第7話 人呼んで死神
自宅に帰った鍵子は、洗面台の鏡に映る自分の顔が、どっと疲れている事に気づいた。
「……」
夜にあったことは、現実だ。それは鍵子自身が1番よく分かっていた。
今更現実逃避するつもりは無い。それよりも、今鍵子の頭の中を巡っていたのは、別の問題であった。
――何も、言えなかった。
結局あの後、鍵子は籠目と一言も話さずに警察署へと戻り、自宅へと帰ったのだった。
――助けて貰ったのに。
それなのに、感謝の言葉1つも言うことができなかった。しかも、あんな。
まるで"化け物”でも見るような目で、見てしまった。
「……はぁ」
深くため息をついて、布団に潜り込むと目を閉じる。
――明日、謝らないとなぁ。
まどろみの中で、そんなことを考えていた。
籠目は自宅で1人、ビデオカメラの録画を眺めていた。
あの時、籠目は自身の頭である鳥籠の中に、ビデオカメラを固定していたのだった。
そこには、豪牙が自身の心臓を貫く映像がきっちりと残っていた。
「毎回毎回思うけど、よくもまぁ、証拠として通るよ」
籠目は1人ぼやくと立ち上がり、部屋の隅へと向かう。
そこには、全身鏡があった。
籠目はその前に立つと、自分を見つめる。
目が無いのに物が見える。
鼻が無いのに匂いが嗅げる。
口が無いのに発音できる。
耳が無いのに音が聞こえる。
脳がないのに思考できる。
オマケに、死なない。
『なんなんですか……!それは!!』
鍵子の怯えきった顔が脳裏を過ぎる。
正確には脳なんて無いのに。
「……なんだよ籠目、慣れてるだろ?」
籠目は自分に言い聞かせるように呟くと、鳥籠の扉を開け、手を突っ込む。
そこにはやはり、虚無が広がっているだけだった。
都内のとある留置場。
そこには、拘束衣を着せられた豪牙がベッドに横たわっていた。
牢の外には看守と思われる警官が1人、椅子に座っている。
「ふぅん……超危険人物のため徹底監視をすること、いざと言う時は発砲も許可する……ねぇ」
ちらりと、看守は牢の中を見る。
「……ただの人じゃないか」
「そう見えますよね」
看守の声に反応し、豪牙が返事をした。
「うわっ……起きてたのかよ」
「えぇ」
そう言うと豪牙は体を動かそうとする。
ギシッと、拘束衣が擦れる音がした。
「ふむ……」
「……何する気だよ」
「ちょっと、暑いので脱ごうかと」
「拘束衣をかぁ?無理だろ」
看守はバカにしたように笑う。
「いやぁ、そうとも限りませんよ」
だが、豪牙はにこやかな笑顔で返す。
「んぬぬぬぬ……」
豪牙が全身に力を入れると、ミシミシと拘束衣が音を立て始める。
「お、おい……嘘だろ……」
「ふんっ!!」
バチンっと音を鳴らすと、拘束衣が弾け飛んだ。
「ふぅ」
豪牙は起き上がり、牢を掴むとねじ曲げ、自身が通れるだけの隙間を作る。
牢の外に出ると、カチャと言う音がした。
「おや?」
「う、動くな……止まれ!」
看守が豪牙へと拳銃を向けていた。
「……あぁ、なんか。つい最近もこんなことがありましたねぇ」
豪牙はグッと足に力を込める。その時だった。
「やぁ」
豪牙の後ろから、声がした。
「……ん?」
振り返ると、そこには男が立っていた。
「……あなたは、誰ですか?」
豪牙の問に、男は優しい笑顔で答える。
「人呼んで、"死神”です」
それを聞くと、豪牙の目がパチリと開き、声が高なった。
「へぇ!あなたが!!」
正しく、好敵手と出逢えた格闘家と言った具合で、随分と楽しそうだ。
「いや!1度会ってみたかったんですよ、ええ!楽しみですねぇ……あなたををここで、殺すのが……!」
しゃがみこみ、クラウチングスタートの姿勢をとる。
「……哀しいな」
男が右手の指を、パチンと鳴らす。
次の瞬間だった。
豪牙の体に無数の銃眼が同時に生まれ、遅れて発砲音が響く。
穴から血が勢いよく吹き出し、倒れた。
「えっ?う、うわぁ!?ひ、ひぃぃぃいぃぃ!?」
男の姿は既に無く、豪牙の亡骸の横には、看守が持っていた拳銃が転がっていた。
「はぁ!?豪牙が看守に撃たれて死んだ!?」
翌朝、超査係の部屋に籠目の怒号が響く。
報告に来た当も、隣にいた鍵子も耳を抑えた。
「えぇ……ですが、看守は自分は撃ってないと言うんですよ」
「あ?」
「何でも……自分は撃ってない、気がついたら、目の前でいきなり血を出しながら倒れたって……言ってるらしいです。いやぁですが、ですがですよ?」
当は困ったように眉をひそめる。
「銃に付いていた指紋は看守本人のものでしたし、死体から検出された弾丸も看守の銃の物だったんですよ?」
「……」
籠目はゴンと右拳で頭を叩く。
「あー……そいつと話はできるか?」
「え?まぁ……出来ると思いますけど」
「よろしく頼む」
「はぁ、分かりました」
新島は不思議そうな顔で頷く。
「豪牙の看守をしていました、
