侵略者

京衛武百十

惑星ファバロフ

 これは、地球が存在する銀河系から遥かに離れた、恒星間航行技術をもってしてもおよそ到達できないような彼方の星雲内で起こった出来事である。


 新星雲暦724年。人類は、最近になって発見された惑星ファバロフへの入植を始めることとなった。

 都市建築技術主任のセルガ・ウォレドとその家族も、入植の第一陣としてファバロフに降下した。彼の担当は、大陸の三分の一を占める広大な密林地帯の開発である。生物の豊富なその地域では生物資源の発掘も期待されており、その為の専門家達も同時に降下している。

 セルガの開拓団は技術者や科学者及びその家族と警護の為の軍人ら合わせて二千人によって構成されていた。先行の調査隊からの報告によれば、動植物はもちろん細菌やウイルスの類においても危険度は通常の範囲内に収まっており、油断さえしなければ開発は順調に進むものと予測されていた。実際、スケジュールとしても、一年で二千人が問題なく生活できる集落の建設を目指すとされている。十分にそれが可能だと判断されたが故の計画だ。

「パパ。ここが私達の新しい惑星ほしになるの?」

 開拓団二千人を乗せた降下船が密林に着陸し、その窓から見渡す限りの緑の世界をまん丸に見開かれた目で見詰める今年十二歳になる娘のフィニスに問い掛けられたセルガは、

「ああ、そうだよ。パパ達はここをフィニス達の楽園にする為に頑張るんだ。応援してくれるね?」

 と笑顔で応え、娘の頭を撫でた。

 そんな父は、フィニスにとっても自慢の父親だった。優秀な技術者で、これまでにも二つの惑星を開発している。そのどちらも順調に入植が行われ、新たな経済圏の成立が期待されていた。それに携わったという父が誇りだったのだ。そしてそんな父と娘の様子を、柔らかい笑顔で見詰める女性の姿があった。セルガの妻でありフィニスの母であるネリスだった。

 それは紛れもない幸せな家族の光景であった。


 時間的な余裕は十分にある筈だったが、開拓団の士気は高く、誰もが自身の任務に燃えうずうずとしている状態だったことで、セルガは敢えて降下初日から作業に着手した。開拓は熱を帯びているうちに迅速に行うのがコツであることを知っているからだ。事前の調査によって得られた情報を基に、綿密なシミュレーションと共に計画が練られ、その為の準備は万端整っている。後はそれを実行に移すだけなのだ。

 コンテナから開墾用の重機やパワーローダーと呼ばれる人型の作業機械を降ろし、さっそく作業を開始する。事前の情報と寸分の狂いもなかったことで、僅か数時間で野球場程度の広さの平地が確保された。そこに、折り畳み式のプレハブを建設。これは、折り畳み式のコンテナボックスの要領で組み立てることができ、十分な人数の慣れた人間が行えば三十分ほどで完成するという優れものである。さらに耐久性を増す為の補強や快適性を増す為の内装工事を行えば、仮設といえど数十年は十分に快適に過ごせる住宅にもなる。開墾と同時にプレハブの建設も行ったことで、作業者の為の休憩施設や宿泊所も初日の内に完成した。

 降下船の中にもそれぞれのプライベートルームはあり、そちらの方が設備は整っていて快適な生活は送れるものの、敢えてより現場に近い場所で現場の空気を感じながら暮らしたいという者も非常に多いので、その希望に応える為でもある。

 こうして初日の作業は無事に終え、開拓団のメンバー達は、記念すべきこの日を祝おうと、パーティーを開催したのだった。もちろん、主催はセルガである。

 当然、メンバー達の家族も参加して楽しんでいた。セルガも妻のネリスや娘のフィニスと共に食事をとった後、昂った気持ちのまま陽気に酒を酌み交わすメンバー達を見守り自らも杯を傾けながら、翌日以降の作業について各部署の責任者達と改めて確認を行った。

