第三章 冬ざれの歌

冬ざれの歌(一)

 冬の初め、メルシーナたちの姿はシフィア西部はレグージュ地方レグーザンの峠道にあった。吹く風の冷たさに震え、毛織の外套を羽織りながらも彼らは馬上で身を縮めた。き出しの岩肌と、緑を失った潅木かんぼくばかりの荒涼とした道の果てに、一行は寒村にたどり着いた。

 メルシーナとその護衛にあたる騎士が三人。本来ならば、あと二人の人物が同行しているはずだったが、急ぎの旅ということもあってメルシーナたち四人が先行していた。

 二人のうち一人はメルシーナの侍女オフィリア。折からの流感病はやりやまいかかってしまった。遅参する彼女のために、護衛にあたる騎士の一人カレルを残し、メルシーナたちは旅路を急いでいた。


 寂寞せきばくたる世界に、メルシーナはいろどりを添えていた。頼りない光を受けて耀かがよう冬の海のような髪。この色素の薄い灰色がかった金の髪は、極北に生きる北方民の特徴だが、それでもこの寒さは骨身に沁みた。彼女のまだ大人になりきれていない純朴な相貌には、緊張が漂っていた。

 教区礼拝所を訪れ、宿の手配などの雑事を騎士たちに任せている間、彼女はひとりで恐る恐るこの集落を彷徨うろついていた。好奇心からの行動で、その小さな冒険に集中するあまり、やれやれと後をつける女性騎士の存在にも気づいていなかった。


 まだ日暮れには遠かったが、冬の薄光に照らされる世界は暗く感じた。小さな木造の家屋が点在している。景色は静寂さに支配され、僅かに風の音、そして木々のざわめきが寂寥せきりょうを際立たせていた。

 だが、その静けさに抗するかのように、ちいさな歌声が流れているのをメルシーナは聴きつけた。か細くも、思いのほか情感のこもった歌声に彼女は惹かれた。悲しいまでに生に根ざした何かを感じ取った。誘われるかのように歩む先に、一軒の家屋があった。古いが、その手入れの行き届いたたたずまいに、住人の心配りが感じられた。

 漏れ聞こえる歌声は若い女性のものと思われた。それはメルシーナも知る歌だったので、彼女は無意識のうちに口ずさんでいた。

「誰?」

 歌が中断され、細い声が聞こえた。

「ミュリエル?」

 歌声の持ち主である女性は一人の名前を呼んだ。しまった、と思いながら少しの間をおいて、メルシーナは答えることにした。

「違います、旅の者です。その、つい……」

「寒いだろ。入ってきなよ」


 声の主は、少女を招き入れた。不用心極まりないが、招かれるまま家の扉を押し開く少女もまた不用心であった。

 そこには、寝台に横たわり、気怠そうに上体を少しだけ起こした蒼白な若い女性がいた。少しだけながらも、彼女は言葉を口にした。

「入れて下さってありがとう。わたし、メルシーナっていいます」

「あたしはセシル。暇しててね。寝ながらで申し訳無いけど」

 セシルと名乗った女性は、そう言って力無く微笑みかけた。病の身であることは見てとれた。邪魔をしてはいけないと思ったが、入るなり辞するのもまた非礼かもしれないと思い直し、少女は話しかけた。

「厚かましくお家まで入って、ごめんなさい。でも、すごく情感のこもった歌だったから、つい」

「死が近いから、仕方がないかもね」

「えっ」

 自嘲を浮かべたセシルの表情は、メルシーナの心を刺した。

「ごめん。驚くよね。あたしは、もう長くないんだ。今まで、麓の街で暮らしてたんだけど、病気になってもう長くないっていうから、ここに戻ってきたんだ」

 淡々と、話す。

「でも、死ぬほどの病気には見えないのですが……」

「そりゃぁ、今日明日というわけじゃないだろうけどさ。ここ四、五日は本当に気分がいいんだ。でも、それまでは本当に苦しくて」

 確かに声には力が無かった。それでも、死はまだ遠い先のようにメルシーナには思えた。だが、このような時にかける言葉は思いつかなかった。

 そんな少女の表情を読みとったのか、セシルは話を変えた。人の気持ちを察するのに長けているのだろうか。そしてそれは、彼女が身をもって体験してきたからなのだろうか……。横たわる女性の姿に、メルシーナはふとそんなことを思った。

「メルシーナは、北の生まれだね」

「ええ。北の果ての島国エルスクの生まれ」

「いい響きの名前だけど、知らない国だわ」

「もう、無くなっちゃったし。うん。本来なら、今は冬祭りの時期ね。目を閉じると……懐かしい祭りの歌声が聞こえてきそうだわ……」

 そういって、メルシーナはやおら歌い始めた。


  私は小鳥 小さな小鳥

  彼は小鳥をかごに入れた

  

  彼は小鳥を乱暴に扱うけれど 

  それは、この小鳥は 

  絶対に逃げないことを知っているから

  

  大空と黄金の自由を捨てて

  かごの中で小鳥はさえずる

  彼のために歌いさえずる


 メルシーナは照れたように彼女の方を見た。唄を紡いでいた時には、まるで夢見るかような表情だったが、今はセシルを気遣う表情になっている。勿論、セシルに北方語が分かるはずがない。だが、歌の雰囲気は確かに感じ取ったようだった。

「小さい頃に覚えた歌。だから、ちょっとうろ覚えな所はあるけどね、愛を歌った歌らしいわ」

 小さい頃を思い出したかのように、メルシーナはクスリと笑った。意味も分からず歌っていたこの歌。今、その意味が分かるのかと言えば、それでもまだ疑問符がつく。

「意味はわかんないけど、綺麗な歌だね」

 その時、板が軋む音がした。そして言葉をごうとしたメルシーナを遮るかのように扉が開かれた。

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