最終回 ある家族の群像
【はじめに】
最終回ということもあり、どんな構成にしようと悩んだ結果、ひとつひとつの短いエピソードを繋いだ形に落ち着きました。
【いつもの朝】
木場家の朝はいつも騒がしい。いや、小さな子どもがいる家庭は、どこもそういうものかも知れない。
朝食の準備をしていた夫の
「おーい、朝だよー。
布団の上で太陽の光に目を
先に勢いよく頭を上げたのは、那月の方だった。しかし、機敏なのは動きだけで、目はしっかりと閉じたままだ。
「おとうさん、だっこー」
子ども特有の甲高くも柔らかい声で呟き、那月は陽人に向かって両手を伸ばす。はいはい、と言いながら陽人が抱きかかえると、那月はそこでまた寝ようとし始めた。
「はい那月、起きようねー。起きないとヒーちゃんやミユちゃんに会えないよ」
「やーぁー」
イヤイヤ期が始まった那月は、父の腕の中でグリグリと首を横に振る。ヒーちゃん、ミユちゃんというのは、保育園で仲良しな友達の名前である。
ややって、今度は薫が身を起こした。
「……おはよ」
「おはよう薫」
父親の陽人、母親の薫、そして長女の那月。いつもと同じように、木場家の一日が始まった。
妻と娘に顔を洗わせて、娘の服を着替えさせれば、ようやく朝食の時間だった。木場家では、朝食を作るのは陽人の仕事だった。彼は昔からめっぽう朝に強い。たまにポツポツと会話をする以外、静かな朝食だった。夫婦の教育方針で、子どもが小さいうちは、食事をしながらテレビを点けないことにしているからだった。
「薫、今日は遅くなりそう?」
陽人は、那月がお茶を飲みやすいように手を添えてやりながら薫に尋ねる。
「そうだねぇ。会議あるし、他にも済ませなきゃいけない仕事もあるし」
「了解。那月のお迎えは俺が行くよ。送りだけお願いできる? 今日ちょっと打ち合わせあるからさ」
「かしこまりー」
薫はコーヒーを飲みながら敬礼のポーズを取った。
朝食を食べ終わると、まだあくびの止まらない薫と、すでに元気いっぱいになった那月が、陽人に見送られて玄関から出る。
「いってらっしゃい。ふたりとも、気をつけてな」
「ありがと、いってきます」
「おとうさん、いってきまーす!」
【餃子パーティー】
ある日の日曜日。
「お邪魔しまーす!」
「おじゃましまーす!」
未散と綾の快活な声が、しっかりとハモって玄関に響く。綾はまだ五歳だというのに、早くも母と声音がよく似ていた。ふたりの声が響くのとほぼ同時に、顔を輝かせた那月が飛んできた。
「あやちゃん!」
「なっちゃん!」
幼い女の子ふたりは、お互いに手を取ってキャッキャとはしゃいでいた。
「いらっしゃい未散」
「やっほー薫。なっちゃん、また大きくなったねぇ」
未散は那月の頭をわしわしと撫でながら、親友の薫に向かってニカッと笑った。那月は頭をくしゃくしゃにされ、照れたようにくねくねと動く。
未散と綾から遅れて、熊のような大男がのっそりとやって来た。未散の夫の
みんなが玄関にいる間も、陽人はキッチンでテキパキと準備を進めていた。テーブルの上に並んでいるのは餃子の材料だ。
今日は、佐々木家と木場家のみんなで餃子パーティーである。
「陽人くん、やっほー!」
「どうも、お邪魔します」
キッチンに顔を出した未散と俊夫に、陽人も人の
「未散さん、俊夫さんも、いらっしゃい。みんなで集まるのは少し久しぶりですかね」
「そうねぇ、年明けに陽人くんたちがうちに来た時以来だから、半年経たないくらいかな」
木場家と佐々木家は同じ町内に住んでいた。薫と陽人が結婚して子どもが生まれてからも交流があり、小さな娘同士は姉妹のように仲良くなったこともあって、今でも定期的に遊びに行く仲だ。
みんなで手を洗ってキッチンに集まれば、いよいよ餃子づくりが始まった。
「餃子の皮に具を置いて、端っこを濡らして、こうやって包むんだよ」
陽人は、綾と那月に説明しながら、ゆっくりと餃子を作って見せる。小さな2人では手に餃子の皮を持てないため、ラップを敷いた平皿の上でやってもらった。
未散も普段から料理をする身なので、気付けば2人はすっかり子どもたちの先生役になっていた。そして、数分と経たずに生徒はもうひとり増えた。俊夫である。
