Monster 警視庁特殊事件捜査課超常現象捜査係

旧骨

第1話 籠ノ目 前

 怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならないように気をつけるがいい。

 『フリードリヒ・ニーチェ』



 「はぁっ……はぁ」

 時刻は夜11時を過ぎた夜。

 1人の女性が路地裏を走っていた。

 厚手の真っ白なコートに、これまた真っ白なスノーブーツ。フードを被っており顔は見えず、白によく映える赤いミニスカからは生足が見えている。

 「はぁ……待ちなさい!」

 それを灰色スーツの女性が追っていた。

 彼女は斑目鍵子まだらめきょうこ。警視庁捜査一課の刑事だ。

 走る度に鍵子のポニーテールが揺れる。鋭い目が前を走る女性を捉えて逃がさない。

 「ッ!」

 曲がり角を曲がった所で、逃げていた方の女性の足が止まった。

 挟み込むように、スーツの男性が向かいから走ってきていたからだ。

 彼は神城弦之介かみしろけんのすけ。斑目の部下であり、同じく捜査一課の刑事であった。

 体育会系の良いガタイに高身長、強面。一通り刑事が求めるものを兼ね備えた男である。

 「追い詰めたぞ……止まれ!」

 弦之介は拳銃を取り出し、女性に向かって構える。

 「もう逃げられないわよ」

 鍵子も拳銃を構えた。

 「通り名は……白雪姫だったかしら。今貴方のポケットを漁れば、必ずドラッグか出てくる。職質の時逃げたのが、何よりの証拠でしょ」

 白雪姫。警察が追っていた麻薬のバイヤーの通り名だった。

 真っ白なコートを着ていることと、白い粉末の麻薬を雪に見立てたことから、この通り名が付いたらしい。

 「両手を上げて、大人しくしなさい」

 鍵子はゆっくりと、白雪姫へと近づこうとする。

 その時だった。

 「困るなぁ」

 変声機越しの、ぐにゃぐにゃした声が響く。

 突如、白雪姫の横に一人の男が現れた。

 白雪姫とは対照的に真っ黒なコートを着たその男もフードを深く被っており、顔は見えない。

 いや、それよりも。

 「誰だ……何処から現れた!」

 男は、まるで週間移動してきたかのように、何処からともなく一瞬で現れた。

 緊迫したこの空間で、目は一瞬たりとも離していない。それは鍵子も弦之介も同じだ。

 視界の奥で弦之介が狼狽えているのが見えた。

 ――いけない。

 「弦之介!」

 鍵子が声を上げる。大きな図体に似合わず、ビクリと弦之介の肩が震える。

 何も言わず鍵子は視線を右にやる。鍵子から見て右に立っていたのは白雪姫だ。

 弦之介は黙って頷くと、拳銃を白雪姫へと向ける。対して鍵子は、拳銃を黒いコートの男へと向けた。

 「止めとけよ。当たらない」

 「デタラメを……動くな!」

 男が白雪姫の肩に右手を置く。白雪姫の体が小さく震えた。

 「2人とも両手を頭の後ろに回して、その場に座りなさい!さもなくば撃つ!」

 「銃なんて無意味だ」

 黒いコートの男は左手を鍵子の方に向け、おちょくるように人差し指を左右に振った。

 ダン!

 鍵子が1発、空中に向けて発砲した。

 「次は当てます。3秒以内に両手を頭の後ろに回して、座りなさい!」

 「よしなって……やれやれ」

 鍵子が弦之介を見る。弦之介は何も言わず頷く。

 「3……2……1……!」

 「アデュオス」

 鍵子のカウントダウンが終わると同時、黒いコートの男が、まるで外人のサヨナラのように陽気にそう言った。

 「弦之介!」

 その声に被るように、鍵子が叫ぶ。

 瞬間、2人は引き金を引いた。

 だが次の瞬間。

 白雪姫と黒いコートの男の姿は消え、弦之介の放った銃弾は鍵子の右胸を、鍵子の銃弾は弦之介の左胸を貫いていた。

 「え、な……んで」

 不思議と痛みは無かった。

 代わりに身体中の力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 遠ざかっていく意識の中、横たわる弦之介の姿が映った。

