第2話 籠ノ目 中

 鍵子の目の前のベッドには、呼吸器や様々なチューブに繋がれた弦之介が横たわっていた。

 その瞳は閉じきったまま、開く気配はなかった。

 「……」

 何を喋ることも無く、椅子に座り弦之介をしばらく眺めていると、ポケットの中のスマートフォンが振動した。

 画面には黒目黒と出ている。

 「……行かなきゃ」

 鍵子は見舞いの花束を置くと、病室を後にする。病院から出ると、鍵子のスマートフォンには警視庁に来いという旨のメッセージが残されていた。



 「警視庁刑事部特殊事件捜査課、超常現象捜査係……ですか」 

 「あぁ、そうだ」

 鍵子は真兵から渡された異動の通告書に目を通す。

 「聞いた事もない部署です」

 「俺も昨日初めて知った」

 「……左遷ということでしょうか」

 「答えられないことは聞くんじゃない」

 真兵はブラックの缶コーヒーを1口飲む。

 「……私はこの手で、あの事件の真相を追いたいです。白雪姫だって、取り逃したままです」

 「……これが精一杯だ」

 真兵はそう言うと、空になった缶コーヒーを机に置いた。

 カツンと乾いた音が響く。

 「……分かりました。失礼します」

 「斑目」

 背を向けた鍵子がピタリと止まる。

 「この事件は引き続き一課が捜査を続ける。何か進展があればすぐ連絡する。……腐るなよ、まだ何も終わってない・・・・・・。」

 「……はい」

 鍵子はその言葉を背中で受け止めると、部屋を後にした。



 鍵子はやるせない思いを胸に抱えながら、荷物をまとめたダンボールを手に警視庁の廊下を歩いていた。

 「……はぁ」

 ダンボールがやけに重く感じる。

 貰った地図の通りに進んでいくと、段々と人気が無くなっていき、やがて地下へと続く薄暗い階段が目の前に現れた。

 「……地下?」

 疑心暗鬼で階段を下りて行くと、鉄製の重い扉の上に"超常現象捜査係↓”とマッキーで書かれたコピー用紙が貼られていた。

 「……」

 小さな絶望にも似た感情が一瞬心に広がる。

 ダンボールを脇に抱え、ドアノブに手をかける。ギィィいと言う、唸り声にも似た音を立てながら、扉が開いた。

 目の前に広がっていたのは、コンクリートうちぱなっしのだだ広い地下室であった。

 元々はただの荷物置き場だったのか。よく分からない段ボールやら機材やらが端の方に追いやられており、無理矢理開けたと思われるスペースにデスクが置かれていた。

 部屋には他にもロッカーやプリンターなどが置いてあり、どうやら最低限のモノは揃っているらしい。

 後は何故だがジュークボックスが置いてあったり、ライオンでも入れるのか。見世物小屋においてありそうな鉄格子が置いてあった。

 いかにもいらない部屋を改造した"やっつけな感じ”から、やはり自分が左遷させられた事を痛感していると、何処から声がした。

 「おっ、来た来たァ!」

 声のする方を見ると、デスクの一角、やけにとっ散らかったスペースに一人の男が座っていた。

 「やぁ!君が新入りだね!あ、そこのデスク使って」

 男は立ち上がると、自分の向かいのデスクを指さした。

 真っ黒なスーツの上から真っ黒なコートの服装のその男性は、革靴、手袋、ネクタイまでもが真っ黒で統一されていた。部屋の中だと言うのにフードを深く被っており、顔は見えない。