「いやぁ、お恥ずかしい。普段、料理は未散に頼りっぱなしなもので」
「おとうさんのギョーザ、へんなかたちー!」
苦笑しながら餃子を作る俊夫を、綾はキャッキャと笑う。
「俊夫さん、酒の肴を作るのは上手いんだけどね」
夫に教えながら、未散も苦笑する。
テーブルの上は、小さな子どもが作るということもあって、なかなかの大惨事になっていた。具材をこぼす、水が散る、そんなものは当たり前である。それらに対応しつつも、六人は和気あいあいと餃子を作っていく。
しばらくすると、みんなで作ったたくさんの餃子が、大皿いっぱいに並んだ。
大きなもの、小さなもの、形の綺麗なもの、丸っこいもの、ちょっと角ばったもの、少し具が飛び出しているもの。形も大きさも様々で、それがそのまま、この部屋に集まった六人の個性のようだった。
【新しい家族】
薫が再び妊娠した。新しい家族の知らせに、木場家はもとより、両家の親も大いに喜んだ。
更に、薫の妊娠が発覚してしばらく経ってから、未散の妊娠も分かった。もしかすると、今度生まれてくる子どもは同い年になるかも知れない。そんな話で、両家の夫婦は大いに盛り上がっていた。
そんな中、妊娠六週目に入った時のことだった。
「双子!?」
自宅で妻と一緒にお茶を飲んでいた陽人は、素っ頓狂な声を上げた。
「うん、二卵性の双子ちゃんだって。私もびっくりしちゃった」
薫は一人っ子なので、兄弟というものを知らない。妹がいる陽人によると、「ケンカすることもあるけど、やっぱり兄弟っていいと思うよ」とのことだった。
しかし、いざ妊娠してみると双子だったとは。
那月を妊娠した時もそうだったが、自分のお腹の中に、新しい命が宿っているというのは、なんとも不思議な感覚だ。それが、今度は二人だというのだから、ますます不思議な感じである。
自分はいま、自分自身と、二人の赤ちゃん。三人分の命を持つ身なのだ。不思議であると同時に、やっぱり新しい家族が増えることに対する幸福感もあった。しかし同時に、その先に待ち受けている出産に対しては、やはり不安もあった。
『え、双子ちゃん!?』
電話の奥の未散も、陽人と全く同じようなリアクションだった。それがなんだかおかしくて、薫は思わず笑ってしまった。
「うちの人とおんなじ反応だ」
『そりゃびっくりするよ。そっかぁ、なっちゃんには一気に二人も下の子ができるんだね』
「うん。でも正直、那月の時よりも不安かも」
『なんで?』
薫は自分のお腹を撫でた。
「双子が死産する確率って、ひとりの時よりも高いんだって。病院でもいろいろ聞いたし、さっき調べたんだけど……。私、この子たちを元気に生んであげられるかなって」
那月の時にも不安はあった。那月を妊娠したときも、今回も、陽人は自分をしっかり支えると言ってくれたし、確かにそうしてくれた。夫を信頼していないわけではない。
それでも、やはり不安だった。双子を妊娠したときのリスク、死産の可能性、調べれば調べるほど、不安は増すばかりだ。妊娠初期からこうではいけないと思いつつも、やはり弱気になってしまう。
そんな親友の様子に、未散もしばらくなんと声を掛けてあげればいいか迷った。しかし、出てきた言葉は、とてもシンプルなものだった。
『薫、うまく言えないし、あたしが言ってもアレだけどさ……、きっと大丈夫だよ。あんたがいつも言うじゃん。きっと大丈夫って』
未散のその言葉に、薫はハッとした。
「きっと大丈夫」。未散と一緒に過ごした学生時代も、未散が初めて妊娠したときも、陽人と結婚したときも、那月を妊娠したときも、いつも言っていた言葉だ。
『それに、ほら、よく言うじゃん。赤ちゃんって、お母さんを自分で選んで生まれてくるって。その双子ちゃんは、二人で一緒に薫を選んだんじゃないかな。だから、その子たちが選んだ薫なら、きっと大丈夫だよ』
その親友の言葉が、薫にとっては、今は何よりの救いだった。
【恐るべし孫パワー】
「こんにちは、お邪魔するわ~」
陽気な声を上げながら木場家の玄関をくぐったのは、薫の母・
「お義母さん、いらっしゃい」
「どうも~、陽人くん。最近、お仕事の調子はどう?」
「おかげさまで順調です」
二人がリビングでそんな話をしていると、
