アヴェンジャー

「シェリル…? シェリルじゃないか!? 大きくなったなあ」

 シェリルがこの町に来る時にたまたま止めたタクシーに乗り込んだ時、運転手が振り向いてそう声を掛けてきた。

「ネドル…さん…?」

 その顔と声に覚えがあり思わず呟いてしまったシェリルに、男は嬉しそうに笑った。

 ネドルと呼ばれたその男は、シェリルの兄の戦友だった。軍が運営する学校では同級生であり、兄と一緒に配属されてファバロフに来たのである。しかし、例の事件の後、彼は自らが軍人には向いていないと悟って軍を辞め、今はこうしてタクシーの運転手をしていた。そんな彼とまさか再会するなど。

 戸惑うシェリルの様子に、ついテンションが上がってしまっていたネドルもハッとなる。

「そうか……あれから十年だもんな……」

 シェリルがこの都市に来た理由を悟り、彼は、浮かれてしまった自分を恥じた。

 しかし、シェリルが告げた行先を耳にして、今度は渋い顔になる。

「まさか、ブロブを見に行くつもりなのか…?」

「……」

 その問いには、シェリルは答えなかった。だが沈黙自体が答えのようなものだ。それを察したネドルは正面に向き直り、確認する。

「行先は、それでいいんですね?」

 それはもう、客を乗せたタクシーの運転手の口調だった。

 シェリルが軍人を目指し自分達も通った学校に入ったことは、風のうわさで耳にしていた。その理由も大体見当がついていた。だから余計なことは敢えて言わなかった。兄一人妹一人、たった二人きりの家族を喪った苦しみと憤りに対して何を言っても上辺だけのものにしかならないことは、彼も承知していた。タクシーなど乗っていれば、客のいろいろな話を聞くこともある。それにいちいち深入りしてはいられない程度には達観もしていた。

「お前の兄さんをやった奴はもう死んでる。分かってると思うが、無茶はするなよ……」

「……」

 ネドルのその言葉にも、シェリルは何も答えなかった。それからは二人とも一言もなく、タクシーは目的の町へと走ったのだった。


 これといってブロブに対して恨みも抱いてない、ただ興味本位で見に来るだけの人間の前には姿を現さないのに、どうしてシェリルのように強い因縁のある者の前には表れてしまうのだろうか。

 彼女はバッグに収納されていたものを出し、それを構えた。グレネードマシンガンだった。ブロブが現れる可能性があることで、身分が確かで前科が無い成人になら誰にでも貸し出してもらえるのである。シェリルはまだ学生ではあるが、既に成人している。しかも軍人の卵であり身元は完璧だった。武器の扱いも心得ている。それで貸し出しを渋る理由はなかったのだ。

 ただし、宿泊しようとしたホテルでのいざこざが事件として立件されていたら話は違っていただろうが。そういう意味でも、彼女があの件でお咎めなしとなったのは、運が良かったのか悪かったのか。

「きぃさぁまぁ…!!」

 ブロブ目掛けてグレネードマシンガンを構えた彼女の口から、怨嗟の呻きが漏れる。まだあどけなさも残る、十分に可愛いと言っても差し支えのないシェリルの姿はどこにもなかった。それは、憎悪に呑まれ己を見失った復讐者の姿そのものだった。

「なんでお兄ちゃんを殺したぁ!!」

 紛れもない八つ当たりだった。

 兄の命を奪ったブロブは既にいない。今、シェリルの目の前にいるのは完全に別の個体だ。しかも個々のブロブの寿命は三年ほど。それで言えば事件当時に存在した個体すらもう残ってはいないだろう。二世代三世代後、子や孫に対して恨みをぶつけているようなものである。

 しかし、今の彼女にはもう、そういう道理は通じなかった。両親の貌すら写真や映像でしか知らず、家族として実感のある唯一の存在だった兄を奪ったブロブを憎み復讐を誓うことでしか彼女は自分を維持できなかった。バレトは優しかったが、今の彼女の心の穴を埋めるには彼は不器用だったのかもしれない。家族のようなものとは言いながらもどこか他人行儀で距離を感じさせ、決して家族にはなりきれていなかった。節度を持って接しなければという彼の気遣いが裏目に出てしまったのだろう。