 「かん……ざ……き……」

 ――死ぬな。

 その言葉は口から零れることはなく、鍵子の意識は闇へと消えていった。

 次に鍵子が目を覚ますのは、翌日の昼過ぎであった。





 目を覚ました鍵子の目に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。

 「……」

 先駆けた意識に追いつくように、右胸に鈍い痛みが走る。

 「痛ッ……」

 ――生きてる。

 「おぉ、目覚めたか」

 左上から声が降ってくる。顔を向けると、そこには見慣れた、痩せこけた男の顔があった。

 「……黒目黒くろめぐろさん」

 黒いスーツを着たその男の名前は黒目黒真兵くろめぐろしんぺい

 鍵子と同じ捜査一課の刑事である。

 痩せこけた顔、窪んたような目の下の深いクマ、ボサボサの髪に無精髭、猫背。そして、一課生粋のエリートな事から、"死神”と呼ばれていた。

 今や一係の係長である。

 そして、鍵子に刑事のイロハを教えてくれた大先輩でもあった。

 言葉遣いが荒かったり、ぶっきらぼうなところもあるが、根は良い人物であることを、鍵子は知っていた。

 「通行人からの通報でな、路地裏で倒れてたらしいじゃねぇか」

 「はい……そうだ、神崎!神崎は!」

 その名前を聞くと、真兵はバツが悪そうに下を向いた。

 「一命は取り留めてる。だが、お前に比べて出血が酷かったらしくてな。意識不明で、今は集中治療室にいる。いつ目覚めるかは、分からないらしい」

 「……そんな」

 「……斑目。お前と神崎は、お互いに撃ち合うように倒れていた。実際、お前らの体から摘出された銃弾はそれぞれのものだったそうじゃねぇか。お前らが殺し合いをしたとは考えられねぇ……なぁ、何があったんだ」

 「……」

 鍵子はゆっくりと上半身を起こすと、酸素マスクを外す。

 「今から私が言うことは、信じてもらえるか分かりません。それでも、聞いてくれますか?」

 「聞いてから考える。言えよ」

 「……私と神崎はあの夜、2人で調べた白雪姫の情報を元に、彼女が現れるかもしれない場所を張っていたんです。そしたら、白雪姫と思われる人物が現れました」

 鍵子は昨夜の出来事を話し始めた。

 「そこで、私が職質をしに行ったんです。そしたら、彼女は裏路地の方へと逃げ込んだです。私と神崎は彼女を挟み撃ちにするように追いかけて、彼女を追い込みました」

 真兵は黙って話を聞いている。

 「神崎も私も、その時にはもう銃を構えていました。そして、身体検査をしようと彼女に近づこうとした時、黒いコートの男が何処からともなく現れたんです」

 それを聞いて、真兵の眉がぴくりと動いた。

 「……当然、驚きました。有り得ないことです。でも、動揺する訳にはいかない。私は神崎に視線で白雪姫の方に銃を向ける様に促した後、黒いコートの男に銃を向けました。そして、その場に座り込むように要求し、威嚇のために空中に1発。しかし、それでも黒いコートの男は要求に応じなかったため、3秒間のカウントダウンの後に、神崎と同時に発砲しました。その後は……上手く説明できません。黒いコートの男と白雪姫は一瞬のうちに跡形も無く消え、私の銃弾は神崎を、神崎の銃弾は私を撃ち抜いていました」

 「消えた?」

 「えぇ。そうですね……例えるなら、瞬間移動・・・・したみたいに、こう、パットと。消えたんです」

 「……」

 真兵は眉間にシワを寄せ、難しい表情をする。

 「……可笑しいですよね。一瞬で現れ、消えたなんて。信じろって方が難しいです」

 「……お前が"下らない嘘”を言わない奴って事ぐらい分かってる。警察という立場としては認めにくいが、科学て証明できないことが存在してる可能性は、ゼロじゃない」

 「……」

 鍵子は下を向き黙る。

 「斑目。お前はどうなんだ。お前が見たというその出来事を、信じるのか?」

 しばらくの沈黙の後、鍵子は静かに話し始めた。

 「……私1人なら、疲れていたと。夢でも見ていたと、流していたでしょう。でも、神崎は意識不明の重体。それに、私のこの痛みは……本物です。夢ならもう、とっくに覚めてます」

 鍵子は右胸を擦る。真新しい白色の包帯が、あの夜の出来事を示す何よりの証拠であった。

 「……そうか」

 そう言うと真兵はタバコを取り出そうとする。だが、途中でその動作を止めると、立ち上がった。

 「近いうちに査問委員会に呼ばれるだろう。何を話すかはお前に任せる。俺からも何かフォローを入れられないか頑張ってみるはみるが、まぁ過度な期待はするな」

 「はい。ありがとうございます」

 「……どうなるかは分からないけどな。ただ、何かあれば俺を頼ってくれ。お前の親父さんには、何かと恩もあるしな」

 「……はい」

 「えーと、あとは……まぁ、そうだな。月並みな言葉だが、お大事にな」

 そう言い残し、真兵は部屋を後にした。


 2日後、開かれた査問委員会で、鍵子は起きたことを正直に話した。

 当然、何度も聞き直され、最終的には精神鑑定まで行われた。査問会において鍵子は、一貫して主張を変えることは無かった。


 そして、査問委員会の日から2日後の事であった。

 鍵子の特殊事件捜査課"超常現象捜査係”への異動が決定したのは。

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