プリンとシルフィ
<彼女達>による人間の理解は着実に進む一方で、人間達の側の理解は一向に進まなかった。人間達は彼女達を恐れ、憎み、排除または生物資源として利用し消費することしか考えなかった。
人間は、一度<敵>として認識してしまうとそれを覆すということがなかなかできない生き物なのだ。その考えに囚われて新たな情報がもたらされたり前提が変わってしまったとしても、事実に基づいた客観的な思考というものができないのである。
『敵は敵だ。敵になったものが敵じゃなくなることなど現実では有り得ない。そんなものは物語の中だけの話だ。そんなことを信じる奴の頭の中にはお花畑が広がってるに違いない』
これが、多くの人間の発想だろう。
だから、こんなことも起こってしまうのだ。
新星雲暦733年暮れ。今年十一歳になるシルフィ・フェルベルトは、朗らかな少女だった。決して聡明という訳ではなかったが、裏表がなく誰に対しても優しかった。
誰に対しても。
故に彼女の優しさは、人間だけが対象ではなかった。ペットを連れてファバロフに入植しながらも様々な理由から飼いきれないとして捨ててしまう人間が後を絶たず、野良犬や野良猫が発生してしまっていることは社会的な問題となっていたのだが、そんな、人間の身勝手で捨てられてしまった犬や猫をも、彼女は愛した。それは、彼女の両親の影響だったのだろう。
「は~い、ご飯ですよ~」
両親が運営する動物の保護施設で、彼女はいつものように保護された犬や猫達の餌の用意をしていた。学校に行く前と帰ってきたからの日課である。
そう言って彼女が与えたのは、街で捕獲されたネズミ(に似た小動物)を加工したものだった。彼女の両親が運営する保護施設は、単純な博愛主義によるものではなく、きちんと『生きるということは他の命を糧にすること』というのを理念に据えたものだったのだ。なので、害獣として駆除されたネズミ(に似た小動物)を無駄にせず、こうして保護した動物たちの餌として活用することもある。
そしてそれは、シルフィも自らの感覚として身に付けていた。
生きるというのは決して綺麗事ではないということを。実はそれ自体が、彼女の大らかさ朗らかさの基にもなっていると言えるかも知れない。
保護された動物達も、すべてが幸せになれる訳ではない。交通事故に遭って運び込まれた動物などの場合は手の施しようもない場合も少なくない為、そのまま息を引き取るものもいた。するとそうして死んだ動物もまた、他の生き物の糧となる。ここに保護された<それ>も、そうして餌にありついていた。
観賞魚用の大型の水槽を転用した飼育ケースに入れられた<それ>。僅かに青味がかった透明な液体を思わせる不定形の体を有した生き物。そう、それは紛れもなく人類の天敵<ブロブ>であった。
と言っても、ここで保護されているブロブは人間を襲わない。死んだ動物を餌とした与えればそれを捕食し、満足したように大人しくしてるのだ。だから今日も、シルフィは交通事故で死んだ動物や、加工前のネズミ(に似た小動物)を餌として与えたのだった。
「プリンは今日も元気だね」
水槽の蓋の隙間から落とされた餌を取り込み消化していくそれを、シルフィは<プリン>と名付けていた。プリンのようにフルフルとしていたからだそうだ。それを言うなら同じように透明なゼリーが近いだろうが、ゼリーでは可愛くないという理由でプリンになったらしい。
プリンは、この保護施設に保護されていた動物を襲おうとして捕獲された。だがその時、プリンの近くにはシルフィがいたのだ。にも拘わらずプリンはシルフィではなくわざわざオリの中にいた犬を狙ったのだ。それを見たシルフィと彼女の両親は、プリンを人間にとって危険な生き物ではないのではないかと判断したのである。
とは言え、まったく無警戒になるほどシルフィの両親は能天気でもなかった。ブロブハンターが使う麻酔弾で動きを封じた後、強化ガラス製の水槽に隔離する。
ちなみに水槽の蓋の一部は直径一ミリの穴が開いた、毒を持つ生き物などを飼育する為の専用の網を使って空気取り入れ口になっている。ブロブは、直径一センチに満たない<穴>は通れないことが最近になって分かってきたからだ。同じ一センチでも長手方向に一センチ以上の間隔がある<隙間>であれば通れてしまうが。