 シェリルが求めていたのは、ぬくもりだった。抱き締めて抱き上げてくれて頬にキスをしてくれる兄だった。優しく頭を撫でてくれる存在だった。シェリルの心の成長は、兄を喪った十年前から止まってしまっていたのだった。


 羅刹のような顔でグレネードマシンガンを放ち、ブロブを狙い撃つ。だがブロブは自在に体を変形させ、それを見事に躱してみせた。至近距離でグレネードが破裂し爆風や破片を受けても、それではブロブは殺せない。その体にグレネードを打ち込んで爆砕しないと駄目なのだ。

 飢えて獲物に飛び掛かるだけの状態になったブロブが相手なら、それは比較的簡単だった。真っ直ぐに突っ込んでくるから冷静にそれを狙い撃てば済む話だからだ。無論その為には、十分に引き付けてから撃つ胆力と判断力と腕が必要となるが。

 だが、この時のシェリルにはそのどれも備わっていなかった。『悪知恵の働く狡賢いネズミ』程度の知能があれば対処できてしまう程度の能力しかなかった。幼く、未熟で、拙かった。発射されたのを確認してからでも十分に躱せてしまうほどの距離で、先読みもせずに見たまま狙い、しかもグレネードランチャーの扱いにも十分に慣れてはいなかった。これでは勝てる筈がない。まぐれでもなければ。

 なのに、そのまぐれが起こってしまった。木の枝を掠めたグレネードの弾道が逸れ、偶然にもブロブに命中してしまい、一匹を倒せてしまったのである。これがシェリルの未熟な判断力をさらに狂わせてしまった。


 高所作業用の手摺りにワイヤーを掛け、塀の外側に下りる。この時の為に、宇宙船には持ち込めない武器以外の装備は一通り揃えてきていた。グレネードもたっぷりと買った。爆散したブロブを確かめ、もし死んでいなかったらとどめを刺すべく彼女は走った。しかしそれは、あまりにも無謀な行為だった。バックアップすらいない単身で接敵など、学校では教えていないし、実習でそのような真似をすれば教官から容赦のない叱責が飛ぶ。彼女もそれは知っていた筈だ。にも拘らずシェリルは教わったことを忘れ、目の前のことだけに囚われていた。視野狭窄に陥っていたのだ。

 だからもう一匹のブロブの存在を見落としてしまっていたのである。

 ブロブはもう、人間は襲わない。それでも、自分が人間に襲われれば反撃はする。生き物であれば当然の反応だ。ブロブに死の概念はないが、無意味に個体が失われることを受け入れたりはしない。

 死んだのは別の個体でも、種族全体で一つの生物でもあるブロブにとっては自分が攻撃されたのと同じだった。故に、近くにいれば反撃もする。

「!?」

 シェリルがもう一匹のブロブに気付けたのもまぐれでしかなかっただろう。たまたま視界の端に捕らえられ、体が勝手に反応してしまっただけだ。伸ばされた触手を寸前で躱し、グレネードを放つ。しかしそう何度もまぐれは起こらない。生理的嫌悪感さえ誘発する独特の動きで、ブロブはグレネードを躱していった。


 それでも、シェリルの方も引き下がることはできない。恨みと同時に、倒さなければ自分が死ぬという状況に、彼女の頭はかあっと熱を帯びていた。

『殺す、殺す、殺す、殺す!!』

 口の中で呪文のように唱えながら、シェリルはグレネードを放った。接近は許さなかったが、自らも間合いを詰めることができない。

 林の中で何度も爆発が起こり、木やグレネードそのものの破片が彼女の体を傷付ける。防刃性能のあるジャケットを羽織っていたこともあり致命傷はなんとか避けられてきたが、それもいつまでもつかは分からない。彼女の闘い方は無茶苦茶だった。自らの命は守り確実に敵を倒すというセオリーを全く無視していた。職業軍人を目指すものとしては有り得ないことだ。

 ヒーローもののフィクションならド派手なアクションと盛り上がるところかもしれなくても、そんなことをしていては命がいくつあっても足りない。フィクションの中のヒーローは、人知を超えた能力を持っているか、もしくは主人公であるが故の異常な幸運により守られているだけなのだから。

 そういう意味では、シェリルはフィクションの主人公としても脆弱だった。普通ではありえない能力や、不可解な力が働いてるかのような強運にも恵まれていたなかった。普通のただの軍人の卵でしかなかったのだ。

