すぐにわたしを子供扱いする!

 ──でも……一人で仲直りに行く勇気が無い……。やっぱり子供なのかな?

 ──やっぱり、オーサに頼もうかな……

 ──やだ。頼らない。

 ──考えよう。どうすれば仲直りできる?

 メルシーナは考え続けた。うわの空で、花を編み込みながら考え続けた。

 すでに花冠は、首飾りの長さとなっていた。


 ふと、場違いな考えが浮かんだ。

 ──大人になったとき、例えば十年後の自分はどうなってるんだろう。

 ──やっぱり、このままなのかな?

 十年後……。

 だが、この場違いな思いはすぐに消え去り、少女は再び仲直りの方法を考えはじめた。


 彼女は知らない。向こうの木陰から数人、こちらも声をかけにくくて、のぞき込みつつ、ただただ彼女を見守っていることを。

 夏の光は、メルシーナと緑なす野辺を包みこんでいる。彼女の薄く灰色がかった金の髪が、光を受けて反射し煌めいている。自分が放つ、自然な美しさなど意識することなく、メルシーナは花を編み続ける。そして世界中で一番難しい問題を解き続けている。

 短い夏の昼下がり。メルシーナ十歳の夏、ある一日の風景。



 約一年の後、ベオルニア王国の列島侵攻が惹起じゃっきされる。そしてメルシーナの運命は一変する。

 (1187年 初夏)

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