彼と彼女と。
藤野 悠人
第一話 彼と私とハロウィンと。
同棲を提案したのは彼の方だった。
「この駅の近くなら、
そんな、一般的なカップルと比べて、ずいぶんと合理的な理由で、私は彼の提案を受け入れた。同棲を決めるのも早ければ、部屋を決めるのも早かった。今年の3月にそんな話をして、4月になる頃には、駅から徒歩10分ほどのマンションに入居した。
私は会社勤めのOL。そして、彼――
これは、そんな彼と私のお話。
―――
世間はすっかりハロウィンムードだった。町のいたるところに、ジャック・オー・ランタンやコウモリの装飾、ハロウィンをイメージした商品、カラフルに包装されたお菓子の袋。私は、こういう季節感のあるイベントは大好きだ。
「俺さ、日本のハロウィンの感じ、苦手なんだよね」
一緒にテレビを見ている陽人くんが、コーヒーを飲みながら呟いた。
「そうなの?」
「うん。なんか、とりあえずそれっぽい仮装して騒いでればいい、みたいな風潮が嫌」
「陽人くんだって魔女っ子の絵とか描くじゃん」
「あれは仕事だから」
淡々と答える。取りつく島もない、というやつだ。陽人くんは、変なところで真面目だ。偏屈とも言う。
「私は仮装とかするの、好きだけどなぁ」
「薫はそういうのやってたの?」
「うん。学生の時は普通にやってたよ? 魔女の格好したり、わざわざ高校時代のブレザー出してきたり」
「ふぅん」
私は机の上のスマホを取って、クラウドの写真フォルダーをスクロールした。写真や動画を大量に保存できるクラウドは、写真を撮るのが大好きな私の強い味方だ。
「ほら、これとか」
「これ、いつの?」
「えーっと、大学3年生かな。これは友達と仮装して、ディズニー行ったときのやつ」
「髪長いな。あと茶髪」
「そりゃ学生だったもん」
当時は肩の下まであった髪はすっかり短くなって、耳の下あたりで大人しくまとまっている。我ながらずいぶん短くしたものだと思った。
「なんで伸ばしてたの? 大学3年って言えば、成人式はもう終わってるでしょ?」
「んー、当時付き合ってた彼氏の趣味かなぁ」
「……へぇ」
「ハロウィンの時とかに『茶髪セミロングの魔女っ子が見たい』とか言われたしね」
そう言って、私はクラウドを閉じた。
正直に言うと、せっかくのハロウィンだし、ハロウィンっぽいことをしたいな、とは思う。陽人くんと一緒に住んで、初めてのイベントだ。腹の立つことに、2年も続くコロナの影響で、夏祭りには今年も行けなかった。
でも陽人くんは、
「わざわざ暑い中、人の多いとこに行かなくていいし、俺はラッキーだなぁ」
なんて言っていた。仕事も性格も超インドアな彼は、人混みがとにかく苦手で、部屋でのんびり過ごすのが好きなのだ。
そんなわけで、今年もハロウィンを楽しむのは無理かな、なんて諦めていた。
―――
「ちょっと出かけてくる」
ある土曜日。のっそりと部屋から出てきた陽人くんの第一声に、私はビックリした。
「え、どうしたの珍しい」
「大学の時の友達が、仕事でこっちに来てるんだって。せっかくだし、昼でもどうって」
「へぇ、いいじゃん。あったかい恰好してってね」
「うん」
前日の夜に雨が降ったせいで、昼間だというのにアウターを着ないと寒い日だった。こんな日にわざわざ彼が出掛けるということは、かなり親しい友達なんだろう。
白地に青空がプリントされたパーカーの上に、古着屋で私が選んだジャケット、少し大きめのリュックを背負って、陽人くんは玄関に向かう。これも珍しい。外出する時、陽人くんが財布とスマホ以外を持って行くことは、ほとんどない。
「珍しいね、そんな荷物まで持って。明日は雪かな」
「いや、いきなり冬が来ちゃったよ。あんまりこっち来ない友達だし、お土産でも買って行こうと思って」
「なるほどね。気を付けてね」
「ん、いってきます」
ふりふり、と小さく手を振って、陽人くんは出掛けて行った。私が出勤する時や、外出する時にも、彼は同じように手を振ってお見送りをする。こういうちょっとした仕草が可愛いな、といつも思う。