 だからいつまでもそんなことは続かない。

 シェリルがグレネードを放つよりも早く、ブロブは触手を伸ばしてついに彼女の右脚を捕らえた。僅かに皮膚が覗いている足首辺りに熱した鉄棒でも押し当てられたかのような痛みが走った。

「あ、あぁあぁぁっっ!!」

 絶叫が勝手に喉から絞り出される。ブロブにより消化されようとしていたのだ。それでも彼女はグレネードを放つ。

 幸い、それをブロブが躱したことで掴まれていた足首は解放された。だが、焼けつくような痛みがシェリルの脳を焼き、動きが鈍る。それはもう、死を意味していた。ブロブに攻撃を当てられず、ブロブの攻撃を躱すこともままならない状態で勝てる道理などあるはずもない。ピンチに秘めた能力が解放されて劇的な逆転劇を見せるなど、現実には起こるはずもないのだから。

 が―――――

 この時ばかりは、彼女は主人公だったのかもしれない。死を覚悟し目を瞑りそうになった時、ブロブのすぐ傍でグレネードが爆発した。彼女が撃ったものではない。別なところから飛んできたものだった。

 ブロブはそれを躱し、シェリルから距離を取った。彼女は九死に一生を得たのだ。

 的確な狙いで放たれるグレネードを次々躱し、しかしブロブはシェリルから徐々に離れていく。動きを誘導されているようだった。致命傷は与えられないが、動きを封じているのだ。

 明らかに手練れによる攻撃だった。

 それが加えられている方向に視線を向けた彼女の目に、驚きと安堵が見えた。

「大尉!?」

 思わずそう口走った彼女には敢えて目もくれずグレネードを放っているのは、確かにバレトだった。しかし、どうして彼がここに…?

 その疑問には答えず、彼は徐々に離れていくブロブの動きを注意深く見つつ、シェリルの傍へとやってきた。すると、十分に距離が離れたブロブは林の中へとその身を隠した。

 それを確認した上でバレトもシェリルの腕を掴んで引き起こし、躊躇うことなく後退りながら林の中から塀の下まで戻ってきた。そこには、シェリルが乗ってきたタクシーが停まっていたのだった。運転席にはネドルの姿もあった。彼がバレトに連絡を取ったのだ。それを受けたバレトは、予定されていたすべてのスケジュールをキャンセルし、ヘリでこの町まで来たのだった。ネドルは、ヘリを誘導する為に塀の外にタクシーを走らせたのである。

「早く乗って! ずらかりますよ!!」

 今では上官でも部下でもないが、バレト相手についそんな口調になってしまいながらも、二人を乗せたネドルは猛スピードでその場を後にしたのだった。

「病院に頼む…」

 簡潔に指示を与えたバレトは、ちらりとシェリルを見た。

「…!!」

 てっきり怒鳴られると思い、彼女は体を縮めて身構えてしまう。けれど、想像していた怒鳴り声は彼女の耳には届かなかった。

「痛むか…?」

 皮膚がべろりと剥がれ痛々しい様子を見せるシェリルの足首をそっと持ち上げ、バレトが穏やかな口調で問うた。

 彼女のやったことは愚かで向こう見ずでどうしようもない蛮勇だったが、バレトはもう、それで厳しく叱責する気にもなれなかった。それよりはむしろ、こうして怪我はしたが彼女の命が助かったことを素直に喜びたかった。

「私が怒鳴ると思ったか…?」

 痛みに顔を歪める彼女に、静かに問い掛ける。

「……」

 ホテルで騒ぎを起こして警察に迎えに来てもらった上にこんなことまでしでかして、シェリルはもう、言葉もなかった。自分の馬鹿さ加減に体が引き裂かれるような気持にさえなった。そうなることが分かっていたから、バレトは敢えて怒鳴らなかったのだ。彼女が自ら己の愚かさに気付いて自省することこそが必要だと彼は知っていたのである。

 ただ、言うべきことは言わなければならない。

「私は君に言った筈だ。規律や命令に従えない人間は軍人には向かないと。君は私の言葉を蔑ろにした。だから私は敢えて君に告げなければいけない。

 シェリル。君は軍人には不適格だ。諦めたまえ……」

「…ごめんなさい……」

 静かだが毅然として、反抗も反論も許さない重みのあるバレトの言葉に、シェリルは声を殺してしゃくりあげていたのだった。


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