しかし、こうして観察してみると、ブロブは実に大人しい生物であるとも見えた。飢えると強い攻撃衝動を見せることもあるが、十分に餌を与えてさえおけば日がな一日ゆらゆらと波打ってるだけで、後はたまに特に目的も感じさせない徘徊を行うだけであった。
「なんか、ぜんぜん怖くないね」
捕獲されてから数日経った頃に、シルフィが両親に対して言った言葉である。それには両親も同感だった。世間で言われているブロブの生態は必ずしも正確ではないかもしれないと感じ、それ以降、観察を続けていたのだった。
だが、自身の考えや妄執に憑りつかれた人間というのは、いつの時代にもどこにでもいるということだろうか……
シルフィの両親が運営する保護施設は、保護した動物を新しい飼い主に紹介するということも行っていた。なので、それを目的に訪れる者も多い。その日も、一組の家族連れが犬を見にやってきていた。
「可愛いね。この子なんかどうだい?」
「それよりこっちの子の方が行儀が良さそうよ」
ケージの中で尻尾を振る犬達を見て目尻を下げてる親を尻目に、子供はさほど興味がないのか退屈そうにしていた。三歳くらいのその男の子は、探検がしたくなったのだろうか、<関係者以外立ち入り禁止>のバーを見付けると、そこに何があるのだろうかとバーをくぐって奥へと入って行ってしまったのだった。
そこには、病気で隔離されている動物や年老いて寝たきりになった動物達がいるだけだった。しかし男の子はさらに奥に進み、隔離用の透明な檻の向こうに、ブロブが保護された水槽を見付けてしまった。
男の子は普段からブロブに対する恐怖を両親から植え付けられており、自分が見付けてしまったものに驚いて、一目散に親の下に逃げ帰った。そしてそれを、自分の親に告げたのである。
「ブロブを保護してるとか、どういうことですか!?」
男の子の話を聞いた親が、大変な剣幕でシルフィの両親に迫った。
最初期の頃に入植した一般の人間のブロブに対する恐怖心や拒絶反応は強く、この反応自体は珍しくもなかっただろう。だが、シルフィの両親はきちんと行政に対して飼育の届け出はしており、研究用として正式な許可も下りていた。水槽には十分な強度があり、それをさらに隔離用の透明な檻を設置した部屋の中に置いて二重に隔離して、かつ無用な不安を与えないようにということで一般には公開しないという規定も遵守していた。にも拘らず、この施設でブロブを飼育しているという話は地域に瞬く間に広がり、ブロブを強く忌避する住人達が激しい抗議行動を始めたのだった。
「ブロブを飼うような施設は要らない!!」
「住人に隠れてブロブを飼うような奴はこの街から出ていけ!!」
シュプレヒコールを上げて抗議する人間は見る間に増えて、すぐに大きなデモ隊へと変化した。
しかも、施設に対する抗議の為に押し寄せたデモ隊を率いていた中心人物達は皆、ブロブにより家族を喪っていたこともあって非常に感情的になっており、対応に当たったシルフィの両親の話をまるで聞き入れようとはしなかった。
「お前達は人間よりブロブの味方をするのか!?」
「ブロブに家族を殺された者の気持ちも分からないのか!?」
「この人非人が!!」
と口々に罵り、それがまた彼らの感情を昂らせていく。
『このままでは危険だ』
そう判断したシルフィの両親はいったん冷却期間を置くべく後日改めて説明するとしたが、デモ隊の一部がこれに激昂、燃え上がった感情が閾値を超えたのか、ついには暴徒と化してしまった。
その場にあった椅子などを振り回し、窓と言わず壁と言わず、片っ端から破壊していく。
「逃げろ! シルフィ!!」
娘を逃がそうと暴徒の前に父親が立ち塞がった時、パン!と何かが弾ける音がした。銃声だった。父親の胸を、暴徒の一人が拳銃で撃ったのだ。
「あなた!!」
崩れ落ちる父親を庇おうとした母親もまた拳銃で撃たれた。
「パパ! ママ!!」
廊下の壁にもたれて座り込んだシルフィが悲鳴のような声で両親を呼ぶ。けれどもう二人は起き上がることはなかった。
