ボーナスエピソード 木場くんと大宮さん
※陽人と薫の馴れ初め話なので、第一話よりも前のお話です。
―――
なんなのアイツ。何様なのよ、あの男。
しばらく連絡がつかないと思っていた男から、突然の別れを切り出されたのが2時間前。なんでも、アルバイト先の女子大生に惚れて浮気していたらしい。挙句に、薫よりも本気だから別れてくれという話だった。
アホか。アホなのか。
当然、薫は激怒した。勢いそのままに別れを承諾し、飲み屋を一軒出てもなお怒りは収まらない。こういう時は誰かに電話を。そう思ってスマートフォンを取り出し、真っ先に指が向かったのは親友である
確か、彼女は最近具合が悪かったはずだ。
しかし、それならどうしようと思ったところで、最近新たに追加された連絡先が目に入る。
――まぁ、話し相手が俺で良かったら。
困ったような、曖昧な表情を浮かべていた元同級生に一報を入れた。彼に会うのは、連絡先を交換した先日の同窓会以来だった。
―――
「だからさぁ! ほんっとーに
駅前の繁華街にある飲み屋の一角で、薫は盛大に管を巻いていた。向かい側の席では
「同窓会の時も思ったけど、大宮さん意外と酒強いよね」
「こういう時は便利なのよー、私の肝臓! まるでこうなることが分かってたみたい!」
ヤケクソ気味に言いながら、薫はジョッキに残っていたビールを一気に煽る。華奢な喉がコクコクと動き、あっという間にジョッキは空になった。
「木場くんはさー、どう思う? 私たち、もういい歳よ!? それがさぁ、
「まぁ……、さすがにないよなーって」
「でしょー!?」
―――
ペース無視で呑み続ければ、いかに酒飲みであっても潰れるというもので。2回ほどトイレで吐いた薫は、自分の住所すら言えないほどの
「ほんと、俺が悪い男だったらどうするつもりだったの」
「うっさい……、ぐす。ばーか……。男なんて、みぃんなバカヤローだぁ……、ぐす」
それ、俺の前で言っちゃうかぁ、と陽人は心の中で呟く。
肩を貸して、ほとんど薫を引きずるようにして歩きながら、どうしたものかと陽人は頭を悩ませる。ビジネスホテルはほぼ満室。カラオケや漫画喫茶もほぼ全滅。まぁ、金曜日なのだから当たり前だ。そして、この状態で放置なんて出来るはずもなく。
「……仕方ないなぁ、もう」
―――
見慣れないベッドの上で目を覚まし、薫は血の気が引いていくのを感じた。
どこだここ。
おーけぃ、落ち着こう、私。
彼氏に浮気された挙句、フラれた。
いぇす。
一軒目の居酒屋を出た?
いぇす。
未散に連絡した?
のー。
じゃあ、木場君?
いぇす。
……で、そのあとどうした?
……あいどんのー。
見慣れない部屋。寝ているのはセミダブルの知らないベッド。おまけに、着ている服は男物の部屋着。
「あー……、おはようございます?」
ドアの前には、明らかに寝ていない様子の元同級生の男子。
薫が土下座をかます5秒前。
―――
「いや、本当に大丈夫だから。間違いも起きなかったし。さすがに目の前で服を脱ぎ始めたのはビックリしたけど」
「誠に、誠に申し訳ございませんでした。どうやってお詫びをしたらいいか……」
「いいから、本当に」
やってしまった。薫は顔から火が出る勢いだった。
飲み会から帰ると、下着だけで寝ていたことは何度かあった。しかし、あろうことか付き合ってもいない男の部屋でそれをやるとは、なんたる不覚。あまつさえ、家主から服まで借り受けて。
「本当に木場君が紳士で良かったです」
「うん、それに関してはマジで俺もそう思う」
恐る恐る顔を上げると、そこには困ったように笑う陽人がいた。嘘はついていないんだろうな。なんとなく、そんな気がした。そんなやり取りをして、今は陽人が淹れてくれたコーヒーを二人で飲んでいた。キッチンテーブルが無いので、陽人はデスクに、薫はベッドに座った状態だ。
聞くところによると、陽人はソーシャルゲームの会社でイラストレーターをしているらしい。彼が高校時代は美術部だったことと、卒業後は美大に進学したらしい、という事をぼんやりと思い出した。
「……ちゃんと就職してて偉い」
「いや普通だよ。大宮さんだってOLって言ってたじゃない」
「いや、男の方」
「あぁ……」
薫の言わんとしていることを察して、陽人は頷いた。
