シェリル
新星雲暦734年。惑星ファバロフの宇宙港に一人の男が降り立った。男にとっては七年ぶりのファバロフだった。
十年前、開拓団の警護の任を受けてここに来て、そしてあの悲劇の当事者の一人ともなった男だった。
それから三年間、自らの役目を果たし、任期を終えて本来の所属へと復帰し、六年間の内勤を経て退官、現在は年金暮らしの身である。
そして今回、ファバロフ入植十年の祝典に招待されて再びこの地を踏んだという訳だ。もっとも、男にとっては鎮魂の儀に参加するという意味合いの方が強かっただろうが。
男の名はバレト・ツゥアラネイアス。生粋の軍人として己の本分を貫いた彼も、さすがに十年前に比べると髪に白いものが混じり、皴も深くなっていた。
しかし、その身から発せられるどっしりとした重厚な気配はむしろ厚みを増しているとも言えるだろう。
だが、その時、
「ツゥアラネイアス大尉!」
と彼に声を掛ける者がいた。するとバレトはやや困ったような顔をして、そちらに振り返る。
「大尉は止めてくれないか。何度も言うが私は既に退役した身で、ただの民間人だよ」
静かに諭す彼の前には、一人の若い女が立っていた。短くそろえられた赤い髪にきりっとした目元が印象的な女は、走ってきたらしく少し肩で息をしながらも背筋を伸ばし敬礼する。
「失礼いたしました。ミスター!」
「ミスターも要らない。バレトでいい。君は私にとって家族のようなものだからね」
女の固い態度にそう声を掛けるが、それでも彼女は「はっ!」と声を張り上げ、バレトは苦い笑みを浮かべた。
彼女の名前はシェリル・マックバリエト。軍が運営する学校の三回生で、士官コースを目指す軍人の卵だった。そして、バレトが言ったように、彼が娘のように面倒を見ている女性である。
シェリルの兄は、十年前、ここでバレトの指揮の下、ブロブと戦って命を落とした若い軍人の一人であった。両親を早くに亡くし兄一人妹一人だった彼女は兄の死によって身寄りを無くし、そこでバレトが後見人を買って出て、以降、彼女の保護者代わりとなっていたのだった。
とは言え彼は、シェリルを軍人にするつもりはなかった。むしろ軍だけはやめてほしいと願っていた。普通の仕事に就き、良い男性に出会い、結婚し、子を生し、幸せな家庭を築いてほしいと思っていた。だが彼女はそんなバレトの想いとは裏腹に、兄の命を奪ったブロブへの復讐を誓い、軍人の道を選んでしまった。本人がそれを望むなら無理に諦めさせる訳にもいかなかったが、彼にとっては目下の悩みの種とも言えた。
「シェリル。今回の君の目的はあくまで鎮魂だ。血気に逸って余計な真似をしないように。これは命令だと思いなさい。軍人を目指すのなら規律と命令には絶対服従。それができないのなら軍人には向かない。いいね」
「はっ!!」
バレトにやんわりと諭されてもどうやら理解していないらしいシェリルは、やはりガチガチの軍人風の敬礼を返したのだった。
そもそも、バレトとシェリルは別々にファバロフに来た。バレトは行政府から招待されたのだが、シェリルは自主的に来ただけである。バレトの乗る便のキャンセル待ちをして同じ宇宙船に乗ったのだ。事件の遺族はあまりに多すぎて、遺族代表として数人が招待されただけだったからだ。その為、予約しているホテルも別々だった。バレトは超が付くほどではないがまずまず高級と呼ばれるホテルが手配されていて、学生の身で贅沢ができないシェリルは典型的なバックパッカー向けの安ホテルに泊まることになっていた。
が、若い女性一人の宿泊となると邪な考えを起こす者がいるもので、自分の部屋に入ろうとしたシェリルに声を掛け、しつこくナンパしようとした挙句、彼女の手を掴んで強引に誘おうとした旅行客の腕をひねり上げてそれが警察沙汰になり、身元引受人としてバレトに連絡が入る。
「ごめんなさい……」
警察まで迎えに行ったバレトに対して、シェリルは肩を落として深々と頭を下げた。空港で見せたような軍人風の固い態度ではない、父親に迷惑をかけてしまってしょげかえっている娘の姿がそこにあった。
「まあいい。双方とも怪我がなかったのならそれが幸いだ」
