拾陸:忍び(下)

『起きろ』


 頭の中で声がする。

 体を起こして部屋を見てみると、西日がカーテンの隙間から差し込んでいる。

 時計は夜の七時過ぎを示している。とはいえ、約束の時間よりまだ早い。


『呪い屋の妻のこと、もう少し探ってくれ』


 静の頼みなら……やるけどさぁ。

 オレは乾燥機の中に入っていたパーカーを手に取って、小さな鞄を肩にかけてから外へ出た。

 多分、あの沙羅のことだ。メイクなんてしてこないだろう。女共が忘れていったり、置いていったりした化粧品を適当に詰めてある鞄があれば、まあ少しはマシになるはずだ。めんどくさいが、嫌そうな表情をする沙羅を見たいならその手間くらいは惜しくない。

 しかし、暑いな。

 昼間の暑さを溜め込んだアスファルトが、じりじりと足下から熱を放つ。

 日が落ちてからでもオレの周りには、あやかしらしきものは集まって来ていない。まだ、目を付けられていないってことなのか、男には見えにくいものなのかまではわからない。

 辺りに注意しながら、成井家の近くまで来たが、結局鳥の姿をしたあやかしに襲われることも、呪い屋の残党や関係者に襲われることもなかった。

 少し拍子抜けしながら、日がすっかり沈んだあとの町を歩く。

 そんな簡単に、セシーリアなんて会えるもんかねぇ。家の近くにでも行ってみるか?

 静に問い掛けようとしたとき、背後からこちらに走っている足音が聞こえた。さっさと撒こうかと考えたが、悪意や殺気は感じられない。足音もパタパタと無警戒にこちらに近付いてくる素人のものだ。


「何か用かい?」


 ゆっくりと振り向くと、オレに向かって走って来た少女が足を止める。 

 ああ、ちょっと前に占いに来ていた沙羅の同級生か。


「マダラさん! あの、その……わたし……」


「そんな面してどうした? お兄さんが話を聞いてやろう」


 静が止めてくる様子もない。目の前で泣き出した少女の肩を抱いて近くの公園へ入り、ベンチに並んで腰を下ろす。


「ずっと……見張られてる気がして……マダラさん、前に恋愛成就のおまもりを買ったときに、その、おばけとかもやっつけるって言ってたから」


「まあ、そういうこともやってるが、詳しく聞かねえとお兄さんにも出来ることには限りがある。きっかけとかはあるのかい?」


「その……あのね……」


 少女が言葉を詰まらせながら、ぽつりぽつりと話し出したのは、大方予想通りのことだった。

 失恋をして、アフターケアと称してこっそり連れていった夜遊びで、手癖の悪い男に掴まったらしい。

 大人の魅力で優しかったけど、月のモノが来なくなった途端に連絡が取れなくなった……と。それで、不安になりながら道を歩いていたら優しそうな顔をした外国人の女性に話しかけられたらしい。


「それで……身分証もいらないし、日帰りだし、相手のサインもいらないし、お腹にいた子供の供養もしてくれるってクリニックを教えて貰ったの。一人でそこに行って……安心してたんだけどね、しばらくして……具合も悪くなって、それに、なんだかずっと見られてる気がするし、赤ちゃんの泣き声が夜になると部屋の外から聞こえてくるの」


 ああ、運が良い。とにかく、この件にセシーリアが関わっていることは確実らしい。

 それにしても、妊娠した女を嗅ぎ分ける能力でもあるのか?


『鳥……胎児……フクロウ。ふむ』


 静が頭の中でぶつぶつとつぶやき始める。心地よい音楽を聴いているような心地になりながら、オレは適当に少女をなだめすかした。


「今も視線は感じるのかい?」


 少女は首を横に振った。オレがいると逃げるのか? それとも、現れるのに条件があるのか?

 まあ、オレの考えるべき事じゃあない。オレの仕事はあやかしを喰らうことと、静の代わりにこの体を動かすことで推理なんかじゃない。


「わかった。じゃあ、お兄さんが解決してあげるから、しばらくおうちに閉じこもってな」


 そう言って、ポケットにしまってあった札を一枚手渡した。なんちゃってのお札で、効果はほとんどないが、まあ気休め程度にはなるだろう。

 無意味なお札を両手で抱えるように持った少女は、オレにお辞儀をしてから元気よく公園から出て行った。

 まだ時間があるが……そろそろ向かっておこうかねぇ。

 面倒なことにならないように、一応フードを頭から被り、成井家の門へ向かう。 

 沙羅の部屋がある裏庭近くの門まで行ってから、オレは腰を下ろして地べたに座り込んだ。

 静、なにかわかったか?


