冬ざれの歌(三)

 夕の小径に寒の風。

 並び歩くミュリエルは、少しだけ寂しそうに語りかけた。

「ありがとね」

 この言葉の意図を計りかね、怪訝けげんな表情を浮かべたメルシーナに、少しだけ微笑んだミュリエルは話を続けた。

「たぶん……彼女、もう長くはないわ。だから近頃では、無理に作ったような笑いしか浮かべなくて……。だから楽しそうな姿は久しぶり」

「……」

「セシルとは小さい頃からの知り合い。でも、私にはどうすることもできないから……少しだけ悔しいけれど、感謝するわ」

 メルシーナは、彼女の横顔を見つめた。消え入りそうな儚さが、そこにはあった。

 その思いつめたような表情が苦しくて、しばらく無言で歩き続けた。

 張りつめた冷気が、頬に痛い。その沈黙をミュリエルが破った。

「少し話さない?」

 二人は足を止め、空き家の軒下に座った。


 虚空を見つめミュリエルは、記憶をたどるかのように話始めた。

 もともと体が弱かった彼女は、活発なセシルにあこがれ、幼いころはいつも彼女の後をついて回っていた。転んでは泣く彼女をあやすセシル、熱を出して咳き込む彼女の手を握りしめてくれたセシル。ずっとセシルにかばわれていた。

 メルシーナは、失われた時のどこかを眺めているかのような、ミュリエルのうつろな瞳に惹き込まれた。淡々と語られる回想の端々に、幼き日々の幸福な時間の数々が感じられた。

 羊番の傍ら、手をつないで草地を駆け回り、枯草やほこりにまみれた少女時代。

 泣いたセシルを、ミュリエルが慰めたのは一度だけ。

 セシルの両親が相次いで亡くなった時だけだった。

 そして、それが二人の幸福な日々の終わりを告げた。

 両親を亡くしたセシルは、生きるため貧しい村を捨て、麓の街に出ていった。ほかにも数名、セシルと共に村を去ったが、健康に自信のなかったミュリエルはついていかなかった。


 やがて、街でのセシルの数年間に話が移る。

 期待を抱いてたどり着いた街での生活は、厳しく辛いものだったという。

 セシルと一緒に村を出た者も、ある者は姿をくらまし、あるものは裏街に消えていった。それでもセシルはただ一途に働いた。

 語られるのは、ミュリエルがセシルから聞き得た街での生活の一部。セシルが経験したであろう数多あまたの辛苦は、聞き得なかったことの中にひそかにされているのだろう。

 そのような毎日は、次第に彼女の体をむしばんでいく。髪からは艶やかさが消え、血色のよかった顔も、その色を失った。

 そしてある日、路上に昏倒こんとうした。

 運の良いことにそこは女神殿の前だった。女神官に介抱され、彼女は救われた。

 そして神殿の下女として働くことになった。

 街に出て、初めての安らげる日々。髪のつやも、肌の張りも元に戻り、心にも余裕が出来た。働き者の彼女は、女神官達の覚えもよく大切にされた。

 だが、積年の無理や不摂生が牙をむき、彼女は病に倒れた。神官達の反応から、彼女は来るべき死を察し、故郷へ帰ることを決意した。仲のよかった女神官たちが馬車で同行し、彼女達と最後の別れを惜しんだあと、彼女はもとの家に帰った。

 十六で飛び出してから、八年の年月が流れていた。


 そして、ミュリエルと再会する。

 だが、久闊きゅうかつを叙することなく、口論が起きた。年月を経て、人並みの健康を得たミュリエルと、病に冒されたセシル。この悪意にも思える運命の逆転を、セシルは呪ったことだろう。

 食ってかかるセシルの言葉を、泣き出したい思いでミュリエルは耐えた。悲しいけれど受け止めようと思いながら、しかし耐えきれず感情をぶつけた。記憶に残る限り、二人にとって初めての喧嘩だった。

 しばらく言い争いを続けたが、先にミュリエルが泣き出した。我に返ったセシルは、昔のようにミュリエルをなだめ、喧嘩は終わった。

 気遣う娘と、気遣われる娘。

 歳月は少女を大人にしたが、昔さながら、少女時代そのままの自分達の姿がそこにはあった。

 二ヶ月ほど前のことだった。


 話は尽きた。

 長い沈黙を経て、二人は立ち上がって歩み始めた。その影を追って、女性騎士がひとり、暗くなりかけた寒の世界に消えていった。



 その夜。ミュリエルとの会話を反芻はんすうして、ふぅっと、メルシーナはため息をついた。

 村の教区礼拝所付属の宿泊所。その窓辺で、少女は月を見つめ考えた。

 何故、彼女はあんなことを話したのだろうか。

 たぶんそれは、わたしが彼女たちにとって通りすがりの人だから。

 この村を出れば、恐らくもう二度と関わることもないから、胸の中にしまっておいた想いをさらけだしたのだろう。

 ──こんなことになるのなら、街へ出ることを止めたのに。

 ──セシルの街での数年は、時間を浪費しただけだったのかな……

 ミュリエルの悲痛なつぶやきが、頭の中に響いていた。

 

 時間の浪費。なんて辛い言葉、そう思った。

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