相手の方も下手をすれば誘拐にもなりかねない強引さだったので、今回は痛み分けということで双方お咎めなしとなった。ただし、今度騒ぎを起こせば容赦はしないと釘を刺されたが。
ちなみに今回、シェリルを強引にナンパしようとしたのも、見た目はガタイもよく男っぽかったが実は女性である。まあ、今の時代、相手が例え同性であろうと油断はできないということだ。
シェリルが取ったホテルの方はバレトも一緒に出向いてキャンセル。キャンセル料はバレトが払った。
「君はまだ学生だから私が責任を負うが、卒業し軍に入隊したら懲戒ものだぞ。以後、気を付けるように」
「はい……」
いたたまれないという風に小さくなるシェリルを連れて、バレトは自分のホテルへと戻った。彼女の分は自腹で負担し、ルームサービスも付ける。シェリルはますます肩身が狭くなるのを感じた。
さりとて、バレトにしてみれば子供達は独立し孫が生まれてなかなか自分のところには会いに来れなくなったことを思えばこの程度の手を焼かされるくらいのことは可愛いものだとさえ考えていた。
彼は生真面目で根っからの軍人だが、知性的で理性的で合理的な思考の持ち主でもある。自分の思い通りにならないからといって感情的になることもあまりない。任務には厳しいもののそれ以外ではむしろ柔和な人物だった。年齢と経験を重ねたことでそれが更に磨かれているとも言える。
「ゆっくりと休みなさい。明日からは忙しいぞ」
彼の言う通りだった。退役し年金生活の彼はそういう意味では忙しい訳ではないが、何人もの人に会わなければならないからここでのスケジュールはタイトだし、学校を休んで来ている彼女は犠牲者の鎮魂を祈念する行事に参加した後すぐに兄の最後の地である、現在はファバロフ最大の都市の一つである元開拓団のキャンプ地に赴くことになっている。そこには、開拓団をブロブから守ろうとして命を落とした軍人達の碑が建立されている筈だった。兄の足跡を辿り面影を追うのが彼女の今回の一番の目的なのだ。
「私、自分が情けない……」
バスルームでシャワーを頭からかぶりながらシェリルは唇を噛み締めていた。
兄の姿が頭をよぎる。
決して人並み外れて優秀という訳でもない、ただ真面目で気持ちの優しい、人を思いやることのできる人だった。軍人になったのは、手に職がある訳でもない、何か特別秀でた才覚を持つ訳でもない彼が掴むことができるであろう、最も安定した生活を得る為であった。そしてそれは、ただ一人の肉親である妹のシェリルの為だったのだ。
それほど危険な任務ではない筈だった。殆どただの訓練に過ぎない筈だった。大規模な戦争はなく、局地的な紛争ばかりの現在では、実際には戦場で命を落とすよりも訓練中の事故で亡くなる事例の方が多いとはいえ、それでも漁師が漁の最中に命を落とすよりも割合としては低いくらいだった。だから安心して送り出したのに……
「お兄ちゃん、いってらっしゃい!」
「行ってくるよ。良い子で待っててね。シェリルが中等部に上がるまでには帰るから」
それが、直接交わした最後の言葉だった。なのに、よりにもよって自分の誕生日が兄の命日になるなど思ってもみなかった。
「兄さん……お兄ちゃん……」
悔しかった。兄の命を奪ったという生き物のことを激しく憎んだ。あの優しかった兄をなぜ殺さなければいけなかったのか、その訳を知りたかった。それを知った上で復讐したかった。
とは言え、彼の命を奪ったブロブそのものは、事件の際に他のものの手によって討たれている。直接の仇はもういない。彼女の憎しみは、たった一人の家族を奪われた者の憤りと八つ当たりでしかなかった。シェリル自身もそれは分かっていた。ブロブはただの野生の動物だ。人間の都合など考えはしない。そんなことは分かっている。分かっているが、何かを恨まないといられなかったのだ。正気を保てそうになかったのだ。
そして今、自分はそのブロブが生息する惑星ファバロフに来ている。
バレトには勝手なことをしないように釘を刺され、自分も『命令には従う』とは応えたが、実際にブロブを目にしてしまうと、自制しきれるかどうか自信はなかった。軍が運営する学校の実習で、もうそれなりの訓練は積んできている。さっきも自分より体の大きな人間を簡単に制圧できた。自分にも既に結構な力はついてる筈だと彼女は思っていた。
