邂逅
『シェリル。君は軍人には不適格だ。諦めたまえ』
尊敬するバレトにきっぱりとそう言われて、シェリルは落ち込むしかできなかった。彼の言うことは事実だ。何度も指示を受けたのにそれらをことごとく蔑ろにしてブロブを殺そうとして反撃されて負傷し、あげく彼に助けられるなど、それこそ、ぐうの音も出ないというものだった。
とは言え、一匹はブロブを倒すことができたのだ。自分でもまぐれだったとは思うが、グレネードの直撃を受けて爆散したブロブがいたのは紛れもない事実である。
その死体を確認した時に感じた匂いが、今も鼻の奥に残っている。それだけでも良しとしようと、シェリルは自らに言い聞かせた。
荷物をまとめ、家に帰らなければいけない。既に必要な学費などはすべて奨学金として支払われているので卒業までは通うことになるだろうが、軍役を志願することは諦めようと思った。軍が運営する学校ではあったが、実際に軍に進む者は八割くらいにとどまっている。残りは民間企業や研究者としての道に進む者が殆どだった。シェリルも民間企業に就職することになるだろう。
実はアルバイト先で『このままうちに勤めないか』と誘われているのだ。これまでは『軍に志願するつもりですから』と固辞してきたが、『気が変わったらいつでも言ってよ』とも言われていた。小さな資源採掘会社だったが、アットホームで居心地は良かった。資源発掘と言っても量子テレポート通信で遠隔操作するロボットを使っているので大きな危険もない。気楽な仕事である。
そんなことを考えながらホテルを出、宇宙港へと向かうバスに乗る為にバス停へと向かって歩き出した時、黒尽くめの人物とすれ違った。その瞬間、シェリルの背筋をゾクリとしたものが奔り抜けた。
『…!? 今の…は……!?』
匂いだった。その人物とすれ違った時にふわりと漂ってきた匂いが脳に突き刺さるかのように彼女を戸惑わせた。
『ブロブの…匂い……?』
それに気付いてしまうと、シェリルはその人物のことが気になってしまったなかった。風体からするとブロブハンター辺りかとも思えるので匂いがしていても別におかしくはないのかもしれないが、それにしても何かが引っかかってしまったのである。
だからつい、踵を返してその人物を尾行してしまった。取り敢えず何故ブロブの匂いをさせているのか理由を確かめないとという、シェリル自身にも分からない謎の使命感に囚われてしまっていた。
『女…か…』
別に寒くもないのに真っ黒なロングコートを羽織ってはいたが、体つきから女性だと感じた。
黒尽くめの女性は、あの一件の後で改めてシェリルがチェックインしたホテルがあった、やや猥雑な印象のある場所へと歩を進める。この辺りの安ホテルにでも逗留しているのだろうかと思った時、女性は路地へと入っていった。それを追って路地へと入ったシェリルの体がビクンと撥ねる。
「…何の用……?」
彼女の視線の先には、ロングコートのフードを目深に被りサングラスをつけた女性がこちらを睨み付けていたのだった。
『…何の用……?』
尾行していた筈の相手に待ち伏せられてそう問い掛けられて、シェリルは滑稽なくらいに動揺していた。
「あ……いえ、あの、その……用って言うか……」
その様子に黒尽くめの女性も、油断はしてないが若干、緊張は緩んだようだ。警察なりなんなりではないと感じたのだろう。
「素人丸出しね……怪我でもしてる? 足まで引きずって。でも、そういう真似は自分の寿命を縮めることになる。自重した方がいい……」
確かに。彼女の言う通りだと思った。これがテロリストなどが相手だったらこの時点で自分は殺されていたかもしれない。
「ごめんなさい……知り合いに似てたものだから、つい……」
そう言って立ち去ろうとするシェリルを、黒尽くめの女性は呼び止めた。
「待て。その前にどうして尾行してたのか理由を聞かせてもらう……」
「え……だから、知り合いに似てたから……」
「そんな話、信じると思う…? 正直に答えろ。逃げようとしても無駄。私が銃を構えてることくらい分かるはず」
確かに、その女性はロングコートのポケットに手を突っ込んでいて、その中で何かを握っているのは分かった。そう言われれば拳銃のようにも見える。
テロリストではないかもしれないが真っ当な人間とも思えなかった。こんなところで銃を使うなど。
シェリルの背中にじっとりと汗が滲む。