調査係の部屋にやってきた人物は、警官服に30代くらいの男性であった。
「初めまして、私は斑目です」
「俺は籠目だ」
2人は軽く自己紹介を終えると、八十場を椅子に座らせる。2人は八十場に向かい合うような配置で座った。
「早速で悪いんだが……聞かせてもらえるか」
籠目のフードの闇の中から、言葉が吐き出される。
「……はい」
八十場は頷くと、ゆっくりと話し始めた。
「私は……私は撃っていません。上は認めませんけど。まぁ、当たり前です。幸い、有事の発砲ほ許可されていましたから、罰せられることは無いそうですけど……」
そこまで言って、八十場は黙ってしまった。
「……どうした」
「いや……正直な話、私にもあの日の出来事が本当だったのかどうか、分からないんです ……」
籠目の問に、八十場は俯いて答えた。
「何故か監視カメラの映像もポッカリと抜けてるらしいですし……私は、私の記憶を確かめる方法が無いんですよ。こういうのもあれなんですが、夢だったんじゃないかって、思うんですよ。この話をした先輩も同僚も、皆疲れてるんだって、口を揃えて……だから、失礼なんですけど、貴方達もどうせ、信じないんじゃ無いかって……」
その姿が、あの日の病室の自分と。
後輩を自らの手で撃ってしまった自分と重なった。
自分が体験した出来事が真実かどうか確かめる術が無く、得体の知れない不安がまとわりついてくる感覚。
――同じだ。
今、少しでもこの人の不安を軽くしてあげられるのは。
この人が体験した出来事が一体なんだったのか確かめることが出来るのは。
――私達だけだ。
「……あの」
鍵子が口を開く。
「その、分かります。夢だと間違うぐらい不思議な出来事は、生きていれば1回や2回、遭遇します。私も……そうでしたから」
ぎこちなく、鍵子が笑う。
「だから、とりあえず……話してみてください」
八十場が顔を上げる。
「あなた達は……」
「いいから話してみろって。引っかかるんだろ?」
「……はい」
八十場は留置場であったことを、話し始めた。
「……以上です。本当にちゃんと話を聞いてくれるんですね。"超査係”って飾りじゃなかったんだ」
八十場からは既に、この部屋に入った時のような辛気臭い顔は消えていた。
「えぇ。話してくれてありがとうございます」
「まぁでも、核心は話してくれないんですね」
「えぇと……それは……」
「分かってますよ……分かってます」
八十場は笑いながら答える。
彼は以外にも物分りが良かった。だが、その笑顔はどこか寂しそうだった。
「すいません」
鍵子はただ謝ることしかできなかった。
鍵子が会話を記録していたメモ帳をしまおうとした時、八十場がそれを止めるように口を開いた。
「 あ、待ってください?えーと、すいません。ひとつ言い忘れてました。あーえーと、なんて言ってたっけな……」
鍵子は仕舞おうとしていたメモ帳を再び開いた。
八十場は額に指を当ててうんうんと唸る。
「その男が、名乗ってた気がするんですよ……えーと、あ、そうだ!……笑わないでくださいよ?」
すっかりと気の緩んだ八十場はニッと笑っていた。
「
「……」
八十場が去った後、籠目はサソリが言っていたことを思い出していた。
『死神の方じゃねぇのか』
「死神かぁ……あぁ。そう言えば、お前の元職場に居なかったっけ。死神とかいう名前のやつ」
「黒目黒さんですか?」
鍵子がパソコンに書類を打ち込みながら話す。
「あぁ。それ」
「いやまぁたしかに、あの人はそう呼ばれる時もありますけど……あれは骸骨みたいな顔と犯罪に対して無慈悲な姿勢に対して、畏怖を込めて付けられたな呼び名です。ていうか、自分から名乗ってるんですし、不用心過ぎますよ」
少し低めだった鍵子の声色からは、尊敬している上司を疑われたことへの怒りのような、そんな気持ちが混ざっていた。
「いやまぁ、そうだよな。流石にねぇよな」
「ですよ」
鍵子はパソコンを閉じると、出口へと向かう。
「ん、どこ行くんだ?」
「お見舞いです。神城の」
「そうか。気をつけてな」
「どうも……そうだ、籠目さん」
「ん?なんだ」
「……昨日は、すいませんでした」
「なんの話だ?」
「あぁ、いや……」
鍵子はばつが悪そうに下を向く。
「籠目さんは……
籠目が驚いたように顔を上げると、鼻で笑った。
「んな、気にしてねぇよ」
「……そう、ですか。ありがとうございます」
――素直じゃねぇの。
籠目はそう思いながら、背を向ける鍵子を目で追う。
鍵子が部屋から出ていくのを見届けると、籠目はポケットからスマートフォンを取り出すと、電話をかける。
「……あぁ、もしもし。俺だ」
画面には"蠍”と表示されていた。
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