海のシンバル

久々原仁介

第1話 青く、深く

 お初にお目にかかります。そちら、ウェブライターの秋山あきやま千鶴ちづるさんで、よろしいでしょうか。


 ファッションホテル『ピシナム』でスタッフを務めていた、磯辺と申します。


 名刺、ご丁寧にありがとうございます。ですが、申し訳ありません。こちらがお渡しする名刺を持ち合わせていないのです。


 『ピシナム』は、シティホテルのようにお客様と顔を合わせるようなこともありませんでしたし、ほとんどの従業員が名刺などはつくっていませんでした。どうか、ご理解ください。


 オーナーでした浜本から話は伺っております。今日はファッションホテル『ピシナム』の取材とのことでよろしいでしょうか。


 ご存知だとは思いますが、ファッションホテル『ピシナム』はひと月前の二月に、看板を下ろすこととなりました。


 実のところ三年前にはそういう話が出ていました。こんなにも時間がかかってしまったのは、『ピシナム』に勤めていたスタッフ全員の就業先が見つかるまでは、経営を続ける方針だったそうです。僕も今は、オーナーの紹介で隣町にある別のホテルで働いています。


 取材のお話を聞いたときは、どうして潰れたホテルの記事なんか書くのだろうと不思議でしたが、正直なところ理由はなんだってかまいません。


 『ピシナム』がなくなっても、誰かの心に、そういうホテルがあったのかという気持ちを残しておきたいのです。


 よくラブホテルとファッションホテルを同じものだと勘違いされる方がいらっしゃいますので、最初に説明させていただきます。厳密には、この二つは別ものなのです。


 違いはいくつかありますが、決定的なことといえばフロントの受付にホテルマンが立っているかどうかという点です。ラブホテルのフロントは無人ですが、ファッションホテルには受付にホテルマンが待機しております。ラブホテルとシティホテルの間と考えていただければ。


 ファッションホテル『ピシナム』は本当に良いホテルでした。浜本は『ピシナム』を現代社会の駆け込み寺だと度々言っていましたが、まったくその通りだったと思います。


 今年で僕が二五歳ですから『ピシナム』に勤め始めたのは今から六年前になります。


 当時は、大学の授業なんてろくに出ないで、フラフラしていました。誰かと一緒にいなければならない大学の空気というか……。肌に合わなかったんです。居酒屋でアルバイトをしていた僕を、オーナーの浜本に拾っていただいたことがきっかけです。


 六年前ですから……二〇一三年、それくらいです。その頃から、僕はファッションホテルのホテルマンでした。清掃と、フロントのアルバイトをしていました。


 『ピシナム』へのご案内を簡単にいたします。山陰線の梶栗郷駅には線路と交差するように友田川が伸びています。梶栗郷は、ここの最寄り駅から一つ先の駅です。駅のホームから出て河川に沿って下ると、開けた海岸がありまして、夏には多くの観光客でにぎわいました。


 扇形ビーチの一番西側には、森の茂みに隠れてひっそりとホテルがありました。そこが『ピシナム』です。


 僕はそこで働かせていただいていました。


 ファッションホテル『ピシナム』は、観賞用の淡水魚などをたくさん飼育していることで有名でした。


 建物はひっそりとしていましたが、『ピシナム』はお客様にとっても働くホテルマンにとっても特別な空間でした。


 休憩は三時間二九六〇円。宿泊は四五〇〇円。旅行客や、幼い子連れの親子、同性カップル、お一人様、女子会……。誰に対しても寛容なホテルだったことに間違いありません。


 一つ注意することがあるとするなら、正面の押し扉が、漬物石みたいに重たいことです。


しかしこれはホテル側からの計らいでもあります。


「これくらいどうってことないさ、お先にどうぞ」


「あら、ありがとう」


 こんな会話が、扉を開けてあげるだけで自然に生まれます。レディとして扱われる方も、頼られる紳士も、きっと悪い気はしないはずです。


 エントランスの壁面は、大きな水槽で囲まれていました。ベタや、フラワーホーン、アロワナなどの鮮やかな熱帯魚が泳いでいたのです。


 『ピシナム』がなくなっても、お客様から「あの魚たちはどうしたんですか」とお問い合わせを頂くことがございます。飼育していた魚の多くは隣町の水族館に、場所を移しましたので、ご安心ください。


 しかしながら、お客様のなかにはあの重たい扉を開けてもチェックインをするかどうか悩む方もいます。


 そういったお客様には、カウンター横のゲストテレフォンを取ることをお勧めしました。電話は受付にいるホテルマンに直接繋がるようになっています。


 コールが三回ほど鳴ると、呼び出し音が必ずピタッと止みます。しかし電話口の我々からは何も申し上げません。何も応答がないのが、応答の合図なのです。


 電話が繋がったら、遠慮なくご注文ください。


 お客様からのご注文はそれぞれでした。お客様が理想とするお部屋をお教えください。


我々は「イエス」とも「ノー」とも応えません。


 我々にとっては沈黙を守ることも業務のうちでした。『ピシナム』のホテルマンは、お客様と顔見知りにならないよう細心の注意を払っていたからです。


 顔見知りのホテルマンに、アダルトグッズや、避妊具を持って来いとは、お客様も言いづらいでしょう。すると、客足は遠のいてしまいます。そういうものなのです。


 このようなことを防ぐためにも、お客様との会話はできるだけ最低限にしていました。


 何も声が聞こえないから、お客様はしばらく壁と話しているように感じるかもしれません。しかしそうしている間にも、お客様のためのルームメイキングが手際よく始まっていました。