『大体のことは。あとは、実物を見るだけだ』


 さっすが静。じゃあ、オレは沙羅と一緒に夜遊びして、クリニックの場所を掴んでからセシーリアのあじとを突き止めればいいってわけだな。


『アジトの場所も予想は付いた……が、沙羅に怪しまれないためには、共に行動した方が都合が良いだろう』


 あいよ。ったく、マジで沙羅の記憶も奪っちまうつもりかい? あんなにあんたのことが好きなのによ。


『……ああ。ボクには、お前がいればそれでいい』


 ひっひっひ……本当にそう思ってくれてりゃあ、嬉しいんだけどな。

 静の言葉に思わず笑ってしまう。お前がオレに、そんなに甘いことを心の底から思うはずがないってわかってる。

 そんなことを言って機嫌を取らなくたって、オレはあんたを裏切ったりしねえよ。だってあの時とは違って、あんたはオレの正式な主なんだからな。


『ふ』

 

 静は、息を漏らすように短く笑って気配を消した。

 オレはこいつに嘘を吐けないが、こいつはそうじゃない。そんなことは知ってる。

 でも、やっぱり嬉しいよなぁ。

 聞かれていても問題ない。オレは尾が生えていたらぶんぶんと横に振ってしまいそうな気持ちになりながら、時間を待った。

 適当にスマホで時間を潰していると、どんくさい動きで門をよじ登ってくる沙羅が目に入った。

 立ち上がってポケットに両手を入れてわざと視線を逸らす。

 カツカツとヒールを響かせて近付いてくる沙羅に、今気が付いたような顔をしてわらってやると、わかりやすいくらい不機嫌そうな表情を浮かべてこっちを睨み付けた。

 記憶を弄っているとは言え、成井家あいつらに、沙羅といるところを見られたら面倒だ。

 さっさと大通りでタクシーを捕まえて、運転手に目的地を告げた。

 ちょっとからかいながら、上着に触れる。毛虫でも見るような目付きでオレを睨んだ沙羅をなだめすかしながら、タトゥーシールを肩に貼り付ける。

 予想通りすっぴんで来ていたので、ついでにメイクもしてやる。

 ぶすっとした表情を浮かべていたが、されるがままにしている様子は少しだけしおらしくて笑ってしまいそうになる。

 緊張でもしているのだろうか。


「行きましょう」


 タクシーが停まり、扉が開くと同時に沙羅が一人で歩いて行く。

 のんびりと料金を払おうとして、ゾッと背筋を走る悪寒に気が付いた。辺りを見回すと、据わった目付きをしたセシーリアが沙羅の背中を見つめている。

 ヤバい……そう本能が告げる。


「お釣りはいいや」


 数枚の一万円札をトレーに置いて、オレは沙羅へ駆け寄った。そのまま肩を抱き寄せるようにしてこっちに引き寄せる。


「ちょ……」


 声を出されたら困る。オレは咄嗟に沙羅の耳元に口を寄せた。

 背後にいるセシーリアに気が付かれないように小声で囁く。


「お嬢様を悪い虫から護るためさ。辛抱してくれよ」


 辺りをパッと見回した沙羅は、何かを見て急に黙りこくった。周りの雰囲気に当てられたのか、セシーリアを視認したのかはわからないがちょうど良いので黙ってさっさとクラブの入り口へと向かう。

 受付を手早く済ませて、沙羅の腕を引きながら二重扉の中へと入る。追いかけてきたとしても、彼女を奥へ隠して、適当に誤魔化せばなんとかなるだろう。

 クラブの中にある、むせかえるほどの熱気と禍々しい気配がぶわっとオレたちに集まってくるように感じた。

 隣に目を向けてみると、全身にべったりと悪い気を集めた沙羅が、表情を顰めたまま足下をふらつかせた。

 巫女としての能力はあるのに怪物ケモノ使い用に仕上げられているせいで自分の身すらろくに守れていない。

 まあ、静みたいな例外はいるが、人間は基本的には霊力が高くても、成井家みたいに怪物ケモノのような式神やあやかしを使役出来ても、祓い屋やあやかしオレ達と比べれば視る力は弱い。

