実証実験
『ブロブによる被害は年々急激に減ってる』
そう告げるマリアンに対し、ベルカはどうしても懐疑的にならざるを得なかった。明確にそう思える実感が彼女にはなかったからだ。
そんなベルカに対し、マリアンは真剣な顔で応えた。
「私は、それについて、彼らが人間について学習して襲うことを止めようとしてるんじゃないかって考えてるの。彼らは人間との共生を模索してるのよ。
今はまだ、お互いの生物としての有り様が異質過ぎて双方共に相手のことが理解できてないけど、コミュニケーションを取る方法が見付かれば、ブロブによる被害は完全に防げるようになるかもしれないの」
マリアンの言葉はベルカにとっては夢物語にしか思えなかったのだが、あどけない顔で熱心にそう語る彼女のことは、何故か嫌いになれそうにないと思ってしまったのだった。
元とは言えブロブハンターだったベルカにとってマリアンの語るブロブの知性については、すぐには信じられないものだった。典型的な学者の机上の空論だとも思えなくもなかった。
だが、幼い子供のようにも見える彼女が熱心にそう語る姿を見ていると、ついつい親戚の女の子が夢を語ってるようにも見えてしまって、頭ごなしにそれを否定しようという気にはなれない。
だから、結果としては無駄に終わるかもしれないが、彼女が納得するまで研究に付き合ってみてもいいかもしれないとも思ってしまったのである。
しかし、彼女が手にしているタブレットには先程から奇妙が図形が記されていて、それが何を意味するものかベルカにはさっぱり分からなかった。それでつい、尋ねてしまう。
「さっきから見てるそれって、何?」
そんなベルカの質問に、マリアンが周囲を窺いながら応える。
「量子テレポートを測定する装置よ」
「え? それって通信会社が使ってるデカい通信装置のことだよね!? そんな小さいのもあるの!?」
量子テレポートは、惑星間で通信する為のシステムに利用されている、全く離れた場所にある物質同士が互いに影響し合うという現象のことである。これによって、数十光年離れた惑星同士でもタイムラグなく通信が可能で、それにより惑星同士を繋いだネットワークが構成されているのだ。
それ自体はこの世界では大手通信会社ならどこでも使っている技術であり特に珍しいものでもなかったが、ベルカには通信会社が使ってる大規模な通信装置の一種という認識しかなかったので、マリアンが手にしてるものがピンとこず、驚いたのである。
「それは量子テレポート通信。これはあくまで量子テレポートを測定するだけの装置。原理は同じだけどこれじゃ通信はできないよ」
「あ、そうなんだ…」
分かったような分からないような顔をするベルカに、マリアンはさらに付け加えた。
「ブロブはお互いを量子テレポートで繋いで、思考を共有してるという仮説があるの。まあ、それ自体は他の生物でも大なり小なりみられることだったりするんだけど、普通は意識してないし利用もしてない。でも、彼らは意図的にそれを利用してる可能性があるのよ。もしそれが本当なら、一つ一つはネズミくらいの知能しかなくても、彼ら全体でもっと高度な思考をしてるかもしれない。っていうのが私の仮説」
「というのはつまり…?」
「彼らは種族全体で一つの脳を形成してるってこと。だからそれぞれのブロブは脳細胞の一つ一つでしかないかもしれないって話よ」
「んな、まさか…」
「そうね。今はまだ『まさか』って言われる段階の仮説でしかない。だけどそれが正しいのか正しくないのかを確認するのが私たち学者の仕事。間違ってたら間違ってたでいいのよ。可能性に総当たりしていくのも『研究』なんだから」
『間違ってたら間違ってたでいい』
その言葉に、ベルカはハッとなった。彼女が思う学者というのは、自分の説が正しいと思い込んでそれを裏付ける証拠を探し求めてそれで時には証拠をでっちあげたりしてしまう人種だった。自分の説を『間違っててもいい』などと言う学者がいるとは思わなかったのである。
幼い見た目をしているのに大きな器と覚悟を感じるマリアンのことが、ベルカはますます気に入ってしまった。
「証明できたらいいね」
思わずそう言ってしまったベルカに対し、マリアンは画面を確認するのに集中しているらしく、「そうね」とそっけない返事だった。
だがその時、