 一通り要件を言い終わりましたら、一度受話器を戻してその場で少々お待ちいただきます。


 しばらくすると、カウンターの上にある部屋番号が点滅します。お部屋の準備が整った合図です。


 余談になりますが、お客様は内装が気にいらなかったらすぐにチェックアウトしていただいてかまいませんでした。もちろんお代は結構です。お客様のご要望に応えられないのは、こちらの不手際になりますので。 


 ですからルームメイキングは、スタッフの技量が試されます。空いてる部屋から、お客様の求める理想の空間に近づけなければなりませんから。


 ベッドのシーツや、時計、ハンガー、照明からスリッパの色まで、必要とあれば壁紙も変えます。壁紙には市営バスに貼り付けるようなプリントシールを使います。


 『ピシナム』独特ですが、部屋を選ぶ際に飼育している魚で指定するお客様もいらっしゃいました。


 餌の関係もあり、当時は部屋ごとに飼育される魚も限定されていました。201号室は金魚、202号室はグッピー、203号室はネオンテトラなど。三階からは海水魚も飼っていました。


 ちなみにルームメイキングに料金は発生いたしません。仰っていただくだけならタダです。ですから、だいたいのお客様はタッチパネルで部屋を指定するより、ゲストテレフォンを使っていました。細かい、ちょっとしたお客様の要望をかなえるのが、我々ホテルマンの喜びです。


 お帰りの際、お支払いは気送管ポストで現金のみとなっておりました。


 郵便受けのような小さな箱が、各部屋の洗面所の傍にある壁にはまっていました。そちらを開けていただくと、筒状のカプセルが管のなかにはまっています。そのカプセルのなかにお金をいれてください。


 お金をいれたカプセルを管に戻して、すぐ横の赤いボタンを押したらお支払いは完了です。管は一階の受付フロントまでつながっていまして、そこで精算をいたします。一階に降りてくる際に鍵を受付までお持ちください。


 ……今もまだ『ピシナム』の看板はギラギラと光っているんじゃないかと、思うときがあるんです。ひょっとしたらって。夜に光るファッションホテルのネオンが、火傷の痕みたいに瞼の裏に残っているのです。


 梶栗郷は、もうすっかりゴーストタウンみたいになっていますから信じられないかもしれません。けれど僕が勤め始めたばかりの頃は、繁華街も賑わっていて深夜の『ピシナム』はどこも満室でした。


 梶栗郷駅の線路沿いに、まだ新しい公団住宅のアパートがあったかと思います。あれは僕が高校生だったころに建てられたアパートなのですが、当時はそこに県外からの移住者が大勢いたのです。


 あのアパートには被災割というのがありまして、罹災りさい証明書しょうめいしょを持って移住してきた方の移動費や引越し費用、敷金などの一部を市が負担させていただくというものでした。移住してきた人の大半が、そこで新しい職を探したのです。


 そのなかで裸足同然で逃れてきた人は、夜の仕事に就く人が多かったんです。とりわけ、たくさんの女性が水商売や風俗に流れました。


 彼女らのおかげで、梶栗郷にある繁華街はずいぶんと賑わっていたのです。


 もちろんホテルの業務は大変なものでした。ルームメイキング一つとっても、同じことの繰り返しだなんてことは一度もありません。


 女子会でご利用あとのお客様方で、枕の羽毛が部屋中にちらかして帰られたこともありましたし、半年に一度くらいの頻度で大便が浴槽に浮いていました。


 一筋縄ではいかないことが多くありましたが、我々ホテルマンは、『ピシナム』の仕事を誇りに思っていました。


 ファッションホテル『ピシナム』はすでに廃業したホテルです。


 ですのでこれは、まったくしょうがない話になりますが、お客様に注意していただきたいことがありました。


 それは、ホテルにお忘れ物のないようにということでした。


 『ピシナム』には様々な責任者がいました。清掃責任者や、受付カウンター責任者。それだけではなく、熱帯魚責任者などもいました。


 僕は遺失物管理責任者でした。お部屋にある忘れ物は、一旦すべてこちらへ届けられます。


 一番多いものはアクセサリーです。ピアスやネックレス、指輪は外すお客様が多いのかもしれません。眼鏡を忘れる男性もいらっしゃいました。


 たまに下着が届けられることがありますが、あれは忘れたのではなく置いていったのだと思います。


 特に女性のお客様はよくお部屋に『何か』を残してお帰りになられてしまうときがあります。


 部屋にお客様の私物が落ちているわけではありません。ただ、別人のようになって部屋から出てくる女性を何人も見ましたから、『何か』お部屋に置いて帰られてしまったような気がしていました。


 たくさんの女性が部屋に『何か』を忘れて帰られてしまいました。お問い合わせが来ることもありませんし、部屋を掃除しても忘れ物が見つかることはありません。だいたいはそのままなんです。


お忘れ物をしたお客様のことはできるだけ覚えているように努めていました。


 ですが、半年が経ったら、形あるものも、ないものも、忘れなければなりません。忘れ物をホテルでお預かりできる期間は、六ヶ月だけだと決まっているからです。


 『ピシナム』は或る種、そういう残酷さもあったのかもしれません。


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