自称ミュージシャン志望。自称未来の企業家のバイト暮らし。挙句は浮気男と、三連チャンで男運の無さを発揮していたという話は、昨夜の飲みの席で散々聞かされた話だ。
薫は溜息をついて、ぽつりと呟いた。
「木場君みたいにしっかりした男なら良かったのになぁ……」
「じゃあ付き合ってみる?」
一瞬の沈黙。薫が顔を上げると、陽人はバツが悪そうに視線をさまよわせていた。
「いや、昨日の今日でこんなこと言うのもアレかな」
「……うぅん、いいよ」
「……え、うそ?」
「ほんと」
薫の声は冷静そのものだったが、内心はほとんど投げ遣りだった。
今までの男よりはまともそうだし、まぁいっか。そんな具合に。
―――
「で? 付き合ってみたはいいけど、距離感がよく分かんないって? あんた中学生じゃあるまいし」
「そうなんだけどさ……」
陽人と付き合って三ヶ月。薫と未散はファミレスで食事をしていた。未散は妊娠していて、お腹は大きくなり始めている。
「今までとタイプが違い過ぎて、なんか今ひとつ分かんないっていうか……」
「まぁ、木場君って大人しい感じだったもんねぇ。あたしも高校の時はちょっとしか話さなかったし」
「でも、文化祭の絵とかクラス冊子の絵が凄かったから、有名人ではあったよね」
「そうねぇ。今もイラストが仕事って、順当に良い道を歩んでるって感じ」
そんな話をした数日後。その日、薫は陽人の部屋に泊まりに行くことになっていた。おかしなもので、お互い大人だというのに、未だにやることやってないのだ。そのせいか、薫は妙に落ち着かなかった。まぁ、陽人の方が全くそんな素振りを見せない上に、仕事の都合で会える日もまばらなので、それも致し方ないのかも知れない。
「いらっしゃい」
陽人の部屋は、以前来た時と同じようにシンプルで家具も少ない。2DKの部屋のひとつは寝室で、もう一部屋は仕事部屋 兼 絵の資料置き場として使っているらしい。
「大宮さん、ちょっと見せたいものがあるんだ」
「へ?」
開口一番、陽人が言った言葉に、薫はマヌケな返事をしてしまった。そんな薫を置いて、陽人は仕事部屋に入り、すぐに出てきた。スケッチブックサイズの、何やら四角い物を持っている。
「仕事と並行だったから、時間かかっちゃってさ。ちょっと早いけど、もうすぐクリスマスだし」
薫に手渡されたのは、シンプルな額に入った一枚のアナログイラストだった。
紙の左上には、ローマ字で「KAORU」の文字。そして紙の上には色々な表情の薫が、あるものはシンプルだけど可愛らしいタッチで、あるものは漫画のデフォルメのようなイラストで描かれていた。
薫が硬直する。続けて、涙が一筋流れた。陽人は慌てて薫の顔を覗き込んだ。
「あ、ごめん。嫌だったかな。こんな絵がプレゼントとか、やっぱイタイかな。でも俺が出来そうなのって、これくらいで……」
「ううん」
薫は潤んだ瞳でじっと陽人を見た。
「すっごい嬉しい」
今までの彼氏だって、プレゼントはくれた。バッグとか、化粧品とか。嬉しくないわけではなかったけれど、どこか醒めた思いもあった。きっと、歴代の彼女にも同じような贈り物をしてきたんだろうな、と。
でもこれは陽人が薫のためだけに、薫だけを見て描いてくれた絵だ。薫のために、文字通り彼は自分の腕を振るってくれたのだ。嬉しくないわけがなかった。
この時になって薫はようやく、心から陽人が大好きだと思った。
―――
ぼんやりした明かりの中、安心する暖かさの中で、薫は目を覚ました。
「おはよ」
目の前には、ぎこちなく笑う陽人がいた。
「……おはよう」
まだ眠い。少しでも体温を感じたくて、薫は陽人の胸に顔を埋めた。
「まだ寝る?」
「……ん」
「そう」
陽人の手が、遠慮がちに薫の背中に添えられた。
「……頭撫でて」
「はいはい」
細い指が、サラサラと頭を撫で、短い髪を
「ねぇ」
「ん?」
「……好き」
「……今更じゃない?」
「いいの」
仕方ないじゃないか。本当に大好きだって、昨夜初めて感じたんだもの。
「陽人君、名前呼んで」
「……か、薫」
「んー、もっかい」
「……薫」
「んふふ」
こんな風になるなんて、正直思わなかった。しかし何はともあれ、薫は今とても幸せだった。
彼と彼女と。 藤野 悠人 @sugar_san010
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