第6話 代行者 後
「
サソリは机に豪牙の履歴書など、色んな書類を並べながら話す。
糸目で刈り上げで、屈強な体付きに似合わず温厚な顔をしている男だった。
「いい男じゃないか」
籠目は履歴書を手に取ると、顔を近づけて見る。
「身長は190位、年齢は32。元プロボクサーらしく、界隈ではそれなりに有名だったらしいですよ」
「ふーん。知らねぇな」
そう言うと、今度は興味を無くしたみたいに、履歴書を机に投げた。
「写真と履歴書で顔が一致してるんならまぁそいつが犯人なんだろうが……動悸と証拠は後付けてりゃあ分かるか。まぁぶっちゃけ、あとはもう捕まえれば全部分かるんだけど……」
「ある分は話せって言うんでしょう?」
「たりめーだろ、金払ってんだから」
「はいはい。まぁ特段何か言うことはないが……新興宗教にハマってた。それぐらいですね」
「シューキョー?」
籠目が首を傾げる。
「えぇ。宗教の名前は
サソリが言い終わると、鍵子は鼻で笑った。
「未来が見えるなんて……下らない。インチキですよ」
吐き捨てるように言う。
「……そうだな」
籠目はただ一言そう答えた。
「てか詳しいじゃねぇか。さてはオメー勘づいてたな?」
サソリは何も言わずにニヤッと笑う。
「アンタとはそこそこの付き合いですから、籠目さん」
「じゃあ俺たちはこれで失礼しますよ」
サソリとQは席を立つと、店を出ていく。
いつの間にかQの前に並んでいた皿は全部空になっていた。
「……やるせない気分です。警察としては」
「……」
籠目は何も言わずにサソリから受け取った写真と書類を眺めていた。
ぎゅう。
「あ?」
「……あっ」
籠目が鍵子の方を見る。先程の奇妙な音は、鍵子の腹から発せられたものだった。
「……なんか食えよ、奢ってやるよ」
籠目はそう言うとメニューを鍵子に渡す。
「……ありがとうございます」
鍵子はメニューを眺めながら、ふと、疑問が湧いた。
「佐々暮さんは」
「籠目でいい、その呼び方痛そうでヤダ」
「……籠目さんは、味覚とかあるんですか?」
「無いよ」
ケロリと、当たり前のように答えた。
「記憶もねぇから、何が好きだったかとか嫌いだったかとかも覚えてねぇ。あぁ、腹は減るから食いはするぞ?食い方は……今度見せてやるよ」
「それは……」
――可哀想ですね。
鍵子はその言葉を言えなかった、いや、言わなかった。
その言葉は、
ただ、それに代わる言葉を鍵子は知らなかった。
「早く頼めよ」
籠目が沈黙を破る。
「はい」
鍵子は店員を呼びつけると、ラーメンを頼んだ。
「ありがとうございましたー」
店員の挨拶を背に、2人はハオチーを後にする。
「……明日、その男に会いに――」
会いに行ってみるんですか。
そう籠目に尋ねようと、首を動かした時だった。
鍵子の視界の端に、つい先程見覚えた顔が映った。
服装こそ赤いパーカーにジーパンだったが、
2メートル近い身長に、糸目の刈り上げ。温厚そうな顔。
刑事のカンが、
「……籠目さん」
鍵子は籠目を肘でつつくと、目線を送る。
「あ?……おいおいマジか」
籠目と鍵子はお互いに見合うと、頷く。
2人は、大男の後をつけていった。
大男は都心部から離れていくように歩いて行く。
段々と人気が消えていき、どんどんと周りの明かりが少なくなっていく。
なんだか、誘い込まれているようにも感じられた。
「……どこに向かってるんでしょうか」
「さぁねぇ……人違いってオチもあるだろうけど……ま、1番楽なのは今夜中に現行犯だけどな」
「……仮に、仮にですよ。彼が……その、超能力を持っていたとして、捕まえられるんですか?」
「こんな風に遭遇しなければもうちょっと色々出来たんだけど……ある程度検討は着いてる。まぁ大丈夫だ。任せとけ」
籠目は親指を立てる。
――どこから湧いてくるんだその自信は。
「と、そうだ今のうちに……」
そう言うと籠目は何処からかビデオカメラを取り出し、しゃがみこむと自身の頭の部分に押し込み始めた。
ガチャガチャと、フードの中で何かしている。
「……何してるんですか」
「んー?まぁ気にすんな……よし」
何かを終えた籠目は立ち上がる。
その瞬間だった。
「あの、私に何か御用ですか?」
真後ろから声がする。
振り向くとそこには、さっきまで尾行していたはずの大男が立っていた。
「!!」
――いつの間に!