「……あ、洗濯機回しとこ」
ふと思い立って、私は洗面所に向かった。普段、家事はほとんど陽人くんに任せっきりだ。休日くらいはやらないと、なんとなく落ち着かない。
洗濯カゴには、2日分程度の洗濯物が溜まっていた。色移りなどを考えて服を分け、最近買い換えたドラム式洗濯機に放り込んでいく。家電が好きな陽人くんのこだわりで、乾燥機能まで付いている優れものだ。
そこで、ふと気づいた。いくつか、見慣れない服がある。間違いなく陽人くんの物だけど、今までの彼の趣味になかったような服だ。
外出するときの服装も、私が選んだジャケットを着てはいたけど……。そういえば、白地に青空がプリントされたパーカーなんて、彼は持っていただろうか。パーカーの上にジャケットなんて、ファッションとしては鉄板だけど、陽人くんは基本的にモノトーンの服ばかり着ている。
そういえば、と、またひとつ思い出して玄関に向かう。履き古したスニーカーはシューズボックスに入ったままだった。先日、ドクター・マーチンの靴を買っていてとても驚いたのだが、「とうとうお洒落に目覚めたんだな」くらいにしか思っていなかった。しかし、大学時代の友達に会うためだけに、そんな気合いの入った恰好をするだろうか
「……まさかね」
―――
『怪しいね』
「やっぱ、そう思う?」
数分後、洗濯機を回した私は、友達の
『あんたたち、付き合ってどれくらいだっけ?』
「一年半くらい」
『同棲は?』
「半年ちょっと」
『……浮気するにしては早すぎる気もするけど……。なくはない、ってタイミングね』
やっぱりそう考えるのが自然だろう。実際、陽人くんは在宅で仕事をしていて、私は会社勤めなので、私の目が届かない時間帯は多い。でも、リビングや寝室に違和感を覚えたことはないし、あの超インドアの陽人くんだ。好んでしょっちゅう外出するとも考えにくい。
『彼氏さんから、元カノとか女友達の話とか、聞いたことある?』
「まぁ、多少は……でもあの人、あんまり自分の昔話とかしないんだよね」
『隠し事が多いか、単に話すようなことがないのか……ごめん、ちょっと待ってね』
電話の向こうで、未散が旦那さんに赤ちゃんをあやすようにお願いしていた。旦那さんは、優しそうな声で赤ちゃんを受け取ったようだった。
「子どもが生まれると大変だね」
『まぁね。でも、やっぱり可愛いし、楽しいよ』
「旦那さんとも仲好さそうで何より」
『もうすっかり娘にデレデレでさぁ。この前なんか、「この子は絶対に嫁にはやらん」とか言ってたんだよ? まだ半年なのに』
呆れたようにそう言いつつ、未散はふふふ、と笑った。すっかり母親らしい雰囲気だった。昔は一緒になってはしゃいでいた友達が、ずいぶんと遠くに行ってしまった気がして、なんだか少し寂しい。
でもそれ以上に幸せそうで、すごく微笑ましかった。
『でも、服の趣味が変わったり、靴までドクター・マーチン買ったんでしょ? なんだかねぇ……。スマホのロックとか分かれば早いんだけど』
「えぇ……それはさすがに申し訳ない気がする」
尻込みする私に、未散は「甘いよ、薫」とバシッと言い放つ。
『男なんて、隙を見せたらすぐどっか行っちゃうんだから。パスコードとか分かんない?』
「前にふざけてやろうとしたら、陽人くん、すごい不機嫌になってさ」
『まぁ、気持ちは分かるけど……薫の話を聞く限りだと、彼氏さん、淡々とはしてるけど、あんまり秘密いっぱい持ってる印象は無いんだけどね。でも、実はこっそりマッチングアプリ入れてましたーなんて、よく聞く話だし』
私はぼんやりと想像してみる。私に隠れて、こそこそと他の女に会いに行く陽人くん。いまいちピンと来ない。でも、あり得なくもない、のかも知れない。実際、浮気が原因で別れた元カレもいる。陽人くんも同じかも、というのは、正直あまり考えたくはない。
「……なんか、すっごくズーンとしてきたかも」