 開墾する範囲は、降下船を中心としてまず半径二キロの範囲となる。それは、事前の調査で生態系への影響が最も低いと判定された場所であった。そこを計画に沿って丁寧かつ迅速に開発し、一年の間に二千人が安穏として暮らせる集落を築く。それを起点として、自然と調和のとれた都市を建設していくのだ。その為の資材や機材や人材も順次この惑星を目指して航行中だった。

 それらを確かめた頃にはパーティーも終わり、セルガは降下船の中の自室に<帰宅>し、それを妻のネリスが迎えてくれた。

「お疲れ様でした」

 労いの言葉をかけてくれる妻と口づけを交わし、彼は安らいだ気持ちを感じていた。寝室をそっと覗くと、娘のフィニスは既に寝ている。明日からは、今日、建設された仮設の校舎での学校も始まる。それが楽しみらしくてなかなか寝付けなかったフィニスだったが、セルガが帰ってくるほんの少し前に眠りについたのだった。

 この開拓団には、三十人の子供がいる。もちろん全員、メンバーの子女である。家族は出身の惑星に残して単身赴任という形で来ている者も多いが、セルガのように既にこの惑星で骨をうずめる覚悟で家族を連れての<移住>として来た者達も少なくなかった。だからセルガは、フィニスをはじめとした子供達の為にもここを楽園のように素晴らしい世界にしたいと志しているのである。

 決して難しい仕事ではない。先にも述べたように緻密な事前の調査と計画の上で、技術者も開発に必要な機材も資材も十分に整えた万全の体勢だ。ボーイスカウトの活動と同じくらいの危険度しかない仕事だった。

 シャワーを浴び、妻のネリスと共に寝室のベッドで横になったセルガは、心地よい疲労感の中でたちまち眠りに落ちていったのだった。


 作業は順調だった。労働災害を出さないようにも気を配り、大きな事故もなく一週間が過ぎた。だが、そんなセルガの下に思いがけない報告が届いた。

「データにない洞窟が発見された?」

 部下から報告を受けたセルガが「やれやれ」と呟きながら頭を掻く。それ自体はさほど珍しいことでもない。初期の調査で地表はくまなくスキャンされ地形についてはほぼ確認されるのだが、時折、何らかの理由で細かな差異が見付かることがあるからだ。こういうことも想定の上で計画は練られているので、日程にはそれほど大きな影響はないだろう。それでも、多少の計画の変更は余儀なくされる。

 今回のものは洞窟だということで、初期調査の段階では出入口が倒木などで塞がっていたか、大量発生した生物で埋め尽くされていたかといったところだろう。幸いそこは重要な施設等を建設する予定の場所ではなかったので、小さな変更だけで済みそうだ。とは言え、責任者としては実際に自分の目で見ておかなければいけない。

 そこでセルガはさっそく、その洞窟へと赴いた。

「大きいな…」

 それが洞窟を一目見た彼の感想だった。確かに大きい。高さ三メートル。幅五メートルほどの岩の裂け目のような入り口を持ったそれに、セルガは首を傾げていた。

『これ程の大きさの洞窟が見落とされていたというのか…? これまでの差異と言えば、精々が人一人通れるかどうかという程度の小さな穴にしか過ぎないという事例だった筈だが……』

 彼の疑問ももっともだった。確かに彼の認識していた通り、これまで事前の調査と食い違いがあったとしても小さな穴があったりクレバスがあったり、表面だけが固くなった小規模な湿地があったりという程度だった筈である。ここまでの規模の洞窟が発見されなかったという例は、それこそスキャン技術が今より劣っていた数百年前まで遡らないとない。

 しかも、倒木などで埋まっていたり、地表近くの洞窟の天井が落盤で崩壊した為に新しく穴が開いたという感じでもない。数千年、数万年前からこの状態で存在したであろうという立派な洞窟だった。あと、考えられるとしたら、蝙蝠などの生物が大発生して入り口を塞いでいたというものだが、そういう生物がいたという形跡もない。糞や体毛といったものが見当たらないのだ。

 とにかく、合点のいかない奇妙な光景として、セルガの目には映っていたのだった。

 さりとて、いつまでもここで考え込んでいても埒はあかない。

「この洞窟についてどうするかは改めて検討することにしよう。ひょっとすると観光資源にもなるかもしれない。プローブで中を調査した後、調査隊を編成して詳しく調査することにする」