鍵子はすぐさま距離を取る。
「あ、いや。そんな怖がらなくても」
大男は困ったような顔をした。
「金剛豪牙さん、ですね?警察です」
籠目が警察手帳を取り出して見せると、大男へと話しかける。
「はい、そうですけど。警察?」
「……とぼけないで下さいよ。わざわざ後ろを取ったんだから。もう気づいてるんでしょ?こんな人気の無い場所にまで誘導しちゃって」
「……あはは、そうですね。失礼、私、耳がいいもので」
豪牙はにこやかに笑っている。
「……いつから気づいてたんですか」
鍵子が尋ねる。
「んー、中華料理店からでてきたあたりですかね……」
「!?」
――そんな馬鹿な!
中華料理店に豪牙は居なかった。店の外にいたとしても、店内の会話が聞こえるはずがない。
鍵子は目を逸らさず、ゆっくりと後ろに下がる。籠目も同じように、後ろに下がっていく。
「ふふふ。正確に言えば今日、あなた達に会うことは知っていたんですよ」
そう言うと豪牙はニッコリと笑う。
「それってどういう……」
「それは言えません」
鍵子の食い気味に、豪牙は笑顔のまま答える。
「どうして私の犯行がバレたのかは分かりませんが……仕方ありませんね。警察は確かに正義の象徴かもしれませんが。私にも私の正義がある。私の正義のために、2人には死んでもらいます」
豪牙はパーカーのチャックを下ろすと脱ぎする。白いタンクトップ姿になった豪牙の糸目がパチリと開いた。
「ッ!動くな!」
鍵子は拳銃を取り出すと、豪牙に向ける。
「両手を頭の後ろに回してその場に膝をつけ!」
「……ふむ、あなたとの距離は、だいたい10メートル程度でしょうか」
「はぁ?何を言って……」
「かのウサイン・ボルトは100メートルを9秒58で走ったそうですよ。とても申し訳ないですが、ざっくり10秒としまして……ただの単純計算ですが、ボルトならこの距離を1秒で走るわけですね」
そう言うと豪牙は準備運動をするかのように、アキレス腱を伸ばし始めた。
「わたしはボルトの10倍?いや、100倍速く走れます。あぁ、0.01秒であなたの元へ行けますねぇ」
豪牙はゴキゴキと首を鳴らす。
「……ごちゃごちゃと何を言っているのか知らないけど、言う通りにしないと本当に――」
次の瞬間だった。
突風が鍵子を横切ると、構えていた拳銃は既にその手に無く、鍵子の真後ろには、右手に拳銃を握った豪牙が立っていた。
「ね?」
「……は?」
振り返った鍵子から発せられたのは、あまりにも情けない声だった。
「なん、で――」
「何故?それは私が、選ばれた人間だからです」
豪牙はそう言うと右手に力を込める。
拳銃がミシミシと音を立て始め、バキッと言う音と共に砕け散った。
「銃が……砕けた?」
「へぇ、なるほどねぇ」
驚愕する鍵子とは対照的に、籠目は随分と落ち着いてた。
「ほぅ。あなたは驚かないんですね」
「まぁな」
籠目は豪牙を見つめる。
「異常なまでの身体能力。それがお前の能力か」
籠目の発言を聞くと、豪牙は高笑いする。
「ふふ、はははは!えぇ、そうです。この能力こそ!私が神から頂いた力!」
豪牙はそう言うと右手を強く握りしめる。