 だから、こうして巫女の素質があっても巫女の元で修行でもしなけりゃあこうして、好き放題悪い気を集めたり、あやかしオレ達を惹き付けたりして面倒を起こすんだが……。

 どことなく焦点が合ってない沙羅の肩を支えながら壁際へ連れて行く。ここで参られても面倒だ。


「待ってろ」


 それだけ伝えて、水を貰うためにドリンクカウンターへ向かう。あたりを見回したが、セシーリアらしい人影は見当たらない。

 沙羅も顔だけはいい。変なやつに絡まれる前に戻らねえとな。


「はいはい、あいつはオレのツレなんでね」


 遠巻きに沙羅を物色していた柄の悪そうな小僧共の肩を叩いて微笑んでやる。牽制ってやつだ。

 驚いたように身を竦めた男共の間を割って、オレは沙羅に水を手渡した。

 一息吐いた沙羅の目に光が戻る。場に当てられた隙に、憑かれたのか。

 水で正気を取り戻した沙羅の肩にしつこく居座り続ける形すら保てないあやかしに手を伸ばす。


「退き際を知らない雑魚は、早死にするぜぇ?」


 指で摘まんで、ちょいと霊力を注いでやる。

 力を得て、沙羅の目に映る程度のあやかしになった黒い肉塊が、うぞうぞと抵抗するように体を捩る。

 目を丸くしている沙羅を横目に、オレはその黒い肉塊を一呑みにした。喉をネトネトとした感触が下っていく。


「お嬢様、相変わらずあんたはこういうのに好かれるんだなぁ? オレとしては軽食を楽しめるからいいケドさ」


 からかうようにそう伝えると、彼女は見る見るうちに顔を赤く染めた。それから眉をつり上げてこちらを睨み付けてくる。

 そうそう、そうじゃなきゃいけねえ。知らない雑魚に取り憑かれて人形みたいになられちゃあ、オレがつまらない。

 静に似た顔が、怒ったり泣いたり喜んだりするのを見るのが最高に楽しいんだ。もっともっと感情を露わにしてくれよ。

 笑いを隠さずに、自分を見上げて睨み付けてくる気丈な娘にオレは追い打ちをかける。


怪物ケモノ師としての才はアレだが、巫女としてなら千年に一人出るかどうかの逸材なのになぁ」


 下唇を悔しそうにはむ。それから一瞬だけ目線を落とす。マスカラなんて塗らなくても真っ黒で長い綺麗な睫毛が頬に影を落とす。

 けっけっけと声を出して笑えば、一瞬見せた気弱な表情を消して、こちらをまた睨み付けてくる。

 静ほどではないが、それなりにこいつのことも気に入っている。だから、壊れない程度にセーブしてやらなきゃな。

 からかうのはこれくらいにして、オレは仕事のために動いておかなきゃな。

 辺りを見回すと、ちょうど良い女がいる。派手な緑髪の女がこちらを見たので見つめ返して微笑みかける。

 危害を加えるわけじゃない。記憶を弄るわけじゃない。したいことをする勇気を与えてやるだけだ。本人の意思を無視して体を操るわけじゃない。

 ただ、静の顔オレに微笑まれて、オレの気を引きたくならない女なんて滅多にいないだけだ。

 一瞬だけ黒目をぐるりと上に向けて白目を剥いた女だが、ここではそれくらいのことじゃ心配されない。

 女は、思った通りまっすぐにこちらに向かって来ると、オレに意味ありげな目配せをしながら、沙羅に話しかけた。

 そこからはトントン拍子だった。

 女に情報を吐かせて、クリニックの場所を聞き出す。ついでにこいつの電話で予約をさせよう。オレと沙羅は、呪い屋を処理した関係者だ。万が一にも何かに気付かれるわけにはいかない。