「! これは!?」
とマリアンが声を上げ、ベルカは画面に目をやった。見ると、画面の両端から青い波紋のような波形が同じように広がっていく。
「かなりはっきりとした量子テレポートが起こってる。でも通信機の反応じゃない。もっと不規則で出鱈目なもの。人間の思考みたいな…!」
興奮した感じで独り言のようにそう話すマリアンは、画面を見たままで「こっちか!?」と走り出した。と、数歩踏み出した地面が、まるで発泡スチロールの板でも踏み抜いたかのようにずぼっと陥没した。クレバスだった。岩の裂け目の上に木の皮のようなものが覆いかぶさっていてそこに薄く土が乗っていただけのようだ。
「マリアン!」
咄嗟に差し出されたベルカの手は間に合わなかった。クレバスに吸い込まれるようにマリアンの姿が見えなくなる。深い。十メートル以上はありそうだ。
「マリアン!!」
再びベルカが叫ぶ。
「大丈夫、生きてるわ…!」
光が届かない深みから、しっかりとしたマリアンの声が届いた。
「良かった…」
ホッと胸を撫で下ろすベルカだったが、改めてクレバスを覗き込んで途方に暮れてしまった。
「く……私の体じゃ無理か……」
そう、自分も降りて助けようにも、全く入れそうな大きさではなかった。子供にも見える小柄なマリアンだからこそ下まで落ちてしまったのだ。ベルカでは、太腿辺りでつかえてしまいそうだ。
「ちょっと待ってて! ロープを持ってくる!!」
と告げて、彼女はワゴンへと走り、ロープを手にして戻ってきた。すぐさまそれを下ろすと、やはり十メートルほど下ろしたところでマリアンのところまで届いた。しかし。
「ダメ……しっかりハマっちゃって体が抜けない…!」
ベルカに引っ張ってもらうがびくともしない。
「そうだ! ボディーソープを垂らしてみたらどうかな。それで滑りを良くしたら」
再びワゴンへ戻って、キャンプ用に常備していたボディーソープを持って戻り、ロープの反対側に縛って下ろした。それを受け取ったマリアンが、狭くて動きにくいものの何とか体に垂らしてみる。そして再度引っ張ってもらうが、やはり抜けそうにない。岩が邪魔で背中側には腕が届かなくて十分に塗れなかったからかもしれない。単に、ボディーソープでぬるぬるになっただけだった。
そうなればもはやレスキューを頼むしかない。マリアン自身はフィールドワークが主なのでこういう事態にも備えてレスキュー保険にも加入していた。いざという時に民間のレスキューを派遣してもらえるサービスが付いたものだ。
という訳で、保険会社にレスキューを依頼する。三十分ほどでヘリが到着するという返事だった。しかし、それはあくまで状況確認の為の先遣隊を兼ねた救急救命隊であり、隙間にハマって体が抜けないとなれば周囲を掘り起こして救助することになるかもしれない。それだけの装備を持った本隊が到着するにはさらに三十分はかかるだろうということだった。
「とにかく待つしかないわね…」
不安はあったが、危険は覚悟している。実際、これまでにも何度か命の危機はあった。それでも彼女は自分の仕事に誇りを持っていた。実際に現場に赴いて実際に生き物に触れてその生態を観察してきたことを。
一方、ベルカは悔やんでいた。彼女を助ける為についてきた筈なのに何もできないことを。
「ごめんなさい。私、何もできなかった…」
クレバスの上でマリアンにそう詫びる。しかしマリアンは何も気にしていなかった。
「なに言ってるの。あなたがいてくれたおかげで救助も呼べたんだし、何よりこれは私の不注意よ。自分を責めるのはやめなさい」
その通りだった。マリアンはブロブから守ってもらう為にベルカを雇ったのだ。これはベルカの管轄外の事態である。彼女に責任はない。
しかし、その時、マリアンは、ぼんやりとしか光が届かない暗がりの奥に、何かの気配を感じていた。そしてそれは、クレバスの上のベルカにも、臭いという形で伝わる。
「!? まさか…!? マリアン! マリアン!! ブロブがそこにいるの!?」
ベルカの嗅覚は正確だった。小柄なマリアンでも通れないがクレバス自体はさらに深くまで続いていて、そこに明らかにブロブがいる気配がマリアンのところまで届いていた。
「ええ、私の足元にいるわ…」