はったりの可能性も考えるものの、事実ならその時点でお終いかもしれない。こういう時にどうすればいいのかまでは実技でも教わっていなかった。当然だ。彼女が通っていたのは一般的な士官コースであって、諜報部や特殊部隊のそれではなかったのだから。
故に、彼女は半ばヤケクソ気味で、正直に応えることにした。
「あなたから、ブロブの匂いがしたからよ……」
シェリルが呟くように言ったその言葉に、黒尽くめの女性の体にギリッと力が入るのが分かった。空気がさらに張り詰めていく。
「それは、どういう意味……?」
問い掛ける言葉にも、不穏な気配が滲み出ている。シェルミは、直感的にヤバいことを口にしてしまったのだと自覚した。
『マズい…地雷だったか……』
そんな思考が頭の中を駆け抜け、冷汗は全身から噴き出してきているのが分かった。喉もからからに乾いている。
「…き、気に障ったのならごめんなさい……でも、気になったからつい……私、兄をブロブに殺されてるから……」
今さら身の上話で気を逸らすことができるとも思えなかったが、殆ど無意識のうちにそれを口にしてしまっていた。
だが―――――
『ブロブに兄を殺された』
その言葉が出た瞬間、フッと空気が緩むのが分かった。
それを察して戸惑うシェリルを、黒尽くめの女性はサングラスの向こうからじっと見詰める。
最初期に入植した人間達には、身内をブロブに殺されたという人間は決して少なくない。だから激しくブロブを憎んでいる人間も多い。
だが、ここ数年で入植した人間達にとってブロブは単なる危険な猛獣と大差ない存在という認識だっただろう。被害は出ていてもそれらは殆どがわざわざ自分からブロブに近付いて行って襲われた事例である。自治政府の支援を受けずに開拓して作られた集落などでブロブに襲われる事例があったとしても、世間的には<自己責任>という認識だっただろう。実際、自治政府の支援を受けて爆砕槽が設置された塀に囲まれた都市や町でのブロブの被害は、既に数えるほどしかなかった。
なので、身内をブロブに襲われたという人間の比率自体が下がってきているのだ。ブロブを保護していた動物保護施設が、ブロブを憎む暴徒に襲撃されてそこの管理者が殺されるという事件もあったりしたが、そこはたまたま、最初期から入植していた人間達が多い町だったからそうなってしまったという一面もある。不幸な偶然が重なってしまった不運な事件だったとも言えるだろう。
「私の兄は、今のウォレド市の基になった開拓団が開墾した場所でのブロブの襲撃について捜索に当たる筈だった部隊に所属してたの……でも、兄の部隊が警護していた開拓団がブロブの襲撃を受けて引き返して戦闘になった時に……」
シェリルの説明を、黒尽くめの女性は黙って聞いていた。既に不穏な気配はかなり収まっていた。そして、
「そう……あの部隊の……」
と、女性は呟いた。そこからは、どこか懐かしむような気配さえ感じられた。
だからシェリルもつい尋ねてしまった。
「もしかしてあなたも、あの時に家族を……?」
「…そう…ね。そういうことになるかな……」
微妙に持って回った言い回しに若干の違和感も覚えつつ、同じような境遇だと知ってシェリルはホッとしていた。同じ犠牲者の遺族という立場であれば対立する理由もない筈だ。
「あなたは、もしかしてブロブハンター? 復讐の為にブロブを狩ってたりするの?」
女性の、どう見ても普通とは思えない風体に、一番当てはまりそうなものを当てはめて問い掛けてみた。
「まあね。どっちかと言えば<駆除業者>ってことになるかもしれない……」
<駆除業者>。その言葉を聞いたシェリルがハッとなる。
『そうよ…! 私、何考えてたんだろ…!? 別に軍人じゃなくてもブロブに復讐できるじゃない……!』
そんな考えが頭に閃いて、自分がどれ程の視野狭窄に陥っていたのかを自覚してしまったのだ。
『ブロブを殺すだけなら必ずしも軍人になる必要はない』
そんな当たり前のことにも思いが至らない程に、精神的に追い詰められていたのだと、シェリルは今更ながら自覚させられていた。
もちろん、軍人を目指したのはそれだけではなく、兄の跡を継ぎたいという想いからのものでもあるのだが、それと相まって結論ありきの思考に陥っていたのである。
実際、軍属となれば希望の任地に必ず赴けるとは限らない。一応は希望も訊かれるがその通りになるとは限らない。その点、駆除業者ならファバロフ以外には必要ない上にブロブを含めた害獣が相手なので、そちらの方が遥かに確実な筈だった。