「私はね、この力で世界を正しい方向に導かなければならないんですよ。そう!私は!選ばれた人間なのだから!!」
声高らかに、演説するかのように語る豪牙の顔は清々しく、街灯の光がまるで後光のように差していた。
だが。
「ぷっ」
吹き出す音がした。音の主は籠目だった。
「……ん?」
「くっくっくっ……あっはっはっはっはっはっ!!!!」
籠目は腹を抱えると大きく笑い出す。
「何だ……何が可笑しい……!!」
「あぁ、いや。
「何?」
「選ばれた?お前が?馬鹿だなぁ。どうせ教祖とかって奴にそそのかされただけだろぉ?」
それを聞いた瞬間、豪牙の額に青筋が走った。
「黙れ!教祖様を愚弄するな!!」
「ほら、やっぱり
籠目はやれやれと言った感じで、首を横に振る。
「いるんだよなぁ、お前みたいな思い上がりが。正義?断罪者気取りか?いいか、ハッキリ言ってやるよ。お前は特別なんかじゃない。ただの人殺しだ。犯罪者だよ!!」
「黙ァァァァァァれェェェェェ!!!」
豪牙は叫ぶと、左手で籠目の肩を掴み、右手を思いっきり振りかぶると、勢いよく籠目の左胸を貫いた。
血飛沫が飛び散る。
「ごばっ……!」
「ッ!籠目さんっ!!」
鍵子の悲痛な叫び声が上がる。
貫いた豪牙の右手には心臓が握られていた。
「ははは……こんな殺した方、立件できる訳が無い。あなた達警察に、私は捕まえられない!」
豪牙の口角が釣り上がる。
「いや、そうでもねぇよ」
籠目が呟いた。
「……え?」
腑抜けた声が鍵子の口から漏れた。
何故なら、籠目は豪牙に
既に死んでいるはずの状況だったから。
「んだぁぁ!!痛ってぇなぁ!!死ぬ程痛てぇぞコレ!!」
籠目は豪牙の右手をバシバシと叩く。
「は……い……?何故生きている……?」
豪牙は目を丸くする。
「はっ、井の中の蛙って奴だよ馬鹿。そらっ」
「何を……ッ!?」
籠目は筒状の注射器を右袖から出すと、豪牙の右腕に刺した。
「そん……な……」
豪牙は白目を剥くと、ゆっくりと倒れていく。
右手がずるりと籠目の体から抜け、ベチャッと音を立てて心臓が地面に落ちた。
「よく効くなぁ、麻酔。ふむ……手型の付いた心臓。コイツの仕業で間違えねぇな」
籠目は地面に転がっている自分自身の心臓を眺める。
「あーあー、スーツに穴空いちった」
血だらけのスーツにぽっかりと空いた穴が、ズグズグと音を立てながら塞がっていく。
それは、まるで動画を逆再生しているようだった。
ドサッと、音がなる。
「ん?」
籠目が横見ると、尻餅を着き、怯えた顔の鍵子が居た。
「な……なんなんですか……」
震える指で、籠目を指さす。
「なんなんですか……!それは!!」
「……」
籠目は頭をカツンと叩く。
「……能力だよ。俺の」
籠目は塞がった自分の心臓の部分に手を当てる。
「不死身……いや、正確に言えば、異常なまでの
籠目はコートの裏からナイフを取り出すと、左手の平に刃を押し当てた。
切り傷が生まれ、血が流れる。
だがその血はすぐに止まると、瞬きのうちに傷が塞がった。
「死ねねぇんだ。俺は」
その声は、悲しく笑っているようだった。
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