ボーナスエピソード 木場くんと大宮さん

※陽人と薫の馴れ初め話なので、第一話よりも前のお話です。


―――


 大宮おおみや かおるはひどく不機嫌であった。それはもう、とにかく不機嫌の極みであった。


 なんなのアイツ。何様なのよ、あの男。


 呪詛じゅそのようにそんな言葉を吐きながら歩く彼女を、すれ違う人々は避けて歩いていく。それくらい今の彼女は不機嫌であった。


 しばらく連絡がつかないと思っていた男から、突然の別れを切り出されたのが2時間前。なんでも、アルバイト先の女子大生に惚れて浮気していたらしい。挙句に、薫よりも本気だから別れてくれという話だった。


 アホか。アホなのか。


 当然、薫は激怒した。勢いそのままに別れを承諾し、飲み屋を一軒出てもなお怒りは収まらない。こういう時は誰かに電話を。そう思ってスマートフォンを取り出し、真っ先に指が向かったのは親友である未散みちるの連絡先だったが、そこでふと指が止まる。


 確か、彼女は最近具合が悪かったはずだ。悪阻つわりかも知れないと言っていた。そんな親友を相手にこんな話をするのは、いささか無遠慮ぶえんりょが過ぎると言うものだろう。


 しかし、それならどうしようと思ったところで、最近新たに追加された連絡先が目に入る。


 ――まぁ、話し相手が俺で良かったら。


 困ったような、曖昧な表情を浮かべていた元同級生に一報を入れた。彼に会うのは、連絡先を交換した先日の同窓会以来だった。


―――


「だからさぁ! ほんっとーに甲斐性かいしょうが無かったんだよねー、アイツ! 卒業しても自分はずっとバイトでさ! 私ばっかり、いつもお金とか出しててさ!」


 駅前の繁華街にある飲み屋の一角で、薫は盛大に管を巻いていた。向かい側の席では木場きば 陽人はるとが曖昧に笑っている。


「同窓会の時も思ったけど、大宮さん意外と酒強いよね」

「こういう時は便利なのよー、私の肝臓! まるでこうなることが分かってたみたい!」


 ヤケクソ気味に言いながら、薫はジョッキに残っていたビールを一気に煽る。華奢な喉がコクコクと動き、あっという間にジョッキは空になった。


「木場くんはさー、どう思う? 私たち、もういい歳よ!? それがさぁ、二十歳はたちの女の子なんかになびいちゃってさー!」

「まぁ……、さすがにないよなーって」

「でしょー!?」


―――


 ペース無視で呑み続ければ、いかに酒飲みであっても潰れるというもので。2回ほどトイレで吐いた薫は、自分の住所すら言えないほどの醜態しゅうたいを晒していた。


「ほんと、俺が悪い男だったらどうするつもりだったの」

「うっさい……、ぐす。ばーか……。男なんて、みぃんなバカヤローだぁ……、ぐす」


 それ、俺の前で言っちゃうかぁ、と陽人は心の中で呟く。


 肩を貸して、ほとんど薫を引きずるようにして歩きながら、どうしたものかと陽人は頭を悩ませる。ビジネスホテルはほぼ満室。カラオケや漫画喫茶もほぼ全滅。まぁ、金曜日なのだから当たり前だ。そして、この状態で放置なんて出来るはずもなく。


「……仕方ないなぁ、もう」


―――


 見慣れないベッドの上で目を覚まし、薫は血の気が引いていくのを感じた。


 どこだここ。


 おーけぃ、落ち着こう、私。


 彼氏に浮気された挙句、フラれた。

 いぇす。


 一軒目の居酒屋を出た?

 いぇす。


 未散に連絡した?

 のー。


 じゃあ、木場君?

 いぇす。


 ……で、そのあとどうした?

 ……あいどんのー。


 見慣れない部屋。寝ているのはセミダブルの知らないベッド。おまけに、着ている服は男物の部屋着。


「あー……、おはようございます?」


 ドアの前には、明らかに寝ていない様子の元同級生の男子。


 薫が土下座をかます5秒前。


―――


「いや、本当に大丈夫だから。間違いも起きなかったし。さすがに目の前で服を脱ぎ始めたのはビックリしたけど」

「誠に、誠に申し訳ございませんでした。どうやってお詫びをしたらいいか……」

「いいから、本当に」


 やってしまった。薫は顔から火が出る勢いだった。


 飲み会から帰ると、下着だけで寝ていたことは何度かあった。しかし、あろうことか付き合ってもいない男の部屋でそれをやるとは、なんたる不覚。あまつさえ、家主から服まで借り受けて。


「本当に木場君が紳士で良かったです」

「うん、それに関してはマジで俺もそう思う」


 恐る恐る顔を上げると、そこには困ったように笑う陽人がいた。嘘はついていないんだろうな。なんとなく、そんな気がした。そんなやり取りをして、今は陽人が淹れてくれたコーヒーを二人で飲んでいた。キッチンテーブルが無いので、陽人はデスクに、薫はベッドに座った状態だ。


 聞くところによると、陽人はソーシャルゲームの会社でイラストレーターをしているらしい。彼が高校時代は美術部だったことと、卒業後は美大に進学したらしい、という事をぼんやりと思い出した。