「お母さん、ごめんね。来てくれてありがとう」
「あんた、双子だったってねぇ! びっくりしたわよ!」
「私が一番びっくりしてるって」
母と娘のそんな会話を聞きながら、陽人は冷蔵庫の中を見て、今夜の献立に頭を悩ませていた。
薫のお腹も大きくなってきて、少しずつ出産も近付いている。食材や料理に対する注意も、陽人の中では日増しに強くなるばかりだった。
「そうだ陽人くん、
「えぇ、
「楽しみねぇ。沙織ちゃんも久しぶりだわ」
芳子というのは陽人の母で、沙織は六歳離れた陽人の妹である。両家の母親は、二人が婚約を報告したあとの顔合わせで会って以来、いつの間にか連絡先を交換して、しょっちゅう話す間柄になっていたらしい。
やや生真面目で、お堅いところのある芳子。
大らかでのんびりとした直子。
性格が反対の二人だが妙に馬が合ったらしい。
しばらく話していると、隣の部屋で昼寝をしていた那月が、寝ぼけ眼でリビングへやって来た。しかし、直子の顔を見ると、パァッと顔を輝かせる。
「おばあちゃん!」
「なっちゃん、おはよう!」
直子は飛び切りの笑顔を浮かべて那月を抱きしめ、よしよしと頭を撫でながら体を揺する。世間の祖父母がそうであるように、直子も孫が可愛くて仕方がなかった。
余談だが、直子に負けず劣らず、薫の父も那月を溺愛していた。その溺愛ぶりたるや、那月が生まれた直後、病院で保育器に入っている那月をじっと眺めたまま、30分以上も身動きしなかったほどである。更に、後からやってきた陽人の両親と、三人揃って同じように那月を眺めていたことは、今でも語り草になっている。
それも無理からぬことで、那月は陽人と薫の最初の子どもであるだけでなく、二人の両親たちにとっても初孫だったのだ。
しばらくすると、芳子と沙織もやってきた。みんなで那月を可愛がり、今後のことも話し合いながら、この日も時間は過ぎていった。
沙織も姪っ子の那月を心底可愛がっており、「薫さん、なっちゃんを私にください!」「うちの娘はやらん!」という、お決まりの合言葉を言い合っては、楽しそうに笑っていた。
「あーあー、私も早く結婚したいなぁ」
沙織の最近の口癖はこれだった。
【なっちゃんの内緒話】
那月は、ずいぶん大きくなった薫のお腹をじーっと眺める。お母さんのお腹が大きくなっている理由は分かっている。お腹の中に、赤ちゃんがいるからだ。そう教えてもらったけれど、まだ三歳の那月には、やっぱりよく分からなかった。
「おかあさん」
「なに?」
那月はお腹をじっと眺めたまま、母を呼んだ。
「おかあさんのおなかに、あかちゃんがいるんだよね」
「うん、そうだよ」
「なっちゃんも、おかあさんのおなかにいたの?」
「うん、そうだよ」
薫はなんとは無しに、娘の頭をスルスルっと撫でた。その時、お腹の中の子どもが、ポコンと薫のお腹を蹴った。
「あ、いま赤ちゃんが動いた」
薫の言葉に、那月は不思議そうに首を傾げる。
「あかちゃんって、うごくの?」
「うん、お腹の中で動くんだよ」
「なっちゃんも、うごいてた?」
「うん、那月もたくさん動いてたよ」
「ふぅん」
那月が恐る恐ると言った様子で、母のお腹を触る。小さくて柔らかい、そして子ども特有の暖かい手が、薫のお腹を不器用に撫でる。
「おかあさん、ときどきあかちゃんと、おしゃべりしてるよね」
「うん。那月のときもしてたよ。これくらい大きくなると、外の音が聴こえたりするんだって」
那月は、今度は母の顔をじっと見た。那月の目は二重まぶたで、大きくてキラキラした、丸い目をしていた。この目は自分譲りだな、と薫は思った。たったそれだけのことで、薫はこの小さな娘が愛おしくて仕方がなかった。
「なっちゃんのときも、おしゃべりしてた?」
「たくさんしてたよ」
「そうなの? でも、なっちゃん、おぼえてないよ?」
「うんと小さかったからねぇ」
薫は、丸くてぷにぷにとした那月の頬を撫でる。那月はくすぐったそうに首を動かすが、母の手が触れてくれるのが理由もなく嬉しかった。
「なっちゃんがおしゃべりしたら、あかちゃんにきこえるかな?」
「うん、きっときこえるよ」
那月はそれを聞くと、両手でメガホンを作るようにして、母のお腹に顔を近づけた。まだ小さな手だから、ほとんど口が付くくらい近かった。