シルフィの両親の体を踏み付け、暴徒は奥へと進む。そこにはもはや人間としても理性は見られなかった。集団心理を基にした狂気に呑まれ、あろうことか保護された動物達まで次々と拳銃で撃ち殺していく。もはや自分達が何をしているのかも分かっていないのかもしれない。
それはまさに、地獄絵図だった。
更に暴徒は奥の部屋で、シルフィが<プリン>と名付けたブロブの水槽を見付けて、叫んだ。
「ブロブがいたぞ!!」
「殺せ!!」
その声に反応するかのように、いつもは大人しくフルフルと波打ってるだけのプリンが激しく蠢いていた。怯えてパニックを起こしているかのように、もしくは激しい怒りに打ち震えるかのように。
いつの間にやら暴徒の一人が、グレネードマシンガンを手にしていた。万が一の場合に備えて、施設側が用意してあったものだった。それで、プリンが入れられた水槽を狙い撃つ。
しかし、グレネードは水槽を破壊しただけで、プリンには致命傷を与えることはなかった。むしろ、爆砕された水槽の破片を浴び、何人かが怪我をした。目をやられて悲鳴を上げながらうずくまる者さえいた。地獄絵図はとどまるところを知らなかった。
そして、人間達の破壊衝動が彼女を刺激したのだろうか、それとも防衛反応によるものだろうか、プリンは普段の姿からは想像もつかない動きで次弾を交わし、宙を舞う。その光景を見た彼らは、ブロブがそれほどまでに俊敏に動くなどとは想像もしていなかったようだった。
呆気にとられた顔で見詰める彼らを、プリンの触手が次々に捕え、呑み込んでいく。
元々は大型犬よりも少し大きい程度のサイズだった筈のプリンは、人間達を次々と呑み込むことで巨大化。やがて廊下の一部を埋め尽くすほどにまで膨れ上がった。その体の中には、暴徒に撃たれたシルフィの両親の姿もあった。
十人以上の人間を呑み込んで巨大化したブロブに恐れをなした住人達は、今度は蜘蛛の子を散らすように施設から逃走する。
そこに残されたのは、呑み込んだ人間達をみるみる消化していくプリンと、一部始終を目撃し、あまりのことに自我が崩壊したかのように呆然としたシルフィだけであった。
ゆっくりと少女に近付いていくプリンは、何故か彼女だけは呑み込もうとしなかった。巨大に膨張していた体も、呑み込んだ人間の分だけ大きくなった程度にまで縮んでいた。どうやら威嚇の為に空気を取り込んで大きく見せていただけだったらしい。つまり、ただの風船のようなものだったのだ。
人間を消化しながらも、プリンはシルフィに寄り添うようにしていつものように体をフルフルと震わせた。それは、プリンなりの挨拶だったのかもしれない。
その様子を見ているうちに、シルフィの目に涙が溢れてきた。少しずつ表情も戻ってくる。何が起こったのかを改めて理解し始めたのだろうか。
すると、彼女の前に思いがけない人の姿が現れた。僅かに青みがかった透明な体を持っているが、それは間違いなくシルフィの良く知る人物だった。
「パパ……ママ……」
絞り出すように彼女が声を漏らす。そう、そこにいたのはシルフィの両親だった。二人はいつもと変わらぬ優しい笑顔で娘を見詰めて、静かに頷いた。それで何かを察したのか、シルフィも大きく頷いた。
透明な両親が差し出した手を取って立ち上がり、彼女は二人に抱きついた。その感触は、確かに両親のものだった。
父親に抱きあげられて、甘えるように肩に顔を乗せる。母親がそんな娘の頭を優しく撫でた。まぎれもない親子の姿がそこにあった。
その事件は大きなニュースとなり、警察も異例の数の人員を動かして捜査に当たったが、施設を運営していた夫婦と娘の姿を発見するには至らなかった。その為、三人ともブロブに食われてしまったのだろうと推測された。
これを機にブロブを危険視する風潮がさらに加速してしまったが、同時に、ブロブの生態をもっとよく知るべきだという冷静な意見も力を持ち始めた。この不幸な事件は、人間達の意識をも揺さぶることになったのだ。
事件の後、施設は取り壊され更地になり、今ではもう当時の面影を見ることさえできないのだという。
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