覆すことのできない断絶と、それでも残る小さな希望

 読み終えたとき、Web小説という言葉から連想されるものとあまりに異なる独創性と文学性に飲まれ、ただただ圧倒されるだけだった。無言で★3を付けたものの、なぜ圧倒されたのか言語化することもできなかった。
 一晩経って改めて考え、私なりに解釈した結論は、この作品は震災についての小説ではないということだ。
 もちろん、震災で大切な人を失った人々がこの日本で私たちの隣人として生きていることは、忘れてはならない事実ではある。それを思い出させてくれるのも、この小説の美点ではある。しかしここで描かれているのは、あの災害だけに限定されない、覆すことのできない人と人との断絶である。
 乱暴に例えるなら、米澤穂信氏が『さよなら妖精』で描いた、内戦中のユーゴスラヴィアと日本の断絶に近い。どれだけ理解しようとしても真にその痛みを知ることはできないし、手を伸ばしても届かない。人がそれぞれ別の人生を背負っている以上、そうした断絶はあらゆる場所に横たわっている。他者の苦しみを本当に理解することはできないし、理解できると考えることは、おそらく傲慢なのだろう。

 それでも理解しようとすることはできる。たとえ届かなくても、手を伸ばすことはできる。この小説で描かれる、ファッションホテルの気送管を通したささやかなやり取りのように。そこに小さな希望がある。

 もちろん、小説はあくまでフィクションに過ぎないし、本当にこのようなふれあいがあったわけではないだろう。作者である久々原氏があのとき、あるいはあの後、どのような体験をされたのかは分からない。あとがきを読む限りでは、被災者ではないように見受けられる。
 それゆえに作者は、この作品にハッピーエンドをもたらすことができなかったのだと思う。ここで描かれている断絶は、まさしく作者自身が感じている断絶であり、他者理解の不完全さなのだから。
 けれど、それでも理解しようとし、届かないと分かっていても手を伸ばそうとした。その結果がこの小説なのだろう。だからここで描かれた希望はあくまで作者の願いだ。けれどそれは美しい願いだと思う。

 最後に、震災についての小説ではないと書いたが、津波の描写は非常に生々しいため、実際に被災された方が読む際には充分に注意されて欲しい。率直に言えばお勧めできないように思うが、私には想像も及ばないことで、何も語ることができない。
 しかしながらそれをタブーとせず、現代日本における断絶と希望を描こうとしたこの作品の誠実さに、私は敬意を表したい。

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