第8話 不治の病
赤く色付いた葉達も、その役割を終え初め、木枯らしが落ち葉を吹き飛ばす。
10月の中旬。
花屋で真っ白な花束を買った鍵子は、病院の廊下を歩いていた。
弦之介はまだ目覚めていないらしい。
ぼんやりとしながら歩いていると、前から車椅子が迫ってきていた。
壁に寄り、道を開ける。
それを見て、ふと、鍵子の頭に考えが過ぎった。ひょっとしたら、いるのではないかと。怪我や病気を、それこそ不治の病すら治す能力を持っている人間が。
だが。
――都合が良すぎるか。
超能力の存在を認め、向き合うと決めたとしても、鍵子は"リアリスト”だった。
――存在するかどうか分からないものに縋るのは、それこそ神に縋るのと同じことじゃない。
鍵子は自分で自分を納得させると、顔を戻し、歩きだそうとする。
その時、鍵子は何か大きなものとぶつかった。
「わっ」
「うわっ」
拍子に花束を落とす。直後、ぐしゃっと言う音がした。
「あ……」
焦げ茶の革靴が、花束を踏んづけていた。
「あ、あちゃぁ〜……」
頭の上から声がする。顔を上げると、そこには緑のモッズコートにサングラスをかけた、金髪の男が立っていた。
「……すいません」
男は、困ったように笑った。
「あのー、弁償しますよ。近くにいい花屋さんがあるんですよ」
「すいません、わざわざ」
「いえ、踏んだのは僕の方ですから」
男は鍵子の選んだ白い花束と、もうひとつ黄色い花束を購入していた。
「それは?」
「折角ですし、もう一度お見舞いしようかなって」
そう言うと男は、はいどうぞと、白い方を鍵子に差し出す。
「あぁ、ありがとうございます。すいません、二度手間にしてしまって……」
「いえいえ、どうせ暇ですし」
「そう言えば、お名前はなんて言うんですか?あ、私は斑目、斑目鍵子です」
「僕ですか、僕の名前はちょっと……いや、だいぶ珍しくてですね……」
そう言うと男はコートの内ポケットから名刺を取り出して、見せてくる。
そこには、"肆零四”と書かれていた。
「読めますか?」
「えーと……よんぜろ……しぜろ……?」
訝しげな鍵子の顔を見ながら、男はクスクスと笑っていた。
「これで"ゴゼンキサラギ”って、読むんですよ。
「ご、ごぜん……きさらぎ……?」
丸い目のまま顔を上げると、零四が苦笑していた。
「読めないでしょう?自分でもあんま好きじゃないんですよ。ごぜんって苗字も、何だか偉そうで。あぁ、だから呼ぶ時は
「……零四さんですね、分かりました」
鍵子と零四の2人は、並んで病院へと歩き始めた。
「差し支えなければ、教えてもらってもいいですか?」
「はい?」
病院に着いた頃、鍵子が零四へと尋ねる。
「誰のお見舞いなんですか?あ、答えたくなかったら大丈夫です」
「いえ、別に。隠すものでもありませんから。妹です」
零四は優しい笑顔で答えた。
「妹さん……手術か何かですか?」
「いえ、昔、事故にあって。意識不明なんです。ずっと」
「えっ……」
鍵子は目を丸くする。
「そちらは?」
「……同じです。私も、私が今から訪れる人も、意識不明なんです。仕事の……部下でした」
それを聞いて、同じように零四は目を丸くした。
「それは……。あぁ、なんか、随分と奇妙な縁ですね」
零四は優しく微笑むと、階段の前で足を止める。
「私は3階ですので、ここで。今日、貴方と出会えて良かったです」
そう別れを告げると、零四は階段を登っていった。
鍵子はその背中を見送り、弦之介の病室へと向かった。
病室に着き、扉に手を伸ばした時だった。
丁度扉が開き、中から目を赤く腫らした、眼鏡をかけた50代くらいの女性と、それより20程若い歳の男性が出て来た。
女性の方と目が合う。その次の瞬間、鍵子は胸ぐらを掴まれていた。
「あなたが……あなたが!!あなたのせいで!息子は!」
ガサッと音を立てて、花束が落ちる。
「母さんよせって!……」
若い男性の方が母と呼んだ女性を宥めると、鍵子に軽く頭を下げ、早々とその場を離れていった。
――母さん。
恐らく、弦之介の母親と、弟だろう。弟が居るという話だけは、昔聞いたことがあった。
『あなたのせいで!』
ズキリと、胸に痛みが走る。
弦之介の家族にどういう風に伝わっているのか、細かいことは分からないが、証言がそのまま伝えられているとは考えにくい。
恐らくは、鍵子が撃ったという事実だけが伝えられているのだろう。
だから、あんなにも――。
だが、鍵子は自分に何かを言う権利は無いと考えていた。
鍵子が撃った。その一点だけであれば、それは紛れもない事実であるし、あの日起こった出来事をそのまま話した所で、信じてくれるとは到底思えない。
だからこそ、恨まれても、憎まれても、仕方ないと思っていた。
だが、たとえそうだったとしても。
『アデュオス』
真っ黒なコートが蘇る。
――必ず、
鍵子は花束を拾うと、病室の扉に手を伸ばした。
重たい音を立てながら開かれたその部屋には、呼吸器や点滴など、様々な器具をつけられた弦之介がベットに横たわっていた。
「なに……これ……」
「あなたは……」
顔を上げると、白衣を着たメガネの男性が鍵子のことを見ていた。
「あ、私は斑目です。彼の……上司です」
そう言うと男はあぁ、と頷いた。
「斑目さん、はじめまして。私は彼の主治医の
柔らかい声だった。
少しボサついた髪に黒縁の丸メガネ、垂れ眉の眠そうな顔は人畜無害で優しい印象を与えた。
「芝鮫さん……あの、彼は……神城はどういった」
そこまで言ったところで、芝鮫はベッドのそばにある丸椅子を勧めた。
鍵子は花束をベッドの横のテーブルに置くと、椅子に座る。芝鮫は向かい合うように置かれたもうひとつの丸椅子に座るとゆっくりと、口を開いた。
「彼は……ある病気にかかってしまいました。昨晩の事です」
「病気……?」
「はい。"ケーメン病”と呼ばれる病気です」
芝鮫が説明を続ける
「多くの場合が術後感染によってかかる病気で、意識不明の状態がずっと、続いてしまうことになるんです」
「意識不明が……ずっと……?」
鍵子の視界が、ぐらっと揺らいだ。
「脳にウイルスが入り込むことによる脳炎の1種でして、手術で治すことは不可能なんです。さらに言えば特効薬もない。つまり、治療法が無いんです。そもそもがとても珍しい病気でして、症例も少ない」
耳の中で室外機を回したような耳鳴りが響く。
「ですから……あの、大丈夫ですか?斑目さん?斑目さ――」
段々と、芝鮫の声が遠くなっていく。
――嘘よね、神城?
『先輩』
耳の奥で、脳みその裏で。
聞き慣れた声が、染み付いた声が。
騒音をかき分けて、蘇った。
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