ただ、そうなると自分が今まで何をしてきたのか、これまでの十年は何だったのかという話でもある。
「は……はは……私、ホントに何やってたんだろ……」
膝の力が抜けてその場に座り込んでしまいそうになるほどの脱力感虚無感を覚えながら、シェリルは呟いた。
そんな彼女を、黒尽くめの女性はただ黙って見ていた。
「用はそれだけ? だったらもう行くから」
女性はそう言いながら踵を返そうとする。だが、今度はシェリルが縋るように声を掛けた。
「ま、待って! わ、私もあなたのところで雇ってもらえないかな…!?」
その言葉に、女性からは戸惑うような気配が伝わってくる。
「駆除業者としてってこと…? 悪いけど私はフリーでやってるの。人を雇うつもりとかないから」
「そこを何とか…!」
と、シェリルは追い縋る。どうやら彼女は元々、思い込みが強く直情的で短絡思考なところがあるらしい。
「…職業案内所にでも行くのね。駆除業者なら求人も出てると思う……」
などと取り付く島もない。
「でもでも、話くらいは聞かせてほしいかなって。ね? 食事を奢るから…! え、と……!」
食い下がるシェリルの姿に、女性は、
「……フィ、よ。私の名前はフィ。ちょうど食事にしようと思ってたところだったし、奢ってもらうわ」
と、どこか呆れたような口調でそう応えた。
「あ、はい! ブロブのことを聞かせてください! 私はシェリルです! シェリル・マックバリエト!」
何とか食い下がることができてシェリルはテンションが上がっていた。その様子がひどく幼く見える。まるで十歳かそこらくらいの子供のようですらあった。
いや、彼女の本質はそうなのだ。兄を亡くした十年前から精神的な成長が止まってしまい、体と知識だけが無駄に成長したアンバランスな状態だった。彼女の視野の狭さも、結局はそこに原因があるのかもしれない。
『私、なんでOKしたんだっけ…?』
突然現れて、自分を雇ってほしいと言い出したシェリルと名乗る女性とテーブルを挟み、フィはそんなことを考えていた。
食事を奢るから話を聞かせてほしいと言われてついOKしてしまったが、何故OKしてしまったのか自分でもよく分からなかったのだ。
ただ、必死になっている彼女の姿を見た時、何だかすごく幼く見えてしまった気がした。その所為かもしれない。
『最近の私はどうかしている……』
そんなことも思う。
彼女の頭の中には、二人の少女の姿がよぎっていた。
一人は、廃プレハブでヘビやトカゲを飼育していた、両親に愛されずに育ったキリアという少女。
もう一人は、自分と同じく人間をはるかに超越した身体能力を持ち、しかしブロブと行動を共にしているらしく自分が狙いをつけたブロブを庇って右手を失い瀕死の重傷を負いながらも『<これ>は私のものだ。誰にもやらない!』と立ち塞がった名前も知らない少女だった。
どちらも、自分が今の体になった頃とさほど変わらない年頃の少女だったことで、ある種の親近感を感じてしまったのかもしれない。
しかも、キリアはこんな自分を『キレイ』とまで言ってくれた。
こんな醜い姿の自分を……
シェリルを前にして、フィは自分の体を隠そうとさらにフードを目深に被り、コートの襟を立てて顔を隠した。目は、大型で最も色の濃いサングラスをかけているからこれで見えない筈である。さらには小さなレストランの奥の隅の席で他の席に背を向けた状態で座ってもいる。それでもどこか不安になってしまい、居心地が悪い。
やはり一緒に食事などOKするべきではなかったと思うが、後の祭りである。
そんなフィに対し、山盛りのスパゲティを食べながらシェリルが問い掛けた。
「それで、フィさんはブロブが嫌いで駆除業者とかしてるんですか?」
殆ど前置きらしい前置きもない、ストレートな質問だった。そういうところがまた子供っぽくて幼く感じる。
「そうね……嫌い、と言うか憎い。私の両親を殺して、私をこんな体にしたブロブが憎い……」
彼女を相手に変に持って回った言い方をしても無駄だと感じ、フィは素直に気持ちを吐露した。キリアの時と同じだった。
すると、自分を見詰めるシェリルの目に涙が一杯に溢れてきてるのが見えた。それがまたあまりに一瞬のことだったので、フィは思わずギョッとなってしまった。
「ですよね…! 分かります……!! 私も同じです!」
フォークを握り締め、シェリルは涙声でそう言ったのだった。
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