 「……分かりました」

 鍵子は指さされた場所にダンボールを置くと、男の前に立った。

 「本日付でここに配属になりました、斑目鍵子です」

 「おう、俺は佐々暮籠目ささくれかごめ。よろしく」

 ――挨拶の時ぐらい、顔見せないんですか?常識ですよ。

 喉まで出かかったその言葉を鍵子は飲み込んだ。

 「さて、超常現象捜査係なんて聞いた事ないと思うから、簡単に説明しよう。まぁここでは主に、幽霊だとか、怪奇現象だとか、そう言った――」

 「いいですよ、そんな"タテマエ”」

 「あ?」

 「だから、いいですってそんなタテマエ。要はやることは無い、"窓際”ってことですよね?」

 それを聞くと籠目は大きくため息をついた。

 「なんだよォ、まだ話の途中だろう?話は最後まで聞けって」

 「要りません。それに、自由時間が多い方が私的にも嬉しいですので」

 「なんでまた。仕事嫌い?」

 「違います。独自に調べたい事件があるだけです」

 「へぇ。何の事件?」

 「貴方には関係ありません」

 ――苦手なタイプだ。

 直感でそう感じた鍵子は、会話を打ち切るように言い放ち、椅子に座ると、ダンボールからパソコンなどの私物を取り出し、デスクに配置し始めた。

 「冷たいなぁ」

 籠目はそう返すと鍵子から少し離れた場所に椅子を動かし、逆座りした。

 「……瞬間移動」

 暫くの沈黙の後、ポツリと籠目が呟いた。

 鍵子の手が止まり、眉がぴくりと動く。

 「お、反応した」

 「……何を知ってるんですか」

 鍵子は籠目の方を見る。

 フードの中からは視線を感じず、ただの闇が広がっていた。

 「君がここに来る原因となった事件の事は、査問委員会から送られてきた報告書と、捜査資料に書かれてあった事だけしか知らないさ。ただ、君はこう話してるらしいじゃないか。一瞬のうちに姿を消した。まるで、瞬間移動・・・・のようにって」

 何かを知っているような口振りでありながら、その本題をなかなか話そうとしない。そんな回りくどい話し方に、鍵子は痺れを切らした。

 「何か知ってるんですか!」

 「おぉ、怖い怖い」

 籠目はそう言うと立ち上がり、ポケットから金属製のスプーンを取り出す。

 「スプーン曲げって、知ってるか?」

 そう言うと籠目は唸りながら左手でスプーンに念を送り始めた。

 「ん〜〜ぬぅぅぅんんんん、はぁっ!!」

 しかし、何も起きない。

 「……ふざけてるんですか」

 「大真面目だよ。誰が出来るって言った」

 「いい加減にしてください!」

 「でも、出来るやつもいる」

 「はい?」

 籠目はそう言うとスプーンを視力検査するみたいに持ち直し、丁度鍵子が隠れるようにする。

 「人類の技術の発達は目まぐるしく、宇宙も海底も、人類はその手を伸ばすことが出来る。しかし、外への興味と技術の発達に比べ、人類はまだ、自身の体に秘められている全てを解き明かせてはいない。人間は脳を10パーセントしか使っておらず、残り90パーセントが何故存在しているのか分かっていないという話は、1度は聞いたことがあるだろう?他にも、脳と密接に関わっているものであれば、人間には"心”というものが存在している。だが、それが何なのか。解明できた人間は居らず、未だ心理学は哲学の域を出てはいない」

 「……何が言いたいんですか」

 「つまり、可能性・・・の話だ。誰も解明できていないモノがその本領を発揮した時、どんな現象を引き起こすのか。それは誰にも分からない。故に、現在の科学や常識では計り知れない、超常現象・・・・を引き起こすとは思わないか」

 「……要は、超能力かなんかって言いたいんですか」

 「イエス」

 鍵子は鼻で笑う。

 「散々引き伸ばして、答えが超能力ですか。馬鹿馬鹿しい。来てます来てますじゃないんですよ」

 「俺は身をもってその力を体感した」

 籠目はそう言うとパッと手を離す。

 スプーンが床に落ち金属音が響いた。

 「お前だってそうなんだろ」

 「……知ったようなことを言わないでください」

 お互いに見つめながら、沈黙が訪れる。

 籠目のフードの深い深い暗闇に、吸い込まれそうになった時、超常現象捜査係の扉が開いた。

 「新島当にいじまあたるです。超査係ちょうさがかりに、仕事です」

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