 スタッフにそう告げて、その日は切り上げることとなった。


「まあ、洞窟が?」

 その日の仕事を終えて自室に戻ったセルガが夕食時に事情を話すと、ネリスが呟くように言葉を発した。少し困ったような顔をした夫を気遣い、当たり障りのない相槌を打っただけではあるが。それに対して娘のフィニスは身を乗り出して目をキラキラさせる。

「洞窟!? 見てみたい! 中には入れるの? パパ!」

 ここでの生活を始めてまだ一週間。いまだに気分が盛り上がった状態が続いてる娘は好奇心が抑えられないようだった。そんな娘にセルガはいっそう困ったような顔になる。

「う~ん。見せてやりたいんだが、安全かどうかの確認をまずしてからでないとね。何があるか分からないし、落盤等の危険もある。でももし、観光資源として有用と確認されれば整備していずれは見学もできるようにすることになるから、そうなれば中にも入れるよ」

「へぇ! 早く中に入れるようになるといいな。学校の課外授業とかで見に行くことになる?」

「ああ、そういうことになるだろう。だから楽しみに待っててほしい」

「分かった!」

 やはりキラキラした目で自分を見詰める娘に、セルガの相貌も崩れる。この子供らしい好奇心は大事にしてあげたいと彼は思った。

 一見した印象だけでも大きくて奥も深そうで、それなりの規模であれば十分に観光用にもなる。その可能性は決して低くない。早ければ一ヶ月以内にも見学くらいなら可能になるかもしれない。そうすれば学校の子供達をまず招待してやろうと彼は考えた。それは別に難しいことでも何でもないことだったからだ。本来ならば。


 だが、その時、既に異変は始まっていた。洞窟があった辺りに動物の気配が全く感じられなくなっていたのである。工事が行われていればそれを恐れて動物達は逃げてしまうので別に不思議なことでもなかったが、洞窟が見付かったことでその辺りは作業が止まってしまっていたのだ。それなのに、動物達がいない。

 すると、密林の中で何かが蠢いた。しかしその動きはどこか異様で、例えようのない違和感を感じさせるものでもあった。明らかに普通の動物の動きではなかった。動物が動いているというよりは、なにか、液体のようなものが波打っているようにも見えなくもなかった。そしてそれは密林の中からぬろりという感じで溢れ出す。

 それに気付いている者は誰もいない。監視カメラにも映っていなかった。肉眼では見えるのだが、カメラでは上手く映らないようなのだ。夜間でも光を増幅することで明るく映し出すカメラではあるが、その光の波長の加減なのかもしれない。だから発見が遅れてしまったのである。

「おお…? なんだあれは…?」

 そう声を上げたのは、その<何か>が現れた密林から最も近い宿舎で寝泊まりしていた作業員の一人だった。少々酒を飲みすぎて頭を冷やそうと夜風にあたる為に外に出た彼の視線の先にぬらぬらとした光沢を持った気体のような液体のようなものが音もなく近付いてきていた。とは言え、彼の目には危険を感じるものには見えなかった。酔っぱらった所為でモヤのようなものがそう見えるだけかと思ってしまったらしい。

 それが決して気体などではなく、また液体でもない、決まった形はないがしっかりとした触感のある物体であることを知った時には、その作業員の意識は途切れてしまっていた。だから異変を誰かに伝えることもできなかった。

 <それ>は、静かに、そして驚くほど早く確実に立ち並ぶプレハブを覆い尽くしていった。誰も、殆ど声を上げることもできなかった。僅か三十分ほどで開拓団が切り開いたそこを、得体の知れない何かが満たしていた。降下船さえ呑み込まれ、開いたドアから中へと入り込み、空気も遮断された。

 衛星軌道に固定された母船から地上に降下する際にはもちろん気密も確保され中の空気も保持されるが、地上に降りて、開拓団のメンバーの仮の住居となったそれにはそこまでのものは求められていなかった。空気を循環する為のダクトなども伝い、それぞれの部屋にまでそれは侵入していったのだった。


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