冬ざれの歌(二)
「セシル、調子はどう?」
寒風とともに入ってきたのは栗色の髪をした若い娘。急いで扉を閉めると、セシルの方を
「遅くなってごめんね。家の方の仕事が忙しくて」
「かまわないよ。お世話になってんのは、あたしの方なんだから」
頭を覆うカーチフを脱ぎ、埃を落とすかのように
少し戸惑いつつ、彼女はメルシーナに話しかけた。
「ええと……ミュリエルよ。セシルの知り合い、かしら……?」
多少、混乱の色が見える娘──ミュリエル──に、メルシーナは答えた。
「メルシーナ。旅の途中でこの村に立ち寄ったところ。彼女とは知り合ったばかり」
「たび?」
ミュリエルのこの素朴な疑問で、メルシーナはここに立ち寄った理由すら話していないことに気付いた。改めて得体の知れない旅人を、理由も聞かずによく家内に招き入れたものだと、メルシーナは率直に思った。
基本的に、旅人は好ましからざる存在だ。邪視の迷信などがそれを物語る。それは、病害や死をもたらす悪い眼差しで、大抵、
かつて立ち寄ったある村で、子供が高熱を出したことがあった。その時、「あの旅人たちが不幸を持ってきた。坊やはあの少女の邪視にあったのだ」といった言葉がメルシーナたちに投げかけられた。結果、一行は早々に村から去らねばならなかった。
私的宿屋業が発達する都市部では、そのような扱いを受けることはほとんどなかったが、農村では村人の目に気を
人間が本源的に持つ他者への不信や恐怖、それが他人に投影されるとき、邪視が発現する。旅人はそうした負の感情を転嫁するには格好の存在だった。
こうした邪視を避けるために、多くの手段が講じられている。
花嫁や赤子など、幸福な存在ほど邪視を受けやすい。そのため、花嫁を「見知らぬ人」などと呼んだり、子供に悪い名を付けたりする。悪い呼び名によって自己の不幸を主張し、邪視を避けようという発想だった。
実のところ、メルシーナの名もその発想の産物だった。メリュジナ、あるいはメリュジーヌとも呼ばれるそれは、シフィア西部に伝わる妖女の名であった。
名付け親は、王の一人娘が魔に魅入られぬことを願って、敢えて魔に属するその名を与えた。メルシーナ自身は響きのよさと、その背後にある人の願いを理解していたので、自分の名前を気に入っていた。
そして今回の旅は、病で死の床にある名付け親のハーゲン師を見舞う旅であった。師は名付け親以上の存在で、故国を滅ぼされ大陸に落ち延びたメルシーナの庇護者、恩人だった。数年前、屋敷とそれに属する全てをメルシーナに譲り、亡き妻の故郷
そんな旅人が如き怪しい存在に対して、奇異や蔑みを持つことなく接してくれているセシルに、メルシーナは驚きと感謝の念を覚えた。
「少し先の村に、わたしの恩人が住んでいるの。そして、どうもこの冬が最後の冬になりそうだから、お見舞いに……」
旅の目的を話すメルシーナの言葉が消え入りそうになったのは、目の前のセシルの境遇を思い出したからだった。セシルの言葉を信じるならば、彼女にとってもこの冬が最後の冬になるのだから。
メルシーナは自らの言葉に後悔した。気まずくなりそうな雰囲気は、他ならぬセシル自身がわざとらしく打破した。
「そういえば、メリュジナとは、歌のこと話してた途中だったよね。愛の歌だったよね。麓の町にいるときは、いろいろと色恋の歌を歌いながら過ごしてたなぁ」
わたしはイバラ
どんな男も憩わせるものか
誰であろうと寄せ付けないわ
そうよ、たった今
木陰に休もうとした雄犬を
追い返したところなのだから
「いけ好かない男をあざける歌なのよ。あまり上品な歌じゃないけどね」
言葉の裏に何かを秘めて、セシルは笑った。
「でも、そんな歌も結構好きよ」
メルシーナは言った。人の生活に根ざした民衆歌・労働歌は好きだった。それは、路傍に咲く花のようだと感じていた。詞は花びらで旋律は香り。虫食いや汚れも付随し、清濁混在する自然な姿。他方、〈学院〉で触れる宮廷歌曲は、人の手で作られ、清い部分だけを人の手によって抽出した
セシルはそんなメルシーナを見て、笑いながら言った。
「品のない歌ばっかり覚えるな、って怒られたけどね」
「怒られ……あっ!」
突然の小さな叫びに、
「黙って抜け出してきたから、怒られるかも……」
「あらまぁ。お連れさん心配してるかもね」
「礼拝所の宿かな?ミュリエル、彼女を送ってあげて」
「え、ええ。セシル、もう少し一人で待ってて」
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