「……ちゃんと就職してて偉い」

「いや普通だよ。大宮さんだってOLって言ってたじゃない」

「いや、男の方」

「あぁ……」


 薫の言わんとしていることを察して、陽人は頷いた。


 自称ミュージシャン志望。自称未来の企業家のバイト暮らし。挙句は浮気男と、三連チャンで男運の無さを発揮していたという話は、昨夜の飲みの席で散々聞かされた話だ。


 薫は溜息をついて、ぽつりと呟いた。


「木場君みたいにしっかりした男なら良かったのになぁ……」

「じゃあ付き合ってみる?」


 一瞬の沈黙。薫が顔を上げると、陽人はバツが悪そうに視線をさまよわせていた。


「いや、昨日の今日でこんなこと言うのもアレかな」

「……うぅん、いいよ」

「……え、うそ?」

「ほんと」


 薫の声は冷静そのものだったが、内心はほとんど投げ遣りだった。


 今までの男よりはまともそうだし、まぁいっか。そんな具合に。


―――


「で? 付き合ってみたはいいけど、距離感がよく分かんないって? あんた中学生じゃあるまいし」

「そうなんだけどさ……」


 陽人と付き合って三ヶ月。薫と未散はファミレスで食事をしていた。未散は妊娠していて、お腹は大きくなり始めている。


「今までとタイプが違い過ぎて、なんか今ひとつ分かんないっていうか……」

「まぁ、木場君って大人しい感じだったもんねぇ。あたしも高校の時はちょっとしか話さなかったし」

「でも、文化祭の絵とかクラス冊子の絵が凄かったから、有名人ではあったよね」

「そうねぇ。今もイラストが仕事って、順当に良い道を歩んでるって感じ」


 そんな話をした数日後。その日、薫は陽人の部屋に泊まりに行くことになっていた。おかしなもので、お互い大人だというのに、未だにやることやってないのだ。そのせいか、薫は妙に落ち着かなかった。まぁ、陽人の方が全くそんな素振りを見せない上に、仕事の都合で会える日もまばらなので、それも致し方ないのかも知れない。


「いらっしゃい」


 陽人の部屋は、以前来た時と同じようにシンプルで家具も少ない。2DKの部屋のひとつは寝室で、もう一部屋は仕事部屋 兼 絵の資料置き場として使っているらしい。


「大宮さん、ちょっと見せたいものがあるんだ」

「へ?」


 開口一番、陽人が言った言葉に、薫はマヌケな返事をしてしまった。そんな薫を置いて、陽人は仕事部屋に入り、すぐに出てきた。スケッチブックサイズの、何やら四角い物を持っている。


「仕事と並行だったから、時間かかっちゃってさ。ちょっと早いけど、もうすぐクリスマスだし」


 薫に手渡されたのは、シンプルな額に入った一枚のアナログイラストだった。


 紙の左上には、ローマ字で「KAORU」の文字。そして紙の上には色々な表情の薫が、あるものはシンプルだけど可愛らしいタッチで、あるものは漫画のデフォルメのようなイラストで描かれていた。


 薫が硬直する。続けて、涙が一筋流れた。陽人は慌てて薫の顔を覗き込んだ。


「あ、ごめん。嫌だったかな。こんな絵がプレゼントとか、やっぱイタイかな。でも俺が出来そうなのって、これくらいで……」

「ううん」


 薫は潤んだ瞳でじっと陽人を見た。


「すっごい嬉しい」


 今までの彼氏だって、プレゼントはくれた。バッグとか、化粧品とか。嬉しくないわけではなかったけれど、どこか醒めた思いもあった。きっと、歴代の彼女にも同じような贈り物をしてきたんだろうな、と。


 でもこれは陽人が薫のためだけに、薫だけを見て描いてくれた絵だ。薫のために、文字通り彼は自分の腕を振るってくれたのだ。嬉しくないわけがなかった。


 この時になって薫はようやく、心から陽人が大好きだと思った。


―――


 ぼんやりした明かりの中、安心する暖かさの中で、薫は目を覚ました。


「おはよ」


 目の前には、ぎこちなく笑う陽人がいた。


「……おはよう」


 まだ眠い。少しでも体温を感じたくて、薫は陽人の胸に顔を埋めた。


「まだ寝る?」

「……ん」

「そう」


 陽人の手が、遠慮がちに薫の背中に添えられた。


「……頭撫でて」

「はいはい」


 細い指が、サラサラと頭を撫で、短い髪をいてくれる。その手が何度も触れてくれたことを思い出して、それがなんだか無性に嬉しかった。


「ねぇ」

「ん?」

「……好き」

「……今更じゃない?」

「いいの」


 仕方ないじゃないか。本当に大好きだって、昨夜初めて感じたんだもの。


「陽人君、名前呼んで」

「……か、薫」

「んー、もっかい」

「……薫」

「んふふ」


 こんな風になるなんて、正直思わなかった。しかし何はともあれ、薫は今とても幸せだった。

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彼と彼女と。 藤野 悠人 @sugar_san010

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