『まぁ、しばらく注意して見といた方が良いかもね』
未散の言葉に、私は小さくため息をついた。
電話の向こうの赤ちゃんのぐずる声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
その日の夜、陽人くんがお風呂に入っている間に、こっそりスマホのロック解除を試してみた。しかし、お互いの誕生日でもなければ、記念日でもなかった。何度も失敗してデータが消えてしまうのも怖い。仕方ない、ロックの解除は諦めよう。そう思った瞬間だった。
陽人くんのスマホに、ラインの通知が来た。ロック画面のポップアップには「サオリ」という名前と、『いい感じの服見つけたから、画像送るね』というメッセージが表示されていた。
―――
それから数日後の金曜日。私は残業が長引いて、いつもより遅く帰宅することになった。家に着く頃には、もう夜の8時近くなっていた。まぁ、明日は土曜日だからいいか、と高を括っていたら、いつの間にかこんな時間になってしまった。
「ただいまぁー……あれ?」
家に帰ると、電気が点いてなかった。陽人くん、外出しているんだろうか。
いや、でも今日はスーパーに行かないって言ってたし、打ち合わせなどで遅くまで外出するときには、必ずラインを入れてくれる人だ。寝るにしても早すぎる。
……これは、もしかすると、いよいよ、なのだろうか。
そう思い、打ちひしがれた気分でリビングの電気を点ける。やっぱり陽人くんの姿は見えない。
「私、何がいけなかったんだろ……」
そう呟いた瞬間だった。
突然、隣室に通じる扉が開いた。中にいる誰かが仁王立ちで、こちらを見ている。服は全身黒ずくめ、顔にはムンクの叫びのような、白いお面を着けている。
突然現れたそいつに、私は驚き過ぎて悲鳴も上げられなかった。リビングの入り口で、完全にフリーズしてしまった。
そいつは私を見ながら、ズンズンとこっちに歩いてくる。お面の下で、何かモゴモゴと言っている。その瞬間、私の金縛りが一気に解けた。
「誰だあんた!?」
私はそう怒鳴ると、咄嗟に手に持っていたカバンを振って、そいつの顔面を思い切りぶっ叩いた。ボコ、と鈍い音が響く。仕事関係の書類も入っていて、そこそこ重たいカバンの威力は伊達じゃない。不審者は「いてっ!」と悲鳴を上げた。
「いってぇな、いきなり殴ることないだろ」
突然現れた不審者への恐怖と、不審者が発する聞き覚えのある声に、私は一瞬混乱した。いきなり大声も出したせいで、運動してもいないのに、肩で息をしていた。
「……え? もしかして、陽人くん?」
「そうだよ……おかえり、薫」
そう言うと、うずくまっていた不審者は着けていたお面を外す。そこには、涙目になって頬をさすっている陽人くんがいた。
「あ、うん、ただいま……って、何してんの、あんた」
「いや、薫、ハロウィンの仮装とか好きって言ってたから」
「え? ……あー、うん。確かに言ったね」
数日前に、一緒にテレビを見ていた時のことだろう、と私は思い出す。
「だから、俺もなんかしようと思ってさ。で、友達に相談してこんなん買って。せっかくだから、おどかそうと思って」
「だからって、他にもやり方あったでしょ……あぁ、ビックリした。こんな、わざわざ心臓に悪い」
私はハァーッと大きなため息をついた。何から何まで陽人くんらしくない。彼はこういう仮装をするような人ではなかったはずなのに。
「普通にトリックオアトリート! ってやれば良かったのに」
「いや……まさかカバンで殴るとは思わないじゃん」
「正当防衛よ、ばか。ていうか、なんで急にこんなことやろうと思ったの?」
陽人くんは頬をさすりながら立ち上がると、少し言いにくそうに答える。
「いや、だって俺、なんだかんだこれまでこういう彼氏っぽいことやったことなかったし。イベント事もあんま乗り気じゃなかったし……」
「クリスマスにプレゼント交換とかしたじゃん」
「でも薫、こういうイベント好きそうだったし、それに……」