クレバスの闇の奥から届いてくる彼女の言葉に、ベルカの背中にゾワッとしたものが奔り抜けた。子供のようにも見える幼いマリアンの姿と、ブロブに襲われて命を落とした村長の娘イレーナの遺影が、ベルカの脳裏で重なってしまう。
「マリアン!! 逃げて!!」
必死で叫ぶが無理な話だ。逃げようにも上にも下にも横にも行けないのだから。
「くっ!!」
麻酔弾を装填したハンドガンを抜き、クレバスの奥に向ける。しかし、光が届かず何も見えない。見えたとしても、ブロブはマリアンの下にいるという。下手に撃ってマリアンにブロブ用の麻酔弾が当たれば、命にも係わる事故である。万が一人間に当たっても、一発なら致死量にはならないように濃度は調整されている。その為、ブロブ相手には一度に三発を撃ち込むことが基本になっていた。それでも体が小さいマリアン相手では保証の限りではない。
自分の本業でもあったブロブ相手だというのにやはり何もできない自分を、ベルカは呪った。
そんなベルカにマリアンは言う。
「ありがとう。心配してくれて。でも、これは逆に私にとっては千載一遇のチャンスかもしれない。自分の説が正しいかどうかを立証する為のね。身動きも取れない以上、後は自分の説が正しいのを祈るだけよ」
ベルカからは見えなかったが、マリアンは笑っていた。野生の生物相手にこういう仕事をしているのだからいつかはこんなことがあるかもしれないと覚悟もしていた。それが訪れただけなのだ。
「イヤだ! マリアン! 諦めないで!! 私が、私が助けるから!!」
クレバスに頭を突っ込んで腕を伸ばして、ベルカは闇の奥を見通そうと目を凝らした。するとうっすらとマリアンの姿が見えた。これなら狙えるかもしれない。
そんな風に思った瞬間、
「あ…! あぁあぁぁああぁぁぁーっっ!!」
という絶叫が、闇の中からベルカの耳を打った。激痛に耐えかねた人間のそれだった。足からブロブに食われていってるのだと分かった。
「マリアン! マリアン!! いやあぁっっ!!」
ベルカの声はもう泣き声だった。今日初めて会ったばかりの、まだ会ってから数時間しか経っていないマリアンのことが、彼女はいつの間にか好きになっていたのだ。まるでずっと以前からの友人のように思えて大切に想えるようになったというのに、こんな形で喪うなんて……
辛うじて見えるマリアンの頭から推測される体の位置を外して、ベルカは麻酔弾を放った。だが、手応えがない。マリアンの悲鳴に混じって届いてくるのは、ブロブに命中した時の音ではなく、固い岩に弾かれる音だった。さらに引き金を絞り、まぐれでも何でもいいから命中してくれることを祈った。
だが、そんなベルカの願いはついに届くことはなかった。
弾倉が空になってもベルカは引き金を何度も絞った。それでも奇跡は起こることなく、ただカチンカチンと虚しく撃鉄が空打ちされるだけであった。
辛うじて見える闇の奥で、見覚えのあるそれが蠢いている。もう、マリアンの頭さえ確認できない。悲鳴もいつの間にかやんでいた。
「マリ…アン……」
呟いたベルカの手から、ハンドガンが滑り落ちて何度も岩に当たりながら闇の中に消えていく。
「う…うぅ……うわぁああぁぁぁーっっ!!」
自分の中に湧き上がってくるものを絞り出すように、ベルカは叫んだ。もう何も考えられず、ただただ叫んだ。己の無力を呪い、マリアンの期待を裏切ったブロブを呪い、とにかく叫ぶしかできなかったのだった。
だが、その時―――――…
「ダメでしょベルカ、大事な商売道具を落としちゃ。って、もう商売道具じゃないのか」
思いがけない声が耳に届き、ベルカはハッと目を見開いた。その先に、信じられないものを見た。
「マリアン…?」
マリアンだった。ベルカが落としたハンドガンを手にしたマリアンが、すぐ目の前にいたのだ。
「岩に挟まった体が持ち上げられる時、痛くて一瞬、気を失っちゃった。
あ、でも、しばらく岩に挟まってたからクラッシュ症候群が心配だし、水を持ってきてくれる? レスキューが来るまでの間、毒素を薄めなきゃ」
微笑みながら差し出されたマリアンの手を、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔になったベルカがしっかりと掴んでいたのだった。
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