参:配備

 たまに浴びるなら朝陽も悪くないものだ。コンビニに寄って静の好物でもある野菜スティックと適当なカップ麺、そしてビールを数缶買って安アパートまで帰る。

 駅から徒歩15分、壁の薄い1LDKのぼろアパートだが、こういう場所に住んでいると年上のご婦人方が同情をしてくれて、お小遣いを多めにくれたるので気に入っている。

 昨日のモモは、当たりの女だった。厄介ごとを運んでくる女は、一緒に悪霊よくないものも連れてきやすいし、何より体からどばどば染み出している色欲の香りが芳しい。

 格好のイイ獲物を捕まえたことで気分が良くて、口笛でも吹きたい気持ちになりながらアパートの近くまで行くと、なにやら重苦しい雰囲気を纏った壮年の男性が部屋の前にいることに気が付いた。

 頭の中で静が「気をつけろ」と囁く。

 めんどくさいな……と思いながら何食わぬ顔をして近付いていくと、男がゆっくりとこちらを見た。

 扉の前に立っていたのは、格闘家の様なたくましい筋肉と、オレと同じ位……180cmはあるだろう恵まれた体躯の男……成井なるい 宗玄そうげんだった。

 白髪混じりの肩まで伸ばされた真っ直ぐな黒髪と、切れ長の美しい鳶色の瞳は、確かに静の父親だという面影がある。しかし、静かと宗玄は体格だけ比べれば少女と成人男性くらいの違いがあり、全く似ていないという印象を覚えるのが正直なところだ。

 鋭い眼光をこちらに向けた宗玄は、オレを見ると露骨に顔を顰めた。あいつの足下にいある灰色の怪物ケモノ――灰鳴カイメイがゆっくりと立ち上がって、低く唸る。


「久しぶりだな静……いや、今は斑か」


「そぉだよ。どうしたんだい御大。オレに塩ぶっかけて追い返した仲じゃねえか」


 嫌味たっぷりに発言しても、宗玄は額に青筋一つ浮かばない。以前までのこいつなら、静でもオレでもこんな口を利けばすぐにでも怒鳴ったと思うんだが。

 拍子抜けしながら、オレが背中を曲げて顔を覗き込もうとすると、足元でガルルルと灰鳴カイメイが唸り声を上げる。ニタニタと笑い返してやると、一歩だけ後退りをしたが、主人の目の前だからかそれ以上は退きやがらない。

 オレより弱い癖にがんばりやがる。まあ、宗玄の指示なしに静の体を傷つけられないのをわかっているから、可哀想な怪物ケモノはおちょくり放題なわけだが。

 まぁ、今ふざけても旨味はなさそうだ。静にどやされる前にちゃんと道化の役割に徹するとしよう。


「次期当主……沙羅嬢様の器が思わしくなくって、我が主に頭を下げに来たってわけかい?」


 口籠もる宗玄の代わりに、言いたいことを当ててやる。


「……お前は相変わらず目利きがあるな、斑。その通りだ」


 先代……静の祖父である巌流いかる怪物ケモノだった時には、宗玄はオレのことを褒めたりしなかった。

 家の外に出たからか、機嫌を伺うつもりなのかわからないが気色悪くて鳥肌が立ちそうになる。


「御大に褒められるなんざむずむずしちまうなぁ……。で、そんなに悪いのかい?」


 グッとそれを堪えながら、オレは宗玄の話を促すために相槌を返した。


「あの子は巫女としては一流だが、怪物ケモノ師としては三流だ。怪物ケモノに同調しすぎるきらいがある」


 ごほん、と大袈裟に咳払いをして、宗玄は話を続ける。


「カッとなったこと、詫びるだけで許してくれとも思わん。だが、一年考えて答えが出た。静、そして斑、どうか成井家に戻ってきてくれ」


「おいおい、頭を上げてくれよ御大。静様はともかく、成井家に牙を剥いたオレも一緒ってぇのは……ずいぶんな待遇じゃねえか」


 オレは知っている。オレの元主人は、先日死んだことを。

 成井家に戻りたいから助けてくれと耄碌した巌流いかるを呼び出し、オレに元主人の寿命をありったけ食わせたのは静だからだ。

 オレたち怪物ケモノを正式に後継するためには、主人の命で元主人の寿命を食らう儀式がある。とはいえ、もう残り少ない寿命をほとんど全部食らえと言われるとは思わなかった。