陽人くんは、そこで言葉が続かずに、口の中でモゴモゴと何やら言っている。彼がこんな風に、言葉に迷うのも珍しい。
「それに、なに?」
「……いや、元カレとはこういうこと、やってたみたいなこと、言ってたし……」
言いながらどんどん言葉は尻すぼみになっていく。ついでに、顔も俯いてしまった。
つまり、ここまでの話を一言でまとめると。
「……もしかして、嫉妬してたの?」
「……ちょっとだけ」
「今更ぁ!?」
盛大な脱力感に襲われた。付き合って1年半も経つと言うのに、今更元カレに嫉妬とは。同時に、すごく可笑しくなってしまって、私は笑いを抑えることができなかった。
「笑うなよ」
「いや、ごめん、ごめんて。ふふ、はぁー、おかし。あんたも嫉妬とかするんだ」
なんだかすごく可愛く思えてきて、思わず陽人くんに抱き着いた。安っぽい仮装用の黒い布が、耳元でサラサラとこすれる音がした。
「いやマジでさ。服もあんまりダサいの着てると愛想尽かされるよって、妹に言われて、色々見てみたんだよ……」
「あ、もしかしてドクター・マーチンも、それ?」
「うん。妹も大学近いからこっち来てもらって、直接見てもらってた」
「もしかして、妹の名前ってサオリちゃん?」
「え、なんで知ってんの?」
陽人くんはギョッとした表情を浮かべた。私は、陽人くんへの浮気疑惑の件と、スマホのロック解除を試みたときに、「サオリ」なる人物から来たラインのことなど、素直に話した。それを聞いた陽人くんは、「俺がそんなことするわけないじゃん」と、とても心外そうな顔をしたのだった。
―――
その日の夕食後、コーヒーを淹れながら、陽人くんはわざとらしく「ハロウィンなら言う事あるよね?」とニヤニヤしていた。素直に「トリック・オア・トリート」と言うと、冷蔵庫から小さなケーキを取り出した。ご丁寧に、カボチャやコウモリの飾りが付いている。
「イベント事って、あんまり好きじゃないんじゃなかったの?」
私がそう言うと、「そうなんだけどさぁ」と陽人くんは照れたように笑う。
「薫とこういうのするの、悪くないかもって。ほんと、俺らしくないけどさ」
そう言って、彼は嬉しそうに机にケーキを置く。なんだか無性に愛おしくなって、私はまた陽人くんに抱き着いた。
「薫、今日はめっちゃ抱きつくじゃん。明日は雨かな」
「んー、もしかしたら雪かも」
「またいきなり冬が来ちゃったよ」
陽人くんはそう言ってまた笑う。
「陽人くん」
「なに?」
「大好き!」
「……急にやめろよ、心臓に悪い」
「ふふ、さっきの仕返し」
「これは参った」
陽人くんも、ぎゅーっと私を抱きしめた。そういえば、こんなに素直に好意を伝えるのも、久しぶりな気がした。陽人くんは、大きな手で私の頭を撫でている。それが嬉しくて、だらしなく笑ってしまうのが自分でも分かった。
「……ねぇ、薫」
「んー?」
陽人くんはためらいがちな声で、言葉を選びながら続ける。
「俺たちさ、付き合って一年半以上経つし、もういい歳じゃん」
「そうだねぇ」
「同棲して半年経ったけど、わりと普通に生活できてると思うんだよね、俺」
「そうだねぇ」
「でさ、いまコロナとかこんな時期だし、いまさら新しく恋愛するのも疲れると思うんだよね。お互い働いているし、そんなに切羽詰まってないし」
「……そうだねぇ」
陽人くんが少し体を離して、私の肩に手を置いた。心なしか、少し顔が赤い。私も、似たような顔をしているんだろうな、と思った。
「そんなわけで、俺、薫とイベント楽しむのも悪くないなって思えてるし……前々からチラッと考えてはいたんだけど、あー、その、つまりな?」
陽人くんは何度も言葉を切って、何度も言いたいことを遠回りしていた。そして、ようやく口を開いた言葉は、すごくシンプルだった。
「薫、俺と結婚してください」
私の答えも、至ってシンプルだった。
「はい、喜んで」
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