 こっちにきて、沙羅に話しかけてくれと操っただけなのに、本当にこの顔のお陰で女から情報を集めるのには苦労しない。

 適当に体を撫でてやって、口内くらいは好きに貪らせていると、沙羅が怒ったようにオレの腕を掴んで出口へ向かって歩き出した。

 重い扉を、半ば体当たりの様な格好で開いた沙羅は、そのまま建物の隅までオレを引っ張っていく。

 ああ、嫉妬ってやつかぁ? 微かに震える彼女の頬と唇を見て、嗜虐欲が鎌首をもたげる。

 こいつの感情が高まると、こっちも引きずられていけねえ。めちゃくちゃにぶっ壊したくなっちまう。

 息を整えるように深く呼吸をして、背筋を伸ばした沙羅が、ウィッグを脱いで地面に叩き付けた。

 笑わないように気をつけながら、オレを睨み付けてくる彼女の視線を正面から受け止める。


「どういうことなのです?」


「お嬢様のが世話になったトコを探してやったんだってぇ」


 落ちたウィッグを拾って、オレは腰を屈めて沙羅にグッと顔を近寄らせた。楽しくて笑いが絶えられそうもない。


「だから、詳しく話しなさい」


「お嬢様が解決しようとしてる呪いはさぁ……子を孕んだ女に発動する呪いってこと」


 オレの言葉を聞いて、わかりやすく彼女は動揺を見せる。揺れた瞳をじぃっと見つめながら、オレは少しだけ呪いのことを話してやることにした。


「……え」


 裏切られたような、傷付いたような絶望の色が沙羅の鳶色の瞳を陰らせていく。

 言葉を失った彼女が、視線を泳がせる。それから、眉尻を下げて目を伏せた。

 震える手が、オレの服をそっと掴む。

 ゆっくりとあげられた瞳は、いつもの気丈な少女とは真逆の弱々しいモノだった。


「だって……彼女たちは真面目で……そんなくだらないことをするとしてもリスク管理くらいは」


「ヒトの良さそうな白人の女が、悩んでそうな女を見つけて声をかけてるらしい。良いクリニックだから口コミで広めてあげてって言葉と一緒になぁ」


 膝が震えている。絞り出すような声で、事実を否定する。

 ああ、潔癖なこいつには耐えられそうもないだろう。自分と仲良くしていたヤツらが、自分が軽蔑するようなやつらに汚されて、傷つけられていたなんて。

 呼吸が浅くなって、控えめな胸が上下する。服を掴んでいる指先は、力を込めすぎて白んでいる。

 ああ、こうして弱っている沙羅を見ていると、白尾しらおを失った直後の静を思い出す。

 あいつは、こんなに露骨な顔を見せたりしなかったけど。

 目立つのも面倒だ。痴話喧嘩にでも見せかけておこう。オレは両腕を伸ばして沙羅を抱きしめた。

 胸を弱々しく叩かれたので、力を込める。

 そういえば、メイク……服に付いちまうな。

 暴れられないだろう。そう思って沙羅の顎をそっと持ち上げた。一瞬見開かれた瞳がオレを見る。

 ポケットから取り出したメイク落しで顔を拭いてやると、オレを見ていた瞳にみるみるうちに精気が宿っていく。


「帰ります」


 沙羅はそれだけ言って、オレの胸を思い切り突き飛ばした。

 簡単に折れられても、惚れられてもつまらない。オレはニヤニヤを隠さずに沙羅の後を追った。


「大切な我が主の妹君だ。ちゃぁんと家まで送っていくさ」


 彼女が停めたタクシーに肩を抱きながら乗り込んだ。

 口をへの字に曲げて、眉を顰めた沙羅だったが、運転手の目があるのかオレを露骨に罵ったりはしなかった。

 深夜の道路は空いているが、どうにも様子がおかしい。となりでうつらうつらしている沙羅を見ながら、車窓の外に目を凝らす。

 黒い影が複数、タクシーと並走するように付いてきていた。モモの家にいたやつらと気配は同じだ。

 タクシーが停まると、黒い影達も停まった。確かにフクロウのようだが、木の陰やビルの陰に入るので姿を目視できない。

 沙羅と別れ際に、彼女のポケットにメモを捻じ込んだ。これだけのあやかしに囲まれていても、平気でいられるのは巫女とは別の才能を感じる。モモにも聞こえていたし、鳴き声くらいは聞こえていると思うんだが……。

 あやかしたちが、オレ達に気付かれていると察する前にここから離れるとしよう。まだ、狩りの時間じゃない。オレは、帰り際に沙羅のポケットにメモを捻じ込んでさっさとその場から離れた。


『……気配は、感じたな』


「ああ、思ったよりも大物になりそうだな」


 辺り一面にいる無数のフクロウを見ないフリをしながら、オレ達は帰路に就いた。

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