だからつい、自分を過信してしまったのだろう。
祝典のイベントの一つである、開拓団をはじめとした犠牲者達の鎮魂を祈念する行事にも参加し、彼女はその足で兄の最後の地である都市に向かう飛行機に乗った。
飛行機の窓から見下ろすファバロフは、緑豊かな豊饒の大地だった。十億人の人間を養っても余りある資源に満ちた惑星だというのが実感できる気がした。なのに、そんな懐の深いこの惑星に何故ブロブなどという危険な生物がいたのか。自然に配慮し惑星の持つキャパシティを綿密に計算して余裕をもって入植は行われる筈だった。この惑星から資源を簒奪したり生態系を破壊するつもりなどなかった筈なのに、どうして牙を剥いたのか。
シェリルはまたも唇を噛み締めていた。その目に涙が浮かぶ。
だが、それはあくまで人間の側の理屈なのだろう。元々この星に定着し、生態ピラミッドの頂点に君臨していたブロブにすればそんな人間の理屈など知ったことではなかっただけだ。ブロブにはブロブの道理があり、それでこの惑星の生態系は成り立っていたのだから。
惑星ファバロフにとっては、人間こそが異物であったのだろう。外から勝手にやってきて自分達の理屈を振りかざす人間こそが。
その辺りの齟齬が、この不幸の最大の原因であったのだろうと思われる。
しかしシェリルがそれに気付くことはなく、彼女は目的の都市へと足を踏み入れていた。
が、そこにかつての開拓団キャンプの面影はまるでない。清潔で整備された近代的な都市があるだけだ。キャンプがあったという場所は現在は公園となり、そこに住む者達の憩いの場となっている。兄の名が刻まれた碑もそこにあり、彼女は兄の名を指でなぞりながら涙をこぼした。ここで兄が死んだのだということを改めて思い知ってしまった。
この都市でも入植十周年の記念の祝典は行われていて、犠牲者を悼む碑にはたくさんの人が訪れていた。もっとも、ここでの犠牲者の数は、開拓団二千人が全滅したウォレド市に比べればずっと少なく、訪れる人間達も半ば観光気分の者が殆どだった。だからどうしても笑顔の者が多い。
そんな様子にいたたまれなくなって、シェリルはその公園を後にした。
バレトに電話を入れて、少し観光してから先に帰ると告げた彼女は、タクシーに乗って、その都市から少し離れたところにある小さな町にやって来ていた。そこは、今も時折、町の外にブロブが現れるという町だった。せめてブロブの姿を自分の目で確かめてから帰りたかったのである。
といっても、今ではそう頻繁に現われる訳でもないそうなので、見られる保証は何一つなかったが。
最近では、一般人がブロブに襲われる事例も減り、犠牲者の多くが、生物資源としてのブロブを捕獲する為に敢えて危険を冒すハンターと呼ばれる人間達なので、最近になってファバロフに移住してきた者達の中には興味本位でブロブを見たがる人間も多かった。だからこの町には、周囲を囲む塀の上に透明な樹脂製のオリでできた専用の監視台が設けられていた。完全密閉されて万が一ブロブが飛び掛かってきても安全だと言われていた。ただし、滅多に出会えないことから今では利用する者も殆どいない。
だがシェリルは、その監視台を使わなかった。それを使わずに、本来は工事用の足場だった階段を上って、塀の上に立った。その彼女の肩には、この町に来る前には持っていなかった大きなバッグが掛けられていた。この町に来た時、ブロブが現れる可能性がある町ならではのサービスとして存在していたあるものをレンタルして来たのだった。
そして塀の上に立って町のすぐ傍まで広がっている林を見下ろしたシェリルの表情がみるみる険しくなっていく。その体からはざわざわとした気配が放たれ、短くそろえられた赤い髪は逆立ってさえいたのだった。
「ブロブ……!」
彼女の口から漏れたそれは、呪いの言葉であった。
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