「おもちゃははんぶんこしようね。おやつもはんぶんこしようね。でも、なにかあったらおねえちゃんにいってね」
すると、まるで那月の言葉に応えるように、お腹の中から、ぽこん、ぽこん、と、小さくふたつの音が響いた。
「那月、赤ちゃんになんて言ったの?」
薫はにやにやしながら娘に訊いた。
「えっとねぇ……」
那月は照れたように体をくねくねさせながら、嬉しそうに笑った。
「えへへへ、ないしょ」
那月がそう言ったのと同時に、ちょうど玄関の扉が開く音がした。所用で出かけていた陽人が帰ってきたのだ。ただいま、という父の声がすると同時に、那月は玄関に走っていく。
「おとうさん、あのね、なっちゃんね、あかちゃんとね、おしゃべりしたの!」
嬉しそうな那月の声を聞きながら、薫は自分の顔がどうしようもなくニヤけてしまうのが止められなかった。愛娘の内緒話は、母にはすっかり筒抜けになっていたからだ。
【そして家族はつづく】
薫のお腹の中にいた双子は、帝王切開による出産となった。陽人と薫は、何度も何度も話し合い、医師とも相談の上で決めた。手術そのものは、それほど長時間にはならない、という説明だったが、それでも薫は不安だった。
陽人はそんな妻を手を握って、きっと大丈夫、と何度も繰り返した。そう言いつつも、心の中では歯噛みしていた。
妊娠や出産は命懸けだ。現代は医学の発展もあって、昔ほど死亡率も高くないし、無痛分娩など、出産の際の選択肢も増えた。しかし、それでも大変なことには変わらない。自分は無責任に「きっと大丈夫」なんて声を掛けることと、多少のサポートくらいしかできない。
それは仕方のないことだと分かっていても、どうしても悔しさがあった。
そして、その年の11月頃、出産となった。手術室に入っていく薫を見送り、陽人は手術室近くの椅子に座った。しかし、じっとしているとどうしても落ち着かず、無意味に歩き回ったり、気付けば貧乏ゆすりをしたりしていた。普段は座りっぱなしで仕事をしているはずなのにな、と考えた。
那月の出産のときは自然分娩だった。しかし、長く猛威を振るったコロナウィルスの影響もあって、感染のリスクを最大限なくすため、当時も薫の傍にはいられなかった。それでも、薫のいきむ声は聞こえてきて、陽人の胸はどうしようもなく締め付けられた。
本当に男って無力だ。当時も今も、その気持ちは変わらなかった。そして、願うことも、あの時と一緒だった。
妻も、子どもも、何事もなく出産が終わりますように。
2、3時間後、無事に手術が終わったことを告げられた陽人は、大きな安堵のため息をついた。大きな赤ん坊の泣き声が聞こえたことも、安心に一役買っていた。子どもは男の子と、女の子の双子だった。
後日、那月を連れて、薫と赤ちゃんのお見舞いに来た。小さな小さな妹と弟を、那月は何も言わずに、じっと見つめていた。まるで、那月が生まれた時の親のようだと、陽人と薫は微笑ましく思った。
「あかちゃん、ちっちゃいね」
那月は呟くようにそう言った。
「うん、生まれたばかりだからね」
陽人は、娘の頭を撫でながらそう言った。那月は今年で四歳になる。この双子の弟と妹とは、四つ違いだった。
「なまえは?」
那月は、大きな目を双子に釘付けにしたまま、父に尋ねた。
「こっちが女の子で、
陽人は左側で眠っている赤ちゃんを指して言った。
「こっちが男の子で、
「あんず、ゆきと」
那月はそう言って、恐る恐る妹に手を近づけた。指を一本だけ伸ばして手に触れると、小さくて細い杏珠の手が、きゅっとその指を掴んだ。もう一方の手の指で倖人の手に触れると、その手も杏珠と同じように、那月の指をきゅっと掴む。それを見て、那月は不思議に思いながらも、もうすっかりお姉さんになったような気分になった。
「あんず、ゆきと、うまれてきてくれて、ありがとう」
那月は小さな声で、妹と弟に呼びかけた。
それから一ヶ月後、未散も無事に二人目の子どもを出産した。こちらも母子ともに健康とのことで、陽人も薫も祝福すると共に、一安心だった。佐々木家の第二子も男の子で、「
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