 主人の命を受けたオレは巌流いかるの命を喰らい、正真正銘完全に静の怪物ケモノになったってわけだ。


「父……巌流いかるが亡くなってな。沙羅の婿を後継に……などと悠長に構えていられなくなったのだ」


 結局、静にしていたことを気にしたんじゃなくて、成井家のためかよ……。そう思っても口にはしない。

 ここで正面からぶつかれば、せっかくのチャンスが無駄になるってことくらいは、いくらオレでもわかっている。


「それに、今回は斑、お前を暴走させた下手人を始末し、汚名を返上するチャンスでもあるんだぞ」


「それを決めるのは我が主、静様だ。それに……汚名返上のチャンスといえどただ働きはできねえなあ」


「それは良い。静を責務から解放するための助力はいくらでもしよう」


 丁寧な物言いだが、相変わらずどこか上から目線で話す癖のあるこの男は、オレや静が今でも家に戻りたいのだと信じたまま話を続ける。


「大判振る舞いじゃねえか。で、御大、どういう仕事を持ってきてくれたんだい?」


「非常に強力な怪物ケモノであるお前が簡単に操られるとは思えん。近隣の同業者には到底無理だと思っていたんだが、事情が変わった」


 それを信じてくれていたのか! と思わず言いそうになり、慌てて口を噤む。宗玄はオレが汚名返上できることに喜んだように見えているのか、オレが目を見開いてにやけたなんて気にしていないみたいだ。

 頭の中で静のお小言を聞きながら、オレは気を取り直す。


「去年、こちらにやってきた半戸はんと。そいつが強力な呪い屋でな。近隣一帯の同業者は痛い目を見てあいつに逆らえなくなってしまったんだ」


「成井家……ここら一帯を締めてるあんたらの威厳を示すためにも、静様に戻ってきて欲しいってわけか」


「父も死に、私も全盛期は過ぎた。未熟な沙羅を矢面に立たせたところで取り込まれるのが関の山だ……。私の灰鳴カイメイは呪い屋とは相性も悪い」


 さっきからオレを睨みつけている灰鳴カイメイに目を落とす。

 パサついた灰色の毛並みを逆立たせてパチパチと小さな音を立てている。こいつはオレみたいに噛みついて相手を喰うんじゃなくて雷を扱う。霊力が高いやつや格上と戦うには多少分が悪いには違いねえ。


「まあ、相性ってもんはあるからなぁ……あんたが弱っちいわけじゃあない。オレよりは弱いがな」


「生意気な口を利くな! 怪物ケモノ一族の恥さらしが! それだけの力がありながら」


 大きく口を開いた灰鳴カイメイは、中にびっしりと生えた牙を見せつけるようにして吠える。


「黙らんか灰鳴カイメイ! 斑の力を借りねばならぬのは事実だろう」


 しかし、それは宗玄によってすぐに諫められた。


「は! 申し訳ありません宗玄様」


 地面に伏せってオレに?きだした牙を納めた。そんな灰鳴カイメイに「べぇ」と舌を出すと、グルル……とかつての同胞は小さく唸る。

 からかいすぎるのも悪い。そう思い直してから視線を逸らし、真面目な顔をしている宗玄へ目を向けた。


「オレも、静様のために仕事をしていてね。ちょうどここらで幅を利かせてる呪い屋を調べたかったんだ」


 節くれだった太い指で顎髭をひとなでした宗玄が、小さく「ほう」と息を漏らす。

 嘘ではない。だから、オレの魂は痛まない。


「オレに利益もある、あんたらや御主人様に利益もある。こりゃあ手を結んでも、静様が怒ることはないだろうさ」


 オレの言葉に頷いた宗玄は、完全にこちらを信じたというような手応えがする。

 オレはイエから離れても、主従の関係を結んでいなくとも成井家の者に嘘をつけないし、許可なく傷付けられないのは変わらないから、油断するのも仕方がないのだが。


「大切なモノ、寿命、霊力……成井家からの依頼はそういうモンをもらわねえとダメだってのが我が主の言いつけだ」


「要求を聞いてやろう」


 ニヤリ……と本性丸出しになりそうなのを必死で抑える。大きく揺れる尻尾がこの体に生えていなくて本当によかった。


「寿命を寄越せなんて成井家の御大将に言えるわけもねえ。簡単なことさ。御母堂と我が主、二人っきりで水入らずの時間を過ごさせちゃあくれねえかな」


「静が……それを?」


 オレは息を吸い込む。下手な嘘は言えない。言うべきことと言わなくていいことを切り分けろ。

 じとりと背中を汗が伝う。顔は道化を演じなきゃならねえ。


「多分だが、な」


 ああ、最高に刺激的で、最高にスリルがある。


「御大も我が主の力量を認めて、こうして依頼をしてくれたんだ。これっきりってこたぁないだろう? それなら、オレは静様がしたがってたことをしてやりてえんだ」


 聞く耳を持っているうちに畳み掛けろ。静は、確かに母親と話したがっている。内容については、予想と違うのかもしれねぇが、尋ねられていないから答えない。


「話す時間が欲しい、そう我が主は望んでいる。なぁ、怪物ケモノはあんたらに嘘をつけないんだから信頼は出来るはずだぜ?」

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