初めての旅(四)
こうして倒れ込んでから五日。レイリア到着後一週間が経っていた。
メルシーナはずっと寝込んでいた。医師の見立ては極度の疲れ。聞き
旅の疲れが、レイリア到着後にどっと出たようだった。倒れ込んでから二日間、食事もあまり喉を通らず、かなり激しい熱を出した。それでも食べ物を少しずつ口にしては、眠ることに専念した。
伯は直々に小さな花を持ってたびたび見舞いに訪れた。時には若い伯妃と一緒であった。そうして少女が望むであろう色々なことを申し出て、メルシーナも伯の好意に素直に甘えることにしていた。
そのような日々を経て、メルシーナはようやく落ち着きを取り戻した思いだった。
──季節の変わり目でもあったし、少し無理しすぎたのだろうか。
考えてはみたが、もはや原因はどうでもよいことだった。
そうして体調も整い始めると、少しずつ落ち着かない想いが彼女を支配するようになった。色々とこの街を見てまわりたいし、早く手写にも取り掛かりたかった。
護衛の騎士たちは、誰かが常にメルシーナの傍らにあった。夜ともなれば、女性騎士が受け持ったが、日中は男性騎士も詰めた。饗応の晩に、倒れた少女を担ぎ上げたリナルドは、幾度となく詫びの言葉を口にした。「旅慣れないあなたに、気付かぬうちに無理を強いていたことをどうかお許し下さい」。
メルシーナは
この日は女性騎士エミリアが侍り、少女の話し相手になっていた。そこへリナルドがやってきた。この日、騎士の口から詫びの言葉はなく、メルシーナは安堵と物足りなさが入り混じった妙な気分を感じた。
──わたしもわがままね。
少女は思い、クスリと笑った。
少女に挨拶を済ませたリナルドは、傍らのエミリアにも声をかけた。他の二人はどうしているのかと尋ねたエミリアに、騎士は二人の動静を伝えた。ふうんと、素っ気ない返事をしてエミリアはそれ以上聞くのをやめた。騎士が一人で入室してきたわけではないことに気付いたからだった。エミリアは慌てて立ち上がり略礼を捧げた。
リナルドの後ろには、数日前に伯の使者を務めた家令のフィリップがいた。家令は女性騎士に一礼すると、寝台の傍らに膝を突き頭を下げた。メルシーナは起きあがろうとして彼に止められた。しかし、少女の生真面目さはそれを許さなかったし、それだけのことが出来るくらいには元気も出ていたので、体を起こし家令に頭を下げた。
「お加減はいかがでございますか? メリュジーヌ様」
相変わらずシフィア語を意識して語りかける家令に、少女は微笑み答えた。
「だいぶよくなっております。ルイ様にはよくしていただいて、感謝するばかりです」
「それはよろしゅうございました。元気が出られたのなら何よりでございます。宴の翌朝から所用がありまして留守にしておりました。そのために、見舞が遅れましたことお許し下さい」
「そんなこと、お気に病まれないで下さいませ」
こうした儀礼的なやり取りののち、家令はメルシーナの傍らに座り歓談した。
伯領のこと、饗宴の夜のこと、中でも当地に古くからある伝承歌の話は、メルシーナの興味をひいた。
優しくいたわってくれるこの初老の家令に対し、メルシーナは好感を抱いた。
だが、柔らかな午後の日差しは
再び瞳が開かれた時、すでに客人は帰っていた。
「失礼なこと、しちゃった」
つぶやきの後、少女は二人の騎士の姿を認めた。室内に差し込む光の加減からも、あまり時間は経っていないようだった。
「もう少し、おやすみになられてもよかったのに。体を起こして長く話をなされたから、お疲れになられたのでしょう」
エミリアが声をかけたが、家令に対する不調法を恥じる少女の眠気は、もはや消え去っていた。
室内を無言が支配した。
──この
エミリアは傍で横になる少女を覗き込んで思った。
顔を上げた彼女は、視線の先に考え込むような表情のリナルドを認めた。そして、彼もまた先刻の家令の言葉を反芻しているのだろうと推察した。
家令は言った。あの夜のメルシーナに、命を削って歌っているかのような姿を感じたと。
エミリアの傍らに横たわる少女は、その言葉を聞いた時、実際に体に無理を強いて歌い奏でていたということもあってか、恥ずかし気にしていた。無論、家令の言葉の真意は、そのようなことではない。
不意にリナルドが少女に向かってつぶやいた。
「その華奢な身体のどこに、そんな強さがあるのですか」
黒髪の騎士の唐突な言葉に、ルシーナは何か返すべき言葉を見つけようとして戸惑い、結局何も言えなかった。
少女が何かを言う前に、エミリアは穏やかに言葉をかけた。
「でもメルシーナ様、これからはきつい時、ご気分がすぐれない時はそうおっしゃって下さい。無理は禁物です。無駄に命を削ることはありません。でも、ご立派でしたわ。きつかったでしょうに……最後まで歌われましたね」。
やがてリナルドも
エミリアの肩で切りそろえた栗色の髪に映りこむ光のつやは、緩やかに流れる小川を想起させた。それを見つめながら、メルシーナは川面に揺らぐ晩秋の光を思いだしていた。
それは旅の思い出、小さな出会いだった。
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